2011年2月17日木曜日

コワいコワい小沢さんの「ボーダーライン」

「民主党の小沢一郎元代表を支持する同党衆院議員16人が17日、衆院の会派「民主党・無所属クラブ」(307人)からの離脱を求める意向を表明した。離脱には党の了解が必要で執行部は認めない方針だが、16人は菅直人首相の退陣を公然と要求。小沢氏の党員資格停止処分に反発して予算案や予算関連法案の採決で造反する構えもみせており、菅内閣の「倒閣」の動きが党内から噴き出した。」 (朝日新聞、電子版、2月17日)
小沢さんは昔から、「豪腕」、とか「壊し屋」、とか言われている。実にたくみに組織をスプリットし、分断し、破壊する。精神医学的には小沢さんは「N」(つまり自己愛パーソナリティ)なのだろうが、私の直感では小沢さんは「B」的でもある。Bとはボーダーライン。ボーダーラインの本質はいろいろな捉え方ができるだろうが、そのひとつに対象をスプリットし、操作するという特徴がある。ある感情、通常は強い怒りに駆られて相手を攻撃し、破壊する。そのためには手段を選ばないようなところ。私の目には、菅さんや岡田さんのやり方は、「普通」「常識的」な部類に入る。策を弄しているという感じはしない。それに比べて豪腕の小沢さんは、「その手があったか!」というやり方をしてくる。それがたとえば今回のこの民主党の分断工作である。その操作性は巧妙で、自分の味方か、敵かという構図を作り、それに乗ってしまう人々の運命を翻弄する。
もちろん小沢さん本人をボーダーさんと決め付けることは出来ない。ボーダーさんの分断は、普通はうまくいかずに、自己破壊的な方向に向かう。またその力が働くのは対の関係であり、親密な関係を結び、まさに今時分を去ろうとしている個人に対して向けられる操作性や攻撃性が問題となる。だから私自身、どうして小沢さんをB的と感じるかよくわからないが・・・・・。やはりNにしてはうまくいっていない感じがある。大体彼は絶頂にあり、自己愛を肥大させるような時期はあったのだろうか? あれだけの大物であり、政治生命も長いのに、総理を経験できていない。Nに特徴的な度量の大きさも感じられない。むしろ破滅するなら相手も一緒に巻き込んでしまおうという凄惨さ、迫力といったものが感じられるのである。結局小沢さんにとっての関心は、「国民の生活が第一」とは対極にある。それは自分のプライドを守ることであり、そしておそらくはその背景にある低い自己価値、ふがいなさ、恥の感覚に結びついているのだろうか? 
小沢さんをNの見地から見るなら、コフート的なNだろうか?彼のエネルギー源の多くは「自己愛憤怒」的である。「小沢さんはしばらくおとなしくしていただきたい」というあの一言で、菅さんは厄介な敵を作り出してしまったということだろう。