2010年9月23日木曜日

不可知性 その12. 外交は不可知性の極致、二者関係はむしろ予則可能である

昨日は日中の問題で未熟なことを書いたような気がする。私は政治音痴なので、二つの国の間で生じうる事柄がそれこそ不可知性をはらんだ予想不能なプロセスを取るということがどうもピンときていない。しかし実際は、事態は非常に混沌としたものである。二国関係は二者関係と同じように、あるいはそれ以上に不可知的で、あす何が起きるかがわからない。つまりこの場合にはこうする、あの場合にはああする、というパターンがそもそも存在しないのであろう。 「粛々と処理する」のも「強硬路線を続ける」も、「柔軟に対応する」も、どれが正しい解決かは時と場合により異なり、唯一のポリシーなどないということか。私はあたかもそれを求めて昨日の文を書いていた気がする。

そんなことを考える記事を読んだ。(JBpress (日本ビジネスプレス) 尖閣問題で日中関係は再び冬の時代に戻るのか 中国が犯した2つの誤算~中国株式会社の研究~その76)  http://clip.livedoor.com/page/http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4477

著者はあくまで現実に根をおろしたリアリストである。リアリストにしか書けない内容が随所に見られる。著者の主張によると、内政と外交は表裏一体であり、政治家が外国に向かって発言する内容は、国民にどのような反応を及ぼすかによりほぼ決まってくるという。つまり「日本は船長を無条件で即座に解放せよ」とは、「そのとおりだ!」という国民の声を反映している。その点政治家の発言は極めて計算され尽くしたものでなければならない。つまり中国のメガネをかけた女性報道官に腹を立てても仕方がない、ということか。

政治の世界ではさらに複雑な事情がある。それはリーダーの発言が、逆にある種のムードや世論を引き起こしたり、予想もしないような運動を引き起こしたりするということである。中国のリーダーたちが一番気にしているのは、反日運動を煽った際に起こる運動が、容易に反政府運動に転化するということだ。だから彼らはアクセルとブレーキを同時に踏むような芸当を行っていることになる。あるいは半年前の私たちが経験したのは、「沖縄の人は、米軍の基地の存続についてどう思いますか?」という(余計な?)問いかけにより「絶対に容認できません」という世論を形成してしまったということであろう。
それにしてもつくづく思うのは、政治にしても経済にしても、私たちは不可地の渦の中で生きているのだ。その中でどのようにポリシーをもち、それを守っていくのかの見当が付きにくい。

それに比べて私は対人関係ははるかに予想可能であるという気がする。これは極端に聞こえるかも知れないが、決してそうではない。二国間の関係と二者関係は、前者が次元が高い、というかそこに絡む変数の数は計り知れないほどに多い。それに比べて二者関係は不可知性をはらむと同時に予想可能性も存在する。少なくとも私にとってはそうである。それは例の win-win の原則である。この原則に従えば、大概うまくいく。それが最大の予測可能性である。

Win-win 則とはつまり、常に他者の利益と自分の利益が同時に得られる道を模索せよ、ということだ。念のため。この原則が正しく作動するためには、常に他人の利益を優先している、というくらいの自覚でちょうどいい。それは人間はことごとく我田引水の傾向を持つからだ。無私でいよう、と思っていてようやく利己的な面が若干抑えられる、という感じだろうか。
もちろんwin-win は容易ではない。しかしそれに従おうとする(従う、というのは実は無理だ。そのつもりになっているだけで上等だろう)ことで気持ちは平穏になる。それは少なくとも対人関係において自分から荒波に漕ぎ出してはいないという安心感をあたえる。またこの原則は自分のしたいことを犠牲にする必要はないということをしめしてくれているのだ。他人にXの量を与えたら、自分にもXを与えていいのである。
もちろんwin-win が上手くいかないことはいくらでもある。人は思わぬところで誤解を受け、恨みを買い、人を傷つけてしまう。しかしWin-winに従うことは、それらの危険をかなり回避することに役に立つ。
もちろんこの原則を生来身につけているとしか思えない人もいる。そのような人にはこのような原則は必要ないだろう。つい自分のことばかりに目が行く私のような人間には特に肝に銘じておくべき原則ということかも知れない。