外傷体験と言葉というテーマですが、そもそも深刻な外傷は言葉に出来ないという特徴があります。ですから外傷についてのサイコセラピーは、ちょっと矛盾した課題ということが出来るかも知れません。本来言葉にしにくいことを言葉で扱う試みだからです。それに安易に言葉に直そうとすることで、心の傷口がさらに開いてしまうことへの懸念もあります。
そもそも記憶というのは陳述的、非陳述的という両方の部分を持っています。もとの英語は declarative memory と non-declarative memory ということで、要するに言葉に出来る部分と出来ない部分という意味です。このうち後者には、例えば体の感覚が覚えているとか、感情が覚えているという言い方が当てはまります。ですから私はこれらをわかりやすく、「言葉の記憶」(=陳述的記憶)と「体の記憶」(=非陳述的記憶)といいかえています。
さて普通の記憶は、この二つがくっついています。だから、例えば昨日の夜にあった余震の記憶について、それを思い出して、「あれは大きくて怖かったね」、などと話す時は、昨日の夜の余震の情景が浮かび、その時何をしていたのかについても覚えていますから、それを言葉で説明することができます。そしてその時の怖かった感情も一緒に思い出されることが大事です。そちらの記憶、つまり体の記憶の部分も、言葉にすることができる記憶にくっているわけです。
ところが外傷記憶というのは、この両方場がバラバラになっています。ですから大震災にあってそれがトラウマになったという場合は、「あの恐ろしい震災については、情景は浮かんでも何も感情がわかない」と事が起きてきます。あるいはそれとは別に、「その時の恐ろしさが、突然何の前触れもなく襲ってくる」という、いわゆるフラッシュバックの状態も起きます。そしてそれが言葉の記憶と体の記憶がばらばらになっているということによるものなのです。
さて治療のひとつの目標は、外傷記憶を普通の記憶に変えていくということになります。つまり言葉の記憶と体の記憶を繋げていく作業ということになります。それは具体的には、その記憶を「思い出し」ていただく、ということになりますが、これは単純には行きません。通常の意味で「思い出す」事が出来ないのが外傷記憶だからです。そこで「その体験をした時のその人に話してもらう」、ということを考えます。しかしこれには例を出して説明する必要があるでしょう。
私の知っているある男性患者Aさんは、幼いころに一時的にではありますが、母親と別れ別れになってしまったことがあります。その時はもう一生会えないのではないかと思い、その体験が非常に恐ろしかったということで、時々夢に見たりします。
ところがAさんは起きている時にもこれを思い出す事があるのですが、その時はすっかりこの年の子供に返ったようになり、シクシク泣いたり、怖い怖いと言って叫んだりするわけです。しかし言葉でその様子を表現することができません。ですからその子どもの時の気持ちに返ってもらい、その体験を十分に言葉にするという治療が必要になってくるわけです。
このようにある外傷体験を負った際には、その人がそれを言葉に出来ないほどの恐ろしい体験を持ったということで、その時の体験が、その人格ごと隔離されてしまうということが起きます。言葉に出来ないということは、その体験がその人のライフヒストリーに組み込まれなかったということでもあるのです。戦闘体験のフラッシュバックなどでも同じことが起きます。それが外傷になった=言葉に出来なかった=後で通常の形では思いだせなくなった=突然何の前触れもなくよみがえる、これはいずれも同じことの異なる表現なのです。言葉の記憶と体の記憶が別れてしまう、とは結局このようなことが多かれ少なかれ人の心に起きているということを意味します。
では治療はやみくもに、患者さんにその時に帰ってもらうのか、ということになりますが、それほど単純ではありません。通常はそれができるようになるためにはある程度の時間を要するという問題があります。トラウマとは要するに心の傷であり、それがある程度癒えてくれない限りは扱えないというところがあります。例えば震災を受けたり、肉親を失ったりした時、子どもはそれをしばらくは口にしようとしないものです。あまりにも苦痛だったり恐怖だったりしたからでしょう。その代わり時期が来れば、子どもは地震ごっこなどの遊びの形にしたり、その時の絵を書いたりするということで、少しずつその時の記憶を再生して、扱う用意が出来てきます。それを「災害を遊びにして不謹慎だ」などと考えてはいけません。逆にそのような用意ができるまでは、外傷記憶は非常に慎重に扱う必要があります。
