2026年6月2日火曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 3 

 創造の過程としてのイマジナリーコンパニオン

  心にあらかじめ別のアイデンティが形成されるという現象ははたして起きるのであろうか。そのヒントとなるのが、いわゆるイマジナリーコンパニオン (以下、 IC)の体験であろう。IC はイマジナリーフレンドとも呼ばれ、周囲の人には感じられないものの、本人にとっては実在していると感じられる「空想上の友だち」である。人間や動物、ぬいぐるみ、あるいは架空の生き物の姿をしており、当人は一緒に遊んだり会話をしたありする。ICは健常な子供に広く見られ、ある研究では5から12歳の一般人の二人に一人が幼少時にこのような体験を持つと報告されている。

Pearson D, Rouse H, Doswell S, Ainsworth C, Dawson O, Simms K, Edwards L, Faulconbridge J. Prevalence of imaginary companions in a normal child population. Child Care Health Dev. 2001 Jan;27(1):13-22.  

Huolman, M, Peltonen, M (2022) Dissociative features related to imaginary companions in the assessment of childhood adversity and dissociation: A pilot study, European Journal of Trauma & Dissociation,Volume 6, Issue 4.

 ICの存在自身はその子供の病理を反映するものではなく、基本的にはその子を助け、恐怖を和らげたり補助自我的な役割を演じる(Putnam, 1989)。その数は通常は二人以内で、ともにいて居心地の良い存在である。ただしDIDにおいてはその幼少時には通常よりより高い頻度で現れ(McLewin, LA, Muller, RT (2006)健康な発達に見られるICに比べてネガティブな要素を有し、その数も多く、本人の体をコントロールしたり行動を強制するといった性質が報告されている((Huolman, M, Peltonen, M (2022))。ともかくもICがこれほど多くの人々に見られるということは、このような解離のプロセスは大多数の人間にほとんどデフォルトとして備わっている能力と考えることは出来ないであろうか。

 このICの存在は解離という心の働きの驚くべき創造性を表していると考えられるが、それは一般人にはあまりピンと来ないかもしれない。心に誰かのイメージを抱くことは極めて自然で一般的なことと考えるのが普通かもしれない。そのような心の働きは精神分析ではいわゆる内的対象像として記載されるであろう。それはいわば「瞼の母」的な存在であり、その人のことをイメージで思い浮かべることが出来、時にはこちらから語りかけ、向こうからも何らかのメッセージが伝わってくるように感じるかもしれない。

 つまり内的対象とは実在する重要な人物を心の中に写し取ったイメージである。ところがICはある意味で創造された対象であり、ひとりでに動き出してある種の自主性や主体性を獲得しているのである。ICとしての縫いぐるみと会話をしたりするときは、それはあくまでもその縫いぐるみのキャラを持っているわけだ。絵本の「こんとあき」で言えば、「こん」は「こん」であり、実在するそれを心に思い浮かべているわけではない。

 ここでもう一歩想像力を飛躍させる必要がある。「こん」が動き、あることを語りかけてくるとき、その主体はどこにあるのか。それは結局は「あき」の脳の中にあるとしか想定しようがない。つまり「あき」の脳の中に「こん」の主体が宿っているのである!

もちろんこう言うとたちまち反発が来るであろう。「そんなことはないだろう。あきはこんの言いそうなことを想像して言わせているに過ぎない。だからこんの主体性など考える必要はないのだ」。しかし両者は明確に異なり、それはちょうど表象と知覚の区別に似た議論になる。例えばリンゴを思い浮かべる(表象)。そのリンゴを眺めまわしても、何ら驚く部分はないだろう。それはあなたが作り出したからであり、そのリンゴを回してみたら、そこに虫が食っていたのを発見して驚く、ということはあり得ない。しかし知覚像の場合には、自分の想定を裏切る側面を見せるのが特徴であり、それが知覚の他者性である。

 このように考えると、実はICは実に驚くべき現象であることがわかる。少なくとも解離性人格の存在に驚くのと似たレベルの驚きが伴っても不思議ではない。(もっと言うと夢を見るという現象も、実は驚くべきことである。そこには様々な他者が予想外の振る舞いを見せるからである。)


2026年6月1日月曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 2  

解離は脆弱性か、それとも能力か?

