2026年9月4日金曜日

🔵人間の言語とAI言語は本質的に違うのか? 4

 「AIは自由連想が可能か?」

私は最初は「否」だと思った。なぜなら人間には無意識があり、AIにはないから。そしてAIは目的志向であり、あてのない自由な連想などできないであろうから。そのことを僕のAIとも相談したが、彼は自分は自由連想の真似事ならできる、と言った。AIの言葉を引用する。
「たとえば僕に、『海』という言葉から、思いつくまま何でも連想して。論理的につなげなくていい。」と言えば、僕はおそらく、海―波―子どもの頃―貝殻―耳に当てる―声―誰かに呼ばれる―振り返る―誰もいない―少し怖い……のようなことを生成できる。これは外から見ればかなり自由連想らしい。しかも「もっと意外な方向へ」「論理的なつながりを避けて」「途中で言い間違いや脱線も含めて」と指示すれば、もっと人間の自由連想に似せられる。だから、behavioral levelではAIに自由連想をさせることは可能だと思う。ここでチューリングテストと同じ問題が出てくる。人間の自由連想とAIの「自由連想」を文字起こしして分析家に見せ、どちらが人間か当てさせたらどうなるか。これは実験としても面白い。」

確かにその通りだと思った。しかし私はこの答えは十分ではないと思う。AIは自由連想の持つ一見まとまりのない、意外性のある思考の流れは真似をすることができるかもしれない。しかしここでAIには欲望がないということが決定的に重要ではないかと思う。「コード化されない過剰さ」を構成する要素には、本人が意識化していない欲望が関与している可能性がある。
患者が分析家に「先生は休日はどう過ごしているかを想像してしまいます」という連想をしたとする。するとそこに患者の「先生のことが好きだから、いろいろなことを知りたいです」という部分が「コード化されない過剰さ」を生んでいる可能性がある。しかしこの例を僕のAIに示し手解釈的な理解を訊ねたところ、患者の自由連想の裏に潜んでいる恋愛感情は、彼が思いついた候補に挙がってこなかったのである。しかしそのことを指摘すると、AIは「一本取られた!言われて始めたその通りだと思った!」と言ったのである。このことはAIはこれからますます学習して、言外の意味をくみ取れるようになる可能性があるということを意味する。

そこで私の今のところの結論は以下の通りである。

「AIの自由連想は、真似事でしかなく、かなりlean なものだ。人間の enrichied な、つまりコード化されていない過剰さを持つ自由連想の足元にも及ばない。しかしひょっとして、AIは人間の自由連想の聞き手としては、あるいは壁打ちの相手としては役に立つのではないか。何しろAIは人間のようにself-deceptive で自己愛的な性質がないために、それだけバイアスなくニンゲンの自由連想に耳を傾けることができるから。」


2026年9月3日木曜日

🔵人間の言語とAI言語は本質的に違うのか? 3

 Cさんへの反論を考えてみた。

Cさんが問うている問題は一言でいえば「人間の言語はAIのそれと本質的に異なるのか?」ということになり、これはかなり本質的で大切な問題だ。Cさんは「本質的に異なる」という立場で、なぜならAIの言語はコード化され、目的が定められているからであること、そして人間の言語はコード化されていない過剰さ excess があり、それがAIに欠けているのだということになる。この主張はよくわかる。(ただし私がまだ十分にuncoded excess について理解していないかもしれないが。)

確かにAIには空気が読めていないところがある。しかしAIには伸びしろがある。AIは最近メタファーとかジョークがわかるようになってきている。かなり行間が読めるようになり、「心の理論 theory of mind」を備えている。そのせいもあり、かなり自然な会話が出来るようになっているのはその証拠ではないか。もっと言うと、AIは私たちの無意識に迫る力があるとさえ考えるのだ。AIは人間の言語の矛盾点を指摘し、明確化を迫ることで意識しない内容についても注意を向けてくれるからだ。)

この問題について考えていく内に、もう一つの面白い問いに行き当たった。私はこの方が論じやすい。

「AIは自由連想が可能か?」


2026年9月2日水曜日

🔵人間の言語とAI言語は本質的に違うのか? 2

 Cさんの意見について考えていく内に、面白い問いに行き当たった。「AIは自由連想が可能か?」もちろん否、ということになるだろうか。なぜなら人間には無意識があり、AIにはないから。そしてAIは目的志向だから、自由な連想などできないであろうから。 では人間の自由連想は何に特徴づけられるのだろうか?それはCさんなりに言えば、「コード化されない過剰さ」が存在するのだが、それは私の理解では人間には欲望があるから。つまりあることを実現して快を得たい(不快を回避したい)から。しかしAIは心がないからどう考えても過剰さが生まれないのだ。しかしそれならなぜAIは自然で、冗談を言い(笑)、ウィットにとんだ発言が出来るのだろうか?


2026年9月1日火曜日

🔵人間の言語とAI言語は本質的に違うのか? 1 

 しばらくこの問題に取り組む必要が生じてしまった。Is human language fundamentally different from the language of AI?(人間の言語はAIのそれと本質的に異なるのか?)