ただしフラッシュバックが起きるときは、それが無理やり想起されてしまっているわけですから、それを止めるというよりはその時には介入するという形になります。フラッシュバックの際に、その体験をいかに言葉に直してもらうかを試みてもらうかは、それなりに意義がある介入であると言えます。
2011年4月13日水曜日
2011年4月12日火曜日
臨床現場での言語論
さて私は精神分析のトレーニングを積む中で、何か自分が使う言葉が大きく変わってしまった気がするのです。精神分析というのは、治療者側が自分の言葉の一つ一つについて反省し、考え直すという作業でもあります。それは言い換えれば中立的な言葉ということになりますが、それは精神分析や精神療法を行うときだけに限らず、本質的にはそのほかの場面で人と会う際、たとえば精神科医として患者さんと会う場合、教官として生徒と会う場合にも同じような心構えで言葉を使うようにしています。
もちろんいつも中立的な言葉の使い方をするわけではありません。親しい同僚とか家族と話すときなどはそれが自然に崩れますが、そのときは「ああ、自分はこういう風に崩しているんだな」、という漠然とした自覚が常にあります。こんなことは精神分析をやる前には考えたことはなかったのですから、その意味では精神分析的な考え方が私の人生そのものを決定しているということといってもいいでしょう。
ではその中立的な言葉の使い方とはどういうものかといえば、わかりやすく言えば余計な私情を交えない言葉を用いるということです。出来るだけ裏の意味をこめたり皮肉を言ったりせず、中立的な言葉を選択する、といってもいいでしょう。これは精神分析で言えば、逆転移を意識しながら患者を関わるということに相当します。逆転移とは、治療者が自らの感情に流されて、患者の言葉を歪曲してとらえる、というほどの意味です。
人は他人と話すとき、さまざまな個人的な感情や願望の影響を受けています。自分の抱いている興味とか、疑いとか、苛立ちとか、そのほかさまざまな余計な感情を持ち込みつつ人と話しをしています。しかし分析家の仕事が患者さんに自由に話してもらうことにその主眼があるとしたら、それらの余計な感情や願望は、ことごとくその目標に反することになります。それらが入り混じった言葉を話すと、相手はそれに気づいて合わせようとしたり、逆に反発したりして、相手の話が聞けなくなります。
ひとつ例を挙げてみましょう。たとえば患者さんが最近離婚したという話をしたとします。それを聞いた私がたとえば自分だったらどう感じるだろうかと想像して、「それはさぞつらかったでしょうね。」と問いかけたとしたらどうでしょう。ごく当たり前の反応に聞こえるかもしれませんが、ある意味で私の体験をそこに持ち込んでいることになります。なぜなら患者さんは「離婚をしてどんなに清々したか」を話そうとしていたかもしれないからです。私が「さぞつらかったでしょうね」ということで患者さんは「そうか、離婚して清々したなんて話しをしてはいけないんだ。」と思い、私の話に合わせようとするかもしれません。すると患者さんに自由に話してもらうどころか、私が患者さんの話を引き取って誘導尋問に載せてしまうことにつながりかねません。ですからそのような時は、「離婚してどんなお気持ちですか。」という問い方をすることで、さらに患者さんの話にはいっていくことになります。
この種の話の聞き方をしていると、今度は自分が話を聞いて欲しい時の身の処しかたもわかります。それは私がケアを受ける立場にある関係で、あるいはギブアンドテークが成り立っている親しい間柄ということになります。私がバイジーである際は、バイザーがそれに当たりますし、それは配偶者だったりします。その場合は自分が聞いてもらっているのだという意識がありますから、聞いてもらえて助かったという気持ちも多少なりとも芽生えるわけです。
