2025年2月26日水曜日

関係論とサイコセラピー 11

 私は山崎氏の「週一回は分析的にするのは(転移を集結、収集することが)難しい」が概ね賛同を得られており、そのうえで「週一回が分析的にではなく有益であるためには、平行移動仮説の成否ではなく、近似仮説の詳細である」という提言は若手の間で至っているコンセンサスであるとみなし、話を進めてみようと思うが、それでいいのだろうか?それを確かめたい。

例えば週一回(2024)の最終章に当たる山口貴史氏の論文「POSTを通じて考える週一回における『精神分析的』」を読む。この内容は、以前このブログでもまとめた。彼は「分析的」週一回精神分析的心理療法(PAT)(つまり私の言う「分析的」)と週一回POST(つまり私の言う「心理療法」)の一番の違いは、前者は転移を集めるが後者は拡散するということであるという。というのもPOSTはなるべく転移を扱わないというのが一つの方針としてあげられるからだという。そしてPOSTでも転移は起きるが、扱わずに「心に留め置く」という。週一回PATは要するに精神分析だから、無意識も転移も扱うということになる。

 この内容は概ね上記の山崎氏がまとめたコンセンサスに一致している。ではそのほかの先生方はどうか。

 岡田氏を読んでみる。同書の第2章「週一回の精神分析的精神療法における here and now の解釈について」。これは岡田先生らしい緻密な論理展開とともに、週一回の転移解釈が難しいのはなぜかについて明らかにする。彼はMerton Gill について詳細に調べ、その理論に乗っ取って次の様にに言う。治療は表層から深層へ、という方向に進むのが原則だ。そのうえで生じるのは先ずは there and then に基づく転移でありその解釈である。つまりは治療室の外側で起きていることに注意が及ぶというわけだが、それは「週一回」の「治療関係における絶対的な時間的な接触の不足」(p.41)のせいだという。そこで無理に here and now の解釈を行うと「結果的に間違った解釈になる  」という。転移は here and now だけでないとすれば、there and then をまずしっかり扱い、here and now への道筋をつけるべきであり、here and now を行うとしても非常に慎重になるべきだという。

 これはより慎重に、上述の山崎氏のまとめたコンセンサスにそいつつ、より生産的に「週一回」について論じたものだと言える。この論文はとても重要な点について論じているが、こんな風にも読める。「精神分析でないと、Strachey が最も効果のあると言った here and now は扱えない。ただそれより一段階効果が弱い there and then なら十分に扱えるのだ。」

 この議論も悩ましいのは、結局「週一回」は結局「金」である here and now の解釈を行う精神分析に勝てないということを受け入れよ、「銅」で我慢せよ、分をわきまえよ、と言っているようなところだ。そうか、結局は週一回は二番手なのか・・・・と寂しい気持ちになる点は変わらないのである。

しかしどうも私には少し違うように思える。「週一回」だって大きな展開を見せることがあれば、週4回で何も動かないこともある。つまり量というより質の問題なのだ‥‥。