2012年10月15日月曜日

第11章 愛着と脳科学―心理士への教訓


   愛着に関する研究が進み、新しい知見が得られることで、心理療法の捉え方も大きく変わらざるを得ない。愛着の問題は子供に対してのストレンジ・シチュエーションや、母親に対するAAI(成人愛着面接)などによりある程度実証的なデータを得ることができている。そしてそれにより、子供の愛着のパターンが、母親が本来持っていた愛着のパターンから推察できることがわかってきている。するとそれは診断にも治療にも大きな変化を与える可能性があるのあだ。
 私がなじみの深い「関係精神分析」の分野では、発達理論が治療に組み込まれることはもはや常識といっていい。関係精神分析は、治療者と患者という二人の対等な(しかし役割の異なる)人間同士の情緒的な交流に重点を置く精神分析の流れであるが、そこでの関係性とは、当然母子間の関係性から連続しているものとみなされる。つまり母子間の間で成立していたはずの安定した二者関係の障害が様々な病理を生むと考えるのである。
  さて本書では脳科学との関連で様々なテーマについての考察を加えているのであり、愛着についても同様である。そこでこんなイメージを持って欲しい。すでに述べたように、生後2,3年以内に愛着形成が成立するが、それは脳内の基礎的な神経ネットワークの構築を意味する。それを心という建物の基礎工事と考えよう。安定した、秩序だった骨組みによる基礎工事は、その後の地上階、上層階の建物を支える上で極めて重要になる。逆に基礎工事がおろそかになると、その後の建物の安定度、耐震度などに極めて大きな影響が出てくる。
  ちなみにここら辺の思考には実は私の日常生活が大きく影響している。都心にある私のオフィスのあるビルのすぐ隣では、約2年がかりでこれまでの古い建物が壊され、新たに高層ビルを建築している。その間ずいぶん騒音に悩まされたが、窓からその建築のプロセスを基礎工事をいつも眺めていたことになる。そして建物が出来上がる過程で、いかに基礎に時間とエネルギーが注がれているかを実感したのである。人間の心の構築もまったく同じである。心の基礎工事としての神経ネットワークの構築は、安定した養育関係の中で生じなくてはならないのだ。

心理療法は基礎工事どうしのドッキング

   そこで少し唐突なようだが、心理療法とは治療者の側の基礎工事を患者の側のそれがドッキングするようなものだというイメージを持っていただきたい。人間=建築物というイメージは心に浮かべにくいかもしれないが、少し無理をして、治療関係を、二つの建物が一時的にドッキングするという実際にはあり得ない事態としてイメージして欲しい。患者の基礎工事はグラついたものでも、治療者のそれとドッキングすることで一時的に補強されて安定するかもしれない。すると患者の側の心は基礎が一時的に支えられる分だけ上層階も安定し、そこで行なわれるべき仕事もより能率が上がるだろう。過去のことを振り返ったり、現在の人間関係で悩んでいる事柄についてより深い洞察を得たり、深い反省を加えたりできるかもしれないのである。そして患者が治療者の基礎部分を借りて一時的に安定している状態で、自身の基礎工事を一部やり直すこともできるかもしれない。十分に深部に達していない杭を打ち込みなおす、とか。梁を一本補強するとか。
  あるいは治療者の方は、患者という建物の基礎部分に直接触れることで、どのようなときにそれが揺れやすいか、どのような方向に傾きやすいかを知ることができるかもしれない。時には患者の側の基礎部分の揺れが自分の基礎部分に伝わってくることで、患者の心で起きていることをより身近に感じたり、場合によってはそれに少し巻き込まれるようなことも起きるかもしれない。これらは精神分析では同一化とか取り入れ、共感、あるいは逆転移などといわれている現象である。
   治療関係をこのような比喩で捉えることは、特に治療者の姿勢や態度に特に変化をもたらさないかもしれない。私もここで特別の治療方針を提言しているつもりはない。ある意味では常識的なことである。ただしこのような認識は、治療がいわゆる左脳的な、知的で認知的なプロセスだけにはとどまらないということを再確認させてくれるであろう。治療における解釈も、認知行動療法的なかかわりも、あくまでも「上層階」で行われることである。そこには必ず下層階や基礎部分でのやり取りが係わっているし、それを意識しない治療者、自分の基礎部分を患者のそれにドッキングさせることをためらう治療者の場合には、患者はそれに気付くことになり、そこに物足りなさを感じるかもしれない。(もちろん患者がそれを望まないのにドッキングしてくる治療者は、今度は警戒されたり、侵入的と思われたりする可能性があるので注意しなくてはならない。)