こんなふうに書くと、私は常に模範的な話し方を心がけている、などと誤解を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。結構自由にやっています。私情を交えない話し方は厳密に言えば不可能なことであり、人はお互いに自分の気持ちを表して、あるときは相手に聞いてもらい、別のときは逆に相手の話を聞く、というやり取りをするものです。それに相手の生の感情を知ることが話をよりいっそう興味深く、エキサイティングなものにする可能性が大きいわけですから、そのためにも自分の感情をそこに含めた、中立的でない話をして自分も楽しむということはいくらでもあります。でもそれはどちらかといえばわかってやっている問うところが多く、出来れば自分の話しをするよりは、人の話を聞くと言う姿勢のほうを好みます。もちろん私が言いたいことはたくさんありますが、それはブログなどの形で、聞きたい(読みたい)人だけがアクセスする、という場に限ることにしています。
私がこの中立的な言葉を好むのは、実は私は若いころは人との付き合い方に非常に苦労するところがありました。相手のためにアドバイスをしているのに、なぜ相手に敬遠されるのだろう、とか、人の話を一生懸命聞いていたつもりなのに、相手は満足しないのはなぜだろう、とか悩んだわけです。でもそれは私がさまざまな邪念を持って相手の話を聞いたり相手に話したりしていたということがわかり、大変助かったことを覚えています。
中立的な言葉を話すことを習得する上で、精神分析のトレーニングと同様に大切だったのが、英語での生活だったと思います。英語は母国語ではないために、少しの言い間違いが相手を傷つける、誤解を与えるということが非常に多く起きてしまうのです。それを通して、いかに注意をしながら話すべきかを学びました。また英語には、出来るだけニュートラルに自分の気持ちを相手に伝える言語というところがあります。日本で誰かと議論をしていて、「なぜ?」と聞くと、相手は問い詰められたと感じ、機嫌を損ねるということがあります。しかし英語では“Why”という問いには、冷静に根拠を伝えるという掟のようなものがあります。これは感情をいったん脇に置いて話す、という練習になりました。
もちろんいつも中立的な言葉の使い方をするわけではありません。親しい同僚とか家族と話すときなどはそれが自然に崩れますが、そのときは「ああ、自分はこういう風に崩しているんだな」、という漠然とした自覚が常にあります。こんなことは精神分析をやる前には考えたことはなかったのですから、その意味では精神分析的な考え方が私の人生そのものを決定しているということといってもいいでしょう。
ではその中立的な言葉の使い方とはどういうものかといえば、わかりやすく言えば余計な私情を交えない言葉を用いるということです。出来るだけ裏の意味をこめたり皮肉を言ったりせず、中立的な言葉を選択する、といってもいいでしょう。これは精神分析で言えば、逆転移を意識しながら患者を関わるということに相当します。逆転移とは、治療者が自らの感情に流されて、患者の言葉を歪曲してとらえる、というほどの意味です。
人は他人と話すとき、さまざまな個人的な感情や願望の影響を受けています。自分の抱いている興味とか、疑いとか、苛立ちとか、そのほかさまざまな余計な感情を持ち込みつつ人と話しをしています。しかし分析家の仕事が患者さんに自由に話してもらうことにその主眼があるとしたら、それらの余計な感情や願望は、ことごとくその目標に反することになります。それらが入り混じった言葉を話すと、相手はそれに気づいて合わせようとしたり、逆に反発したりして、相手の話が聞けなくなります。
ひとつ例を挙げてみましょう。たとえば患者さんが最近離婚したという話をしたとします。それを聞いた私がたとえば自分だったらどう感じるだろうかと想像して、「それはさぞつらかったでしょうね。」と問いかけたとしたらどうでしょう。ごく当たり前の反応に聞こえるかもしれませんが、ある意味で私の体験をそこに持ち込んでいることになります。なぜなら患者さんは「離婚をしてどんなに清々したか」を話そうとしていたかもしれないからです。私が「さぞつらかったでしょうね」ということで患者さんは「そうか、離婚して清々したなんて話しをしてはいけないんだ。」と思い、私の話に合わせようとするかもしれません。すると患者さんに自由に話してもらうどころか、私が患者さんの話を引き取って誘導尋問に載せてしまうことにつながりかねません。ですからそのような時は、「離婚してどんなお気持ちですか。」という問い方をすることで、さらに患者さんの話にはいっていくことになります。
