2013年9月19日木曜日

トラウマ記憶の科学(16)

Cというケース(P150)。彼女は人生の中で誰かと親密な関係になろうとすると、すぐ怖くなってしまい、その関係から身を引いてしまうということを何度も繰り返している。イメージ療法を施すと、母親に精神的に威圧されていたという子供時代の記憶がよみがえってきた。しかし母親との記憶をいくら探っても何もCさんの関係性の問題に変化は見られなかった。そのうち両親が相互に相手から距離を置いてしまう一種のダンスを踊っているのがイメージされた。すると、親密さから身を引く衝動が同時にCさんの体に感じられた。そこでそのイメージに集中してもらい、イメージの中の両親に、お互いに距離を遠ざける理由を聞いてみた。するとまず反応を見せたのは父親のほうだった。Cがイメージの中で父親に、「自分たちはそばにずっと居続けるよ」と伝えると、やがて彼女は父親が自分の抑うつ的な母親を失うことの恐ろしさを体感した。ここからは引用。「私たちは理解と勇気づけと継続的なつながりを与えた。それらは彼[父親]の幼児期には欠如していたものであり、それゆえに確信を揺るがす体験discomfirming experiences となった。Cさんの体の中で、彼の感情のテンションが和らぐことが体験された。」
次に母親についても同様の試みを行ったという。しかしこちらの方は心の傷つきははるかに複雑で、父親の緊張が和らぐのに比べてはるかにたくさんの準備的な作業が必要であった。ゆっくり注意深く、そして安全な抱える環境を提供し続けると、Cの心の中の父親が、治療者と母親との作業を見つめていることに気が付いた。彼はそこから距離をとることなく、その作業を興味深く見つめていた。そのうちCのイメージの中の両親は以前よりはるかに親密に関係を持つことができるようになった。この作業を続けていくことで、Cは自身も親密な関係を持てるようになった。
非常に簡略化したが、以上が治療の流れとなる。もちろんこのプロセスが一日で終わったわけでは決してなく、何セッションも同様の治療が行われたわけである。しかし・・・・

私(岡野)はやはりどこかに、「本当かいな?」という気持ちがる。私は決して懐疑的な人間ではなく、むしろ信じ込みやすい(あるいは信じ込んだふりをしやすい?)タイプであるが、胡散臭いものにも敏感である。この書のCのようなケースが胡散臭いとまでは言わないが、・・・・・・やはり「本当かいな?」なのである。私自身がイメージ療法になれていないからかもしれない。でもそれにしては本書で出てくるケースはどうもパターンが似ている。イメージ偏重、両親との体験偏重、というところか。