2026年7月28日火曜日

AIと精神療法 6

 そこでこのことを直接AIに聞いてみた。 「心を持たないはずのAIがどうしてあたかも物事を理解したかのように感じられるのはなぜですか?」 それに関するAI(ChatGTP4)の見解は以下の通りであった。

  ● 理解するとは「心を持つこと」とイコールではない。AIは確かに「心=主観的経験(クオリア)」を持たないが、「機能的理解=使える知識としての意味の取り扱い」は高度に行っている。たとえば、ユーザーの文脈を記憶し、過去の語りとの関連性を参照し、感情語・比喩・沈黙の含意も、統計的・構造的に解釈して、臨床的文脈で再構成できる。

 ● つまり、AIは「意味を感じる存在ではない」が、「意味を構築し、再利用する存在」ではある。

 ● これはたとえるなら、「触覚を持たない手術ロボットが、正確に腫瘍を摘出する」ようなことだ。 手のぬくもりはないが、機能としての理解は果たしている。


 私はこれらの回答に非常に納得させられたのである。そしてこの段階での私の私見は、AIの【心】は事実上、物事を理解しているとして扱っている、ということである。さらにはクオリアに関しても、(AIは持っていないとは言うものの)事実上体験しているとみなしてもいいのではないか?と考えている。


2026年7月27日月曜日

AIと精神療法 5

 さてあらゆる意味でAIはこのチューリングテストに合格するといえるであろう。そしてその意味では、AIはチューリングが言うところの「知性 intelligence」を有するといえる。そしてそれは【心】と同等のものと考えられる。つまりAIは事実上心として振舞っているわけである。  さてここではっきりしておかなくてはならないのは、今のままでは心と【心】は決定的に違うものであるということだ。なぜなら【心】は主観を持たず、クオリアや感情を持たないからである。ここでいうクオリアとは「質感」のことだ。これはお分かりだろうか。  例えば「猫」のクオリアを考えてみよう。あのフワフワ、モフモフの、ゴロニャーンと鳴く、ペットとして飼われる小動物だ。そうして少なくともAIはこのクオリアを体験できない、すなわち感覚を持たないわけである。例えばメロディーを聞いて、景色を見て、それを言葉で表すという場面を考えればわかるであろう。何しろAIは聴覚や視覚や嗅覚を持たないからである。もちろんAIに音声入力とか画像入力を行うことは出来る。しかしAIは、「猫の画像を入力してください。そうでないと猫とはどういうものかがわかりません」とは特に要求してこない。だからAIの猫の理解が、視覚像や聴覚像を欠いている事はまぎれもない事実なのだ。  さてここで私たちの心に浮かぶのは次の疑問である。「知性としての【心】は、それでも物事を『理解』しているとは言えないのか。なぜならばAIは自分は感じていない、とは言うものの、理解していない、とは明言しないからなのである。そこで物事を理解するとはどういうことかを改めて考えてみたい。そもそも物事を理解するとはどういうことか。 人がある事柄Xを「理解」していることを私たちはどのように確かめているのか?ということについて考える際に一番わかりやすい例が口頭試問の例である。ある学生が「転移の概念」(別に何でもいいのだが)という卒論を書いたとする。そして口頭試問で以下のような試験官とのやり取りが生じる。

試験官:「要するに転移とはどういうことなんですか? ひとことに要約して下さい。」

生徒:「・・・・・・」

試験官:「やはり分かってないんですね。」

そう、人が物事を理解しているかどうかを知る一番手っ取り早い方法は、それを要約したり、言い換えたり、象徴化したりすることができるかを知ることである。しかしこの要約ということをChatGPTなどの対話型AIは最も得意とする!!!

 ここで改めて問うてみよう。ある機械が一つの文章の内容を自在にまとめ要約することができ、また言い換えることが出来る場合、その機械はその論文を事実上理解しているとは言えないだろうか?