この種の話の聞き方をしていると、今度は自分が話を聞いて欲しい時の身の処しかたもわかります。それは私がケアを受ける立場にある関係で、あるいはギブアンドテークが成り立っている親しい間柄ということになります。私がバイジーである際は、バイザーがそれに当たりますし、それは配偶者だったりします。その場合は自分が聞いてもらっているのだという意識がありますから、聞いてもらえて助かったという気持ちも多少なりとも芽生えるわけです。
こんなふうに書くと、私は常に模範的な話し方を心がけている、などと誤解を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。結構自由にやっています。私情を交えない話し方は厳密に言えば不可能なことであり、人はお互いに自分の気持ちを表して、あるときは相手に聞いてもらい、別のときは逆に相手の話を聞く、というやり取りをするものです。それに相手の生の感情を知ることが話をよりいっそう興味深く、エキサイティングなものにする可能性が大きいわけですから、そのためにも自分の感情をそこに含めた、中立的でない話をして自分も楽しむということはいくらでもあります。でもそれはどちらかといえばわかってやっている問うところが多く、出来れば自分の話しをするよりは、人の話を聞くと言う姿勢のほうを好みます。もちろん私が言いたいことはたくさんありますが、それはブログなどの形で、聞きたい(読みたい)人だけがアクセスする、という場に限ることにしています。
私がこの中立的な言葉を好むのは、実は私は若いころは人との付き合い方に非常に苦労するところがありました。相手のためにアドバイスをしているのに、なぜ相手に敬遠されるのだろう、とか、人の話を一生懸命聞いていたつもりなのに、相手は満足しないのはなぜだろう、とか悩んだわけです。でもそれは私がさまざまな邪念を持って相手の話を聞いたり相手に話したりしていたということがわかり、大変助かったことを覚えています。
中立的な言葉を話すことを習得する上で、精神分析のトレーニングと同様に大切だったのが、英語での生活だったと思います。英語は母国語ではないために、少しの言い間違いが相手を傷つける、誤解を与えるということが非常に多く起きてしまうのです。それを通して、いかに注意をしながら話すべきかを学びました。また英語には、出来るだけニュートラルに自分の気持ちを相手に伝える言語というところがあります。日本で誰かと議論をしていて、「なぜ?」と聞くと、相手は問い詰められたと感じ、機嫌を損ねるということがあります。しかし英語では“Why”という問いには、冷静に根拠を伝えるという掟のようなものがあります。これは感情をいったん脇に置いて話す、という練習になりました。
2011年4月11日月曜日
「精神分析と言葉」
急遽このテーマでまとめなくてはいけなくなった。細かい事情はここでは述べないとして、例によってこのブログの場を借りることにする。
私は精神分析家、ということになっている。(この持って回った言い方は今後も続けていくことになるだろう。)そして精神分析とはある特殊な形で言葉を扱うプロセスという印象を一般に持たれていることもわかっている。分析家は患者さんの言葉の流れを聴き、それを分析してそこに隠されたものを解き明かしていく、というニュアンスがあるだろう。そして分析家とはそのエキスパートということになるのだろう。
確かにフロイトの時代はそうだったが、現在の精神分析はそれとはずいぶん異なってきている。患者さんの言葉から無意識を解き明かしていくような一定のメソッドなど存在しない。夢は無意識への王道だということをフロイトは言ったが、夢の内容を解釈する方法さえも、多くの分析家が合意したり了解したりしているものはない。ある夢を聞かされた10人の分析家が10通りの異なる解釈をするということだってあるのだ。
