成田の目指す正直さや率直さ
成田は精神療法とはいかにあるべきかについて常に考え続けていた人である。それが「精神療法」そのものを主題とした数多くの論文や著作に表されている。その全体として浮かび上がってくるのが、その正直さや率直さである。それは彼の人柄を表すと同時に、彼が精神療法家の在り方として追及した姿にも通じている。見事な「自己一致」がここに見られるのだ。
その率直さが見られるのが成田の著作の特徴である。成田の精神療法についての理論的な書を読んでも不思議と難解さはない。それはこれらがほぼエッセイ風に、experience-near にどちらかと言えば軽いタッチで語られているからである。そして大事なのは、その根底に率直さ、正直さが流れているからだ。だから読者は常に我が身に引きつけて彼の文章を読むことができる。
この正直さのゆえに、成田には自分の弱さや足りなさを率直に開示したものが多い。自分は孤独で人と交われなかったこと、運動が苦手だったこと、分析学会誌に原著論文を掲載していないのに学会の会長になったこと、教育分析は受けていないこと、などなどである。そしてそれに関連して彼には肩書や名誉などへの拘りが非常に薄いように感じる。つまり通俗的な意味での自己愛を感じることがほとんどない。
だから成田には自分の理論を死守するために強弁するというところがない。しかしその臨床的な感性はかなり早くから既にあり、臨床経験を積み重ねる途上で出会う理論を場合によっては取り込み、あるいは取り込まれ、最終的に蒸留されていったのが成田理論なのだ。そしてそこには難しい四字熟語的な概念によっては語られない。「こころの井戸」、「その場の雰囲気さん」、「白状する」など、いずれも優しい和語で語られるものである。
この率直さが先述の成田の自由さや、上述の「困ったときは正直に言う」という態度に結びついていることは理解するに難くない。
成田は精神分析の世界で治療者の自己開示がいかにタブー視されて来たかについて十分熟知したうえで、それから「自由」な自分の治療感をこう述べる。(ひとりごとp.93)は「セッション内の治療者の主観的体験(患者の言動に対する反応)は出来るだけ開示する方向で考えるべきだと思っていて、これを『白状する』と称している」という。ある臨床例で(同、p94)成田は話が分かりにくい患者に「あなたの言っていることがもう一つよくわからなくて、あせりや無力感を感じる。おそらく今あなたも同じような気持ちではないか」と言い、それが「自分でも自分の気持ちがよくわからない」という患者の反応を引き出した例を出す。