2015年9月5日土曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 25/50)

三島のあからさまな自己顕示欲
これまでも述べたように、三島は天才的な能力を有した人であったという。その談話の見事さ、文章を最初からほぼ訂正を必要のない形で書くスピードなどは神がかり的であったという。しかしその三島はミエミエな形で自己顕示欲をさらす。ボディビルや自衛隊入隊、ヌードの発表、映画への出演など、彼が理想とする姿を体現して注目を浴びるということは、彼に無上な快感を与えたようである。こうなると彼の高知能も、普段は怠らなかったという周囲への配慮も後回しになる。
本書の最初で述べたように、自己愛とは理想的な自己像に同一化して快感を味わう度合いにより判断される。三島は自分の肉体を褒められることをことのほか喜んだという。ニューヨークを訪れてボディビルのジムにおもむいて、体操選手と間違われた、と自慢したという。その三島が筋肉美をさらして被写体となる時、おそらく恍惚に近い体験を持っていたのではないか。天皇制を奉じて自決するという結末も、その正当化は後からの付け足しで、まずその自己イメージへの陶酔があったとしか考えられない。
実は私は、何年か前に神田の古本屋で目をつけて購入しておいた19701223日号の「サンデー毎日」(「三島由紀夫の総括」と題された特集号)をネタ本にしているが、そこに彼が当時の若き自民党の参議院議員であった石原氏への公開質問状を紹介していある。その中で、自民党に在籍しながら自らの党をコテンパンにけなす石原氏に対して、三島は訴える。「自分の仕える藩主を批判するなら命懸けでやれ、それが武士道だ」。これに対して石原氏は「そのような三島氏の主張にはうんざりだ」とけんもほろろである。
 石原氏の三島批判については、後にも触れるが、三島氏にとっての理想自己が武士の自決にみられるヒロイズムに集約されるなら、そこに至るまでの根拠は実は理屈付けであり、内実のない空虚な議論に過ぎない。三島氏は市ヶ谷の自衛隊駐屯基地で最後に「古い日本を取り戻せ!日本男子は武士たれ!」と訴えたという。しかしこれは「俺はカッコよく、現代の武士として死ぬぞ。(そのための)天皇陛下、万歳!!」ということなのだ。自分のナルシシズムを満たすための最高の見せ場を自分で演出し、死んで行ったとすれば、これほど人騒がせで、自己中心的な話はない。しかしそれほどまでに彼の自己愛の病理は深刻だったともいえる。
三島由紀夫の自己愛を知るうえで貴重な情報源となるのが、彼自身作家のナルシシズムのテーマともなりそうな石原慎太郎氏の著書「三島由紀夫の日蝕」(新潮社、1990年)である。三島由紀夫との交友関係を通して、いわば彼を観察しつくしたところのある石原氏が、その鋭い、そして多少なりとも意地悪な洞察力を持って、三島氏その人への過酷ともいえる批判的な分析を展開する。
 その著書には様々な興味深いエピソードが語られる。最初の出会いのエピソードが興味深い。三島氏との写真撮影で、三島氏は出版社屋上の手摺から大きく身を乗り出してあたりを眺めていたという。その時石原氏はその手摺が煤煙でひどく汚れていることに気が付き、三島氏に指摘する。しかし三島氏は「そうかい」と言ったきりで、むしろわざとその恰好を続けて、おそろいの鶯色の背広やトレンチコートや、そして同じ色に合わせた革の手袋をひどく汚してしまう。そんなこと僕は意に介さないよ、とても言いたげな彼の姿を見て、石原氏は、「何かに向かって無理をしているなあ」という驚きを禁じ得なかったと書いてある。
その後三島氏は徹底して自分を作り、男らしさを演出したが、結局本当の意味でそれを実現できなかった。たとえばボディビル。彼の肉体は最初から貧弱な体躯にトレーニングを積んだだけだから、言わば茶筒に筋肉だけを付けたようなものだ。」などという。
 極めつけのエピソードは、三島が、ある日石原氏との対談が設定されていた場所に、真剣を持って現れた時のことである。三島氏は、ちょうどその日居合の稽古の帰りだというが、石原氏は三島氏がそれを見せたくてしょうがないという気持ちを読み取る。そして居合を披露してくれるようにと言う。三島氏はその場で剣を抜いて見せてくれたのだが、もともと運動神経が皆無なため、距離感がつかめずに鴨居に剣を打ち込み、取れなくなってしまう、という失態を犯す。三島氏はばつの悪そうな顔をして、「きみはまたよそに行ってこれを喋るんだろう」と言った」といい、石原氏はやんわり否定する。
 ちなみにこの書「三島由紀夫の日蝕」を読んでいると、今度は石原氏のナルシシズムが気になってくる。この三島氏にとっては痛恨の出来事に、三島氏は口止めをしたつもりだろうが、実は石原氏はこのようにエッセイに書いてしまい、天下に恥をさらすことになっている。
