2015年1月11日日曜日

解離のユルイお話


世の人々は解離性障害をどのように理解しているのだろうか?いやもう少し焦点を絞るのであれば、世の中の精神科医の先生方は、どうなのだろうか?
 先日「プリズム」(百田尚樹、幻冬舎文庫、2014年、ただしオリジナルは2011年)を手に取った。解離性障害をテーマにした小説である。本文を読む前に「解説」を読んだが、そこに書かれている某精神科医の言葉には本当に失望した。これを読むことでますます一般の人々のこの障害についての誤解が深まることは間違いない。

私自身は、岩本広志のような「見事な多重人格」とは出会ったことがない。ただ、あたかも多重人格だけれども実はそれを装っているだけ(決して詐病ではなく、本人がそのように思い込むところに病理がある)といったケースなら何名か知っている。多重人格といういかにもドラマチックでしかも精神科医が関心を向けそうな症状を呈することで、自分自身をアピールしている。私はこんなに辛いんだ、こんなにユニークな私なのに(あるいはそれゆえに)世間は私を退ける、私はもっと注目され特別扱いされるべきだ―そんな気持ちが多重人格という大胆な症状に仮託されているのだ。(中略)こうしたケースに薬など無用である。人格変換という「派手な症状」にはあえてそっけなく向き合い、アピールなんかしなくてもあなたは十分言い切る価値があるし意味があるという事実を理解してもらうことに力を注ぐ。催眠療法とか精神分析などの込み入った療法を採用すると、むしろ本人は「多重人格である私」を肯定された気分になって勢いづいてしまうので、淡々と対処していく。・・・


実はこの文章はまさに精神科医が示してはいけない態度が満載となっているのである。