2025年2月28日金曜日

関係論とサイコセラピー 13

 あのカンバーグ先生肝いりのTFT(transference focused therapy) は患者と治療者の転移関係に焦点を当て、それを扱うことによりBPDの患者さんの治療を行う手法である。この治療においては、患者は治療者と週に二回会い治療を進める。最初に両者は信頼に基づく関係を構築し、同時にしっかりとした境界を設定する。行動パターンや感情や自己感を探索し、それらがその人の対人関係の持ち方にどのような影響を与えているかを検討するのだ。このTFTはBPDの治療を目的として始まったが、他の問題を扱うようになってきている。

この治療法に関するリサーチは「強力な・議論の多い」研究による支持を受けているという。 つまりある研究 (Doering et al., 2010) ではその効果が支持され、別の研究では比較より悪い結果 (Clarkin et al., 2007), が得られているために「議論の多い controversial」 ものというのだ。

このTFTが興味深いのは治療構造が週2回という、週一回を基本とする治療者によっても「手の届く範囲」の構造であり、また治療の前提を転移を扱うこととしているために、その効果も限界もそれだけ意識されやすいということだ。患者は治療者への気持ちに関して積極的に語ることを求められるであろうし、それについて扱うことで、治療外の there and then の人物に関する言及を、治療者への気持ちの置き換えや象徴化として扱うという傾向はそれだけ意識化されやすく、その意味ではあまりに「見え見え」なものはかえって制限されるであろう。いわゆる「間違った」「治療者の前のめりな」解釈も少なくなるはずだ。良くも悪くも here and now しか扱わないというわけだから。もし患者が上司との間で問題を抱えていたとしても、それよりは治療者との関係が優先されることになろう。それが不満であるとしても、その患者は最初からTFTの趣旨にそぐわないという意味では適応にはならないと言えるかもしれない。 


Doering, S., Horz, S., Rentrop, M., Fishcer-Kern, M. et al. (2010). Transference-focused psychotherapy v. treatment by community psychotherapists for borderline personality disorder: randomised controlled trial. British Journal of Psychiatry, 196, 389-395. Clarkin, J.F., Levy, K.N., Lenzenweger, M.F., and Kenberg, O.F. (2007). Evaluating Three Treatments for Borderline Personality Disorder: A Multiwave Study. The American Journal of Psychiatry, 164, 922-928.


2025年2月27日木曜日

関係論とサイコセラピー 12

 鈴木智美氏の論文「無意識の思考をたどること」(週一回(2014)第14章)は週4でも週1でも無意識に焦点付けるのは変わらないという主張である。ただし週1回はより慎重に、という警句も見られる。私は信条としてはやはりこの路線で行くことになる。鈴木氏は週一回は分析的であることをあきらめていないからだ。

「週一回」の特徴と限界

 さてこれまで見た新しい潮流と限界について論じよう。これまでの我が国の議論は、ある一定のレベルに至っているものの、その前提は比較的限定された考えに基づくものということが出来る。そこでは基本的には Strachey や Merton Gill による here and now の転移解釈を最重要とみなす。これはその文脈としては正確で緻密な議論と言えるが、そこで転移を扱うことが週4回でなければ十分でないという議論はどの程度妥当性があるのだろうか。

一つ言えるのは、週4回は供給が十分であり、週1回ではむしろ剥奪が大きいという議論には問題がある可能性があるということだ。藤山は「抱えは乏しく、患者は剥き出しのはく奪にさらされている可能性」(2023, p.67)があり「週に一度のセッションでは患者は情緒的に揺さぶられたまま残りの6日間を過ごすことになる」という。しかしこれはあくまでも相対的なものと言えるだろう。もちろん一般的には、週に4,5回会っている治療者のことを患者はより多く考えるであろう。そこにはより大きな親密さが生まれるかもしれず、それは週一回の比ではないかもしれない。
 しかしだからと言って週4回では容易に転移の収集が出来、週一では不可能とは言い切れない。週4回でも漫然と行われる治療過程は十分あり得、週1回でも非常に大きな思い入れや意味づけが生まれることもある。これは論文には載せられない例だが、熱烈に愛し合う恋人の週一回の逢瀬と、毎日顔を合わせているが倦怠期に差し掛かったカップルと比べた場合は、どちらがより大きな「転移」が生まれるかは想像に難くないだろう。週4回なら転移が扱え、週1では無理、という問題ではないのである。ただ前者ではより多くのチャンスが生まれる(それを生かすかどうかは別として)という議論なのである。
 その意味で週4回と週1回の差は、質的、ではなく量的、と考えるのが妥当であるというのが私の立場である。(むしろカウチを用いるか否か、ということで質的な差が生まれる、という方がよりピンとくるのだ。)だから「週4は転移を扱え、週1は転移を観察するのみ」をプロトコールのように唱えることは非常に危うい問題を生む可能性がある。それよりも、転移という問題に集中してそれを扱う、という前提の治療であれば、むしろ週一回でもそれなりに意味を持つ可能性がある。それがTFT(転移に焦点づけた治療)である。 


2025年2月26日水曜日

関係論とサイコセラピー 11

 私は山崎氏の「週一回は分析的にするのは(転移を集結、収集することが)難しい」が概ね賛同を得られており、そのうえで「週一回が分析的にではなく有益であるためには、平行移動仮説の成否ではなく、近似仮説の詳細である」という提言は若手の間で至っているコンセンサスであるとみなし、話を進めてみようと思うが、それでいいのだろうか?それを確かめたい。

例えば週一回(2024)の最終章に当たる山口貴史氏の論文「POSTを通じて考える週一回における『精神分析的』」を読む。この内容は、以前このブログでもまとめた。彼は「分析的」週一回精神分析的心理療法(PAT)(つまり私の言う「分析的」)と週一回POST(つまり私の言う「心理療法」)の一番の違いは、前者は転移を集めるが後者は拡散するということであるという。というのもPOSTはなるべく転移を扱わないというのが一つの方針としてあげられるからだという。そしてPOSTでも転移は起きるが、扱わずに「心に留め置く」という。週一回PATは要するに精神分析だから、無意識も転移も扱うということになる。

 この内容は概ね上記の山崎氏がまとめたコンセンサスに一致している。ではそのほかの先生方はどうか。

 岡田氏を読んでみる。同書の第2章「週一回の精神分析的精神療法における here and now の解釈について」。これは岡田先生らしい緻密な論理展開とともに、週一回の転移解釈が難しいのはなぜかについて明らかにする。彼はMerton Gill について詳細に調べ、その理論に乗っ取って次の様にに言う。治療は表層から深層へ、という方向に進むのが原則だ。そのうえで生じるのは先ずは there and then に基づく転移でありその解釈である。つまりは治療室の外側で起きていることに注意が及ぶというわけだが、それは「週一回」の「治療関係における絶対的な時間的な接触の不足」(p.41)のせいだという。そこで無理に here and now の解釈を行うと「結果的に間違った解釈になる  」という。転移は here and now だけでないとすれば、there and then をまずしっかり扱い、here and now への道筋をつけるべきであり、here and now を行うとしても非常に慎重になるべきだという。

 これはより慎重に、上述の山崎氏のまとめたコンセンサスにそいつつ、より生産的に「週一回」について論じたものだと言える。この論文はとても重要な点について論じているが、こんな風にも読める。「精神分析でないと、Strachey が最も効果のあると言った here and now は扱えない。ただそれより一段階効果が弱い there and then なら十分に扱えるのだ。」

 この議論も悩ましいのは、結局「週一回」は結局「金」である here and now の解釈を行う精神分析に勝てないということを受け入れよ、「銅」で我慢せよ、分をわきまえよ、と言っているようなところだ。そうか、結局は週一回は二番手なのか・・・・と寂しい気持ちになる点は変わらないのである。

しかしどうも私には少し違うように思える。「週一回」だって大きな展開を見せることがあれば、週4回で何も動かないこともある。つまり量というより質の問題なのだ‥‥。

2025年2月25日火曜日

関係論とサイコセラピー 10

 続いて山崎氏は藤山氏の業績について触れ、藤山氏が「週一回が有用であることは前提である」と述べていることを強調する。しかしこの藤山氏の言葉はある種のリップサービスにも聞こえる。そこには「「週一回」は役に立つよ。でも分析ではないね」というメッセージが聞こえるようだが、それは「週一回」の臨床家には一番言ってほしくないことなのだ。

 山崎氏は岩倉氏の業績を語る上で【分析的】心理療法と、分析的【心理療法】との違いについて論じる。とても便利な使い分けの仕方だが少しややこしいので、私はここで前者を「分析的」後者を「心理療法」としよう。この後者はあえて分析的なやり方をしない(無意識、転移を扱わない)という意味で、支持療法的であり、これがいわゆるPOSTというわけだ。しかし支持療法は歴史的にみて「あえて分析的なやり方を外す」というようなところがあり、最初から敗北宣言をしているようなところがある。それに比べて「分析的」は分析的であることをと捨てない週1ということになり、これがどの程度可能か、ということがこの「週一回」の議論の中で一番の問題となる。

