ところで小脳についてその心との関連を知ろうと論文を読んでも、すぐわからなくなり、眠くなる。たいてい理科系バリバリのコンピューターが得意そうな先生が書いているから、すぐ機械論的な記述や情報処理、ないしは学習理論の話になってしまう。それだけに全体像が見えにくく、心との関連もつかみにくい。
しかし小脳は脳の高次の機能にもつながっているということがわかりつつある。そもそも小脳が大脳の容積の増大に従ってしっかり大きくなっている、つまり進化しているということがそれを示唆している。そして小脳の出力を探ると、運動野や運動前野(運動の計画、指令を出すところ)だけでなく、頭頂野、前頭前野にも至っていることがわかる。ということはかなり高次の脳機能にも影響を与えていることになるではないか。ということで一気に結論に行けば、フレッド・レヴィンという先生の「心の地図―精神分析学と神経科学の交差点」という本の話になる。
(フレッド・M.
レヴィン (著), 竹友安彦 (監修), Fred M. Levin (原著), 西川隆 (翻訳), 水田一郎 (翻訳) 心の地図―精神分析学と神経科学の交差点」ミネルヴァ書房、2000年。)しかし小脳は脳の高次の機能にもつながっているということがわかりつつある。そもそも小脳が大脳の容積の増大に従ってしっかり大きくなっている、つまり進化しているということがそれを示唆している。そして小脳の出力を探ると、運動野や運動前野(運動の計画、指令を出すところ)だけでなく、頭頂野、前頭前野にも至っていることがわかる。ということはかなり高次の脳機能にも影響を与えていることになるではないか。ということで一気に結論に行けば、フレッド・レヴィンという先生の「心の地図―精神分析学と神経科学の交差点」という本の話になる。
彼は小脳の働きについての大胆な仮説を出しているが、それを一言で言えば、中枢神経系を統合し、その協調を行っているのは、小脳ではないか、ということだ。これまで心の座とは大脳の前頭前野、そこへの感覚入力を統合しているのは頭頂連合野、一方無意識を形成しているのは右脳、など、結局は大脳半球ばかりを問題にしていたのだ。まさに心にとっては「小脳はどこに行った?」状態だったのである。しかしレヴィン先生はそうではない、という。(ちなみに彼は数年前に来日し、日本の精神分析協会で講演を行ったこともある。私もその場にいたが、彼にとっても日本は、伊藤正男先生つながりでなじみが深いとのことだった。)
精神分析家でもあるレヴィン先生は、脳科学の心への応用を常に考えている。その彼が言うには、小脳が脳全体の活動の統合や協調をになっているという考えは、伊藤先生の師匠であるエクルズEccles が持っていたという。体の運動のバランスだけではなく、心の働きにも、協調や統合が必要であり、そこには小脳の「計算能力」が深く関与しているというのだ。繰り返すが、小脳は巨大なデータ処理システム、と言ってもいいのだ。
レヴィン先生の説で特に興味深いのは、小脳が、左右の脳半球のバランスを取っているという説だ。この事はクラインとアルミタージという学者たちの1979年の説に由来する。彼らによれば、右と左の大脳半球の活動は「反比例」であるという。つまり両方が同時に、というよりは一時的にどちらかに偏る、ということを常に行っている、つまり大脳は一種のシーソーのような活動であるというのだ。すると「今、この情報を処理するためには、どちらの脳が必要か」を判断してコメントする役割を担う部分が必要となる。それが小脳であるという。
ここで示された大脳の活動は面白い。カヌーをこぐような形なのだ。つまりオールの右をかいて、左をかいて、を交互にしているような感じ。それが両手にオールを持って漕ぐ手漕ぎボート異なるところだ。少なくとも脳の活動はカヌータイプであり、そこでどちらをかくかのバランスを取っているのが、小脳であるという。