2014年6月22日日曜日

解離の治療論 (67)


えーっと、柴山先生を引用しようとしているのであった。彼の「解離の構造」の228ページの「祀りと供養」には、興味深いことがまさに書いてある。いわく、「交代人格は『浮かばれない死者の霊』と類似している。」「『この世』を現実世界、『あの世』を背後世界、死霊を交代人格と読み換えれば、これらは解離の体験世界にきわめて類似していることがわかる。」その後に述べていることも興味深い。「西洋では、キリスト教における悪魔祓いにみられるように、恨む資料や悪霊は力によって追い払うという要素が前面に出ている」が、日本では「霊の祟りを恐れ、その例を神として祀り、供養をするという神聖が優位であったといえよう。」これは優れた視点だと思う。ただしそのうえで言えば、日本の臨床家もまた交代人格を警戒し、臨床の場から遠ざけるという傾向は強すぎはしないか?
 前後するが、208ページにも面白い記載。「今日の外来でよく聞かれる『解離はうちでは診られません』という言葉は、かつての『うちではボーダーラインは見られません』という言葉と重なる。解離はかつての『ボーダーライン』であるかのような扱いを受けている。」これも同感。でもちょっと引用しづらいなあ。
えー、これで終わり?一回分?まあいいか。誰も読んでいないし。
でも最近あまり会っていない柴山先生、お元気かな?