 山崎氏が自分の仕事をまとめている部分では、自分自身の言葉であることもあり、とてもわかりやすい議論を展開している。平たく言えば、「私たちは『週一回』でも精神分析的に行えるというごくわずかな可能性に賭けることで、『精神分析的』というアイデンティティを維持しようとしてきたのだ」と指摘したのである。

 この主張が興味深いのは、「週一回」はほとんど精神分析的ではないと認める点で藤山の立場を受け入れつつ、でもそれでも・・・・というアンビバレンスがよく出ているところだ。そのうえで山崎氏は自らの立場を明確にする。それをわかりやすく表現するならば、「週一回は精神分析的ではない。それは分かった。もう精神分析と比べるのはやめよう。「週一回」それ自身が持つ治療効果について考えよう。」とでもいうべきか。ただしここは私自身の言葉である。

この主張自体はよくわかるが、一つの疑問が浮かぶ。「週一回」が独り立ちするためには、精神分析的であること以外の根拠を見つけるということだろうか?もしそうだとしたら、本当にそれでいいのか。そうではないのではないか。しかしやはり分析的であることにこだわるとしたら、結局は「精神分析と比べる」ことになってしまうのではないか。

これらの疑問を持ちつつ山崎氏の論文のⅢの結論に向かう。

 この結論で述べられていることは少し驚く。「週一回は分析的にするのは難しい」はもうコンセンサスであるというのだ。そしてそのうえで週一回が分析的にではなく有益であるためには、平行移動仮説の成否ではなく、近似仮説の詳細であるという。しかし私はあきらめないぞ。


2025年2月24日月曜日

関係論とサイコセラピー 9

 この「週一回」の議論については、「週一回(2024)」(週一回精神分析的サイコセラピー. 高野晶、山崎孝明編 遠見書房 2024年)における山崎氏のまとめが現在の cutting edge のように思える。そこで彼の第1章「週一回とはなにか」を少し念入りに読んでみる。こうすることで私自身のまとめにもなるのだ。 山崎氏の論述に従って、歴史的な経緯を振り返ってみる。これは少しだけノスタルジックな気分に浸らせてくれる。精神分析の伝統の中で我ながら興味深いのは、日本では「ある時点まで週一回が精神分析であった」ということだ。山崎氏より30歳も年上の私は、1993年のいわゆる「アムステルダムショック」前に精神分析学会に入会している。1983年のことだ。何しろ千駄ヶ谷の野口記念館で大会を行うことが出来るほど小規模だった。しかしそのころから教育研修セミナーみたいな企画があり、私は小此木先生のそれに出席したことを覚えている。そして肝心のアムステルダムショックのころはすでにアメリカにいて、直接この事件に接していない。 「週一回」をめぐる議論としては、アムステルダムショック後の1998年に鈴木龍氏が週一回と週4回で転移解釈の有効性の違いについて「精神分析研究」誌で論じていたという点は興味深い。そしてここで氏が週一回は「現実生活の現実性」を正しく評価することの重要性を説いていることも注目に値する。これらは現在の「週一回」の議論においても論じられているからだ。それはそうであろう、週一回となると、セッションでは「この一週間に(現実生活で)起きたこと」の報告が大きな部分を占めることになるからだ。  その後2010年ごろから藤山氏らにより学会の教育研修セミナーでこの頻度についてのディスカッションがなされていたことも重要だ。この頻度の問題はおそらくアムステルダムショックを経た治療者にとってはこだわらざるを得ないテーマであったのだろう。何しろそれまでの週一回の常識が急に否定されることとなったからだ。戦時中にお国のために命をささげる覚悟をしていた若者が、終戦を期にいきなりデモクラシーや個人の権利について吹き込まれた時の戸惑いや、一時的なアイデンティティの喪失や「自分は何を信じていたのだろう?」という疑念に少しだけ似ていると言えるだろう。そしてそれはおそらく「週一回」に対する過剰な反省や自己否定にもつながるのではないか? それは藤山氏や高野氏や、そのほかの当時トレーニングを受けていた人々にも少なかれ起きていたのではないか?

2025年2月23日日曜日

関係論とサイコセラピー 8

山崎氏の論文にはMeltzer や飛谷氏らの論文を参考に、「転移の集結」(転移がおのずと集まること)と「転移の収集」(転移を能動的に集めること)という概念を使い分ける。そして結局は両者とも週4回で成立するのであり週一回では難しいとする。Meltzerが主張するような、分離を体験するための密着な体験が週4回以上に比べて得られないからだ。しかし転移を扱うほかのプロセスは週一回でも見られると主張する。

そしてその説明のために山崎氏は転移のプロセスを以下の6つに分ける。①精神分析設定に患者が参入する。②転移が治療者に向けられる。③分離が適切に扱われる ④転移が醸成され切迫した当面性のあるものになる。⑤転移を解釈する。⑥転移が解消して変容がもたらされる。そして週一回でも④⑤⑥は成立しているのではないかという。
山崎氏はそれを論証する上で提示されたケースにおいて「転移の収集は転移解釈によりなされる」という考えを週一回に「平行移動」させたがそれが失敗に終わったというプロセスを描く。そこで与えた解釈は、Strachey のいう「当面性のある切迫点」においてなされたわけではなかったというのだ。(ここら辺は日本語は分かりにくいが、Strachey は、point of urgency とか emotionally immediate として表現している。転移の解釈は、その体験が見に差し迫った時になされるべきだという意味であり、患者の治療者に対する転移感情が非常に差し迫って生々しく感じられるときに解釈されることで変容性mutative であるということだ。)

結局彼が至るのは「形ばかりの転移解釈を投与すること」の弊害である(山崎、2024,p.21)そして「転移を能動的に考え、しかし転移解釈というアクションはしない」という姿勢である(同、p.24)。

ここで私の感想をさしはさむなら、転移が生じるか否かはかなり偶発的で、週4回でも起きないものは起きず、週1回でも起きるときは起きる、というものだ。だから週1回だからと言って転移解釈の可能性を捨てる必要はないと思うのだ。ただし転移解釈が最強、という考えは私にはあまりないのだが。


2025年2月22日土曜日

ミリガンを振り返って 1

 しばらくビリーミリガンについて考察した内容を振り返る。最終的に私が至った考えだ。解離は一つの能力であるし、おそらく誰でも潜在的に持っているということだ。しかしそれは解き放たれるためにはある種の秘密のカギが必要であり、それがトラウマということである。これはどういうことだろうか?

ミリガンは極めて多彩な面を持ち、数多くの人格はそれぞれがきわめて詳細に出来上がっていた。しかし彼は継父チャーマーによる激しい虐待によってしかそれを発揮できなかっただろうか。どうして健全な形で、より生産的な発揮の仕方が出来なかったのか?私たちは系譜による激しい虐待を受けることのなかったミリガンを想像することを禁じ得ない。しかしそれはおそらく不可能なことなのだ。彼は後に発揮する反社会的な、サイコパス的な振る舞いを一切見せることはなかったのであろうか? これが分からないのである。ミリガンの例についてある米国の高名な精神科医が言っていたことがある。ビリーミリガンの難しさは、彼が多重人格と反社会性の二つを併せ持っていたことであり、治療の過程で後者が手つかずであったとのことだ。そして当然ながら後者には遺伝的、ないしは生得的な要素がかなり大きい。ということは生まれながらにして彼にはそのような性質が備わっていたのであろうか。するとそれは虐待とは無関係に起きていたことなのか。私はこの疑問に答えを出すことに性急であるべきではないと思う。


関係論とサイコセラピー 7

 藤山氏はさらに「精神分析らしさ」のある臨床素材を語り合う場合には、「精神分析もしくは精神分析的セラピーを中心とした訓練を十分に受けた経験のあるセラピスト」による治療であることが必要であると主張する(2016,p.29)。

藤山氏の主張で特に注目するべきなのは、週一回はむしろ「難しい」という一見パラドキシカルな主張である。基本的には週一回の場合の間の6日は「何の環境的供給もない」「分離という外傷的できごと、寄る辺なさ(helplessness)」(2024,p.65)に患者をさらすことであるという。そして精神分析的な治療の根幹となる転移の問題を扱うことが非常に難しくなるという。「転移、特に乳幼児的な水準の関係性を帯びた物語は圧倒的な分離に吹き飛ばされ、ごく離散的に体験されるにすぎなくなる。この状況の中で『転移解釈』という関係性を帯びた物語を紡ぎだしそれを語るという行為はかなり実現困難だろうし、それに治療的重要性を与えることも現実的ではないのではないだろうか。」(同p.66)とする。

