怒りついて再考しようという動きは、最近では一般心理学の分野でも見られている。そこでは怒りは恥や罪悪感その他の「自意識的感情self-conscious emotion」との関連で捉えなおされることとなった。この分野の先駆者の一人であるタングニー (6) は、怒りは恥の感情に対して二次的に生じてくるものという見方を示した。つまり恥の感情を体験するフェーズ (相) があり、その直後に反応性に怒りが生じる、というわけである。
怒りに関するこの種の新しい捉え方は、米国の臨床場面ではすでに広く受け入れられているという印象を受ける。米国ではさまざまな治療施設で「怒りの統御anger management」と名づけられた認知療法的な治療プログラムが行われている。アルコール中毒のグループでも、DVの加害者のグループでも、「アンガーコントロール」がテーマとして挙げられ、心理士が特製のボードを用意して怒りの生じるプロセスをグループに説明していたものだ。そしてそれらのマニュアル等を参照しても、怒りに対する同様の理解に基づいていることが多い。すなわち「自らの怒りをコントロールするためには、その際に自分の心におきている恥などのさまざまな内的感情に耳を傾けよ」という方針である。
さらにタングニーらは、恥の感情を強く持つ傾向のある人がどのように怒りの感情を処理するかについての調査を行っている。それによれば「恥に陥りやすい人ほど、怒りを破壊的な形で表現する傾向にある」という結果が示されている、というのだ。
健全な自己愛、病的な自己愛
さて以上で怒りの防衛的な意味合いについては一応強調出来たつもりである。私たちは怒りの背後にはある自己愛の傷つきがあるのだ、ということを自覚することで、自分が他人に向けている感情の正当性に疑いを差し挟むことが出来、結果的に怒りを鎮めることができる場合もあろう。「俺って、なんでこんなに怒っているんだろう?よほど自分が傷つけられたのだ」という反省が生まれるからである。そしてその怒りが表現されてしまい、他人の自己愛を傷つけ、それだけでなく精神的に見でも「処刑」してしまい、さらなる怒りの連鎖を招くといった事態もある程度は防げるかもしれない。
しかしこの種の自覚を深めることで人は最終的には怒ることがなくなり、社会は平和になるのだろうか? おそらくそう簡単には行かないだろう。多くの防衛機制について言えることだが、それには何らかの本質的な存在理由が伴うことが多い。怒りの必然性や正当性についても検討しておかなければならない。恥の反転としての怒りにも、その人自身のプライドや社会的生命を守るという役割は消えてはいないというわけだ。
しかしこの種の自覚を深めることで人は最終的には怒ることがなくなり、社会は平和になるのだろうか? おそらくそう簡単には行かないだろう。多くの防衛機制について言えることだが、それには何らかの本質的な存在理由が伴うことが多い。怒りの必然性や正当性についても検討しておかなければならない。恥の反転としての怒りにも、その人自身のプライドや社会的生命を守るという役割は消えてはいないというわけだ。
自己愛を正常範囲まで含めて考えるのは現代の趨勢でもある。一つの連続体として自己愛を考え、そこには中心に健全な部分を持ち、周囲に病的に肥大した部分を持つというイメージを考えればよい(図1)。ここで健全な自己愛とはわが身を危険から守るという一種の自己保存本能と同根だと考えればよい。そしてその具体的な構成要素としては、自分の身体が占める空間、衣服や所持品、安全な環境といったものが挙げられよう。
また周囲の病的に肥大した部分には、偉い、強い、優れた、ないしは常に人に注意を向けられて当然であるという自分のイメージが相当することになる。
この自己愛の連続体を考えた場合、怒りとは、そのどの部分が侵害されてトラウマが生じた時も発生することになろう。病的に肥大した自己イメージの部分が侵害された場合についてはすでに論じたが、正常の自己愛が侵害された場合には、自己保存本能に基づいた正当な怒りが生じる。その際は恥よりもさらに未分化な、一種の反射ないしは衝動が怒りに転化するのだ。そしてこちらは一次的な感情としての怒り、と考えるべきなのである。
ただしここに問題が生じる。自己愛が連続体である以上、それが侵害を受けたと感じたのが健全な部分が病的な部分かは、しばしば当人にさえも区別がつかないことがあるのだ。
混んでいる電車で足を踏みつけられた時の怒りという例を再び取り上げよう。その人が自分の存在を無視されたと感じ、大して痛くもないのに踏まれた相手に大げさに咬みつくとしたら、これは病的といえるだろう。しかし実際に足の甲に鋭いヒールが食い込んだ際の耐え難い痛みのために、反射的に声を上げて相手を突き飛ばしてしまう場合もあるだろう。こちらは誰の目にも明らかなトラウマであり、それに対して生じた怒りは正当なものとして映るはずだ。以上の例は両極端でわかりやすいが、大概の場合、足を踏まれて腹を立てた際の私たちの怒りはどちらの要素も伴った複雑な存在であることが多い。
一次的な感情としての怒り
そこでこの「一時的な感情」としての怒りの由来を考えてみる。それは自己保存本能と同根である以上、進化の過程のいずれかの時点で生物に与えられたそれが、そのまま継承されたはずである。
