臨床を行っていてしばしば感じることは、「患者の人生の流れを変えることは容易にはできない」ということだ。ただしそう言うと、「では治療者は何も患者に影響を与えられないのか?」と言われそうだ。そこでより正確を期して、次のように言いなおさなくてはならない。「患者が治療者から時々影響を受けることも含めて、その人生の流れを変えることは容易にはできない」。
治療者は時々患者に影響を与えることはある。それには異論はない。しかしその影響は極めて予想不可能であり、また偶発的なものである。治療者が患者に変化を及ぼすことを意図した関わりが、そのとおりの結果を招くことは残念ながら非常に少ない。だから結局は患者の人生の流れを変えることを意図した関わりはなかなか満足の良く結果を招くことが出来ないのである。
ちなみにこのような考え方は、治療的な不可知論であり、いわゆる「弁証法的構築主義 (I. Hoffman, M. Gill) の考え方とその本質は同じである。
ただしこの私の提言には例外がある。それは治療者が患者に与えるネガティブな、ないしは外傷的な関わりの影響についてである。それらの関わりが一定の程度を超えた場合、その悪影響はかなりの程度に予測可能となる。私たちはその種のかかわりのプロトタイプを子育てに見出すことが出来る。子育ては様々な形を取り、そこにはあらゆる偶発的な出来事が生じる。しかしその関わりが外傷性を有する場合、それが高い確率で子どもの心にネガティブな影響を与える結果となるのである。