この藤山氏の議論は山崎氏の「週一回の精神分析的心理療法における転移の醸成」という論文でさらに考察が加えられている。これが私の眼にはかなり学問的なレベルも高く、それだけに容易に読み込むことはできないものの、藤山氏の議論が実はStrackey だけでなく、Melzer(1967)やCaper(1995)、飛谷氏(2010)などにより継承されてきた議論であることを伝えている。(はっきり言って、この機会がない限り私は決して知らなかったことである。)


2025年2月21日金曜日

関係論とサイコセラピー 6

次のような文章も興味深い。「分析家が6日間の社会生活を送る患者を見る視線は、一人の大人を見る視線であり、それは明日会う患者を見るときの子供を見る視線とは違う。」(2012,p.20)藤山氏の2023年の論文は2019年の「精神分析的心理療法フォーラム」での発表をもとにしたものであるが、そこに次のような文章もある。「乳児的部分が十分に抱えられている設定においては、患者のこころの中の関係性と今ここでの患者と分析家の間の関係性はスムーズに交流しやすい。同じ関係性が連想内容と「今、ここで」と同型の反復を持つ。それは相当に病理が重い患者でも部分的には起きる。

私は基本的にこの記述に好印象を持つ。精神分析が生活療法、というのもわかる。そこで一つ疑問があるとすれば、実際に週4回でも週1回でも、それほど「供給と剥奪のリズム」を感じることはあまりないような印象があることだろうか。例えば患者は「週一回」の場合、一週間後にしか次のセッションがないことについてどのように思うだろうか。もちろん「次のセッションが待ち遠しい」、「それまで6日間待たなくてはならずにつらい、寂しい」という気持ちを抱く患者もいるだろう。しかし週一回といえども時間をかけてセッションを訪れ、しかもセッションそのものは楽しいことばかりではなく、またそれなりの出費がかかるのが普通だ。もしこれが週一回だけ恋人と会えるという場合には、この「あと6日間は会えない」とか「会ったばかりでまた長い別れが待っている」という気持ちは非常にわかる話だ。しかしセラピーの場合はそうなるかはケースバイケースだろう。

 週4回会っている精神分析の場合、「ああ、明日も明後日も、その次も4日間連続して治療者と会える。なんと満ち足りた気分だろう」となる場合ももちろんあるが、なかなかならないことも多い。仕事の合間を縫って、一回にかなりの出費をしながら通う身としては、「ああ、あと4日間大変だな」、と思うことの方が多いかもしれない。ちょうど学生が月曜日に登校する際、そこから何日か連続して登校しなくてはならないことにストレスを感じる気持ちに近いのかもしれない。

 勿論そのように感じるということはまだ治療者と患者の間の十分な(陽性の)転移関係が成立していないから、と言えなくもないだろう。経済的に余裕があり、他に時間的な拘束がない場合にはそれに近いことが起きるかもしれない。例えば英国や米国に留学しながら分析を受けていた人は、他にあまりやることがないので、毎日の分析はとても重要な予定として意味を持っていることが多かったようである。

 実際に週4回の治療と週1回の治療を行った身としては、週一回でも4回でもそれなりに患者は義務感やアンビバレントな気持ちを持ちつつ治療を継続するものである。

もう一つの問題はこの「供給と剥奪のリズム」という考え方は、乳幼児の心をモデルにしているという点である。乳幼児と違って私たちは相手のイメージを心に留めておける。目の前の対象が消える事は、そのまま剥奪とは必ずしも感じられない。それは例えばボーダーライン心性にある人や、それこそ熱烈な恋愛関係にある人の場合にはそれが起こりうるが、ふつうは目のまえから誰かが消える事でその内的対象像に移行してくれるのだ。勿論目の前の人物とこれから二度と会えないという状態ではその限りではない。しかし通常は現実の他者は心の中のその人の対象像にスムーズに移行するものである。

2025年2月20日木曜日

関係論とサイコセラピー 5

さて少し順不同となったが、そもそもこの議論の発端となった藤山直樹氏の主張に立ち戻ってみる。藤山氏はいわばこの「週一回」の議論の火付け役である。藤山はこれまで2012年、2015年、2016年、2019年とこのテーマについての論考を行っている。

藤山直樹(2012)精神分析的実践における頻度一「生活療法としての精神分析」の視点.精神分析研究,56(1);15-23.
藤山直樹・妙木浩之(2012)セッションの頻度から見た日本の精神分析.精神分析研究,56(1);7.
藤山直樹(2015)週1回の精神分析的セラピー再考.精神分析研究,59(3);261-268.
藤山直樹(2016)精神分析らしさをめぐって.精神分析研究,60(3)i301-307.藤山直樹(2019)関係性以前の接触のインパクト:週1回セラピーにおける重要性.精神分析的心理療法フォーラム,7;4-9

ここで山崎氏のまとめ(2023「週一回」とは何か)を参照しつつ藤山の論点を要約したい。
藤山氏の主張は、精神分析と「週一回」には決定的な違いがあること、ただし「週一回」が有用であることが前提であるとのことだ。彼は2014年に精神分析学会の会長を退く際の「会長講演」で、彼の有名な「平行移動仮説」を提唱した。それは週4回以上の精神分析の実践により意味を持つ「関係性の扱い」、すなわち変容惹起的な転移解釈(ストレイチー)などは、そのまま(平行移動的に)週一回の分析的治療で扱うことはできないという議論だ。2023年の論文でも彼は「よく誤解されるのだが・・・・週一回の価値を軽く考えているわけではない」(2023,p.60)という。しかし論旨としてはやはり平行移動仮説への批判を展開することになる。

彼の説をわかりやすく言うならば、週4回以上ではスムーズに、ないしは精神分析理論に沿って展開する治療が、週一回では大きな困難にぶつかる、というものである。それは端的に言えば週に1度治療者と会っただけで残りの6日間は治療を受けないという構造が非常に外傷的であり、治療においては冒頭部分においてそれを扱うことに多大な労力が割かれてしまうということだ。週に一度のセッションでは患者は情緒的に揺さぶられたまま残りの6日間を過ごすことになる。「抱えは乏しく、患者は剥き出しのはく奪にさらされている可能性がある」(2023, p.67). 治療者としてはこの問題を扱うことが先決であり、それを扱わないことは分離のトラウマを治療者自らが否認していることにある。つまり転移解釈をしているどころではないというわけだ。その意味で「平行移動仮説」は棄却される。

一つ興味深い点は、藤山氏のこの一連の主張は2012年の「精神分析的実践における頻度」という論文だが、その中で彼は週2回は、週一回より週4回の精神分析に近い、と述べていることだ。「ある意味で週2回は、週一回より精神分析の方に近いように感じられる。単に量的な面で言えば、圧倒的に週一回に近いと感じられるだろうが、私の実感ではそうではない。」(p.20)。この主張はそれ以後はあまり聞かれないようだが、彼によれば質的な変化がすでに週2回で起きるとしたら、週4回の精神分析は無理な場合にでもそれに「質的に近い」実践なら可能だということになり、少し希望が見えてくるようである。ただしここで彼の言う週2回は、週のうち連続した二日ということになる。それは彼が「供給と剥奪のバランス」として2014年の会長講演で述べていることと同様である(その意味で彼の4つの論文での主張は同じであるとみていい。)これはどういうことかというと、「精神分析とは人生の一時期、覚醒時と睡眠時を丸ごと巻き込む」「ある意味『生活療法』なのである」(2012, p.18)とし、「患者のこころの乳幼児的な要素は供給と剥奪のリズムに反応して独特の心的生活を送る」(2015,p.265)とある。ここで精神分析のプロセスを幼児期への退行の様に捉えている点が興味深い。藤山氏が分析的なかかわりについて論じる解釈を中心とした介入から受けるイメージとは異なる。


2025年2月19日水曜日

ビリー・ミリガンを超えて まとめノート 3

 ネットフリックスで見ることのできるミリガンについてのドキュメンタリーは、結局4本あり、合計4時間の特集だが、その全部に目を通して改めてこのケースの不思議さに気が付いた。そしていろいろ考えさせられることが多かった。またなぜミリガンが罪を問われることなく釈放されたかという事情もそれなりに分かってきた。

