2013年12月2日月曜日

「難しい親たち」とパーソナリティ障害の問題(1)


ある「大人の事情」から、「難しい親」、いわゆるモンスターペアレントについての考えをまとめる必要が生じた。いきなり締切が数週後、というのはキツいなあ。締切が半年先、というのであれば依頼される側も引き受けやすいし、それだけいいものも書けるだろうと思うのだが。そういえばもう廃刊になった「●マーゴ」はさらにキツかった。「二週間でお願いします」、とか。無理したなあ。でも同時に鍛えられたなあ。まあ、それはさて置き・・・

 モンスターペアレントという言葉は和製英語だということである。そういえばそんな言葉はアメリカにいた頃は聞いたことがなかった。Monster parent と英語で検索をしても、同様の意味では出てくることはなく、むしろ日本の親の事情が英語でも同様にmonster parents と表記されているという感じ。それよりもtiger mom という言葉が思いつく。しかしそれはむしろ教育ままという感じだ。そう、アメリカで親のモンスター化がどうなっているのかも重要なテーマだ。
この現象、もちろん精神科医としては興味を持っている。モンスター化は何も親だけに限ったことではない。モンスター客(カスタマー)、モンスター患者、モンスター学生。日本で葉さまざまな人種たちのモンスター化が見られるようである。いったい日本人の心の状態はどうなっているのか?
私の考察はモンスターペアレントの「パーソナリティ障害」(以下、PD) である。たしかに現代の日本人の親たちが未熟化し、そのためにわがままでありクレイマー化しているのではないか、という可能性は十分ありえる。同様の事情はたとえば「新型うつ病」についてもいえる。日本人が未熟化し、特に若者がわがままで堪え性がなくなり、職場でのちょっとした叱責や注意で落ち込み、すぐ精神科医に診断書を書いて持ってくる、そして休職中は余暇を楽しんでいるというパターンが見られる。これも同様ではないか、そしてその背後にあるのは、現代の日本人の未熟なパーソナリティ傾向ではないか、という議論である。だから「『難しい親たち』とパーソナリティ障害の問題」というテーマは、言い換えれば「『難しい親たち』は本当にパーソナリティ障害の問題なのか?」という疑問形にすべきものである。
これに対する私の姿勢を一言で言えば、次のようになるだろうか?


モンスター化は、むしろ社会現象であろう、と。そこに現れる他罰的、依存的、あるいは未熟なパーソナリティ傾向は、みながそれぞれ潜在的に持っているような部分であり、それが顕在化するような状況が社会で整っているということを意味するのではないか?