むしろ現代の精神分析家たちが考えていることは、精神分析とは患者との共同作業であり、そこである種の環境ないしは世界を二人で構築することであり、その際言葉は欠くことのできない手段であるという理解が一般的であろう。つまり言葉は関係性を媒介する重要な手段であって、それ以上でも以下でもない、ということになり、私もそれに同意している。
それはどういうことか。
私は精神分析的なコミュニケーションは、治療者と患者がある意味で最も親密になるプロセスであると思う。それは両者が一定の距離を保つことで可能となる。そこにおいては、患者が出来るだけ自由に自己表現を出来るような空間が形成される必要であると思う。(そして治療者のほうもある程度は。)もちろん患者はすべてを表現できるわけではない。思いのたけをキャンバスにぶつけて絵を描くといっても、キャンバスを破ったりそこからはみ出していいというわけではない。治療空間もちょうどキャンバスと同じような枠組みを必要とする。(距離、とはそれを保障するのだ。)そしてそこで自由な自己表現を実現するのである。治療者はそれをありとあらゆる形で手助けするというわけだ。
治療空間においては患者はそこでこれまで言葉にしなかったこと、出来なかったことを表現することになるだろう。そこで逡巡し、躊躇し、言った後に驚き、訂正したりする。分析家はそれを聞いて不明な点を助けたり補ったり、質問をしたりしながら、患者さんの話(ナラティブ)を構成していく。だから治療者は言葉に敏感であり、堪能であるべきであろう。しかしそればかりではない。治療者のほうに、自分の考えを押し付けたり、患者の意図を歪曲したりしないだけの自制心や自己観察があって初めて可能になる。
治療者は言葉が堪能でなくてもいい、ということを私は外国で体験したと思う。
もともと私の言葉へのこだわりは相当のものがあったし、それはおそらく音へのこだわりに特に現れていた。中学時代には、英語の時間になると外国人がテキストを朗読している音と、日本人の英語の先生がその後に読む英語がどうしてここまで違うのかということに感動してばかりいるという学生であった。そのうち自分は日本語という言葉にいかに制限されてしまっているのか、いかに世界が狭くなってしまっているのか、ということを考えるようになった。言葉は人とコミュニケーションを行う際の鍵であり、自分は日本語の鍵しか持っていないことが残念に思うようになった。私はこうして若くして日本を飛び出したというところがある。
そのアメリカで私は精神分析のトレーニングを行ったわけであるが、最初は言葉が不自由で分析なんか受けられるのかと思った。私が分析を受けた最初のころであるが、母親との思い出を話していて言葉が詰まってしまったことがある。昔久しぶりに田舎に帰ったら、おふくろが小さなお結びを二つ、お弁当用に作ってくれた。それを下宿先に持って帰るのを忘れたのだが、それに気がついた母親がどんな思いをするのかかわいそうに思い、というよりはお結びがかわいそうになり、二時間もかけて田舎に引き返した、という話をしようとしたのであるが、「お結び」が英語で表現できない。rice ball では絶対ない、オムスビ、じゃないとダメ、という気持ちになった。だから精神分析がうまくいかないとしたら、英語のせいかもしれないとさえ思っていた。しかしそのうち言葉が出ないということは、カウチの上で子供返りしたようなものであり、かえって悪くないこともある、ということを当事一緒に留学していた和田秀樹先生と話したことを覚えている。(彼も分析家との間で同様の体験をしていたのだ。)
さて私はその後分析家の卵として患者と接することになったのだが、言葉のハンディということについては、少なくともそれが治療にとって主たる障害となることは避けることが出来たと思う。それはやはり言葉の巧みさや流暢さではなくて、先ほど述べた「ある種の世界」を作るための営みが可能かどうかということが問題なのであり、英語を一定程度こなすことが出来れば、それをクリアーできるということを学んだのである。2004年にアメリカを去る時までには、私は同僚に「僕の英語にはアクセントなんてないよ」といって笑いを取ることができるようにはなっていたのだ。
私は精神分析家、ということになっている。(この持って回った言い方は今後も続けていくことになるだろう。)そして精神分析とはある特殊な形で言葉を扱うプロセスという印象を一般に持たれていることもわかっている。分析家は患者さんの言葉の流れを聴き、それを分析してそこに隠されたものを解き明かしていく、というニュアンスがあるだろう。そして分析家とはそのエキスパートということになるのだろう。