 解離をトラウマに対する反応として、いわば防衛機制や防御反応としてとらえる場合、その発症機序はトラウマ理論でしばしば用いられるモデルにどれほど適合するのだろうか?いわゆる Stress-diathesis model(ストレス―脆弱性モデル、SDモデル)は、ストレス因に当人の脆弱性が関係して発症するというモデルだ。このモデルはその内容に多少なりとも変更は加えられているが、精神疾患の発症を説明する標準的な理論とされている。 

  しかし解離はこのモデルでは十分説明ができない可能性がある。上述の「生き延びる価値」の例として挙げたOBEは、言わば仮死状態になってその場をしのぐ仕組みである。これはその個体の闘争能力を一瞬にして奪い去るという意味では脆弱性としてとらえられなくもない。
 しかしすでに述べたように、実際の臨床場面で見られるのは、あたかもそのような状況に備えて、受け皿となるような人格がその人の中に準備されていたかのような印象を受けるケースである。臨床上しばしば見られるのは、本人を救う形で出現した人格に話を聞くと、かなり早くから基本人格を内側から眺め、必要に応じてそれを救出するかのような形で外に現れ、それ以降は基本人格になり替わってその人生の一部を営むという様子である。
 さらには人格交代の中には、危機的状況とは逆の、安全性が保たれた治療関係において生じるものがある。それが子供の人格の出現であり、治療者の様子を内側から伺い、場合によっては治療室内のぬいぐるみやクレヨンなどに反応して「遊びに」出てくるという様子が見られる。このような交代人格の表れは、それを当人の脆弱性と理解することは難しく、また上述のストレス―脆弱性モデルに当てはまるとは言えないであろう。


2026年5月31日日曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 1

 はじめに

 本特集は「✖✖✖ ― 基本的知識から臨床実践まで」である。本章ではいわゆる多重人格、正式には解離性同一性障害について、ストレス因との関連から論じる。

 解離性障害がDSM₋Ⅲ(1980) に診断名として正式に採用されて以来、ある種のストレスが解離症状を起こすという考え方は一般的に受け入れられているようになってきている。DSM-Ⅲに同時に採用されたPTSD等のトラウマに関連した障害の最大の特徴は、それらとトラウマという環境因との因果関係が強調されたことである。そしてそれは戦争や虐待や性被害等が人間の精神にもたらす影響の重大さが再認識されたという時代の流れと軌を一にしていたのである。
 DSM-5やICD-11では、解離性障害はPTSDを代表とする「心的外傷及びストレス因関連症群」には含まれてはいないものの、深刻なトラウマによるPTSD症状には解離的な要素が多く含まれるという理解が最近ではなされるようになってきている。Lanius らはストレスによる反応として、一部は解離様の症状を示すことを強調し、それがPTSDの中の解離タイプという概念につながったのである。

 この大枠の理解の仕方は正しいとしても、どれほど正確なのだろうか?解離は果たしてPTSD症状のネガなのであろうか?そもそも解離は単なる症状なのだろうか?それ以外の何かが解離には潜んでいるのではないか? それらが本考察の主要なテーマである。

 

解離は防衛機制か?


