2010年9月21日火曜日

失敗学 その16. 「正義が勝つ」はぜんぜん正しくない

尖閣諸島の事件の影響で中国との関係が「悪化」しているという。中国政府の対応はあんまりだ。(中国の国民はみな良識があるいい人達ばかりだと思う。)のんびりと「汝怒るなかれ」とは言っていられない状態という気もする。そこで失敗学的に考えれば、案外そうでもない。
中国の振る舞いは日本人からすればまったく理不尽だが、人間社会ではよくある話だ。小学校のクラスにたとえるならば、中国政府はドラえもんに出てくるジャイアンのようなものだろう。ジャイアンは最近急に体が大きくなって発言権も増してきた。休み時間にぶつかってきたくせに、「土下座してあやまれ」と言ってきた。これを断ると無理難題を押し付けてきた。「給食当番に圧力をかけておかずを減らすぞ」、とか「他のクラスメートに働きかけて、シカトしてやるぞ」とかいい出した。おとなしく謝れば許してやる、と言うが、何を謝るのかがわからない。ぶつかってきたのは向こうだし・・・・。こちらは「毅然と」しているうちに収まるかと思ったが、どんどんエスカレートしていく。そこで「モト・ジャイアン」にそれとなく話をしてもらった。モト・ジャイアンはなんだかモト冬木みたいな名前だが、しばらく前まで間では彼もジャイアンだったのだ。ところが最近急に大人びて、真面目になり自己推薦で勝手に級長になっている。いつもは味方をしてくれるはずなのに、なんと「二人とも冷静に話しあって解決すれば?」などと言っている。どうすりゃいいんだ・・・・・。
しかしもともと人生は理不尽なことだらけである。さっきちょうど中国人(大陸出身)の患者さんと会ったので話を聞いてみたら、「中国のこのやり方は、ソ連から学んだのですよ。」と言う。知識人の中にはかなり中国政府が日本に対して無理なことを言っているという感覚を持っている人もいるという。それに反日運動自身もかなり政府がコントロールしているという話だ。
失敗学的に言ったら、とにかく人生は上手くいかなくて普通、アンフェアで当たり前、と覚悟をしておくべきであるということか。日本は早めに船長の拘留を解いて帰国してもらうか、あるいは「謝罪して」中国政府に許してもらうか。それとも前原さんの言うように「粛々と対応」し、中国政府をもっと怒らせて、後は時間が解決するのを長~い間待つか。どちらに進んでも何らかの痛みが伴う。妙案など最初から存在しないのだ。
ここで精神衛生上大切なのは、「どちらが正しいか」を考えないことだろう。いや、考えてもいいが「正しい方が勝つべきだ、勝つはずだ」という考えを持たないことだろう。国の振る舞いに、正しい、正しくない、はない。なぜなら国は人ではないからだ。国と国の間に誠実さとか、ましてや「友愛」などない。人間の共感の射程は、せいぜい目の前で苦しんでいる人か、家族、親しい友人程度だ。ある国が、別の国に共感することはない。(ある国の国民が、別の国の国民に特別共感を覚えやすいということはあるが。人種の近さ、宗教の近さなどが関係するだろう。ただし同じ人種で、同じ宗教を持つ人々同士が血で血を洗う殺戮を繰り返す例もいくらでもある。)
中国政府の言うことは無茶だ、日本の言うことのほうが正しい、といくら思っていても、事実上のリーダーの米国が「日本も中国もどっちもどっちだ。」と言うとしたら、もうどうしようもない。日本人にとっての正義は勝たないというケースのもう一つの例と諦めるべきだろう。

なんだか自分で自分を慰めるために書いているような感じだ。