「週一回」の議論のいわば火付け役としての役割を果たしたのが、もと精神分析学会長の藤山直樹氏である。彼の議論は「週一回」論文集の第4章「関係性以前の接触のインパクト」に詳しい。彼は2014年に精神分析学会の会長を退く際の「会長講演」で、週4回以上のカウチを用いた精神分析による治療は週一回の精神療法とは質的に異なるという点について論じた。この背景にあるのは、いわゆるアムステルダムショックが起きた1993年までは、「週一回」がほぼ精神分析とみなされていたという日本独自のやや偏った認識があったという事実である。その後は一方では週一回を週4回の精神分析とは異なるものという認識が生まれたものの、この事実に対する「見て見ぬふり」(山崎、2017)が存在していたのである。そして藤山氏の講演はこの点を正面から取り上げたことになる。(ただしこの経緯については本誌を読まれる読者にはある程度共通認識があると考えて省略して論を進める。)
藤山氏の説を簡単にまとめるならば、週4回以上ではスムーズに、ないしは精神分析理論に沿って展開する治療が、週一回では大きな困難にぶつかる、というものである。それは端的に言えば週に1度治療者と会っただけで残りの6日間は治療を受けないという構造が非常に外傷的であり、治療においては冒頭部分においてそれを扱うことに多大な労力が割かれてしまうということだ。週に一度のセッションでは患者は情緒的に揺さぶられたまま残りの6日間を過ごすことになる。「抱えは乏しく、患者は剥き出しのはく奪にさらされている可能性がある」(p.67). 治療者としてはこの問題を扱うことが先決であり、それを扱わないことは分離のトラウマを治療者自らが否認していることにある。つまり転移解釈をしているどころではないというわけだ。
この発表の中で藤山氏の有名な「平行移動仮説という用語が示された。それは週4回以上の精神分析の実践により意味を持つ「関係性の扱い」、すなわち変容惹起的な転移解釈(ストレイチー)などが、そのまま(平行移動的に)週一回の分析的治療で扱うことが出来るという考え方で、基本的には藤山説はこれを否定するという形をとっている。
藤山氏はいう。「よく誤解されるのだが・・・・週一回の価値を軽く考えているわけではない」(p.60)しかし論旨としてはやはり平行移動仮説への批判を展開することになる。その意味で「平行移動仮説」は棄却される。
藤山氏の論文を読むと結局は週一回の治療はできれば避けるべきだと主張しているようである。それは経験を積んだ精神分析家がより注意深く扱うことによってはじめて外傷的とならずに治療的となりうる、と言っているように思える。そして彼の上述の論文は週一回の独自性や存在意義については特に言及せずに終わっている。