何しろ裁判で原告の人格が変わるという例がそれまでになく、裁判ではビリーが統合 fuse されるまでは証言台に立てないという雰囲気があったらしい。さもないとどのように扱ったらいいかわからなかったのだ。そして裁判官も検事も、このような前代未聞のケースに対応する心構えもなく、まさに想像もつかない狂気そのものという扱いを受け、当然通常の様には裁けないという雰囲気があったようだ。 主治医のデービッド・コール医師も、ミリガンがちゃんと証言台にたって普通に(つまりバラバラではなく一人の人間として)立てるか気が気ではなかったようだ。そしてそれで裁判が成立しても、それほどの狂気を抱えている人間に罪を問うことなどできるはずがないというコンセンサスが成立したのである。1978年、つまり3つの事件の翌年のことだ。ただしこのような判決の後には、当然ながら「たとえ狂気ではあっても罪を償うべきだ」という意見が噴出し、またミリガンの様子はどうも怪しい、狂気にしては普通に応答しすぎる、演技ではないか、という声も大きかった。結局ミリガンが無罪となったことが一つの契機となり、「多重人格とはいえ、このように処遇されるべきではない」という考えが一般的となったというべきだろう。その意味でもビリー・ミリガンの裁判は特殊だったのである。

さて印象としては1981年の本書の出版以降に起きたことがやはり一番興味深い。特に1986年に彼がアセンズの病院から疾走し、4か月の間アメリカ各地を点々とし、いくつかの事件を起こしたことが問題視されるべきであろう。この間に一人の人間を殺害した可能性が非常に高く(結局証拠不十分で罪に問われなかったが)、さらにさかのぼって1979年にもう一人を殺害していたことを自身がほのめかし、人を「殺すぞ」と脅し、女性に暴力をふるい、ということが起き、サイコパス的な振る舞いが顕著になった。遺体を巧妙に湖に沈めたらしいが、その計画性も含めて、である。しかしやはり単なるサイコパスとも違っていた。彼は人格が変わると感情が不安定になり、時には取り乱すということが起き、一緒に行動を共にした兄も扱いに困るということが起きたのだ。そこにはおそらく、逃亡の期間に抗精神病薬を飲んでいなかったことも大きいだろう。そして最後はオハイオ州で親戚にトレイラーハウスを与えられ、絵を描いて生活し、最後は癌で2014年に死去したのだ。


2025年2月18日火曜日

関係論とサイコセラピー 4

昨日書いた岡田氏の主張は実はトリッキーなところがあり、精神療法から精神分析へのかなり大胆な挑戦というニュアンスも感じる。「週一回」はそれ自身に独自の意味があり、それ自身はどうであってもそこから砂金を拾って加えていくことができる。そして金に銅を加えたものと、銅に金を加えたものは違う、という主張である。 「序説」では平井正三氏の論文も参考になった。彼は一方ではストラッキーの変容惹起性解釈についてそれを精神分析の治癒機序として挙げているが、同時に米国では「週一回」は合金でも、英国では本質的には週4回の精神分析と変わらないという考えの方が優勢であると指摘している(Tayllor, 2015)。これも後程引用させていただこう。 「序説」の中で私が一番取り上げたいのは、村岡倫子氏の「治療経過とターニングポイント」である。彼女のターニングポイント論は、「治療構造にまつわる現実的要因」(128)に根差したもので、その意味では岡田氏の考えに近い。そしてそれがある種の治療者―患者間の出会いの契機のようなものを生むと考えている。村岡氏がここで用いている小此木の引用は貴重だ。少し長いが書き取ってみる。 「治療者の意図を超えて与えられるか、治療者・患者間に気づかれないまま形成されている治療構造を認識し、その意味を吟味したり、治療者が意図的に守ろうとしている治療構造が偶発的ないし一時的に破綻したり、あるいは意図しない要因がそこに介入したりする場合に、そこにどのようなあらたな治療関係が展開するかを理解し対応する技法などを含んでいる」(小此木の治療構造論からの引用で間違いないであろうが、村岡はここで引用ページを書いていない。あとで自分で探してみよう。)

ただそれにしても…週一回が週4,5回よりも「現実的」というのはそうとも言えないのであり、週4,5回の方がよほど現実の出来事をピックアップしてもおかしくない場合もあるのだ。まあ週一回だとセッションが現実的な報告事項に費やされて、心の内側に入っていけないという点は確かにあるが、それ以外にも週4の場合に分析家が現実的な話をなるべく回避するという、治療者自身の態度にも関係しているのではないだろうか。

2025年2月17日月曜日

関係論とサイコセラピー 3

この「週一回」の議論に弾みをつけたのが、2017年に発刊された「週一回サイコセラピー序説」(北山修、高野晶編)という著書である。この本では北山修氏、高野晶氏に加えて藤山氏、岡田暁宜氏といったこの議論を先導する考察が提出され、この「週一回」をめぐる議論の基盤が出来上がった印象がある。その中でいくつかを取り上げよう。高野氏は精神分析協会で精神分析的精神療法家の資格を有しているという意味でユニークな立場からこの「週一回」について論じている。その姿勢は基本的には週一回のサイコセラピーは精神分析と似たところがある、というものであり、それを「近似仮説」として提出した。山崎氏のまとめによると、高野の仕事で注目すべきなのは、藤山氏の「平行移動仮説」を「近似仮説」により「もう一歩推し進めた」ことだという。確かに日本の精神分析会はこの前提に立って「壮大な実験が行われた」(高野、2017,p.16)と見るべきで、この高野氏の主張は多くの分析的な療法家にとって安心する内容であろう。
 この1017年の高野氏の提言は抑制が効き、常識的であり、「週一回」は「プロパーな分析に近付くことを第一義とするのではなく」、患者の側のニーズなどの「現実も視野に入れつつ」「身に合うあり方についての検証」を必要としているというものである。印象としては藤山氏が「週一回」と精神分析の間にある種の質的な相違を見出しているのに対し、高野氏はむしろ両者の違いを相対的(「近似的」)なものとみているという違いがあると言えるであろうか。

高野氏と同様に常識派として取り上げるべきなのは岡田氏の論文である。彼は極めて常識的な臨床センスを備えており、また特定の学派の影響を色濃く受けていないために、その理論も理解しやすく受け入れやすいと感じる。彼の2017年の論文「週一回の精神分析的精神療法におけるリズム性について」で、岡田氏は「フロイトは純金に銅を混ぜるな、と言ってゐるが、銅に純金を混ぜるなと言ってはいない」と主張しているのが面白い。そして実際に彼は後者の実践を提唱しているようだ。「週一回とは『日常生活や現実に基づく』ということに利点があるのであり、そこでは日常生活や現実という大地の中の砂金を探すような作業であると言う。それを彼は次の用に言いなおす。「それは精神分析的に精神療法を行うことだ。」この比喩の是非はともかく、岡田氏は少なくとも週1回を、精神分析未満として終わらせることへの抵抗を示しているといえる。

2025年2月16日日曜日

関係性とサイコセラピー 2

 「週一回」の議論のいわば火付け役としての役割を果たしたのが、もと精神分析学会長の藤山直樹氏である。彼の議論は「週一回」論文集の第4章「関係性以前の接触のインパクト」に詳しい。彼は2014年に精神分析学会の会長を退く際の「会長講演」で、週4回以上のカウチを用いた精神分析による治療は週一回の精神療法とは質的に異なるという点について論じた。この背景にあるのは、いわゆるアムステルダムショックが起きた1993年までは、「週一回」がほぼ精神分析とみなされていたという日本独自のやや偏った認識があったという事実である。その後は一方では週一回を週4回の精神分析とは異なるものという認識が生まれたものの、この事実に対する「見て見ぬふり」(山崎、2017)が存在していたのである。そして藤山氏の講演はこの点を正面から取り上げたことになる。(ただしこの経緯については本誌を読まれる読者にはある程度共通認識があると考えて省略して論を進める。)

 藤山氏の説を簡単にまとめるならば、週4回以上ではスムーズに、ないしは精神分析理論に沿って展開する治療が、週一回では大きな困難にぶつかる、というものである。それは端的に言えば週に1度治療者と会っただけで残りの6日間は治療を受けないという構造が非常に外傷的であり、治療においては冒頭部分においてそれを扱うことに多大な労力が割かれてしまうということだ。週に一度のセッションでは患者は情緒的に揺さぶられたまま残りの6日間を過ごすことになる。「抱えは乏しく、患者は剥き出しのはく奪にさらされている可能性がある」(p.67). 治療者としてはこの問題を扱うことが先決であり、それを扱わないことは分離のトラウマを治療者自らが否認していることにある。つまり転移解釈をしているどころではないというわけだ。
この発表の中で藤山氏の有名な「平行移動仮説という用語が示された。それは週4回以上の精神分析の実践により意味を持つ「関係性の扱い」、すなわち変容惹起的な転移解釈(ストレイチー)などが、そのまま(平行移動的に)週一回の分析的治療で扱うことが出来るという考え方で、基本的には藤山説はこれを否定するという形をとっている。
 藤山氏はいう。「よく誤解されるのだが・・・・週一回の価値を軽く考えているわけではない」(p.60)しかし論旨としてはやはり平行移動仮説への批判を展開することになる。その意味で「平行移動仮説」は棄却される。

