池上彰先生の話は分かりやすいから好きだ。昨日中国についての解説を聞いたが、とてもためになった。そこで出てきたのが、おそらく中国政府が、万の単位のサイバーポリスを雇って、政府に対するネガティブな書き込みを削除しているという。それだけではなく、政府にポジティブな書き込みには報酬を与えているということだ。私はインターネット社会では、人は最終的には言論の自由や情報の伝達を保証され、最終的には大衆が本気を翻すことになると想像していたが、よくわからなくなってきた。かの国は一つの壮大な実験を行っているわけである。
ではサリバンは解離についてどのようなことを述べているのか。サリバンはこう言っている。「パーソナリティの中で両親やほかの重要な人々に肯定されていない自己表現については、自己は言わばそれに気がつこうとしない。それらの願望やニーズは、解離されるのだ。」(Sullivan, H. S. (1940), Conceptions of Modern Psychiatry. New York: Norton, 1953. P21-22) ここでサリバンが言う解離は、実は schizophrenia 統合失調症の症状で用いられるような深刻な機制であるという。ただし彼の言う schizophrenia はかなり広い意味を持っていたのもの事実である。そしてそれはおそらく私たちが用いる「解離性障害」も含むに違いない。
ともかくこのサリバンの言う解離されたものは、彼自身の言葉を借りれば not-me となるが、それは象徴化されずに自我の外にとどまり、時期が来れば侵入してくるようなものだ。まさにスターンが言うエナクトメントのように。この理論には欲動 drive は存在せず、またこの解離の精神への影響は、通常は目に見えないものであるという。しかしパーソナリティはそれを中心に構造化されていて、それはちょうど絵がキャンバスの周辺の白地に囲まれて構成されるのと同じだという。(p. 218) それは例えば田舎道のようなもので、そこを歩く限り何も疑問を覚えないが、それはそれが余計なところに入っていかず、決められたところだけを通るからだ、という。
ではサリバンは解離についてどのようなことを述べているのか。サリバンはこう言っている。「パーソナリティの中で両親やほかの重要な人々に肯定されていない自己表現については、自己は言わばそれに気がつこうとしない。それらの願望やニーズは、解離されるのだ。」(Sullivan, H. S. (1940), Conceptions of Modern Psychiatry. New York: Norton, 1953. P21-22) ここでサリバンが言う解離は、実は schizophrenia 統合失調症の症状で用いられるような深刻な機制であるという。ただし彼の言う schizophrenia はかなり広い意味を持っていたのもの事実である。そしてそれはおそらく私たちが用いる「解離性障害」も含むに違いない。
ともかくこのサリバンの言う解離されたものは、彼自身の言葉を借りれば not-me となるが、それは象徴化されずに自我の外にとどまり、時期が来れば侵入してくるようなものだ。まさにスターンが言うエナクトメントのように。この理論には欲動 drive は存在せず、またこの解離の精神への影響は、通常は目に見えないものであるという。しかしパーソナリティはそれを中心に構造化されていて、それはちょうど絵がキャンバスの周辺の白地に囲まれて構成されるのと同じだという。(p. 218) それは例えば田舎道のようなもので、そこを歩く限り何も疑問を覚えないが、それはそれが余計なところに入っていかず、決められたところだけを通るからだ、という。
フロイトによれば、防衛は無意識的な葛藤から生じる。そしてそれは葛藤の一方だけを意識化する形で行われる。それがフロイト的な葛藤の回避のされ方だ。しかしサリバン的に言えば、葛藤はもう片方を構成しないことで回避されるというのだ。ということでスターンを少し引用すると・・・・。