2010年9月29日水曜日

精神分析 その1.私は「精神分析関係の人間」である

クルム伊達。快挙だね。40歳といったら、人はあらゆる意味で体力に自信を失い始める時期ではないだろうか?
私は経歴からは、精神分析関係の世界に属している人間として扱われることが多い。私自身はあまりピンと来ないが、実際にアメリカでトレーニングを受けたり、日本で分析学会に属していたりすると、そう思われても仕方がない。というより私はやはり分析関係の人間なのだ。そうでなければ、私は日本精神分析学会で会計係(かなり不適任)をおおせつかったりはしないだろう。ただ私が精神分析に対して持っている関係は、案外複雑である。どこかで精神分析と戦っているというところがあるのだ。
私にとって精神分析学は、「天文学」のようなものである。学問の進歩に従い、新しい知見を取り入れて発展させたい。でもこの「天文学」、実際の天文学と違って、あつかう宇宙はきわめて混沌としている。それは常に姿を変え、しかも見晴らしが極めて悪い。100年前にフロイトという学者により始まったこの「天文学」は、「地球は静止していて、天体が回っている」と説いた。そこから出発はしたが、その後さまざまな人がいろいろな説を立ててきた。結局は現在の段階でも「たぶん天体も回っている・・・・カモ」くらいまでしかわかっていない。なぜならすでに書いたように、この心という宇宙はやたらと複雑なのだ。
その結果として精神分析の世界では、あくまでフロイトが立てた「天文学」を本来の姿とする人から、頑強に地動説を支持する人まで、たくさんの人が集まっているのだ。そしてそれぞれがお互いの立場を尊重すればいいのだが、フロイトの天動説に従うべきだという意見が結構強かったりしている。この意見が依然として力が強いのは、彼の言った地動説は、なんといってもフロイトというカリスマ「天文学」者が言ったことであり、その主張が明らかに間違いであるということも証明できないからである・・・・・。
私のように「地球が動くこともあるだろうし、天体が動くこともあるだろう」という立場は、この「天文学会」ではあまり人気がない。はっきりしないし、一見何を言っているかわからないのだろう。でも私自身はおおむね満足している。心の宇宙は混沌としていて観察不能、というのがおそらく一番現実の姿に近いからだ。
こんなたとえ話をしても、読む側にすればあまり意味をなさないかもしれないが。