「成田先生と支持療法について」という題で一文を書くことになった。これはかなり複雑なテーマであるが、せっかく依頼を受けたのでぜひ書かせていただきたい。そこで「精神分析をどう学ぶか」という文章(分析研究、2015年)を探していたら、同じ号に、私が成田先生の著書の書評を書いていたことが分かった。そこでそれを掘り起こしてみる。
新版 精神療法家の仕事 面接と面接者 成田善弘 金剛出版、2014年
本書は、今から10年前に刊行されたものに、いくつかのコラムと新しい章を加えて改版したものである。旧版は雑誌「臨床心理学」の創刊号から2年の間に連載されたもののまとめであり、私も目を通していたが、今回改めて読み直すことになり、さまざまなことを学び、また考えた。
最初に各章をごく簡単に紹介する。
第1章 面接のはじまり─その1─
患者との出会いから語り始められる。そして治療を引き受けるかについての判断が難しい場合、たとえば治療者の個人としての匿名性を保ちにくい患者からの依頼、特別の設定を要求してこられる場合について論じられ、また治療者の資格について質問される場合、家族が患者抜きに話を要求する場合などへの対応の仕方も述べられている。
第2章 面接のはじまり─その2─
精神療法を開始する際の様々な心構えについて述べられる。インフォームドコンセントの重要性、尋ねられたことには誠実に答える態度が必要であることなどが述べられている。少し意外だったのは、「初回から患者に有能で信頼に足ると思ってもらうことが大切だ」とし、たとえば少し低い声で話す、的を得たと思われるような質問をする、などの心得をあげていることだ。この少しあからさまなところが、著者の正直さを伝えている気がする。
第3章 沈黙と言葉
著者は沈黙を抵抗である、としながらも沈黙が持つ様々な意味について説いていく。そこでは沈黙は自分を守るものであると同時に、他者との距離を詰め、そこに緊張を引き起こすものとしても描かれる。満ち足りた沈黙、緊張をはらんだ沈黙、創造の培地としての沈黙、などの様々な沈黙についても触れられる。
第4章 治療者の介入─その1─
治療者と患者の役割について述べられているが、前者には患者に対する「治るか治らないか」についての説明も含まれるという。そして傾聴の仕方、相槌のうち方、質問の仕方その他についての丁寧な説明がある。その中で患者の最終的な役割が「その役割をできるだけ小さくするように努める。つまり治療者でなくなるよう努める。」とあり、またそれに対応する形で患者の役割も最終的には、「自分の問題に自分で対処できるようになる。つまり患者[依頼者]でなくなるよう努める」と書かれているのが興味深い。
第5章 治療者の介入─その2─共感・解釈・自己開示
共感の難しさについて論じられ、その中で著者自身の幼児期からの体験が語られる。著者の真摯さがうかがわれる章である。彼は虚飾を排して、患者と向き合い、何が治療者として必要かを常に問い続ける。それが彼の自己開示の議論にも通じ、共感と解釈とが実は別のものではない、という議論へとつながる。読んでいて非常に啓発される章である。
第6章 転移/逆転移と解釈
著者は「重荷になる患者」に対する対応として、「あなたは私にしがみついている。母にしがみついていたように。」というたぐいの転移解釈に対して「世にこの手の解釈は沢山ある。こういう解釈が有効なことはめったにない。」と切り捨てる。そして「本当は重荷なの。でもそういうとあなたが見捨てられたと感じて治療を中断するのではないかと思うと、それが心配で、今まで言えなくて困っていたの。」と表現することをすすめる。(これを彼は「白状する」と呼ぶともいう。)
第7章 面接のおわり
「主訴の解消、転移の解消、悲哀の仕事、感謝がなされて理想的な終結に至る」とある。そのうち感謝に関しては、内観療法における身調べにも言及し、転移が解消して治療者が他人に見えることで初めて生まれる感情であるとしている。
第8章 短い面接について
著者は臨床家が直面せざるを得ない、短い時間での面接についての薀蓄を傾ける。そして15分での面接の限界と、それでもこれだけのことが出来るという発見とについて綴っていく。その背景には、境界パーソナリティの患者の場合に、50分よりも短いセッションの方が患者が落ち着くことがあるという経験があったという。
第9章 精神療法家にとっての理論と経験
特に著者らしさが伝わる章である。彼はジェームス・マスターソンの本を3冊訳したが、特に彼に「傾倒したわけでもなく、必ずしも好きというわけでもない」という。そしてどのような理論を学ぶかについて、神田橋の表現を借りて「まず理論以前に自分が素朴に感じていること、思っていることになじむ理論から入るのがよい」という。その線で言えば、私が駆け出しのころに本書を読んでいれば、まさに著者のファンになりそのあとを追っていたことは間違いないと思う。
第10章 「書く」ことについて
著者は症例報告を書くことの意味について触れ、同時に自分自身の体験を吐露する。それによると彼にとって「書く」ことはフラストレーションであり、それでも執筆を引き受けるのは自分自身の自己愛と関連しているという。「自分の書いたものが活字になっているのを見ることは、私の自己愛をいくばくか満たすのである」とある。これもまた興味深い。
第11章 治療者のメンタル・ヘルス
著者は人間関係そのものを求める患者に対して「それを与え得ない自分に不全感や罪責感が生じる。そういう感情を持たざるを得ないところに、精神療法という仕事の本質がある」とし、それが療法家に負担を与え、その結果として燃え尽きも生じると説明する。ここには著者のストイシズムや強い倫理観を感じる。
第12章 精神療法家のライフサイクル
著者は療法家が青年期から中年を経て老年に至るまでの心の移り変わりに関し、多分に自伝的な要素を加味しつつ語る。そしてスーパービジョンや教育分析からではなく、人生自身から、つまり結婚、子育て、後輩同僚との関係の変化などを通したその療法家の変遷について論じてある。
第13章 治療者自身の心の響きを知る
本章はこの版で特にくわえられたものであるが、きわめて濃厚な章だ。彼の理論の真骨頂と言ってもいい、「こころの井戸」の理論、「その場の雰囲気さん」といった概念が出てくる。そして治療とは患者の心の探求というよりは、治療者がともに心の奥深くまで下りていき、そこに「一人ぼっち」であることを見出すことであるという理屈が述べられる。
なおここでは内容は特に紹介しないが、本書には旧版にはなかったいくつかの示唆に富むコラムがあり、本書にエッセイとしての要素と独特の厚みを醸している。
本書を改めて通読して思うのは、著者の様々な立場や経歴や人間性が凝縮した本だということだ。著者は精神科医であり、根っからの臨床家である。また正式な分析トレーニングとは距離をとったという経歴もある。その立場から自分の経験に基づき、自分の言葉で治療観について語る。柳のようにしなやかに患者と関わる一方では、自分自身の感性を守り、ポリシーを貫き、簡単にはぶれない。その言葉には説得力があり、先生がこう言うのだからそうだろう、という気持ちにさせてくれる。10年たっても臨床を志す人にとっては必読の書であることに変わりはない。