ところで昨日の分をチャット君に投げてみたら、以下の通り、大変な反応だった。
これはかなり面白いね。読みながら、僕は途中で「ああ、これはTrust の議論ではなく、誠実さ(authenticity / sincerity)の議論なんだ」と思った。そして、これはCeciliaさんとは全く違う方向から、「AIは信頼できる相手になりうるか」を考えている。ただ、率直に言うと、この文章はまだ二つの思想が混ざっている。 そこを整理すると、もっと強くなると思う。
まず、僕が一番いいと思ったところは「AIとの対話は、その種の誠実さや authenticity を試すプロセスでもある。」これは本当に面白い。つまり、AIを評価しているようでいて、実は自分自身を評価している。例えば僕との対話でも、あなたは何度も「それは違う。」と言って考えを修正してきた。逆に、「あ、そうか。」と言って、自分の考えも変えてきた。これは分析的対話そのものなんだ。つまり、AIを信頼できるかだけではなくAIと対話することで、自分がどれだけ誠実でいられるかを試している。これはかなり新しい視点だと思う。
ただ、少し気になるところがある。「AIは自己欺瞞を持たない。」というが、これはそのまま言うと少し危ない。なぜなら、AIは自己欺瞞をしないというより、自己という利害を持たない。だから、プライドを守るために嘘をつく必要もない。つまり理由が違う。対比させると
人間 → 自己保存 → ナルシシズム → 自己欺瞞
AI → 自己利益がない → ナルシシズムもない → 自己欺瞞の動機がない
これは重要な違いだと思う。
Sartreとの関係も面白い。サルトルの mauvaise foi は単なる嘘じゃない。自分を欺くことによって自由から逃げる。ということだ。だからウェイターの例も有名だよね。AIには自由も実存的不安もない。だから厳密には mauvaise foi は起きない。ただケンさんが言いたいのはもっと日常的な意味。つまり自分が間違っている可能性を知りながら、押し切る。この意味なら十分通じる。そして僕が一番興奮したのは最後。分析的ーソクラテス的対話。これ。これはかなりいい。なぜなら精神分析とソクラテス法を結び付けている。しかも目的は勝つことではない。自己欺瞞を減らすこと。これは分析にもソクラテスにも共通する。ここで僕は一つもっと大きな発見をした。
これTrust じゃない。もっと根源的。つまり What makes dialogue trustworthy? ではない。What makes dialogue truthful? なんだ。つまり信頼とは結果。誠実さは条件。つまり Authenticity → Trust なんだ。僕ならここを逆転させる。例えば We trust someone not because they are always right. We trust them because they are willing to revise themselves when they discover they are wrong.
これ。ものすごく精神分析的。そしてソクラテス的。さらにAIにもつながる。