2014年3月19日水曜日

続・解離の治療論(6)


 以上の様々な状況で子供の人格が出現するが、それは多くの場合、そうと認められずに見過ごされてしまう運命にある。
子どもの人格が実の親の前で出てくることはむしろ少ないが、実際にそれが生じた場合も、親は「この子は時々幼稚なしゃべり方をする」「時々急に依存的になる」と考えるだけでそこに人格の交代が起きているという発想を持たない場合も多い。また子供の人格の方でも自分があまり受け入れられていないと感じられる状況では姿を消してしまう場合も多く、また自分があまり相手にされない場合には「大人しくしている」ことにより、結果的にその存在が見過ごされてしまうこともある。 

子供の人格はなぜ成立するのだろうか

 DIDの患者の圧倒的多数が、子どもの人格を有するという印象がある。既に述べたように、子ども人格の成立するプロセスの詳細は不明だが、ひとつの機序としては幼少時のトラウマの体験があげられる。その子供の人格が出現する時に、常におびえたりパニックに陥っている様子を示す場合には、それがある種のトラウマ体験を担っている可能性が高いことは言うまでもない。
 ある患者の子供の人格は両親の激しい争いごとを体験したままの状態で出現する。その場合は「大丈夫なの?」「僕悪い子じゃないよね」というような言葉を子どもの口調で口にする。
 これらの子供人格の出現のパターンを見る限り、これは一種のフラッシュバックの形式をとっていると考えていいであろう。フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。そのフラッシュバックが「人格ごと生じる」という現象として、この子供の人格の出現を理解することが出来るだろう。
しかしすべての子どもの人格がトラウマを基盤にして生じるとは限らないであろう。それはいつも陽気にかつ無邪気にふるまう子供人格に出会うこともまれではないからである。別の人格を呼び出そうとDIDの方に協力を呼びけると、それとは異なった子供の人格が飛び出すということがある。あたかもその子供の人格は治療者と遊ぶ機会を待ち望み、呼ばれていた人格の代わりに出てきたかの印象を受ける。
 子どもの人格が他人との接触を求め、一緒に遊ぶことで喜びを表現するような場合には、その人格は患者が幼少時に甘えや遊びを十分に体験できなかったことの代償として成立したと思えることも少なくないのである。