 藤山氏の論文を読むと結局は週一回の治療はできれば避けるべきだと主張しているようである。それは経験を積んだ精神分析家がより注意深く扱うことによってはじめて外傷的とならずに治療的となりうる、と言っているように思える。そして彼の上述の論文は週一回の独自性や存在意義については特に言及せずに終わっている。


2025年2月15日土曜日

関係論とサイコセラピー 1

 我が国の精神分析学会において過去10年余りの間議論ないしは論争がが継続的に行われているテーマがある。それが「週一回精神分析的サイコセラピー」と呼ばれるものである。このテーマに関してはそれを包括する内容の学術書が昨年出版され、またそれと密接な関係にあるいわゆるPOST(精神分析的サポーティブセラピー、岩倉拓、関真粧美、山口貴史、山崎孝明、東畑開人著、金剛出版、2023年)という試みの議論も興味深い。全体として言えるのは、我が国における若手の臨床家たちが一つのテーマについての議論を重ね、一つの流れを生み出しているという印象を持つ。これは非常に頼もしく、また心強い動きである。私はたまたまそれらの著述に接し、それらについての書評をまとめる過程で様々なことを考える機会を得た。それは関係精神分析的な立場からこの議論がどのように見えるか、というテーマについての考察を私に促した。そこでその内容を少しまとめてみたい。

「週一回サイコセラピー」(以降は「週一回」と略記)の流れについては、実は「週一回精神分析的サイコセラピー」に極めて詳しくまとめられている。(週一回 精神分析的サイコセラピー 高野晶、山崎孝明編 遠見書房 2024年)


2025年2月14日金曜日

ビリー・ミリガンを超えて まとめノート 2

シビルとDIDの演技の問題

シビルをめぐる問題から言えること:人はDIDの演技をして他人を信じ込ませることは短時間なら可能だろう。そしてもちろん統合失調症についても、躁状態についてもいえる。ロビンウィリアムスのような役者なら何でもこなすだろう。完璧なシナリオに従い迫真の演技が出来れば、精神科医だってそれが現実のDIDであると信じるだろう。「だったらみなそうやって精神科医をだますことが出来るだろう」という話については、確かに一回限り、一時間の診断面接ならそれは起きうるかもしれないが、いわゆるcollaterl information つまり家族や友人からの聞き取りなどを得ることでそれが演技であることにかなり早くから気づくことになる。つまりそこまでの演技をしてまで病を装う必要のある人はいないのだ。シビルの場合、患者にDIDの演技をすることによりウィルバー先生に関心を持ってほしかったということがあり、作家やウィルバー先生自身が共謀して作品を作り上げたという事情がある限り、あのようなことが可能だったのだ。
そして話はビリー・ミリガンに戻る。彼もまた非常に華々しい多彩な人格を示す。しかし演技はしていないであろう。彼の母親はビリーの幼少時にすでに人格のスイッチングを経験している。ただしそれでも演技ではないかという人がいまでもいるのは、彼があまりに見事な人格を見せているからである。おそらく彼が高度の知的レベルを有しているからこそ、あれほどの多彩な人格がそれぞれ完璧なまでに精緻化されたのであろう。つまりかなりのインプットを消化することが出来る頭脳が備わっているはずだ。ちょうどたくさんの言語を操る人がいるが、その人の才能に似ている。しかしこれは演技ではない。
例えばレイゲンは極めて限られた時間にユーゴスラビア語を習得したことになる。それは驚くべきスピードでなされたのだろう。彼はおそらくある環境でユーゴスラビアを母国語で話し、英語を片言で話す人に接したことがあるはずだ。実際に遭ったり、何らかのメディアを通じて接したのであろう。そしてその人格を完璧なまでに精緻化させた。これは並々ならぬ才能ということになり、その際に彼の脳に起きていたであろうことは幼少時の非常に高い可塑性を再現していたことになる。たとえるならば彼はIPS細胞のようになって環境に反応し、適応していたことになる。あるいは幼少時にそのユーゴスラビア人に遭ったのだろうか。
もしビリーミリガンがレイゲンにスイッチした時の様子を完璧に表すことが出来たら、それは演技かもしれないが、それを、レイゲンになった時には常に再現できるということが、演技でないことの証明になっているのだ。
私も最近成立したという英語を話す人格を有するDIDの方に会ったことがあるが、その英語は幼少時に子供が学んだ片言ではなく、成人して学んだ英語に近いものであった。このことからもビリーに生じたことは特別であったことがわかる。

我が国におけるDIDの法的な処遇について:

刑法第39条は責任能力に関するものだが、人格がいくつかあるという状況を想定したものではない。
日本で最初にDIDの犯罪が話題になったのは、1988~1989年の連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)である。
裁判官がDIDと認めた例は2020年の時点で13件、そのうち半分が過去5年の判決(つまり2015~2020)なのである。
二つのアプローチについて
グローバルアプローチ 主人格が弁識制御出来たら責任能力あり。(できなかったら責任なし。)
個別人格アプローチ 行為を行った人格が弁識制御出来たら責任能力あり。(最も厳しい)

我が国では、DIDを有する人の責任能力についての判断が問われることが増えている。ただし結局はほとんどにおいて(つまり以下に述べる3例を除いて)「完全責任能力あり、すなわち有罪」となる。それでも進歩が見られるとすれば、以前はDIDや解離性という診断そのものを裁判官が受け入れてもらえなかったが、今ではそうなりつつあるということだ。
勿論それでもDIDであっても完全責任能力あり(つまり完全に罪が問われること)とされていることは変わりない。ただし量刑において考慮されることが起き、つまり減刑されることが起きているということは新しい傾向である。また完全型DID(人格間の連絡が不連続なケース)だけでなく不完全型でも量刑の考慮が行われる可能性があるということだ。(この完全型、不完全型というのはあまり耳慣れないが、司法精神医学での言葉の使い方であろうか。要するに完全型とは別人格での犯行を全く覚えていない場合、不完全型はある程度把握しているという意味である。
 責任能力の一部が否定された事例はあり、それは3例報告されている。それらを拾ってみよう。
① 2013年 殺意を持って買い物客をナイフで刺した例(診断はアスペルガーとDID)責任能力が減弱、求刑が懲役8年なのに対して5年が言い渡される。
② 2016年 化粧品や衣類などの窃盗。犯行時にG人格の状態にあり、責任能力が減弱していたとされた。
③ 2017年 覚せい剤使用のケース。「おっちゃん」なる人格に体を乗っ取られて「覚せい剤を使え」という指示に逆らえなかったとして責任能力が減弱していたとされ、執行猶予が与えられた。
さらに知られるのは、2009年の殺人と遺体損壊のケース。このうち後者のみに関して、別の人格状態で行われたとしてそちらは無罪になったという。(もちろん殺人については有罪。)

2025年2月13日木曜日

ビリー・ミリガンを超えて まとめノート 1

日本におけるDIDについて。「ユリイカ」 (2000年5月号、特集:多重人格と文学)にある安克昌先生の論文で、彼は1993年に初めてDIDの方と会ったと書いてあるが、私も1992年でほとんど一緒である。そしてこの1992年はダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」が日本でベストセラーになり、連続幼女殺人事件の宮崎勤被告が多重人格であるという鑑定結果が発表された年でもある。それに先行してアメリカでは1970年代に多重人格がセンセーションを巻き起こし、それがおそらくDSMにおけるMPDの記載にも影響していたらしい。また Schreiber 「失われた私」(1978年)の原題は Sybil:the true storyof a woman possessed by 16 separate personalities もまたセンセーショナルな扱いを受けた。そこで主治医として出てくるコルネリア・ウィルバーは精神分析家でミリガンの本ではスーパーバイザーとして出てくるのだ。 ただし「失われた私」については後日談がある。後の2012年になってSybil-exposed という暴露本が出たのだ。つまりこの本は「シビル」(本名シャーリー・メイソン)、ウィルバー医師、本を書いたジャーナリストのシュライバーの三名による捏造の産物であるという告発本である。
日本で多重人格について論じる際に必ず顔を出すのが埼玉連続幼女誘拐殺人事件、別名宮崎勤事件である。
これに関わった三つの鑑定があった。
●保崎鑑定:1990年11月28日に保崎秀夫(慶應義塾大学名誉教授)ら6人による。「宮﨑は手の障害の劣等感から被害的になりやすい傾向があり、それに性的興味や蒐集癖が相まって犯行におよんだものであり、事件当時は人格障害ではあったが精神分裂病などの状態ではなく、完全責任能力を有していた」 
●1995年中安鑑定:1995年、中安信夫(当時の東京大学助教授)による2回目の精神鑑定。「宮﨑は手の奇形や「解離性家族」などを背景にした妄想が発展し、唯一の支えであった祖父の死を契機に『多重人格』を主体とする反応性精神病の状態(精神分裂病に近い状態)に陥っており、犯行時は是非善悪の識別能力もその識別に従って行動する能力も若干減弱していた」と結論付けていた。
●内沼鑑定:内沼幸雄(帝京大学教授)・関根義夫(東京大学助教授)によるもの。「宮﨑は高校時代までに精神分裂病を発症しており、それによる意欲低下・感情欠除・攻撃性などが祖父の死によって強まり、多重人格状態にあった」とある。
ここで中安、内沼鑑定に多重人格という言葉が出てきたことからこれが話題になったわけであるが、結局裁判では完全責任能力が認められた形であり、宮崎は死刑となった。
結論から言えば、宮崎事件は、あまりDIDの診断の根拠がないままに鑑定書が提出されたという印象がある。その主張にもそれなりに根拠があるが(「ネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子が倒れていた」など)insanity defense つまりそれにより責任能力が喪失したとする根拠にはなりえなかった。ちなみに私が持った印象としては、宮崎はかなり典型的なASDを基盤とした病理であるということだ。多重人格という印象は薄い。