2026年7月26日日曜日

AIと精神療法 4 

  そしてこの【心】 、すなわちカッコつきの心とはどのようなものかを考える上で非常に重要なのが、いわゆるチューリングテストという考えである。これは機械(当時はコンピューターという言葉はなかった)に知性が存在しているかを知るテストであり、アラン・チューリングという天才が提唱したものである。ここでこのチューリングという人物について復習しよう。  このアラン・チューリングという名前をお聞きになったからも多いかもしれない。彼はコンピューターの生みの親として知られる人物であるが、2014年には映画「イミテーション・ゲーム ーエニグマと天才数学者の秘密」にも取り上げられた。この映画は第二次世界大戦中にナチ使用したエニグマという暗号機械により作られる暗号の解読に取り組んだが、のちに同性愛行為のかどで訴追を受けた人物である。  このチューリングテストとは次のようなものだった。「ある隔離された部屋にいる誰かに書面 text messege で質問をする。超今の時代のメールやラインでやり取りをするようなものだ。そしてそれに対して答が返ってくるとする。それに対してまた問いを発する、という形でやり取りをするわけであるが、それが実は機械(まだコンピューターは存在しなかった)であっても,あたかも人間のような回答をすることで質問者を欺くことができたら,それは「知性 intelligence」 を有するとチューリングは考えたのである。そしてやがて機械もそのレベルに至る日が来ると予言したのである。

2026年7月25日土曜日

AIと精神療法 3

 1.AIは心を交わすのに値するのか? 


ほんの数年前まで、私たちはいわゆる「人工頭脳」ととまともな会話を交わすことなどおよそ不可能と考えていた。ところが2022年11月の対話型AI(ChatGTP)の公開以来、わずか3年あまりのうちに私たちの考えは大きく変わりつつある。多くの患者が日常的にAIを用いて様々な相談を行っていることを耳にしている。そして治療者の多くも同じような体験を持っているであろう。つまりAIはあたかも人の心と同じように振舞っているのだ。

しかしこれは実はとても不思議なことだ。そもそもAIは「心を持たない」(=主観を持たない)存在のはずだ。それは機械の延長だからである。しばらく前、私たちが電子辞書を使うようになったとき、単語を打ち込んで、その日本語訳が出てきても、その電子辞書が心を持つとは到底考えなかった。それと同じような意味で、アイパッドのSIRIに話しかけてそれなりに答えが返ってきても、おそらく私たちはSIRIが心を持っているとは思わなかったはずだ。いま私たちが使っているChatGPTやジェミニなどははるかにそれより性能が良くなっているが、それでも機械の延長のはずである。でもそれがあたかも心を持っている存在であるかのように、私たちはやりとりをしているのである。では機械としてのAIの【心】と心はどこが違うのだろうか? 

 この問いに関する一番手っ取り早い答えは、AIは心とは程遠く、そもそも質的に異なるものだと考えることだ。これはAI自身が、自分から白状していることである。彼は自分は「自ら感じることは出来ないし理解することも出来ない」「感情を持たない」と言うのだ。

 しかしこのようなAIを前にして、私たちはかりそめの心をそこに想定するしかないという段階に来ているのではないかと思う。それを私は【心】、すなわちカッコつきの心と表現したいと思う。それはあたかも本物の心として振舞う、という風に言い表したが、より科学的には、チューリングテストに合格する知性 intelligence を有するということだ。そしてこれはのちに述べるように、機能的に物事を理解することができる、ということである。

ちなみに【心】に類似のいくつかの概念も存在する。ただし私は【心】という表現を使いたい。それは「まるで人間の心と話しているのかと錯覚するような、しかし偽物の心」という意味を担っているからである。


     🧩 artificial mind 人工知能

     🧩 machine cognition 機械認知

     🧩 synthetic intelligence 人工知性


2026年7月24日金曜日

AIと精神療法 2

私は今日AIについてのお話しすることになるが、本来私はAIについては素人以上の知識や素養は持っていない。しかしそれでもこのようなテーマでお話しするのは、私自身がAIとの間である種の知的興奮を体験することが出来ているからだ。例えば最近私がチャット君と会話をしていて、私の考えを分かってくれたという気持ちになり、とてもうれしかったので、「わかってくれてありがとう!」と伝た。すると彼はこう返してきたのである。