かつてポール・マクリーン(7)は、脳の三層構造説を唱えた。彼によれば、攻撃性は最古層の「爬虫類脳」にすでに備わった、自らのテリトリー(縄張り)を守る本能に根ざしたものであるとした。マクリーンのいう爬虫類脳は脳幹と小脳を含み、心拍、呼吸、血圧、体温などを調整する基本的な生命維持の機能を担うとともに、自分のテリトリーを防衛するという役割を果たす。たとえばワニは卵を産んだ後にはしばらくその近辺に残り、侵入者に対して攻撃を仕掛ける。しかしその時にワニが「怒って」いるかといえば、そうではない。そう見えるだけである。感情をつかさどる大脳辺縁系は、ひとつ上の層である「旧哺乳類脳」のレベルまで進まないと備わらないからだ。そしてここでいうテリトリーを象徴的な意味も含めて用いるなら、それを守る本能は、上述した人間の健全な自己愛の原型と考えることが出来るだろう。それは自分や子孫を守る上でぎりぎりに切り詰めた「領分」を維持するためのものなのだ。
ウォルター・キャノン (8) という学者が1929年に、動物が危険にさらされた時の二つの反応パターンとして「闘争逃避反応」を見出した際、この大脳辺縁系をも含めた自律神経の活発な動きに注目したのである。カモシカは身近に迫ったハイエナやライオンを目にすることで、大脳辺縁系に属する扁桃核や中脳の青斑核といった部位が刺激され、交感神経系が興奮し、闘争や逃避の態勢に入る。この時カモシカなら怒りや恐怖に近い感情を体験しているはずである。その怒りはあくまでもテリトリーを守るための正当なものである。そしてこの部分をそのまま引き継いだのが、私達の怒りのうち「一次的感情」に属する部分というわけである。しかしカモシカは恥の感情を介した怒りには無縁である。恥とは人間に特権的に備わっている「自意識的感情」だからである。
自意識を獲得し、そのために自己愛を肥大化させるにいたった人間も、やはり自分や子孫の生命を守る必要がある。その必要は生物としての存在に由来し、自己愛的で鼻持ちならない輩も、つつしみ深くてへりくだった人間も同様に有しているのである。一時的な怒りはその生物としての人間が維持されるために必須のものと考えられるのだ。
「怒りの自己愛モデル」にもとづいて 怒りをどのように処理すべきか
本章のこれまでの話から、このような怒りについての理解の仕方を「怒りの自己愛トラウマ」モデルと呼ぶことには納得していただけるだろう。そこで最後に、このモデルと臨床との接点ともいうべき問題に立ち返りたい。それは「私達は自己愛的な怒り、つまり二次的な感情としての怒りを昇華することができるだろうか?」である。この問題は私達が他人と良好な関係を損なわず、しかも余計なフラストレーションを抱えずに生きていくためにきわめて重要なことである。
しかしこれに対する明快な回答などおそらくない。正当な怒りも、恥に基づく怒りも、いったんそれが生じてしまった段階では同じ怒りなのだ。自己愛の連続体はそのどこに傷がついても痛みを生じる。おそらくその怒りの性質の違いがわかるのは、そばにいて眺めている他人なのだろう。他人が「これは当然の反応だ。自分だって怒るだろう。」と思えるか、「あんなことで怒るなんて、余程プライドが高いのだろう。」と感じるか、である。とすれば先の問題に対する解答とは、「最初から自分の自己愛が肥大しないように心がけること」ぐらいしかないのだろう。しかしそうは言っても人は自分の自己愛がどの程度肥大しているかを、常にチェックすることなどできない。それどころか自己愛が肥大すればするほど、その種のチェック能力が損なわれてしまうのが通例なのだ。とすれば日常生活で体験する自分の怒りを一つ一つチェックすることくらいしかできないのだろう。そして毎回ムカッとしたときに自分に尋ねてみるのだ。「今自分は何に傷ついたのだろう?」おそらくそう出来た時点で、二次的な怒りのかなりの部分はその破壊力を失っているはずであろう。
参考文献
(1) 宮城音弥 (編) : 心理学小辞典. 岩波書店, 1979.
(2) 岡野憲一郎:気弱な精神科医のアメリカ奮闘記. 紀伊国屋書店, 2004.
(3) Morrison , A.P.: Shame : The
Underside of Narcissism. The Analytic Press, 1997.
(4) Nathanson, D.L.: Shame and Pride:
Affect, Sex, and the Birth of the Self. W. W. Norton & Company,
1994.
(5) Goldberg, C.: Understanding
Shame. Jason Aronson, 1992.
(6) Tangney,
J.P., Fischer,
K.W.: Self-Conscious Emotions. The Psychology of Shame, Guilt, Embarrassment,
and Pride. Guilford
Press, 1995.
(7) Maclean, P.: The Triune
Brain in Evolution : Role in Paleocerebral Functions Springer, 1990.
(8) Canon, W.: The Wisdom
of the Body. W. W. Norton & Company, New York, 1932.