2025年2月12日水曜日

ビリー・ミリガンを超えて 10

 結局次の様に言えるだろうか。人はDIDの演技をして他人を信じ込ませることは可能だろう。(ただし短時間なら、である。そしてそれは統合失調症についても、躁鬱病についてもいえる。)完璧なシナリオに従い迫真の演技が出来れば、精神科医だって初診の一回の面接内ではそれが現実のDIDであると信じるだろう。「だったらみなそうやって精神科医をだますことが出来るだろう」という話になるが、たいていはそこまでの演技をしてまで病を装う必要のある人はいないのだ。それにどのような演技もその人の日常生活にまで持ち込まれることはない。精神科医は初診以降長く、そしてより多くの文脈で接することで、その人が演技しているならばそれを見抜くことになる。また現実に日常的にその人に接している人を欺くことはより困難なのだ。(逆にDIDであることを家族に隠ぺいすることなら、かなり頻繁に成功裏に行われている。)

そして話はビリー・ミリガンに戻る。彼は演技はしていなかったであろう。身近な人はかなり一貫した彼の24のパーソナリティに折に触れて接することになった。ネットフリックスのドキュメンタリーに出てきたビリーの母親は、彼がごく若いころから人格のスイッチングを目撃していたことを証言している。
ただしビリー・ミリガンのすごさは、高度の知的レベルであり、あれほどの多彩な人格がそれぞれ完璧なまでに精緻化されるためには、かなりのインプットをたちどころに消化することが出来る頭脳が備わっているはずだ。例えばレイゲンは極めて限られた時間にユーゴスラビア語を取得したことになる。それは驚くべきスピードでなされたのだろう。彼はおそらくある環境でユーゴスラビアを母国語で話し、英語を片言で話す人に接したことがあるはずだ。実際に遭ったり、何らかのメディアを通じて接したのであろう。そしてその人格を完璧なまでに取り込んで精緻化させた。これは並々ならぬ才能ということになり、その際に彼の脳に起きていたであろうことは幼少時の非常に高い可塑性を再現していたことになる。たとえるならば彼はIPS細胞のようになって環境に反応し、適応するということを繰り返したことになる。あるいは幼少時にそのユーゴスラビア人に一定期間出会ったのだろうか。
私も最近成立したという英語を話す人格を有するDIDの方に会ったことがあるが、その英語は幼少時に子供が学んだ片言ではなく、成人して学んだ英語に近いものであった。このことからもビリーに生じたことは特別であったことがわかる。

2025年2月11日火曜日

ビリーミリガンを超えて  9

何日か前に紹介した Sybil Exposed という本。Debbie Nathanというジャーナリストによる丹念な資料の読み込みにより、2012年に発売になった。その内容は極めてセンセーショナルなものだった。Sybil は 実際は Shirley Mason という女性であり、Cornelia Wilbur という精神科医と,Flora Rheta Schreiberという作家の3人の女性による合作がSybilという作品であり、Sybil の多重人格としての症状は結局は捏造であったという大変スキャンダラスな本である。 私も自分自身の専門領域ということもあり、結局実際にこの本を買ってみた。と言ってもキンドルの電子書籍なので、ダウンロードしてすぐ読める。あるネットでの紹介では「むちゃくちゃおもしろく感動的」ということだった。しかしこの本はかなり分厚く、英文で336ページを読みこなす時間はない。  ということで書評なども織り交ぜて少し書こう。まずはSybil の起こしたアメリカでのセンセーションは相当のものであったらしい。 1973年に発売されるやベストセラーになり、それを基にしたテレビドラマにはサリー・フィールドとジョアン・ウッドワードが出演した。(二人ともアメリカでは有名な女優である)。シビルは16人の交代人格を有し、これによりMPD(多重人格)という診断は一躍有名になり、それも関連してか、1980年のDSM‐Ⅲにも掲載されることとなった。(もちろんこれだけが理由ではないが)。  結局この本は一定の役割を果たしたと言える。アメリカでは多重人格について知るためにはSybil を読むのが一番早い、ということになった。そして十分に時間がたった後、すなわち2012年にこの暴露本Sybil Exposed が出て、これがやらせだとわかったのである。  もしこの本がすぐに出たらたちまちMPDは実際にはありえない診断であり、患者は演技をしているということになっただろう。幸い1973年から2012年までの40年足らずの時間でMPDはDIDとなりその臨床像の記載や治療論も進展した。つまり一つの精神疾患として確立したのである。だからこの一例だけですべてのDIDの信憑性が崩れることは起きなかったのである。 しかしこのシビルの問題は、そしてそれとは無関係であるはずのビリーミリガン(こちらはやらせということにはなっていない!!)の問題もいくつかの点を指摘したことになると考える。 1.多重人格の病像を演技により作り出すことで、臨床家を信じ込ませることはできるらしい。少なくともシビルという実例があったことになる。ただしここにWilbur , Schreiber という二人の協力者がいたということで話は一挙に複雑になる。おそらくShirley Masonだけで多重人格を演じることは非常に難しいとしても、そこにWilbur の想像(創造)力が加わればどうなるだろう? つまり私が言いたいのは実際に多重人格を演技して、それを特にバイアスのかかっていない精神科医が長期にわたってフォローした際に、その目を欺くことは可能だろうか、という疑問である。

2025年2月10日月曜日

ビリーミリガンを超えて 8

 ビリー・ミリガンのドキュメンタリーを見るためにNetflixのサブスク を購入した。当時を振り返る形でその時の治療者や捜査にかかわった人々のインタビューで構成されている2021年のドキュメンタリー「ビリーミリガン:24の人格を持つ男(Monsters inside: the 24 faces of Bllly Milligan)」を視聴するためである。1時間に満たない動画で、あまり新しい事実は拾えないかと思ったが、いくつかの興味深い事実が分かった。 たとえば心理学者が彼のロールシャッハを取ったら全くバラバラで解釈が不能だったこと。知能検査では境界性知能から高いIQまで、測定するたびごとにばらばらだったこと。また脳波でも人格の間で脳の成熟度に差が大きかったことなどである。当時の精神医学や心理学の世界ではかなりのセンセーションを巻き起こしたという印象を持った。しかしその中で特に気になるのが中で登場する Cornelia Wilbur 医師である。彼女は例の「シビル」の治療者として呼ばれたわけであるが、「シビル」が「やらせ」だったということになっていることはすでに述べた。 この頃は解離性障害の専門家、という人はあまり知られていず、「多重人格のケースを治療したことがある」ということだけで彼女が呼ばれたわけであるが、そのWilbur 先生がシビルの「治療者」であったということがどうしても気にかかる。ということで今度は Sybil Exposed を取り寄せて読むことにした。

2025年2月9日日曜日

ショアの愛着トラウマと解離

 


いま再来週の「愛着と共感」についての講義に向けてのスライドを見直しているが、改めてショアの愛着トラウマの理論と解離の関係の深さをうかがい知ることが出来る。ひょっとすると彼の解離の理論が一番大脳生理学的な理論に基づいたものと言えるのではないか。愛着関係において母親が子供の情動の嵐を収めることが出来ないと、子供の背側迷走神経系が発動されることになるが、これは事実上解離ということになる。Stephen Porges が自律神経についての理論を整備してくれたおかげでこのような理解が進んだと言えるだろう。しかしその解離が複数の人格の存在を促すというところがなんとも不思議なところだ。つまり解離は単なる自律神経系の異常にとどまるわけではなく、人間の心に全く異なる現象を生起させるのである。


2025年2月8日土曜日

共感と愛着のスライド

 


