この「週一回」の議論については、「週一回(2024)」(週一回精神分析的サイコセラピー. 高野晶、山崎孝明編 遠見書房 2024年)における山崎氏のまとめが現在の cutting edge のように思える。そこで彼の第1章「週一回とはなにか」を少し念入りに読んでみる。こうすることで私自身のまとめにもなるのだ。 山崎氏の論述に従って、歴史的な経緯を振り返ってみる。これは少しだけノスタルジックな気分に浸らせてくれる。精神分析の伝統の中で我ながら興味深いのは、日本では「ある時点まで週一回が精神分析であった」ということだ。山崎氏より30歳も年上の私は、1993年のいわゆる「アムステルダムショック」前に精神分析学会に入会している。1983年のことだ。何しろ千駄ヶ谷の野口記念館で大会を行うことが出来るほど小規模だった。しかしそのころから教育研修セミナーみたいな企画があり、私は小此木先生のそれに出席したことを覚えている。そして肝心のアムステルダムショックのころはすでにアメリカにいて、直接この事件に接していない。 「週一回」をめぐる議論としては、アムステルダムショック後の1998年に鈴木龍氏が週一回と週4回で転移解釈の有効性の違いについて「精神分析研究」誌で論じていたという点は興味深い。そしてここで氏が週一回は「現実生活の現実性」を正しく評価することの重要性を説いていることも注目に値する。これらは現在の「週一回」の議論においても論じられているからだ。それはそうであろう、週一回となると、セッションでは「この一週間に(現実生活で)起きたこと」の報告が大きな部分を占めることになるからだ。 その後2010年ごろから藤山氏らにより学会の教育研修セミナーでこの頻度についてのディスカッションがなされていたことも重要だ。この頻度の問題はおそらくアムステルダムショックを経た治療者にとってはこだわらざるを得ないテーマであったのだろう。何しろそれまでの週一回の常識が急に否定されることとなったからだ。戦時中にお国のために命をささげる覚悟をしていた若者が、終戦を期にいきなりデモクラシーや個人の権利について吹き込まれた時の戸惑いや、一時的なアイデンティティの喪失や「自分は何を信じていたのだろう?」という疑念に少しだけ似ていると言えるだろう。そしてそれはおそらく「週一回」に対する過剰な反省や自己否定にもつながるのではないか? それは藤山氏や高野氏や、そのほかの当時トレーニングを受けていた人々にも少なかれ起きていたのではないか?