2013年4月11日木曜日

DSM-5と解離性障害(8)


  引き続き、The Dissociative Subtype of PTSD: Rationale, Clinical and Neurobiological Evidence, and     Implications.  Ruth Lanius, et al. Depression and Anxiety 00:1-8, 2012
  を読んでいく。
   解離性障害はどのような精神科的な疾患と合併して起きやすいのか、という問題がある。今論文では解離性障害とPTSDとの関連について問うている以上、この点は重要だ。Carlson 等の研究によれば、解離は、トラウマの深刻さよりも、PTSDの有無により高い相関がある、という。そして同様の研究報告が続く。ある研究によれば、高い解離を示す人の大部分(80%)がPTSDの基準を満たすが、PTSDの基準を満たす人の30%しか高い解離を示さないという。これはどういうことか。PTSDを満たすために決め手となるのは、成人が単回性の深刻なトラウマ体験を持つことと、それによるフラッシュバックを頻繁に体験することである。解離の患者は、成人になってからのトラウマにより大抵は深刻なトラウマとフラッシュバックを体験するということになる。他方では深刻なトラウマとフラッシュバックを体験する人のうち、解離の症状を満たす人は一部にすぎない。
もう少しわかりやすく説明しよう。基本的には解離の病理は小児期に形成されることが多い。たとえばDIDの場合、トラウマやストレスが小児期に存在したことが多くの場合は原因となる。ほとんど、といってもいいかもしれない。幼少時のトラウマにより、心は「解離の起こしやすさ」を備えることになる。すると後になってトラウマを体験した人はそれをフラッシュバックとして体験しやすいということだろう。もう少しわかりやすく言えば、解離を素地に持っている人がフラッシュバックを起こしやすいということになる。他方ではフラッシュバック自体は解離を素地にしていなくても起きる人には起きる。
このような言い方をすると、次のような反論を受けそうだ。「そもそもフラッシュバックだって、一種の解離ではないんですか?」「あくまでも両者を別物のように扱いながら説明していませんか?」う~ン、これは鋭い提言である。(といっても自作自演なのだが。)
そこで改めてフラッシュバックとは何かを考える。横断歩道を渡っていると信号を無視した車が突っ込んできて、危うく轢かれそうになる。しばらくその時の情景がまざまざと浮かぶ、という例にしよう。心はその時の知覚的、情動的な体験をあたかも再現するかのように繰り返す。通常の記憶のように徐々に色あせていき、その想起がある程度コントロール可能な記憶とは異なる生じ方をするという意味では、この体験は解離的である。(心の働きの一部が統合的なコントロールを外れてしまうこと=解離)。ただし幼少時からの「解離のしやすさ」がなくても、「フラッシュバック型の解離」(とうとう新語を作ってしまった)は起きるということである。そういえばこの論文には注目すべきことも書いてあった。PTSD症状というのは、正常人でも多くが体験するものだ。問題は一部の人に、それが半年以上経っても引き続き体験されるということなのである。
DID型の解離・・・幼少時の体験が深く影響している
フラッシュバック型の解離・・・成人以降も多くの人が短期間は体験する

確かにそうだ。ショックなことがあると、それがしばらくは何度も情景として頭を駆け巡るものである。ただ幸いにして比較的早く治まっていくのである。