近々行うレクチャーに向けて、こんなスライドを作った。二種類の共感と愛着との関係。S共感は相手に感情移入し一緒に苦しむ共感であり、G共感と違ってセラピスト向きではない。しかし愛着形成で母親との間ではぐくまれるのはS共感の方であろう、というのがこの図の趣旨である。


2025年2月7日金曜日

ロンドン協会におけるボウルビイの立ち位置

 ジョン・ボウルビイの立ち位置は愛着理論や愛着トラウマの問題がクローズアップされるうえで興味深いものがある。ロンドンで生粋のクライン派による治療を受けたのにそれとはまったく毛色の異なる愛着理論を打ち立てたボウルビイ。彼は当初からその当時ロンドンで主流だったクライン派の考えに不満であったらしい。読むところによると当時のクライン派は徹底して環境因の軽視の傾向があったという。言い換えれば精神内界を過剰なまでに重視し、そこで問題になるのは過剰なリビドーないし死の本能であったと言われる。つまり赤ん坊が持って生まれたその様な問題やそれにまつわる幻想をいかに扱っていくかに関心が向けられたのである。

ところがボウルビイが考えていたのは、母親との愛着がすべてであるということだった。これはもう少し言うと母親の愛着パターン、ということになる。母親が子供の気持ちにどの程度寄り添うかということだ。これはある意味では極端な環境論ということになるが、愛着の問題を突き詰めるとそうなる。何しろ親の愛着パターンが子供のそれを左右するという考えだからだ。まあ結論から言えばマッチングということか。ボウルビイ自身が寄宿舎育ちで、母親はあまり彼のことをわかってくれていなかったらしいが、それでも彼がその道を歩んだのだから。


2025年2月6日木曜日

ビリー・ミリガンを超えて 7

 我が国におけるDIDの処遇について

さて我が国におけるDIDが司法の場でどのように扱われているか。この件についていくつか言えるのは、DIDを有する人の責任能力についての判断が問われることが増えていること。ただし結局はほとんどにおいて(つまり以下に述べる3例を除いて)「完全責任能力あり、すなわち有罪」となるのであるが。それでも進歩しているのは、以前はDIDや解離性という診断そのものを裁判官に受け入れてもらえなかったのだ。
ただし完全責任能力あり(つまり完全に罪が問われること)が認められるにしても、量刑において考慮されることが起きている。つまり減刑される、ということは新しい傾向と言える。また完全型DID(人格間の連絡が不連続なケース)だけでなく不完全型でも量刑の考慮が行われる可能性がある。この完全型、不完全型というのはあまり耳慣れないが、司法精神医学での言葉の使い方であろうか。要するに完全型とは別人格での犯行を全く覚えていない場合、不完全型はある程度把握しているという意味である。

 話を戻すが、責任能力の一部が否定された事例はあり、それは3例報告されている。それらを拾ってみよう。

① 2013年、殺意を持って買い物役をナイフで刺した例(診断はアスペルガーとDID)で責任能力が減弱、求刑が懲役8年なのに対して5年が言い渡される。

② 2016年 化粧品や衣類などの窃盗。犯行時にG人格の状態にあり、責任能力が減弱していたとされた。

③ 2017年 覚せい剤使用のケース。「おっちゃん」なる人格に体を乗っ取られて「覚せい剤を使え」という指示に逆らえなかったとして責任能力が減弱していたとされ、執行猶予が与えられた。

さらに知られるのは、2009年の殺人と遺体損壊のケース。このうち後者のみに関して、別の人格状態で行われたとしてそちらは無罪になったという。(もちろん殺人については有罪。)


2025年2月5日水曜日

ビリー・ミリガンを超えて 6

さて宮崎事件には3つの鑑定がかかわっている。このあたりが重要だし、ここで多重人格の診断がかかわってくるのだ。問題の鑑定は三つある。保崎鑑定、中安鑑定、そして内沼鑑定だ。再びWIKI様の力を借りて要約する。(チャットGPTは使っていません。念のため。) 保崎鑑定 1990年11月28日に保崎秀夫(慶應義塾大学名誉教授)ら6人による精神鑑定(保崎鑑定)があった。それは「宮﨑は手の障害の劣等感から被害的になりやすい傾向があり、それに性的興味や収集癖が相まって犯行におよんだものであり、事件当時は人格障害ではあったが精神分裂病などの状態ではなく、完全責任能力を有していた」とする結論を出した。同鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。 内沼鑑定・中安鑑定 同年11月11日の公判で宮﨑は「祖父の骨を食べた」などと述べたため同日、弁護側は再度の精神鑑定を請求、同年12月18日よりから3人の鑑定医により再鑑定が始まる。1995年中安信夫(当時の東京大学助教授)による2回目の精神鑑定。「宮﨑は手の奇形や「解離性家族」などを背景にした妄想が発展し、唯一の支えであった祖父の死を契機に「多重人格」を主体とする反応性精神病の状態(精神分裂病に近い状態)に陥っており、犯行時は是非善悪の識別能力もその識別に従って行動する能力も若干減弱していた、と結論付けていた。また同年 内沼幸雄(帝京大学教授)・関根義夫(東京大学助教授)「宮﨑は高校時代までに精神分裂病を発症しており、それによる意欲低下・感情欠除・攻撃性などが祖父の死によって強まり、多重人格状態にあった」「犯行の要因は性的欲求と収集欲求が大部分であり、事件当時は是非善悪を識別する能力はほとんど保たれてはいたものの、行為を制御する能力を欠いており、心神耗弱状態であった(ただし免責範囲は少ない)と結論づけていた。 さて裁判では検察官は論告で責任能力があることは明らかであると主張した。弁護人は遺体の損壊時期などが事実と異なること、取調べ中も異常な行動があったことなどを指摘し、その信用性を否定した。また検察官が「性的欲望の充足」とした犯行動機については、一連の犯行の動機は「解離性家族」「両手の障害」「母子関係の不全性を背景とする幼児性と性的未熟性」が背景にあり、それらの下で宮﨑が犯行前に発病していた精神分裂病の影響で形成されたものであると主張。また完全責任能力の存在を認めた「保崎鑑定」については、家族や生活史の分析が不十分である点を挙げた。 1997年(平成9年)4月14日の判決公判で、東京地裁(田尾健二郎裁判長)は求刑通り宮﨑を死刑とする判決を宣告した。 東京地裁は多重人格や統合失調症の診断を否定し、宮﨑には完全責任能力があったとした「保崎鑑定」を採用した。犯行動機については性的欲求に加え、「幼女をビデオ撮影して収集したい」とする気持ちがあったことを指摘した。 一方で宮﨑には生まれつき両手に障害があり、両親の対応が不適切だったこともあって幼少期から一人で悩みを抱え込み、祖父母や両親の不和など情緒的に恵まれず、長男として甘やかされ適切なしつけを受けずに成長したため、人格の歪みを形成するに至ったことが犯行の背景にあり、その点には同情の余地が皆無とは言えないとした。控訴審は2001年(平成13年)2月6日の第12回公判で結審した。検察官は、宮﨑の供述する「もう一人の自分」などは、犯行時の精神の異常さを強調するものであり、そのような言動自体が完全責任能力を有していたことを表しているものだと主張、控訴棄却を求めた。また宮﨑の「ネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子が倒れていた」という供述は整合性を欠いているとした。最終的に死刑確定者(死刑囚)となった宮﨑は、鳩山邦夫法務大臣が発した死刑執行命令により、確定から2年4か月後の2008年(平成20年)6月17日に収監先の東京拘置所で死刑を執行された(45歳没)

結論から言えば、宮崎事件は、あまりDIDの診断の根拠がないままに鑑定書が提出されたという印象。それなりに根拠があるが(「ネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子が倒れていた」など)insanity defense つまりそれにより責任能力が喪失したとする根拠にはなりえなかった。

2025年2月4日火曜日

ビリー・ミリガンを超えて 5

 今回は埼玉連続幼女誘拐殺人事件、別名宮崎勤事件について整理する。日本で多重人格について論じる際に必ず顔を出すからだ。そこでWIKIの記事を自分なりに要約してみる。

今回は前半部分。

1988年8月 - 1988年12月にかけ、埼玉県西部で女児3人が相次いで行方不明になり、Cは行方不明になってから数日後に山中で他殺体となって発見され、1989年2月にはAの遺族に遺骨が送りつけられ、同年8月に一連の事件の犯人である宮崎勤がD事件の被疑者として警視庁に逮捕され、彼の自供により行方不明のままだったBも遺体で発見された。宮崎は2006年(平成18年)2月2日に死刑判決が確定、2008年(平成20年)執行されている。
この事件では被害者の遺骨を遺族に送りつける、犯行声明を新聞社に送りつけるなど、不可解な行動を犯人がとったことで、マスメディアによる報道が過熱。犯人逮捕後も、犯人の趣味嗜好などが大きく取り上げられ、「おたく」という呼称・言葉が広く周知されるきっかけとなった。当時としては異例の2度の正式な精神鑑定が行われた事件でもある。

