2010年12月1日水曜日

解離現象と「火山モデル」

私は最近、解離性障害について、火山活動の比喩で患者さんやその家族に説明することが多くなってきている。これは解離という現象が長い目で見た場合のある程度の予測可能性と、日常生活レベルで見られる予測不可能性からなり、それが自然現象、例えば地震や火山活動、気象現象などと非常に似ているところがあるからだ。だから解離の患者さんの治療中にいきなり「火山を思い浮かべていただければわかるとおり・・・・」などと話し出して、とっぴな例を出す医者だ、と思われていないとも限らない。しかしこちらは何とか説明をわかって欲しい一心なので、使える比喩は使わせていただきたいと思っているわけである。
ただ学問的に言っても、自然現象と脳の活動とはある意味で非常に類似している。どちらも複雑系において生じる様々な現象であり、その基本的なあり方はカオスに近い。カオス、とは科学的に用いる場合は、確か「ある決定論的な手続きで生じながらも決して定常状態に至らない現象」とか何とか定義されるはずであるが、わかりやすく言えば、ある種のパターン(≒揺らぎ)はかろうじて見出せても、それが決して確かな規則性を見出すことができない、ということである。ちょうど地震について言えば、火山活動がある地方で頻発することがわかっていても、実際にその地方で、何年おきに地震が生じるかを決して正確には知ることが出来ないということであり、実は自然現象はことごとくこのような性質を持つ。(地球の自転の速さだって、一回ごとに揺らいでいて、しかもしだいに遅くなっている、という風に。何か当たり前のことを言っているようだな。)同様に交代人格の出現だって、あるいは時々生じる激しい人格部分による興奮状態にしても、そこに正確な規則性を見出すことは出来ない。(もちろん、人間の脳を自然と同じように極めて複雑な体系として理解しているわけであるから、脳において生じることは同様の性質を持つことには変わりない。てんかん発作、躁転、欝のエピソード、神さんの気分、みなある程度の周期性は伺われても、性格にはその変化を知りえない。)
さてこんなことがどうして重要になるかというと、解離性障害を持つ人は、普段は十分に適応で来ていても、時々自分を抑えられないような興奮に襲われたり、記憶を失ったり、ということが生じるために、周囲から誤解されたり、職を失いかけたりするからである。そこでそのパターンを知り、予防する手段を一緒に考えるのであるが、それが難しいのだ。
特に難しいのが、興奮する人格をどうするか、という問題である。解離性障害を持った方は日常が安定していてストレスが少ない場合は、平穏に生活を送ることができる場合が多い。この感情の嵐の鍵をしばしば握っているのが、患者さんの過去の特に深刻な外傷体験を担った人格である。その人格、ないしは人格部分は普通は眠っていることが多く、日常生活に支障をきたさないことが多い。しかしその人格は時には静寂を破って姿を現すかもしれない。その人格が果たしていずれは姿を現し、それが担っている記憶の処理を必要とするのかは、時には深刻な臨床的な課題となる。そのあり方が火山に似ているのだ。火山はそこに大きなマグマを貯めている可能性がある。そのマグマの力を無視することは将来の噴火の予防や、それに対する準備を怠ることにつながる。場合によっては、横に穴を開けて「ガス抜き」をする必要も生じるかもしれない。(実際の火山ではあまり考えられないか?・・・・)
しかしその火山は将来にわたって噴火することなく、死火山になる運命なのかもしれない。するとその火山にいたずらに刺激を与えることは避けるべきであろう。
日常の臨床は、その火山の性質を注意深く見据え、それが活火山でも、死火山でもありうる可能性を考えていなくてはならないのである。