今日は「日本ウェルネット」のご招待で、八王子で「解離性障害入門」の講演。「かいじ」という特急で、八王子から30分あまりで新宿まで帰ってくることが出来た。充実した講演だった。
「新型うつ」(という呼び方をしておく)のうち、一番問題とされるのが、「5時までのうつ」「好きなことにはやる気が出るうつ」となどの特徴である。「うつというからには、何事にもやる気が出ないはずだ。楽しめる活動が一切なくなり、何をやるにも億劫で生きがいを見出せないのが本来のうつである」という主張には説得力がある。というより実は私が知っているうつとはまさにそのようなものだ。普段は楽しいことが出来ないから、時間をすごせなくなる。気を紛らわす手段がなくなるから、毎秒毎秒を刻々と過ごさなければならなくなり、息をしていることさえもつらいと感じるようになる。時間の流れがそのまま痛みになって襲ってくる、と言ってもいい。自殺念慮とは、そのようなどうしようもない苦しさの中から生じてくるのである。仕事になるとうつになる、なんてそんなヘンチクリンなうつなどない、と言いたい。
でも私は臨床経験からは、そのような形のうつもありうることも知っているつもりである。谷沢永一氏の「私の『そう・うつ60年』撃退法」 (講談社プラスアルファ文庫) という本は、そのようなうつについて見事に描写してある。氏によると、彼がうつでない時は、仕事に関する専門書も、それ以外の書も同様に読めるという。ところがうつ期に入ると、仕事上読まねばならない本についてはパタッと手が止まってしまうという。
さて問題はどうしてそのようなうつが「増えたか」ということであるが、これもまた微妙な問題を含む。うつが増えたかどうか、ということは実はとても複雑な問いなのだ。
先週の日曜日、国際フォーラムに向かうために有楽町の駅前を通ったら、「パ●●ル」(抗うつ剤の名前。別に伏字にする必要はないか。)によりうつになる人が増加」とかいうプラカードを掲げている何人かの人々に出会った。そのようなことを報じている大手の新聞の拡大コピーをプラカードにはっていたところを見ると、最近そのような報道が確かにあったのだろう。実際にパキシルに限らずSSRIにより自殺念慮が増したという問題は、ずいぶん前からアメリカで報道されている。SSRIは副作用も少なく、より処方が簡便な抗うつ剤といわれているが、そのSSRIが用いられるようになってから、うつを病む人の数が急増している。でもこれは、抗うつ剤を処方する内科の先生が増えたから、うつの診断を受ける人の数が結果的に増えた可能性も示唆している。あるいは診断を受けている人が身の回りに増えたから、自分もうつであると考えて精神科医や診療内科医のもとに走る人が増えたという可能性も否定できない。
そしてこの件に関する私の主張は以下のとおりだ。SSRIの使用に伴ううつ病の増加は、うつ病の数の水増しであり、本来うつ病でない人がうつ病のふりをしている、ということではないということだ。彼らもまたれっきとしたうつ病に苦しんでいるのである。ただその苦しみの質は、典型的なうつ病のそれとは多少質が違うだけである・・・・。
この点の説明のために、うつから少し離れた例を出したい。不登校や引きこもりである。これらの数は近年確実に増加傾向にある。終戦直後は人々は食うや食わずで、生きることに一生懸命になり、学校嫌いもいなかったし、引きこもりもいなかったというのは、大げさではあるにしてもある程度真実だったのだろう。ということは、今ものが豊かになった現代において数多く表れている不登校や引きこもりは、贅沢病diseases of affluence であり、怠けや甘えのせいだろうか? 答えは否であろう。(続く)