A事件:1988年8月春日町で幼稚園児の女児A(当時4歳)が行方不明になり、両親が「娘が帰ってこない」と埼玉県警察に通報した。狭山署はAが友人宅へ向かう途中で誰かに声をかけられた可能性を強めて捜査した。実際にはAは犯人である宮﨑勤によって誘拐された直後に殺害されていた。宮崎は殺害後しばらく経ち、死後硬直したAの遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。
A事件から2か月後の10月にはB事件が、さらに同事件から2か月後にはC事件がそれぞれ発生した。1989年2月6日、Aの自宅玄関前に段ボール箱が置かれており、中には焼かれた十数個の骨片、犯行を匂わすメモなどが入っていた同月10日と11日に「今田勇子」の名で犯行声明とAの顔が写ったインスタント写真が郵送された。3月11日「今田勇子」名での第2の書簡『告白文』が朝日新聞東京本社とB宅に届く。両書簡とも極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える筆跡が特徴であり、筆跡鑑定が行われた。

「遺骨入りの段ボールを置いたのは、この私です。この、A一件に関しては、最初から最後まで私一人でしたことです。その証かしを立てます。まず、どうやって連れ去ったか述べましょう。・・・

Aを泳がせ、Aを見守るのではなく、私達二人を誰かが見ていないかどウカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。すると、誰も来そウにないという気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むことが出来ないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このままAを家に帰しては……」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりガ一気に爆発し、目の前の水を武器に、私は、Aの髪の毛をつかみ、顔を川に沈め、決して自分ガ、いいといウまで、頭を水面から上げさせませんでした。

B事件:その後、同年10月3日に小学校1年生の女児B(当時7歳)が行方不明になったC事件:同年12月9日には同県川越市古谷上で、幼稚園児の女児C(当時4歳)が行方不明になった。同月20日、C宅に「C」「かぜ」「せき」「のど」「楽」「死」とそれぞれ行を改めて新聞記事の文字を拡大コピーして切り貼りした葉書が届いていた。

D事件:翌1989年6月6日、東京都江東区東雲二丁目で保育園児の女児D(当時5歳)が行方不明になった。同月11日、飯能市宮沢170-1にある宮沢湖霊園の駐車場北西側にあった簡易トイレ裏で、頭部と両手足首が切断された女児の遺体が発見され、同月12日に埼玉県警は発見された遺体が女児Dのものと断定した。なお宮﨑は「Dの両手を焼いて食べた」という旨を述べた。
1989年7月23日、宮﨑は幼い姉妹を標的として妹の方の全裸写真を撮るというわいせつ事件を起こしているところを被害女児の父親に見つかり私人逮捕。宮崎が自室に所有していた5,763本もの実写ドラマなどを撮影したビデオテープを押収。


2025年2月3日月曜日

ビリー・ミリガンを超えて 4

 ところでミリガンの例は3人の女性に対する連続強姦及び強盗の容疑で逮捕され、結局無罪となったケースである。それから同様のケースは存在するのだろうか。この問題については前書「解離性障害と他者性」(岩崎学術出版社)でも扱ったが、海外の様子は分からなかった。同じようなケースは見つからないという話は聞いていたが、確証はない。チャットGPTに尋ねてみたがどうもいまひとつピンとこない。チャット君はあいまいなところは言葉を濁すのである。そこで論文を入手してみた。Haroon H. Dissociation and the insanity defense: A review of U.S. Federal appellate case law. J Forensic Sci. 2024 Sep;69(5):1782-1788.  まさにピンポイントな論文だが、いつものようにPDFをダウンロードして、というわけにはいかない。最新の論文でもあるし、ネットを介して購入しなければならず、結局17ドル出費して読むことになった。がしかし‥‥せっかくお金を出してブラウザ―上では読めても、ダウンロードできないようになっている!PDFとしてダウンロードできるためには40ドル以上の値段になっている。結局ネット上で読むことしかできない。(もちろんスクショを駆使して何とかデータ化したが。この高額さはいったいなんだろう‥‥。)ちなみにこの論文は Journal of Forensic Science (法科学ジャーナル)というジャーナルに掲載されている。  結局この論文でもDIDで無罪ということはまずないという結論だった。もう少し内容を追うと,法律の世界では解離の問題はしばしばみられると言っている。そして一般人の6.1~8.3%にPTSDがみられ、そのうち三分の一に解離がみられるという具体的な数字を挙げている。また暴力と解離は関係があり、両者の因果関係は双方向性だという理解も示している。(これってここまで言っていいのだろうか。)

2025年2月2日日曜日

ビリーミリガンを超えて 3

 Sybil についてであるが、2010年になってDebbie Nathan という作者の「シビルが暴露される ー 有名な多重人格の仰天な裏話 Sybil Exposed The Extraordinary Story Behind the Famous Multiple Personality Case」が発行された。それによると シビルは1973年の書籍及びそれについての映画によりたちまち有名になり、多重人格の報告例はそれまでも数十から一挙に数千に膨れ上がったという。Shirley Mason がシビルの本名であるが、彼女は自分が多重人格であると嘘をついていたという。彼女は厳格な「セブンスデー・アドベンチスト教会」の親に育てられ、情動的に不安定で精神科にかかったが、主治医のDr. Connie Wilbur が多重人格にとても興味を持っていることを知ってそのようにふるまったところ主治医は関心を示し、作家を誘い、書籍化を考えるようになったというのだ。

この本によるとShirlye Mason (シビル),Dr,Wilbur, 作家Schreiber の3人の共謀という書き方をしている。

これが本当であるとするならば、「DIDは複雑すぎて演技できない」というロジックさえあてにならないことになる。

ところでこの本の感想を書いている山形浩生の「経済のトリセツ」https://cruel.hatenablog.com/entry/20111201/1322666648 に一部気になる個所を見つけた。
本書は「シビル」後の三人の運命も描いている。シビルは、人格が統一されて治癒したことになっていたけれど、実は全然よくならず、また自分の正体が暴かれることを極度に恐れ、またウィルバー医師も、自分のやっていたことが公になるのを恐れていたので、シャーリー・メイソンが表に出ないようにおさえこみ、結果として二人は何とほぼ同居状態。そして名声は得たけれどもちろん臨床にきちんと活かせるようなものではなかったので、医学的なキャリアも低迷。またシュライバーも、「シビル」以降まともなものは書けず、三人で山分けしていたシビルからの収入も当然ジリ貧になって貧乏暮らしをよぎなくされ、そしてシャーリー・メイソンも晩年はウィルバー医師を看取ったあとに極貧の中で孤独死

これによると最後にシビルは統合されて治ったというわけではなかったというのだ。ということはやはりシビルは多重人格だったのか? いよいよ真相は分からない。


2025年2月1日土曜日

ビリーミリガンを超えて 2

 昔の文献と言えば1993年に今はない imago という雑誌に多重人格という特集があった。これもアイパッドに入れてあるので開けてみる。私はこの号にも寄稿しているが、(「ヒステリーと解離の文脈から見た多重人格」(pp.66-79))この号はビリーミリガンの人気に触発されたものと言っていい。寄せられた論文の多くが、ミリガンについて扱っているのだ。そしてこれにはいくつかの文献が先行していた。そのことを簡単に整理しよう。  Thigpen and Clekley 「私という他人」(1973年)原書は Three faces of Eve でノンフィクションである。つまり実在の人物についての一般向け症例報告としては第一号となり、映画化もされた。 Schreiber 「失われた私」(1978年)原題は Sybil the true storyof a woman possessed by 16 separate personalities で、これもノンフィクションだ。主治医として出てくるコルネリア・ウィルバーは精神分析家でミリガンの本ではスーパーバイザーとして出てくる。 Sizemore 「私は多重人格だった」(1978年)イブ当人(Sizemore)によるノンフィクション。 これらは1970年代に日本で売り出されたので1990年代の流行とは直接関係ないだろう。ちなみに一つ注意しなくてはならないことがある。「失われた私」については後日談がある。後になり、Sybil-exposed という暴露本が出たのだ。一言でいえば、「シビル」は基本的には捏造であったということで「シビル」(本名シャーリー・メイソン)、ウィルバー医師、本を書いたジャーナリストのシュライバーの三名が捏造したというもの。ひどい話である。

そして1990年代になって出たのが、モートン・プリンス著「ミス・ビーチャム あるいは失われた自己」(1991年)(原書は1978年、ただしケース自身は1898年という一世紀前に治療を受けた人)、そして

キース「五番目のサリー」(1991年)ミリガンの作者がその前年に書いたフィクションである。キースはベストセラー「アルジャーノンに花束を」で有名な作家だった。そしてビリーミリガンに続く。