2014年3月11日火曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(11)

第9章は、最後の部分だけ付け加えた。

本章は、同じトラウマでも、自己愛トラウマではなくて実際の災害におけるトラウマの文脈で論じたが、最後に本書の主要テーマのひとつでもある「加害者の曖昧さ」との関連で述べておきたい。
 震災による津波というという明確な「加害者」(といってもこの場合は自然現象ということになるが)が存在するトラウマも、それを和らげるメカニズムにより発生する「津波ごっこ」が子供に与える影響はそれぞれ異なる。多くの子供は津波ごっこにより津波の体験を自分の中におさめていくのであろうが、参加する子供の一部は心の傷を深めることになるだろう。しかしその際の加害者は曖昧であり、不明なのだ。それはお化け屋敷のお化け屋敷のアルバイトさんや、ナマハゲをかぶっている心優しい青年団の男性にも言えるだろう。彼らはそれを仕事として、あるいは伝統にしたがってやっているにすぎないが、ごく少数ではあれトラウマを生み出してしまう。それでも彼らを加害者と呼ぶべきか。おそらくそうであろうが、しかし社会の中では決して表に出ることなく、そして本人も気がつかない、その意味では曖昧な存在なのだ。このように加害者の曖昧さは、その体験が制度や習慣に組み込まれている分だけより錯綜した事情を呈することになる。

しかし加害者が曖昧であることは決して、トラウマの程度を軽減しない。それはむしろトラウマの淫靡さ増し、被害者の救済や治療の機会をそれだけ奪ってしまう可能性があるのである。