2026年6月30日火曜日

解離と未遂との関連について 2

  アラン・ショアの教えるところは、おそらくこのSSは愛着トラウマに関係しているということだ。(ほかにも説明の手段はあるだろうが、これが今のところ一番説得力がある。)自分の激しい情動を最初は母親の右脳により、後には自分の右脳により制御することが出来るようになることが出来なかった人(愛着トラウマを負った人)がこのSSに陥る傾向を有するのであろう。そしてそれはBPD傾向として残り、ある人は情緒障害となり、ある人は解離症状として残る。ここで解離はSSを一時的に閉じ込めておくための箱であると考えるといい。そしてとりあえずその時は箱に収めることが出来たという意味ではこれは適応的であろう。しかし顕著な形で箱を有する人はそこにSSを内臓しているだろう。しかし箱があるから自傷傾向を有するということにはならない。箱に入っているSSが問題なのだ。

解離は当人の自殺傾向を冷凍保存している。一種のクーラーボックスと考えればいい。そしてそれを持っている人は自殺傾向が高いということにはなっても、その存在は自殺傾向を引き起こしてはいない。

別の比喩。解離を有する人は心に隔離室や保護室を持っている人にたとえられるだろう。その場合保護室は自殺傾向を促進していることにはならない。

このように考えるといよいよ、解離は自殺企図の原因になっているという考え方が誤っているかがよくわかる。アルコール中毒は自殺企図を引き起こすというのは分かるが、解離は自殺企図を引き起こす、というロジックは決して正しくないのである。


2026年6月29日月曜日

解離と未遂との関連について 1

  私は今一つこの問題に結論を出せていない。すっきりわかっていない。Foote らの示すとおり、解離症状と自殺企図には高い相関関係があるのはなぜか?BPDや鬱やアルコール中毒との高い相関についてはピンとくる。ところが解離はどうもすっきりそうは思えないのだ。  自殺企図に関係するもののひとつは衝動性であろう。酒に酔って死にたくなった時に、「もし今この行動を起こしたらどのような結果が待っているのか?」「人生山あり谷ありじゃないか。待っていればまたいいことがあるさ。」と思う余裕もなく行動に移す。そしてこの衝動性と表裏一体なのが、情動コントロールの問題だろう。強い怒りや絶望感を鎮めるための前頭葉の機能が低下している。この「前頭葉の機能低下・衝動性の亢進」が酩酊時や抑うつやBPDにおいて高まるという理屈はよくわかる。しかし解離が果たして同様の問題に結びついているのだろうか?どうも納得がいかない。  一つ確実に言えることは、解離性障害を有する人が「前頭葉の機能低下・衝動性の亢進」を特徴とするような解離状態に陥る傾向があるとすれば、その人の自殺未遂の頻度は高まるであろうということだ。何らかのきっかけでそのような状態に陥り、それが警察への通報や緊急入院につながることを繰り返す人もいる。しかしその場合、本当に解離が問題なのだろうか?  仮にそのような状態をSS(suicidal state)と呼ぼう。BPDや鬱やアルコール中毒においてはそれらの病理がこのSSを導くと言える。しかし解離はどうだろうか?もし通常の人格状態はSS状態とは切り離され、SSの出現が回避されているとしたら、それは解離のせいだろうか?どう考えても解離はSSの原因ではない。むしろ解離はSSの結果なのだ。そして人生においてSSに陥る経緯に解離は必ずしも関係していないのである。  この路線をもう少し進めてみよう。とにかく解離は誤解されているのだ。

2026年6月28日日曜日

甘えの理論の先駆性 9

 甘えに基づく治療論:

治療においては「素直な甘え」(実は「大人の甘え」、「基本的な結合回路 basic union circuit (Ecstein)」)をいかにブースト(再強化,再想起)するかである。

