2010年9月7日火曜日

パリ留学 その3.

私がフランス語を学んでいた(ついでに医学部にも行っていた)20代は、いろいろな人と会い、観察していた。中には印象深い人たちもいた。そのうちの一人を最近テレビで見かけた。最近といっても3年くらい前だろうか。
あるテレビ番組にアラン・ドロンが出演した。とさらっと書いたが、すごいことである。私の世代では彼は、大大大スターである。もっともフランス本国では、ジャン・ポール・ベルモントなどに比べるとそれほどでもないらしいが。あのアラン・ドロンが、あの「太陽といっぱい」で、これでもかとハンサム振りを披瀝した彼が、今はすっかり老人となって、スマスマに出たのである。アラン・ドロンも、ついでに「あの頃あった人」に入れてしまおう。「太陽がいっぱい」はなんども見てフランス語の勉強をさせていただいた。

ビストロスマップに出演したアラン・ドロンは中居君に「ブイヤベス」(bouillabaisse 南フランスのマルセイユの郷土料理)を注文して、フリートークを開始したのであるが、もちろん日本語が話せないから、通訳つきであった。その通訳がフランス女性っぽい。えっ、アランドロンの通訳をする日本語を話すフランス人って、彼女しかいない・・・・。その通訳を演じている女性の顔を確認する前に私にはそれが誰だかわかった。カトリーヌ、彼女しかいない。そしてそれはやはりカトリーヌだった。

カトリーヌは当然オバハンになっていたが、日本語は一段とうまくなっていた。何しろパリ大学日本語学科を首席で卒業し、そのまま日本に留学に来て私が出会った頃はもう日本語ペラペラだったのだから。

ここからカトリーヌの話には行かず、アラン・ドロンである。彼はスマップの面々が作ったブイヤベースを食べて何度も言った。「美味しいよ、でもこれはブイヤベスじゃないよ。」私はそのとき違和感を持ち、「いいじゃん、美味しければ」と思ったのだが、あれから少し考えが変わってきた。これがフランス文化なんだな。建物も何百年も前からの歴史ある建物が当然のように立っている町。人々は歴史を重んじ、長い間引き継がれてきたものに価値をおいて、それを継承する。ブイヤベスもそうなのだ。ブイヤベスを食べるとき、「ブイヤベスとはこうあるべきもの」も一緒に味わうようなところがある。「美味しいね、でもこれはブイヤベスじゃないよ」というアランドロンは、やはりカッコよかったし頑固だった。強烈な自己主張を、ごく当たり前のように持っている。

この高いプライドと強い自己主張、まるで論文を書いていくような、あるいはブロックを組み合わせていくようなフランス語。人を射ぬくようなまなざし。気弱な私にはまったく異質なフランス社会に過ごした30歳からの一年は、やはり大きな意味を持っていたのだろう。でもあそこに一年以上はいられなかったのにもそれなりの理由があったのである。フランスですっかり失った自身をアメリカで取り戻すことが私には必要だったのだ。(続き・・・・そうにないな。)