 最初に問うてみる。解離は防衛機制なのだろうか? Frank Putnam のテキストには以下のように述べられている。「解離が生き延びるための価値 survival value を有するという考え方は、 広く受け入れられている」。Putnam は Braun & Sachs, 1985, Kluft, 1984, Spiegel, 1984.という錚々たる著者を引用してそう述べており、これは学界のコンセンサスと言っていいであろう(p9)。

 解離が防衛として働くという考えはある意味では常識的なとらえ方である。最初にトラウマが生じた時に自らをその状況から隔離するという形で解離が起きたと考えられるからだ。その瞬間に主体が精神的に生き延びる際に役に立ったという意味では、それはまさに防衛機制であったと言える。しかし問題はそれがその後の人生で、それ以外のあまり危機的ではない状況でも繰り返されるようになるということである。

 解離が一種の防衛ないしは防御反応としての意味を持つ場合、それは私たち人間一般に備わっていてしかるべきである。その一つの候補としていわゆるOBE(幽体離脱)という現象を考えてみよう。これはある出来事を切っ掛けとして自分の意識が肉体から抜け出し、第三者の視点で自分自身を眺めているように感じる現象とされ、最近の研究では一般人の10~20%の人が体験するという研究もある(Moix J, et al, 2025)。このOBEが生存のための防御反応か否かという議論がしばしばなされてきた(Blackmore,S (1983))

 このような反応が私たちの一部に備わっているとしたらこれは特筆すべきであろう。ちなみにスイス連邦工科大学の Olaf Blankeによる研究(2005)は、右脳の側頭頭頂接合部 (Temporal-parietal junction、TPJ)を刺激することにより、OBEと少し似ている体験を確実に誘発可能であることを発見したとされる。 


 なお同様の現象は明らかに進化論的にかなりプリミティブな段階で生物に備わっているものと見なすことができる。ライオンに駆られたインパラはもがき暴れることなく捕食者のなすがままに任せているように見える。 

 OBEそのものは様々な状況で生じ、それ自身は病理現象とは言えないが、解離性障害を有する人々の体験の基本形として、類似の体験が聞かれる。通常はある種の危機的な状態で当人の意識は失われ、同時にもう一人の自分が立ち現れる。そのもう一人の自分は元の自分を外から俯瞰したり、もとの自分に乗り替わってその体験を持ったりする。その際はもとの自分は意識を失う。このような現象は、自らをその状況から隔離するという形で生じると考えられ、その意味で上記の生き延びる価値を有すると考えられるだろう。その反応は、痛みを回避するための意図的なものでは決してなく、自然に体の反応として生じるのである。
 ともかくも、解離がその人にとって一種の防衛としての機能を担っているということについては、特に異論は生じないであろう。

2026年5月30日土曜日

ストレスとDID 推敲 5 

 この論文での主張をまとめてみる。先ずこの特集の主たるテーマである「解離はトラウマ反応か」という根本的な問題がある。それは一応そう捉えていいであろう。解離は一種の防衛であるというとらえ方は定説だからだ。ではそこでストレス―脆弱説(SDモデル)は成り立つのか。必ずしもそうではない。その検討のために、OBEを考えると、実はそればかりではないことがわかる。OBEの場合は防衛本能そのものと言ってもいいかもしれないが、実際の解離では別の人格が創成されるのだ。そしてそこには危機的な状況でのEP(感情的なパーソナリティ)の出現という側面だけではなく、安全な環境での子供人格の出現ということがある。そしてその意味でSDモデルでは説明できない人格の創成というプロセスがあるのだ。  ではなぜ人格が創成されるのか。それは結局ICを生み出すメカニズムであり、これは恐らくすべての人が持っていると言っていいだろう。そしてそれは夢の生成過程とも関係しているかもしれない。ICの成立(おそらく一般人に生じている)という素地があり、そこに何らかのトリガーが重なることで、DIDという現象が生まれるのである。トリガーによるスイッチングがないと、これは内側にとどまり続ける可能性があるのだ。  ではなぜスイッチングが生じるのか。先ずその現象自体はいわゆる相転移的な現象としてとらえることができるであろう。しかしどうしてそのようなことが人間の心に起きるのであろうか? そのことを最もよく示すのポージスのポリヴェーガル理論(PGT)であろう。それは人間の心身が状況に応じていくつかのモードの間を移り変わるというモデルであるが、それは生存にとって最も必要だからである。そしてPGTの中でおそらく最も優れた点は、社会的な意味を成すVVCを想定したことである。これはトラウマモデルではなかなかで出こない視点としての愛着の部分の重要性、すなわち闘争・逃避だけでなく愛着形成をつかさどる社会脳の活性化を説明しているところである。その中でもポージスのニューロセプションの概念は秀逸である。それが危機的状況での防衛反応としてだけではなく、愛着形成の可能な状況における愛着反応をも説明しているからだ。