このために「愛着に基づく精神療法」(フォナギー、ホームズ)では、治療者が患者との心(脳波)のシンクロの機会を提供する。

いわゆる支持療法もこれに準ずる。

甘えに基づく治療においては、治療者が受容的な態度で、「大人の甘え」を向け合う他者として接することから出発する。(ただし土居の言うように一般的な意味での「甘やかし」はしない。)それがブーストに貢献し、「大人の甘え」を促進するようであれば、その治療が継続される。

それが「屈折した甘え」を賦活し「悪性の退行」(バリント)につながるならば、甘えの手綱を注意深く操る必要がある。


2026年6月27日土曜日

甘えの理論の先駆性 8

 生下時の右脳優位の体験はそもそも自他未分化の世界である。そこでは母子の右脳どうしの同調が生じ、乳児は母子一体を体験する。これはウィニコット的には「母親の原初的没頭」における「錯覚」の状態である。

愛着関係において錯覚→脱錯覚を体験できると、自分は世界から肯定され生きるに値するのだという幻想を持つようになる。これはかなり生物学的なプロセスであり、前頭葉と皮質下をつなぐ重要な配線(「基本的な結合回路」と呼んでおく)が形成されるのであろう。ここで達成されるのは基本的な二者関係、reciprocity の成立であり、相手の心に自分を見出し、自分の心に相手を見出す能力である。 「この乳房を介した錯覚は離乳と共に脱錯覚を被るが、実世界や現実において我々は自分の望むものを作り出すことが出来るかもしれないという『希望』を抱くときの基盤となる。」「そこには現実原則の受容、痛みを抱えるための包容力の発達、自動的で魔術的要素の衰退、さらに大人においては社会に貢献するための創造力の確立などを伴わなければならないが‥‥。」(北山修) 自分のことを百パーセント認めて欲しい、たとえあの世であっても…という考えは狂気に近いが、その狂気を自分が持っていていることを受け入れることは、同時にそれが今の現実の世界ではかなわないことも認めることになる。「基本的な結合回路」はしかし時々現実の人間関係によりブーストされる必要がある。人生の失敗体験で時々これが揺らぎ、抑うつや被害念慮に発展する場合があるからだ。そして信頼できる人に出会えると、「ほらね。やはり自分は大丈夫だ」という気持ちに戻れるのであろう。そしてこれはコフートの自己対象の理屈とほぼ同じであるとみなしてよい。

2026年6月26日金曜日

甘えの理論の先駆性 7

 土居(1961)「精神療法と精神分析」(p195~)をもとにまとめる。

おおむね言えることは、土居についての精神分析はそのまま甘えの理論であるということだ。一言で無意識内容や無意識的葛藤と言っても、様々なものが考えられるであろうが、土居が無意識的葛藤として提示するものはいずれも甘えに関与している。それぞれについて、精神分析により至る洞察は少なくとも文章の上では明確に示されている。そして「抵抗が克服され、洞察が出現すれば、治療は終結の運びとなる」(p.195)と述べる。

 土居は無意識的な葛藤を三つに大別する。(あずき色部分は土居の原文から)

1.甘えたいが、甘えることは自分の弱さをさらけ出すことなので出来ない(男性に多い)。⇒ 甘えることは致命的な弱さではないという洞察。
2.いくら甘えても、甘えだけでは足りないと感じる(女性に多い)。
   ⇒ 甘えることによって何かを自分にほしがっても無駄であるという洞察。
3.甘えることを知らず人を避けようとする(男女を問わない)。
   ⇒ 甘えても裏切られるとは限らない、という洞察。


 物心が付き始めた幼児は、甘えられない体験をすでに知覚しているので、そのために甘えようとしている。

何らかの理由により愛情不足が甚だしい時は、幼児は甘えることをほとんど経験せず、自分に甘えるナルチシズム(自己愛)の状態が発生し、憤怒や憎悪や自己卑下・自己嫌悪、去勢不安とペニス羨望が生じる。

治療により患者の葛藤が順次に解決されて行けば、ナルチシズムの核が破れ、「素直な甘え」が出て終結となる。(これはバリントの言う受け身的対象愛の出現であり、「新しい出発」である。)

