ストレス反応としての多重人格状態
本特集は「ストレス、トラウマ、小児期逆境体験(ACE)ハンドブック ― 基本的知識から臨床実践まで」である。そこで本章ではいわゆる多重人格、正式には解離性同一性障害について、ストレス因との関連から論じる。
解離性障害がDSM₋Ⅲに診断名として正式に採用されて以来、ある種のストレスが解離症状という反応を起こす、という考え方は一般的に受け入れられているとみていい。DSM-Ⅲに同時に採用されたPTSD等のトラウマに関連した障害の最大の特徴は、トラウマという環境因により発症するという因果関係が強調されたことである。そしてそれは戦争や虐待や性被害等が人間の精神にもたらす影響の重大さが再認識されるという時代の流れと軌を一にしていたのである。そして一つの焦点となったのが、トラウマにより一方ではPTSDのような症状が生まれ、他方では解離性障害を来すという違いがどこに由来するのかという問題であった。
このような問題がいち早く関心を持たれた頃の米国にいた私は、この「どのようなストレスや環境因が解離の病理を引き起こすか」というテーマで、Dissociogenic stress (解離原性のストレス)というテーマの論文を書いたことがある(Okano, 1997,1998)。
Okano, K (1997) A notion of "dissociogenic stress" Dissociation. Volume 10, No. 2, p. 130-134.
Okano, K (1998) Dissociogenic stress: A transcultural conceptPsychiatry and Clinical Neurosciences. 52:576-581.
そこでの要旨をまとめるならば、ネガティブな心的内容を投影したり外在化したりすることが抑制されるという形でのストレスが解離を生みやすいであろう、という考えであった。そしてそれは外部の対象から直接虐待の事実をに関する秘密を強要されるというだけでなく、被害者が抱く恥や罪の意識からそれを表すことが出来ないことなどもその機序として考えた。それは数多くの解離を有する患者が、等の両親により虐待を受けていたり、家庭外での被害を両親に決してわかってもらえなかったという背景を持っているという臨床的な事実から生み出された理論であった。
私がこの頃印象深かったのは、患者はしばしば母親の前で「母親仕様の」顔を保つということである。母親が自分にこうあって欲しいというイメージを的確に読み取り、それに合わせるという能力を彼らは持っているようであったが、それは決して彼らが意図的に「演技」をしているわけではなく、それはもっと自然で、あえて言えば身体的な反応なのである。しかしそれは確実に、母親に対するネガティブな感情が除外されたものである。母親からすれば、子供は本当に自分のことをわかってくれていて、価値観も趣味も自分と一致していると感じるであろう。そのような時の母親は優しいであろうし、子供は愛情をかけられていると感じられるであろう。だからその時の顔は、「優しい母親仕様の」と呼ぶべきかもしれない。
しかし子供が母親から受ける影響はポジティブなものばかりではない。母親を怖ろしく感じたり、憎しみを覚えたりするという体験も当然ながら存在する。しかしそれはこの「優しい母親仕様の」顔には組み込まれない。おそらくそちらは「怖い母親仕様」の顔に自動的に仕分けられるからだ。