2015年9月7日月曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 27/50)

最後のこの章。中途半端だから、第10章「医者のナルシシズム」に追加だな。

16章 精神科医のナルシシズム

医師のナルシシズムについてはすでに書いた。ここで最後に特に精神科医に限って再び登場させる意味はあまりないのかもしれない。しかし、とかく精神科医のナルシシズムは目立ち、また槍玉にあげられやすいので、最後に短く取り上げておく。
それにしても、うーん、評判よくないなあ、精神科医。大体患者さんの話から伝わってくる精神科医の噂は、さんざんである。「患者さんの話を聞かない」。「パソコンの画面ばかりを見ている」。「威張っている」。「やたらと薬を出す」。「すぐ統合失調症だという」。「すぐに薬を打とうとする。(入院中の話)」・・・・・。私も「ひどい精神科医だ」と言われたことはあまりないが(というか、誰も正面切っては言わないだろうが)。決して自慢ではないが、「いい精神科医だ」という評判を又聞きした、という経験すらもない。精神科医はよほど威張っていて自己愛的だと思われているらしい。
ただし本書を通して何度も主張しているように、自己愛は、そうなることができる環境におかれれば、ほとんどの人が獲得するものである。ということは精神科医という立場はよほどそうなる(あるいは、そのように見られる)要素を多く持っているということだろう。
精神科医の私から見て、その同僚の振る舞いに疑問を持つこともある。
米国で働いていたころ、同僚でいかにも気障でおしゃれ、という精神科医がいた。40歳代の男性の精神科医。ふつうアメリカでは医師は白衣を着ない代わりに、身なりでそれ以外のコメディカルとの区別をつけていた。男性はジャケットを身に着け、ネクタイを締め、あるいは女医さんはネックレスを付けて他のスタッフとは一味違うという雰囲気を出していた。その中でも特におしゃれなドクターDは、シャツのカフスも凝っていて、また胸ポケットに刺繍されたブランドのロゴが目立っていた。「なんでこんなものを着ているのだろう?」と思ったのを記憶している。いまから思えば、シャツのロゴもラルフローレンのポロのマークだったから大したことはないかもしれない。でも患者さんの中には財布に23ドルしか入っていず、着るものも粗末な人も少なくない。それなのにアイロンの当たったブランドもののシャツをこれ見よがしに身に着けていているドクターDはいただけなかった。
日本の精神科医も、人によってはブランド物を身に着けることをはばからない。スイスの高級時計も、最近は特に気になる。よくもあんな重い時計を身に着けているものだ、とも思う。生活保護の患者さんも多いのにそんな何十万円もする時計を身につけていては、いかがなものか。そんなことを言えば、経済的に困窮する傾向にあるクライエントを扱う職業の人は、一切ブランドものを持つな、という話になってしまうが、ともかくもえらそーに見えてしまうのは考えものだ。ナルシシズムの一つの小さな表れと言っていいだろう。
私は病棟勤務の精神科医が自己愛的とみられる危険は、それだけ高いという印象を持つ。精神科の閉鎖病棟では、不穏な患者を拘束したり、保護室に入れたり、筋肉注射を力づくで打ったり(もちろん患者さん本人と周囲を守るというやむにやまれぬ事情によるものだ)ということが日常的に起きる。幻覚妄想状態での拘束はそれほどでもないが、同じ入院患者とのトラブルからけんかになった人のうち、片方だけが拘束という処置を受けた場合、患者によっては「どうしてオレだけが保護室なんだ!」と、指示した精神科医に大変な恨みを抱く場合がある。
もちろん病棟だけでなく、外来における精神科医の態度が自己愛的に見えたり、傲慢に映るということもしばしば起きる。精神科の外来には、通常は当人や家族がかなりのストレスや不安を抱えて訪れる。人には簡単には話せない悩み事を話し、どのような診断やアドバイスが精神科医の口から聞けるかを、当人や患者はかたずをのんで見守ることも多い。その時の精神科医の振る舞いのうち、少しでも横柄だったり無遠慮だったりする部分は、ものすごく目立つだろう。
私はかつて親戚が内科的な問題で医師を訪れるのに立ち会ったことがある。その中年の男性医師が足を組んで話をしていたり、サンダル履きだったり、髪がすこしボサボサだったりしたところをはっきり覚えている。こちらにとって重要な宣告を下す立場にある人の様子を、私たちは極めて細かに、しかもかなりの猜疑の目を持って観察しているものである。そこに不誠実さや横柄さのかけらを見ようものなら、不安や不満、運命を呪う気持ちが一気に向かってしまう可能性がある。「ひどい医者にあたった!」「薮だった!」ということにもなるのだ。
特に精神科領域の場合、医師の診断や治療指針は主観的な印象や考えに左右されやすい。「十分に話を聞かずにいい加減な診断をされてしまった」、「○○病と決めつけられ、薬を何種類も出された」、ということへの不満や恨みはかなり大きい可能性がある。診療時間の時間的な制約が大きいことはさらにこの問題に拍車をかけてしまう。

・・・・ と書いていて、自分でも変な方向に向かっていることに気が付く。「精神科医がいかにナルなのか」、ではなく、「精神科医がナルに思われることの言い訳」を書いているにすぎない。当事者が書くものにはこのような限界がつきものなのだろう。