2012年6月27日水曜日

続・脳科学と心の臨床(31)


錯覚としての能動性への左脳の関与
錯覚による能動性ということに関して、私は前書(脳科学と心の臨床)で、「言い訳する左脳」として言及している。左脳とは不思議なもので、自分がやったことを把握して、それに言い訳を付けるという役目を持つ。人は自分自身の行動を観察して、あるいは思い出して「それは~と思ったからです」と理由付けする能力を持っているのだ。これも一種の錯覚としての能動感といえるだろう。
 この左脳の性質については、分断脳による実験がそれを顕著に示す。分断脳とは、右脳と左脳をつなぐ脳梁が切断された状態をいう。そのような人に実験を行うのである。読者は「左右の脳を切り離す、なんてずいぶんひどいことをするな」、と思うだろうが、癲癇の広がりを抑えるという治療的な目的でその様な手術が行われることがある。そのような人に実験に協力してもらうのだ。ちなみに分断脳の状態の人に会って話しても、驚くほどに普通の印象を持つはずだ。 
さてその状態にある人の右脳にだけある種の指示を出す。これは決して難しいことではない。左側の視野は右脳に行くことがわかっているから、左の視野のみに指示を与える文字を見せればいいのである。そこにたとえば「立ち上がって歩きなさい」と書く。すると被験者は実際に立ち上がって歩き出す。そこで左脳に「なぜ歩き出したのですか?」と尋ねる。これは単に口で問えばいい。言語野のある左脳の方がその言葉を理解するからである。すると被験者は「ちょっと飲み物を取りにいきたかったのです」などと適当なことを答えることが知られている。左右の脳が切断された状態だから、左脳は右脳に「歩く」という指示が出ていることは知らないはずである。ということは左脳は自分の行動を見てから理由づけをしていることになる。平然と、ごく自然にそれを行うのだ。
もちろん通常の私たちの脳は左右がつながっている。しかしそれでも似たようなことが生じている可能性がある。右脳が主体となってある種の行動を起こす。左脳はもっぱらそれを「自分は~という理由でそれをやったのだ」と感じるという役割を担っているということが予想されるのである。通常は左脳は右脳の考えを知っているから、「飲み物を取りに行こう」と立ち上がったことを知っている。それを理由に挙げるだろう。しかし分断脳の実験のように、たとえそれを知らなくても、それを能動感を持って体験するのである。
このことが「能動的な体験は、実は脳が勝手にさいころを転がしているのだ」とどうつながるのか?それは行動が分断脳の例のようにたとえ他人に促された、自発的ではないものでも、あるいは偶発的なものであっても、脳はそれを能動的なものと言い張るという傾向があるからである。