しばらく解離とTRPの関係について考えたい。まだ私にとってはTRPは全然未消化だが、この解離シリーズのブログを続けなければならない。ここでは話題を限定して、子供の人格を扱うこととの関連で論じる。TRPという新たな手掛かりが得られた場合、それにより解離における交代人格と関わる際に何か新たなヒントが得られるかが焦点となる。
交代人格との出会いは、いつでも外傷記憶を扱うことというニュアンスを持つことは確認しておきたい。それはその子供人格がいつもおびえ、泣き叫ぶという形で出てくる際はなおさらである。その際はトラウマのフラッシュバックと似た現象としてとらえることができる。ただし子供人格の出現は、フラッシュバックより一次元、ないし二次元高い現象と理解することが出来る。PTSDにおけるフラッシュバックがある種のトラウマの時のシーンの二次元レベルでの再現とすると、子供人格の出現はそれが継時的であり、またその時の自分が舞い戻っているという、より複合的な現象だからである。またこのことは、PTSDのフラッシュバックも一種の人格交代現象に類似する、という見方を促すことにもなるあろう。このことはいわゆる構造的解離理論の第1次解離という概念が含意していることでもある。(この理論では、PTSDもやはり解離、なのである。)
以下略
交代人格との出会いは、いつでも外傷記憶を扱うことというニュアンスを持つことは確認しておきたい。それはその子供人格がいつもおびえ、泣き叫ぶという形で出てくる際はなおさらである。その際はトラウマのフラッシュバックと似た現象としてとらえることができる。ただし子供人格の出現は、フラッシュバックより一次元、ないし二次元高い現象と理解することが出来る。PTSDにおけるフラッシュバックがある種のトラウマの時のシーンの二次元レベルでの再現とすると、子供人格の出現はそれが継時的であり、またその時の自分が舞い戻っているという、より複合的な現象だからである。またこのことは、PTSDのフラッシュバックも一種の人格交代現象に類似する、という見方を促すことにもなるあろう。このことはいわゆる構造的解離理論の第1次解離という概念が含意していることでもある。(この理論では、PTSDもやはり解離、なのである。)
以下略