2025年2月5日水曜日

ビリー・ミリガンを超えて 6

さて宮崎事件には3つの鑑定がかかわっている。このあたりが重要だし、ここで多重人格の診断がかかわってくるのだ。問題の鑑定は三つある。保崎鑑定、中安鑑定、そして内沼鑑定だ。再びWIKI様の力を借りて要約する。(チャットGPTは使っていません。念のため。) 保崎鑑定 1990年11月28日に保崎秀夫(慶應義塾大学名誉教授)ら6人による精神鑑定(保崎鑑定)があった。それは「宮﨑は手の障害の劣等感から被害的になりやすい傾向があり、それに性的興味や収集癖が相まって犯行におよんだものであり、事件当時は人格障害ではあったが精神分裂病などの状態ではなく、完全責任能力を有していた」とする結論を出した。同鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。 内沼鑑定・中安鑑定 同年11月11日の公判で宮﨑は「祖父の骨を食べた」などと述べたため同日、弁護側は再度の精神鑑定を請求、同年12月18日よりから3人の鑑定医により再鑑定が始まる。1995年中安信夫(当時の東京大学助教授)による2回目の精神鑑定。「宮﨑は手の奇形や「解離性家族」などを背景にした妄想が発展し、唯一の支えであった祖父の死を契機に「多重人格」を主体とする反応性精神病の状態(精神分裂病に近い状態)に陥っており、犯行時は是非善悪の識別能力もその識別に従って行動する能力も若干減弱していた、と結論付けていた。また同年 内沼幸雄(帝京大学教授)・関根義夫(東京大学助教授)「宮﨑は高校時代までに精神分裂病を発症しており、それによる意欲低下・感情欠除・攻撃性などが祖父の死によって強まり、多重人格状態にあった」「犯行の要因は性的欲求と収集欲求が大部分であり、事件当時は是非善悪を識別する能力はほとんど保たれてはいたものの、行為を制御する能力を欠いており、心神耗弱状態であった(ただし免責範囲は少ない)と結論づけていた。 さて裁判では検察官は論告で責任能力があることは明らかであると主張した。弁護人は遺体の損壊時期などが事実と異なること、取調べ中も異常な行動があったことなどを指摘し、その信用性を否定した。また検察官が「性的欲望の充足」とした犯行動機については、一連の犯行の動機は「解離性家族」「両手の障害」「母子関係の不全性を背景とする幼児性と性的未熟性」が背景にあり、それらの下で宮﨑が犯行前に発病していた精神分裂病の影響で形成されたものであると主張。また完全責任能力の存在を認めた「保崎鑑定」については、家族や生活史の分析が不十分である点を挙げた。 1997年(平成9年)4月14日の判決公判で、東京地裁(田尾健二郎裁判長)は求刑通り宮﨑を死刑とする判決を宣告した。 東京地裁は多重人格や統合失調症の診断を否定し、宮﨑には完全責任能力があったとした「保崎鑑定」を採用した。犯行動機については性的欲求に加え、「幼女をビデオ撮影して収集したい」とする気持ちがあったことを指摘した。 一方で宮﨑には生まれつき両手に障害があり、両親の対応が不適切だったこともあって幼少期から一人で悩みを抱え込み、祖父母や両親の不和など情緒的に恵まれず、長男として甘やかされ適切なしつけを受けずに成長したため、人格の歪みを形成するに至ったことが犯行の背景にあり、その点には同情の余地が皆無とは言えないとした。控訴審は2001年(平成13年)2月6日の第12回公判で結審した。検察官は、宮﨑の供述する「もう一人の自分」などは、犯行時の精神の異常さを強調するものであり、そのような言動自体が完全責任能力を有していたことを表しているものだと主張、控訴棄却を求めた。また宮﨑の「ネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子が倒れていた」という供述は整合性を欠いているとした。最終的に死刑確定者(死刑囚)となった宮﨑は、鳩山邦夫法務大臣が発した死刑執行命令により、確定から2年4か月後の2008年(平成20年)6月17日に収監先の東京拘置所で死刑を執行された(45歳没)

結論から言えば、宮崎事件は、あまりDIDの診断の根拠がないままに鑑定書が提出されたという印象。それなりに根拠があるが(「ネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子が倒れていた」など)insanity defense つまりそれにより責任能力が喪失したとする根拠にはなりえなかった。