 ちなみに石原氏はこのエピソードの後、三島氏の留守宅に電話をしてまで、氏がその日居合の稽古に出かけたわけではないこと、つまり真剣を見せるために対談現場に持参したことを突き止めてしまう。
これらのエピソードをもとに、三島氏のたどった人生の軌跡を自己愛という観点から振り返ると、意外とシンプルな見え方をしてくる。彼は理想的な自己像への同一化にあまりに強烈な快感を覚え、ある意味では自己愛嗜癖(新しい言葉である!!!困ったな。推敲段階なのに)の患者のような存在だったのだ。
さて、本章は、作家のナルシシズムについてであった。そこで少し本題に戻ろう。どうして三島氏は、作家にとどまっていられなかったのか。作家稼業が彼のナルシシズムを枠にはめて、暴走せずに済む手段のはずだったのに。
 私は三島研究の専門家ではないので、あくまでも印象しか述べる事が出来ないが、結局は作家としての行き詰まりが一番大きな原因ではないかと思う。というのも彼は満を持して書いた「鏡子の家」で大成功をおさめた後は、欧米の作家なみに数年に一度書いて、あとは悠々自適の暮らしをする作家生活を考えていたという。しかし「鏡子の家」が売れなかったことで彼の人生設計どころか、心の歯車が大きく狂ってきたように見える。
 もちろん三島の頭の中に早い時期から自死があった可能性はある。彼の自己愛には「いかに死ぬか」も当然入っていたであろうし、例えば天才作家が驚くべき才能を発揮して名作を残し、ノーベル文学賞を手にし、最後は大義のために華々しく散る・・・というイメージがあったのではないか?あれほど見てくれを重んじた彼だから、老醜をさらすことは人生の設計図には決して入れたくなかったはずである。むしろ病を得て非業の死を遂げる、くらいのシナリオで満足をしていたのかもしれない。そしてその意味で彼は成功した。三島由紀夫の画像を検索しても、どこにも皺だらけで老人斑まみれの姿は出てこないからだ。
しかしそれにしても、どんな天才でも、名作や発見を次々と世に出し続けることはありえない。彼は若くして名声に伴う喜びをすでに体験しており、それがもはや続けて得られないことに苦しみぬいた可能性がある。一種の離脱症状だと言っていい。ふつうの天災や名アスリートなら、じっとそれに耐えることになるが、彼にはそれが出来なかった。となると最後に華々しく花火を散らすことしか選択肢がなかったのではないだろうか。すごくたとえが悪くて申し訳ないのだが、薬物の錠剤から得られる快感が薄れ、この先その快感なしに生きていくことに絶望した男が、最後に手元に残った錠剤を一気に呑みこんだようなものではないか。絶大な快感とともに、死をも補償するような錠剤を、である。
だとしたら作家三島由紀夫が「金閣寺」以降も順調にヒット作を出し続け、作家としての頂点に立ち続け、ノーベル賞も獲得していたら、彼は自滅しなかっただろうか? 彼はボディビルにも剣道にも、空手にも居合にも、自衛隊の体験入門にも走らなかったのだろうか?それは分からないし、その保証もなかったであろう。作家として順風満帆を続けながらも、彼の自己愛の風船は結局は膨らみ続け、作家としての成功にも飽き、結局は自滅の方向に向かったのかもしれない。その意味では彼がり患していたのは致死性の自己愛、というべきだろうか。
 私が興味深いと思うのは、三島氏がそれまでまったく自信を持てずにいた肉体が、実は人工的な努力により改造でき、運動神経や才能なくして肉体美を手に入れることことができることを発見したという経緯である。そのことを石原氏との対談などではっきりと認め、石原氏もまたそれが三島氏にとっての破滅の道の第一歩であったという考えを持っているようである。ということは遅かれ早かれ彼は肉体改造に励むようになり、その成果をひけらかすような行動に出ていた可能性はある。三島氏が自己愛を満足させる仕方は、前出の石原氏との最初の対談の際に見せたように、きわめてぎこちなく、あからさまである。その仕草は子供じみ、容易に揶揄の対象になりかねない。その結果として三島氏は文壇の大御所でありながら、奇妙な性癖を持つ人間として最終的に位置づけられたのかもしれない。そして周囲からたしなめられ、あるいはその危険ともいえる運動神経のなさゆえに事故その他に巻きもまれることで身体機能を一部奪われ、あるいは高齢に至って筋肉美も自然と衰え、その露出傾向やスタンドプレーも影をひそめ、最終的に本業である文筆活動に戻る運命にあったかもしれない。
いずれにせよ私はやはり三島氏の場合についても思うのである。文筆の才は、彼のナルシシズムに形や枠を与え、そこで彼が抑制の適度に効いた作品を生む手段となった。しかし彼が主人公を描く代わりに主人公になりきり、行動を描く代わりに行動を始めたところから彼の人生は狂い始めた。行動はより直接的なナルシシズムの満足や高揚感をもたらせてくれたのであろう。しかしその昂揚感こそが彼の自己愛の病そのものだったのである。自分自身の自己愛にとらわれ、支配された人の運命。私は少なくとも三島氏に関しては、それが彼の人生を表現していると思える。