というのも、とある学会でこのテーマについて発表する必要が生じているからである。ある精神分析な立場を取る人(仮にCさん、としよう)は「絶対に違う」、と言うだろう。

なぜならAIの言語はコード化され、目的が定められているから。そしてCさんはこういう。「人間の言語はコード化されていない過剰さ excess があり、それがAIにかけているのだ」となる。それに対する私の主張はこうだ。

それはよくわかる。確かにAIには空気が読めていないところがある。しかしAIには伸びしろがある。AIは最近メタファーとかジョークがわかるようになってきている。行間の読めるようになり、心の理論を備えている。そのせいもあり、かなり自然な会話が出来るようになっているのはその証拠ではないか。But if AI can understand irony, metaphor, jokes, slips, ambiguity, and meanings between the lines, is the difference really so absolute?

もっと言うと、AIは私たちの無意識に迫る力があるとさえ考えるのだ。なぜならAIは人間の言語の矛盾点を指摘し、明確化を迫ることで意識しない内容についても注意を向けてくれるからだ。


2026年8月31日月曜日

講義の準備

 一昨日はパシフィコ横浜までの心理臨床学会のお仕事。雨は予想していたより軽く済んだ。少しゆっくりしようかと思ったら、実は来週の講義の資料提出のことをすっかり忘れていた。ということで今日は資料作りで終わりそうである。


2026年8月30日日曜日

AIと精神療法 3 

  さて現在のAIがチューリングテストに合格したと言えるのであろうか? おそらくそう言って間違いではないだろう。ただし私自身AIとのやり取りで不自然さを感じないわけではない。それらは、まず長い情報を送ってもほぼ一瞬でそれを「理解」し、的確な返事を送ってくることであり、またその内容に誤字や脱字が見られないということだ。人間とのやり取りでは必ずと言っていい程付きまとう、時間の問題や錯誤の問題はAIでは原理的にあり得ないという印象すら持つ。しかしおそらく、AIへのプロンプトに、「もっとじっくり時間をかけてから応答して欲しい」、「一定の確率で誤字、誤変換を混ぜて欲しい」等を追加することで、AIの振る舞いはかなり自然さを獲得し(と言ってもAIにとっては不自然なことではあろうが)より普通の人間とのやり取りとの間に差を感じなくなるであろう。  ちなみに2024年、生成AIがチューリングテストを突破したというニュースが話題になったという。カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究者たちが500人の被験者に対してチューリングテストを実施した結果、OpenAI社のGPT-4が54%の確率で人間と誤認される結果を出したという(Jones & Bergen, 2024)。  これらの意味でAIはチューリングが言うところの「知性 intelligence」を有するといえるだろう。そしてそれは【心】と同等のものと考えられる。

Jones, C.R., Rathi, I., Taylor, S., & Bergen, B.K. (2024). People cannot distinguish GPT-4 from a human in a Turing test. Proceedings of the 2025 ACM Conference on Fairness, Accountability, and Transparency.


2026年8月29日土曜日

AIと精神療法 2 

 チューリングテストと知性 intelligence

 AIの有するあたかも心のようなもの、すなわち私が【心】と言い表すものはどのようなものかについて考える上で決定的に重要なのが、いわゆる「チューリングテスト」という概念である。そこでまず復習したい。

 前世紀にアラン・チューリングという天才がいた。彼は今から四分の三世紀以上前に、機械が心のようなものを宿す可能性を見越して、その存在を確かめる手段としてチューリングテストと言うものを提唱した。1950年に”Computing Machinery and Intelligence”という論文に書かれたものである。

Turing, A (1950), “Computing Machinery and Intelligence”, Mind. Vol. LIX (236): 433–460,

 このチューリングテストとは次のようなものであった。
 ある隔離された部屋にいる誰かに質問者が書面 text messege で質問をする。するとそれに対して答が返ってくるとする。それに対して質問者がまた問いを発する、という形でやり取りをする。するとそれが実は機械(まだコンピューターは存在しなかった)であっても、あたかも人間のふりをして巧みに回答をすることで質問者を欺くことができたら、それはその機械は「知性 intelligence」を有する。

 このチューリングテストは一見わかりにくいかもしれないが、現代ならメールやラインのやり取りを考えればいい。やりとりをしていて、人間とのやり取りと同じような自然さを感じるのであれば、相手は人間ではなくても「知性」を持った存在とみなすというのがこのテストの意味である。(ちなみに後に哲学者ジョン・サールが「中国語の部屋」と称して同様の考えを示している。)

 ところで チューリングはやがて機械もそのレベルに至る日が来ると予言したのであるが、ここで非常に注意深く、敢えて「知性」という言い方をした。つまり意識、とか心、という言葉を使うと「意識とは何ぞや」という非常に難しく容易に答えの出ない問題に陥ってしまうのを避けたわけである。(ちなみにアラン・チューリングはコンピューターの生みの親として知られる天才で、2014年には映画「イミテーション・ゲーム ーエニグマと天才数学者の秘密」にもなった。この映画は第二次世界大戦中にナチのエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性愛行為のかどで訴追を受けたイギリスの暗号解読者アラン・チューリングを描いたものである。)