エクスタインの言葉で言えば、「基本的な結合」が幻覚的に体験されることであるが、それは同時に基本的な分化であり「自分がある」状態となる事である。

終結においては治療者は甘えを許しているが甘えさせてはいない。これは現実原則に従う甘えであり、甘えの充足は一時的であることを知っているので、結局ナルチシズムには逃げ込まない。

岡野の意見:最後に出てくるのは、実質的には「素直な甘え」とは全く別物であり、それは「大人の甘え」というべきだろう。


2026年6月25日木曜日

精神神経学会に出席して

 トラウマ治療および研究の権威の金吉晴先生とはいろいろな場所でご一緒しているが、先週の日本精神神経学会(6月17~19日、於パシフィコ横浜)のシンポジウム「PTSD概念の臨床と脳科学の連携」に登壇したこともとても良い学びの機会になった。このブログでもここでの発表の準備のための草稿を長期にわたって書いていたが(ストレスとDIDシリーズなど)、PTSDの生物学的な研究の最近の流れを新たに知ることが出来た。

 その一つが脳内のグルタミン酸という神経伝達物質の異常に関する研究である。ネズミを使った研究などで明らかになったのは、ストレスに置かれた際に脳内の扁桃体、海馬などにおけるグルタミン酸の伝達が亢進しているということである。PTSDのフラッシュバックなどの体験においては脳の過活動がいわば神経毒として働き、海馬などの萎縮を招くことが知られているが、そこにグルタミン酸が絡んでいることが知られるようになっている。そしてそのグルタミン酸のリセプターのうちNMDA型と呼ばれるものの拮抗剤がトラウマ記憶の改善につながるという研究がなされたのである。ここで非常に都合のいいことに、この拮抗剤として機能するメマンチンという薬剤は、すでにに認知症の治療薬として用いられており、その安全性も確認されており、それがPTSDの治療として有望だという研究が進んでいるというわけだ。いずれはメマンチンがPTSDの治療として認可される可能性もありうるというのが、金先生や、今回発表を行った堀弘明先生(国立精神神経医療研究センター)の見解でもある。一方で精神療法的、他方で薬物療法的な研究が手を携えて進んでいるのが現在のトラウマ研究なのである。


2026年6月24日水曜日

甘えの理論の先駆性 6

  サンフランシスコで分析のトレーニングを開始した土居は、ライダーとの教育分析について以下のように語る。 「私の体験したことはあまりにも身近なことであるために、いまだこれを十分に整理することが出来ませんし、またこれを整理されないまま生の形で皆さまにお話しすることは、私にとってあまりにも苦痛の多いことでございます。従って詳細は控えますが、ただ結果だけを述べますと、私は予定のコースを完了することなく1956年に帰国したのであります。」 「これには種々の外的事情も関係していますが、教育分析の観点から言えば、これを打ち切ることが唯一の解決であるという行き詰まりに逢着したためであります。実際このことは私の精神に深大な効果を及ぼしました。私はそこから逃げようとしていた現実にいやおうなしに直面することを強いられましたし、そのためにいまだかつてなかった不安を経験しました。」(精神分析研究、1958)   教育分析で、土居は最初は「傷ついた獣のごとき心境に陥ってしまった。しかし私は次第にその傷の意味を理解し、それによって真に精神分析を理解するに至ったと思っている。実に本書執筆の最大の苦闘は、教育分析に引き続く自己分析の完成にあったのである。」と述べている。(精神療法と精神分析、1961、P2)  土居はそれについてその後語ろうとしないが、「分析しても終わらない」という考えを重視していた。 「私は『実際上健康と目される人間の分析が未完成に終わることはやむを得ない」というフロイトの言葉を思い出します。(分析研究、1968、p110) 「だいたい私自身、私の中にひそむ甘えを自分の分析の中で自覚するのでなければ、甘えの重要性を認識するに至らなかったということが出来ます。(土居、1968 vol 14 No3 選集2p117))。