  関係精神分析セミナーのご案内

毎年この時期に行っている告知である。 

毎年恒例の、関係精神分析セミナーへのお誘いです。詳しくは以下をお読みください。私は今回は土居健郎先生の「甘え」について再考したいと思います。

2026年度 小寺関係精神分析セミナー   日本における関係精神分析

  

 今年のテーマは「日本における関係精神分析」である。関係精神分析は横井のスティーブン・ミッチェルの著作の翻訳などをはじめとして早くからその導入が試みられた。私たちグループも「関係精神分析入門」「関係精神分析―自己開示と倫理」などの著書を発表してきている。

当日は吾妻は「「世界の精神分析、日本の精神分析」、岡野は「甘え理論の先駆性と今日的な意味」、長川は「精神分析と禅:E.フロムと鈴木大拙が共有したもの」富樫は「関係精神分析と文化的交流」というテーマで発表する。

初学者にとっても、臨床経験豊かな治療者にとっても、精神分析の治療者としての自分を振り返る上で役に立つだろう。当日は、アンケートなども用い、参加者と積極的に対話を進めていきたいと考えている。

 

◆ 日     時:令和8年7月5日(日曜日) 午前10時~午後3時

(進行具合により多少の延長も考えられます)

 ◆ 開催形態:全面的にオンライン(Zoom)で行う

◆ 発   表   者:吾妻壮(上智大学)・岡野憲一郎(本郷の森診療所)・富樫公一(甲南大学)・長川歩美(A&C中之島心理オフィス)

◆ 司   会: 岡野憲一郎、富樫公一、吾妻壮

◆ 受   講   料: 5,000円

◆ 申 込方法

以下の申込みフォームからお申込みいただけます。

2026年5月29日金曜日

ストレスとDID 推敲 4 

 相転移としての人格交代

 上でICの成立がいかに創造的で、しかも私たちの心の理解にとってほとんど解明されていないかについて論じた。しかし解離のもう一つの特徴は、スイッチングという現象にある。それは防衛機制について述べた際に論じたOBEに深く関与しているものの、さらにそれより一段高度でかつ創発性を含んだプロセスである。OBEの場合は一種の偽死反射になぞらえることが出来、動物がショック状態で起こす反応と類似のものとしてとらえた。既に下等生物である危機的な状態で何らかのスイッチが押されるかのようにドラスティックな心身の反応が生じる様子が見られるわけであるが、解離においてはある状況で一つの人格状態からもう一つへと遷移する様子が見られる。

  この現象の特徴は、心に不連続性が生まれ、それ以前とは全く異なる状態が出現するという点である。それはある組織が一つの状態からもう一つの状態にジャンプするとでも表現できるであろう。それは一つの心の一部に起きた変化、というよりはもう一つの心が出現する現象と言えるかもしれない。つまり一つの心の中を探っていても不十分なわけである。先ほどの体外離脱がまさにそれを表している。
 心が実際に二つに分かれるという現象を想像できにくいかもしれないが、物理の世界でそれに近い現象がいわゆる相転移である。私は解離性障害における人格のスイッチングを則相転移として位置づけるつもりはない。ただ現象としては類似しているということを主張したいわけである。もし一つの心が脳に宿り、そこにもう一つの脳を想定できない以上、同じネットワークを作っている要素のまったく異なる結合の仕方(相転移における水分子がそうである)。

