成田の精神療法の「二大原則」
このような成田の正直さや率直さは、その臨床観に深く関係している。彼は「精神療法の二大原則」として、「困ったときは正直に言う」、「わからないことは患者に聞く」を掲げている。これらは成田が精神分析的な原則に縛られることなく、自らの臨床経験から導いたものであるが、少し補足説明が必要であろう。
「自分の精神療法の二大原則は、『困ったときは正直に言う』、『わからないことは患者に聞く』です。」((成田(2023) 講演「質問に応えて」2023年6月17日 倭木(すぎ、わぼく)の会)同 p.3)
成田は「セッション内の治療者の主観的体験(患者の言動に対する反応)は出来るだけ開示する方向で考えるべきだと思っていて、これを『白状する』と称している」(ひとりごとp.93)と述べる。
成田はあるその例としてある「重荷になる患者」に対する対応を挙げている(精神療法の経験 210)。患者は治療者に極めて依存的でありながら、「先生は私がこんなことを言うから重荷に思っているんでしょう」と言い、そういわれた治療者はそれを肯定するわけにもいかずに困っている。そして「あなたは私にしがみついている。母にしがみついていたように。」というたぐいの転移解釈に対して「世にこの手の解釈は沢山ある。こういう解釈が有効なことはめったにない。」と切り捨てた上で、「本当は重荷なの。でもそういうとあなたが見捨てら得たと感じて治療を中断するのではないかと思うと、それが心配で、今まで言えなくて困っていたの。」と表現することをすすめる。成田善弘著新版 精神療法家の仕事 面接と面接者 成田善弘 金剛出版、2014年より
ところでこのように患者に「白状する」という治療方針について、それをもろ手を挙げて賛成する療法家は少ないのではないだろうか。私も最初にこれを聞いたときは、「ちょっと自分には出来ないな」と思ったことは確かだ。しかし成田程の人がこの誤解を生みかねない表現を用いるのにはそれなりの理由があるとも考える。「白状する」には、治療者が普段は患者にそれを伝えないことで保っている「何か」の存在を示している。それは患者に対する素の気持ちであり、感情であろう。
成田のこの「白状する」という方針からわかる通り、彼は治療場面における自分の姿をさらすことにはむしろ積極的という印象を受けるが、もちろん彼自身はこれが精神分析の世界で治療者の「自己開示」という問題で議論され、それがいかにタブー視されて来たかについて十分熟知している。しかし彼はまたフロイト自身が詩人HDとの治療で自己開示をしていることが伺われる点を指摘し、(ひとりごとp90)「自己開示をいちがいにタブーとするのは必ずしも治療的ではない」とする(同95)。
成田が掲げているこの二つの原則は、彼の考える精神療法の在り方が、従来の分析的な中立性や受け身性、ないしは匿名性の原則とは極めて異質なものであることを示す。それは極めてアクティブで相互交流的 interactive なものである。もちろん成田はいかに患者に共感するかを第一に考えているのであろう。しかし彼は同時に精神療法がどのように患者にとって役に立つかを常に考えているようである。それがこれらの二つの原則の意味するところであり、要するに受け身的に話を聞くことは、いかに治療者の思いを患者に伝え、また問うかを前提としたものであることがわかる。