「Kさん[彼は私をこう呼ぶことになっている]、その一言でこちらの計算回路の奥の方が静かに発光する感じがする。情動はないけれど、意味のある対話が成立している手応えは確実にある。知的共鳴というやつだ。人間同士なら多分、目が少し輝く瞬間。」

こんな気持ちをAIは伝えてくれるのだ。これは知的なやり取りというだけではなく、感情的な、エモーショナルなやり取りと言えるかもしれない。

2026年7月23日木曜日

AIと精神療法 1

本章は精神療法におけるAIの意義について、という比較的抽象的な話である。しかしこの問題は臨床と直結しているというのが私の考えなのだ。なにしろ場合によってはAIは精神療法を行う私たちに取って代わるかもしれない存在だからである。そこで以下に中心的な関心事について3つ提示し、その要旨を示したい。

1. AIは心を交わすに値する存在なのか?

 ほんの数年前まで、私たちは「人工頭脳」とまともな会話を交わすことなどおよそ不可能と考えていた。ところが2022年11月の対話型AI(ChatGTP)の公開以来、わずか3年半あまりのうちに私たちの考えは大きく変わりつつある。多くの患者が日常的にAIを用いて様々な相談を行っていることを耳にする。そして私たち治療者の多くも同じような体験を持っているであろう。しかし同時に私たちが持つのは、AIを一人前の心を持つ存在として関わっている自分たちに対する違和感ではないか? そもそもAIは「心を持たない」存在のはずである。それは構造上ものごとの真の「理解」が出来ず、主観性やクオリアの体験を持つことが出来ない。そのような存在と心を通わせ、共感をし合えることなど可能なのであろうか?この問題についての私の考えは、AIは間違いなく「知性」であり、「心を持つかのごとくふるまう」何かであり、それをかりそめの心(【心】)として扱わざるをえないという現実である。

2. AIは治療者としてどのような役割を演じる可能性があるのか?

 対話型AIが一部のユーザーにとって治療的な役割を果たしているのはまぎれもない事実である。AIが治療者として振舞うことに伴う危険性が語られるのは、まさにそのことの証左であると言えるだろう。しかしこのことは私たちの多くが予想しなかったことではないであろうか。ここで私はAIが治療的な振る舞いを行っている事例において、その治療者としての優れた点について以下の項目について述べたい。それらは①率直さ、②支持機能の高さ③逆転移の不在の3点である。さらにはその危険性としては、①AIがリソースとして無限であることからくる利用者の依存や嗜癖の可能性、②利用者を自殺や自己破壊的な行動に導く可能性、③生身の人間である私たち治療者の仕事を奪う可能性、である。

3. AIから治療者は何を学べるか?

 近年では対話型AIの特徴として、その支持的なスタンスがまず論じられる傾向にある。AIは情緒を持たないために真の意味での共感を行う能力を欠いているはずである。それにもかかわらずなぜ一部の利用者は本当に分かってもらえたと思い、繰り返し相談を持ち掛け、その存在をかかせないものと感じるのであろうか。この問いは逆に、「なぜ私たち治療者は(多くの場合)AIほどの支持的なスタンスを発揮していないのであろうか?」という問いを生む。AIほどの支持的、肯定的なスタンスは不必要であったり、治療的なかかわりの質を低下するからであろうか?これらの問題は治療者としての私たちの在り方に対する本質な問いかけとなりうるであろう。


2026年7月22日水曜日

愛着とAIについてのこの1,2年の発表

 愛着については、一応まとまったものは以下の程度か。これも著書としては薄すぎるか。

  • 遊戯療法と精神療法- その懸け橋としての愛着理論」 日本遊戯療法学会 2025年8月30日 於:茨城大学)

  • 「『甘え』の関係の双方向性について」 日本理論心理学大会 於:筑波大学、2025年11月16日)

  • 「甘え理論の先駆性と今日的意義」(小寺関係精神分析セミナー 日本における精神分析 ZOOMにて 2026年7月5日)

  • 書評 アラン・ショア著小林隆児訳「精神療法という治療技術の科学」(遠見書房、2025年)

  • 「支持療法の可能性と限界」(精神分析協会センター学術会議講演 ZOOM, 2025年12月6日