相転移としての人格交代
上でICの成立がいかに創造的で、しかも私たちの心の理解にとってほとんど解明されていないかについて論じた。しかし解離のもう一つの、そしておそらく最大の特徴は、人格状態間のスイッチングという現象にある。それは防衛機制について上で述べたOBEに深く関与しているが、さらにそれより一段高度でかつ創発性を含んだプロセスである。
OBEの場合は一種の偽死反射になぞらえることが出来、動物がショック状態で起こす反応と類似のものとしてとらえた。既に下等生物である危機的な状態で何らかのスイッチが押されるかのようにドラスティックな心身の反応が生じる様子が見られるわけであるが、その場合心身の機能がシャットダウンするというニュアンスがある。それは以下に述べる迷走神経系の過活動状態として理解できる。しかし解離における人格状態の遷移はそれにとどまらず、もう一つの、時にはより活動的な人格状態の出現を伴うことが特徴である。
この種の心の状態の急激な遷移についてはあまり類を見ない。癲癇発作のような神経学的な現象としては見られるものの、精神疾患では例えば躁転や急性の幻覚妄想状態がそれにある程度類似するくらいである。そして解離性の人格交代には躁転や旧姓の精神病の発症には見られないような極端な非連続性が見られる。そこにはそれまでの意識の連続性やそれに伴う記憶,知覚様式、運動機能、生理反応などが変換するのである。
精神におけるこのような急激な遷移は自然現象にたとえるならば、いわゆる相転移に類似していると言えるだろう。相転移は物理現象としてよく知られ、温度や圧力などの外部環境の変化により、物質が固体・液体・気体といった「相(状態)」を不連続に変化させる現象である。氷の溶解や水の蒸発、磁石の磁性の転換などが代表例として挙げられる。
私は解離性障害における人格のスイッチングをそのまま相転移として位置づけるつもりはないが、あくまでも現象としては類似しているということを強調したい。物理的な相転移においては水の相転移のように構成する分子間の結合の仕方が大きく変わるが、解離性の人格交代においても同様の事態を想定せざるを得ない。私はDIDの病理として各人格がダイナミックコアを占有し、それ自体がスイッチングを起こすというモデルを考えたが、同じ趣旨に従ったものである。
ポリヴェーガル理論を含んだ解離プロセスの理解
最後にいわゆるポリヴェーガル理論の見地から解離における様々な現象について論じたい。私見ではこの理論を組み込むことで解離の現象をより整合的に理解することが出来ると考えるからである。
上述の相転移現象としての解離の特徴はそれが心だけではなく、身体の変化を伴う点である。どうしてそのようなことが起きるのだろうか? それはおそらく自然界の掟と関係している。自分が捕食者の側に立つか、あるいはその餌食の立場なるかは一瞬で決まる。相手に襲いかかるか、そこから退散したり身を隠したりするという真逆の行動と取るかは、一瞬で決めなくてはならず、この瞬間的なモードチェンジは野生の世界においては死活問題なのだ。というより闘争と逃避の一瞬での切り替えが可能な個体がこれまで生き延びて来たというべきであろう。そしてそのスイッチングを巧みに説明するのが、このポリヴェーガル理論である。
従来は各臓器は交感神経と副交感神経の両方が支配し、リラックス状態のときは副交感神経が働き、活動したりストレスがかかったりすると交感神経が働くというように、通常は拮抗した作用を示すと考えられてきた。しかし哺乳動物の迷走神経が、進化のプロセスの異なる2系統に分かれているという発見が、ポリヴェーガル理論の核心部分である。
ポリヴェーガル理論では、周囲が安全安心を感じられる状況か、危険を感じる状況か、命の危険を感じる状況かで3系統の自律神経系が切り替わって環境に対応すると説明する。周りが安全安心を感じる状態のときは、哺乳類になってから獲得した「腹側迷走神経複合体」が働く。しかし周りからストレスがかかると、「戦うか逃げるか」に関わる「交感神経系」が働く。交感神経系は「闘うか逃げるか」のための神経といわれる。さらにそのストレス状況が高度になると、進化的に古い「背側迷走神経複合体」に切り替わり、いわゆる偽死反射のような現象が起きる。
ポリヴェーガル理論の中でおそらく最も優れた点は、社会的な意味を成す腹側迷走神経複合体を想定したことである。これはトラウマモデルではなかなかで出こない視点としての愛着の部分の重要性、すなわち闘争・逃避だけでなく愛着形成をつかさどる社会脳の活性化を説明している。その中でもポージスのニューロセプションの概念は秀逸である。それが危機的状況での防衛反応としてだけではなく、愛着形成の可能な状況における愛着反応をも説明しているからだ。
最後に
<略>