 ここで相転移の定義としては以下のようにあらわせるだろう。

「相転移とは、温度や圧力などの外部環境の変化により、物質が固体・液体・気体といった「相(状態)」を不連続に変化させる物理現象である。氷が水に溶ける、水が蒸発する、磁石の磁性が消えるなどが代表例であり、アボガドロ数程度の多数の原子が絡み合うことで生じるマクロな変化である。」(AIの回答より。)

 相転移というと常にこのような物理現象が引き合いに出されるが、それに限らず、組織の構造の在り方が全面的に、かつ不連続的に生じることだ。 氷と水の間に生じるのは相転移の典型であるが、例えば私がDIDの病理として想定した複数のダイナミックコアのかかわりもそれに相当するのではないか。そこでは同一の神経細胞が異なるネットワークを形成しなおす、という状態を想定したからである。

ポリヴェーガル理論を含んだ解離プロセスの理解

 最後にいわゆるポリヴェーガル理論の見地から解離における様々な現象について論じたい。私見ではこの理論を組み込むことで解離の現象をより整合的に理解することが出来ると考えるからである。
 上述の相転移現象としての解離の特徴はそれが心だけではなく、身体の変化を伴う点である。どうしてそのようなことが起きるのだろう?おそらくそれは自然界の掟と関係している。自分が捕食者の側に立つか、あるいはその餌食の立場なるかは一瞬で決まる。相手に襲いかかる科、そこから退散したり身を隠したりするという真逆の行動と取るかは、一瞬で決めなくてはならない。それまでツノを突き合わせていた二頭のヘラジカのうち敗者の側は、負けを悟った瞬間に退散に転じる。このモードの一瞬でのスイッチングは死活問題なのだ。というより闘争と逃避の一瞬での切り替えが可能な個体がこれまで生き延びて来たというべきであろう。

以下、かなりネット記事を参考にしてまとめたものである。草稿段階なので無断転用お許しあれ。特にヒューマンハピネス株式会社 上谷実礼様のわかりやすい記事「産業保健活動にポリヴェーガル理論を活用しよう」第一回)。ありがとう!!

 そのような突然の変化を説明する上で最も有効なのが、スティーブン・ポージスのポリヴェーガル理論であろう。これが登場する前は、1つの標的臓器を交感神経と副交感神経の両方が支配し、リラックス状態のときは副交感神経が働き、活動したりストレスがかかったりすると交感神経が働くというように、通常は拮抗した作用を示すと考えられてきた。副交感神経の8割は第Ⅹ脳神経である迷走神経が占めているが、この哺乳動物の迷走神経が、進化のプロセスの異なる2系統に分かれており、1つの個体の中で古いものから新しいものへと順次積み上がってきた自律神経系が3つの階層構造を形成すると説明したのがポリヴェーガル理論で医学的に説明できるようになったのである。
 ポリヴェーガル理論では、周囲が安全安心を感じられる状況か、危険を感じる状況か、命の危険を感じる状況かで3系統の自律神経系が切り替わって環境に対応すると説明する。周りが安全安心を感じさせる状態だったり、気の置けない仲間と一緒にいてリラックスしたりしている状態のときは、哺乳類になってから獲得した新しい迷走神経である「腹側迷走神経複合体」が働く。しかし周りからストレスがかかったり、危険を感じたりすると、その状況に対応するために「交感神経系」が働く。交感神経系は「闘うか逃げるか」のための神経といわれる。さらにそのストレス状況が高度になると、進化的に古い「背側迷走神経複合体」に切り替わる。通常、この3つのシステムが周囲の環境と自身の内部の状況によって、腹側迷走から背側迷走の状態を自在に切り替えるのが自律神経系の健全な働き方ということになる。


2026年5月28日木曜日

 学会用の図を作成

 昨日はこの図を作るのに3時間ほどかかった!(学会での発表用)一ピクセルごとの色塗りに結構時間がかかった。