2025年2月23日日曜日

関係論とサイコセラピー 8

山崎氏の論文にはMeltzer や飛谷氏らの論文を参考に、「転移の集結」(転移がおのずと集まること)と「転移の収集」(転移を能動的に集めること)という概念を使い分ける。そして結局は両者とも週4回で成立するのであり週一回では難しいとする。Meltzerが主張するような、分離を体験するための密着な体験が週4回以上に比べて得られないからだ。しかし転移を扱うほかのプロセスは週一回でも見られると主張する。

そしてその説明のために山崎氏は転移のプロセスを以下の6つに分ける。①精神分析設定に患者が参入する。②転移が治療者に向けられる。③分離が適切に扱われる ④転移が醸成され切迫した当面性のあるものになる。⑤転移を解釈する。⑥転移が解消して変容がもたらされる。そして週一回でも④⑤⑥は成立しているのではないかという。
山崎氏はそれを論証する上で提示されたケースにおいて「転移の収集は転移解釈によりなされる」という考えを週一回に「平行移動」させたがそれが失敗に終わったというプロセスを描く。そこで与えた解釈は、Strachey のいう「当面性のある切迫点」においてなされたわけではなかったというのだ。(ここら辺は日本語は分かりにくいが、Strachey は、point of urgency とか emotionally immediate として表現している。転移の解釈は、その体験が見に差し迫った時になされるべきだという意味であり、患者の治療者に対する転移感情が非常に差し迫って生々しく感じられるときに解釈されることで変容性mutative であるということだ。)

結局彼が至るのは「形ばかりの転移解釈を投与すること」の弊害である(山崎、2024,p.21)そして「転移を能動的に考え、しかし転移解釈というアクションはしない」という姿勢である(同、p.24)。

ここで私の感想をさしはさむなら、転移が生じるか否かはかなり偶発的で、週4回でも起きないものは起きず、週1回でも起きるときは起きる、というものだ。だから週1回だからと言って転移解釈の可能性を捨てる必要はないと思うのだ。ただし転移解釈が最強、という考えは私にはあまりないのだが。