ジョン・ボウルビイの立ち位置は愛着理論や愛着トラウマの問題がクローズアップされるうえで興味深いものがある。ロンドンで生粋のクライン派による治療を受けたのにそれとはまったく毛色の異なる愛着理論を打ち立てたボウルビイ。彼は当初からその当時ロンドンで主流だったクライン派の考えに不満であったらしい。読むところによると当時のクライン派は徹底して環境因の軽視の傾向があったという。言い換えれば精神内界を過剰なまでに重視し、そこで問題になるのは過剰なリビドーないし死の本能であったと言われる。つまり赤ん坊が持って生まれたその様な問題やそれにまつわる幻想をいかに扱っていくかに関心が向けられたのである。
ところがボウルビイが考えていたのは、母親との愛着がすべてであるということだった。これはもう少し言うと母親の愛着パターン、ということになる。母親が子供の気持ちにどの程度寄り添うかということだ。これはある意味では極端な環境論ということになるが、愛着の問題を突き詰めるとそうなる。何しろ親の愛着パターンが子供のそれを左右するという考えだからだ。まあ結論から言えばマッチングということか。ボウルビイ自身が寄宿舎育ちで、母親はあまり彼のことをわかってくれていなかったらしいが、それでも彼がその道を歩んだのだから。