2010年7月10日土曜日

心を入れ替えてエッセイを始める-オタクについて

オタクという概念,あるいは現象について少し考えてみる。精神医学的にも興味深いからだ。人にはシステム化することの面白さを感じる人たちがいる。というよりは私たちにはみなそのような傾向があるといえるだろう。そして名著「共感する女脳、システム化する男脳」でサイモン・バロン=コーエンが述べたように、相手に共感を感じるという能力は、若干それと排他的なあり方をするらしい。だから一方で人との付き合いに喜びを見出す社交的な人と、孤独でものを相手にすることが好きなシゾイド傾向の人とに別れるのだろう。彼の言うS(systemizing) 的な脳と、E(empathizing) 的な脳の働きの違いというわけだ。しかしもちろん両者を排他的なものをするのは極端で、大部分の人間は両方を少しずつ持っている。人とも適度に交わり、しかもモノにも興味を示す。それがむしろ普通だろう。そして両方に優れた能力を示す人もいる。
私はそんな人として,例えば養老孟司先生とか,福岡伸一氏のことを考える。養老先生は「唯脳論」で,福岡氏はベストセラー「生物と無生物のあいだ」で有名であるが,絶対にS 的な脳の持ち主であることを保証してくれることがある。無類の虫好きということだ。(虫好きで,しかも分類systematizing に興味をいないひとなどいないだろう。虫集めをする人間がかろうじて許されるのは,それをきちんと分類して標本箱に収めるからだ。もし彼らが集めた虫たちを無造作に引き出しにゴソッと入れておくような人間だったら・・・・・相当キモイ。)あとは話し方、見た目が普通なら、おそらくその自然さに応じてE 的と言えるだろう。だから、S,E を備えたオールラウンドの人たちなのだろう。しっかりE的であったら,S 的であることは決して悪いことはない。というよりもそのひとのE面を引き立てるような知的な風貌を与えてくれるだろう。ただし例外もある。どこかで読んだら,あの鳩●兄弟も虫仲間ということなのだ・・・・・。