確かにフロイトの時代はそうだったが、現在の精神分析はそれとはずいぶん異なってきている。患者さんの言葉から無意識を解き明かしていくような一定のメソッドなど存在しない。夢は無意識への王道だということをフロイトは言ったが、夢の内容を解釈する方法さえも、多くの分析家が合意したり了解したりしているものはない。ある夢を聞かされた10人の分析家が10通りの異なる解釈をするということだってあるのだ。
むしろ現代の精神分析家たちが考えていることは、精神分析とは患者との共同作業であり、そこである種の環境ないしは世界を二人で構築することであり、その際言葉は欠くことのできない手段であるという理解が一般的であろう。つまり言葉は関係性を媒介する重要な手段であって、それ以上でも以下でもない、ということになり、私もそれに同意している。
それはどういうことか。
私は精神分析的なコミュニケーションは、治療者と患者がある意味で最も親密になるプロセスであると思う。それは両者が一定の距離を保つことで可能となる。そこにおいては、患者が出来るだけ自由に自己表現を出来るような空間が形成される必要であると思う。(そして治療者のほうもある程度は。)もちろん患者はすべてを表現できるわけではない。思いのたけをキャンバスにぶつけて絵を描くといっても、キャンバスを破ったりそこからはみ出していいというわけではない。治療空間もちょうどキャンバスと同じような枠組みを必要とする。(距離、とはそれを保障するのだ。)そしてそこで自由な自己表現を実現するのである。治療者はそれをありとあらゆる形で手助けするというわけだ。
治療空間においては患者はそこでこれまで言葉にしなかったこと、出来なかったことを表現することになるだろう。そこで逡巡し、躊躇し、言った後に驚き、訂正したりする。分析家はそれを聞いて不明な点を助けたり補ったり、質問をしたりしながら、患者さんの話(ナラティブ)を構成していく。だから治療者は言葉に敏感であり、堪能であるべきであろう。しかしそればかりではない。治療者のほうに、自分の考えを押し付けたり、患者の意図を歪曲したりしないだけの自制心や自己観察があって初めて可能になる。
治療者は言葉が堪能でなくてもいい、ということを私は外国で体験したと思う。
もともと私の言葉へのこだわりは相当のものがあったし、それはおそらく音へのこだわりに特に現れていた。中学時代には、英語の時間になると外国人がテキストを朗読している音と、日本人の英語の先生がその後に読む英語がどうしてここまで違うのかということに感動してばかりいるという学生であった。そのうち自分は日本語という言葉にいかに制限されてしまっているのか、いかに世界が狭くなってしまっているのか、ということを考えるようになった。言葉は人とコミュニケーションを行う際の鍵であり、自分は日本語の鍵しか持っていないことが残念に思うようになった。私はこうして若くして日本を飛び出したというところがある。
そのアメリカで私は精神分析のトレーニングを行ったわけであるが、最初は言葉が不自由で分析なんか受けられるのかと思った。私が分析を受けた最初のころであるが、母親との思い出を話していて言葉が詰まってしまったことがある。昔久しぶりに田舎に帰ったら、おふくろが小さなお結びを二つ、お弁当用に作ってくれた。それを下宿先に持って帰るのを忘れたのだが、それに気がついた母親がどんな思いをするのかかわいそうに思い、というよりはお結びがかわいそうになり、二時間もかけて田舎に引き返した、という話をしようとしたのであるが、「お結び」が英語で表現できない。rice ball では絶対ない、オムスビ、じゃないとダメ、という気持ちになった。だから精神分析がうまくいかないとしたら、英語のせいかもしれないとさえ思っていた。しかしそのうち言葉が出ないということは、カウチの上で子供返りしたようなものであり、かえって悪くないこともある、ということを当事一緒に留学していた和田秀樹先生と話したことを覚えている。(彼も分析家との間で同様の体験をしていたのだ。)
さて私はその後分析家の卵として患者と接することになったのだが、言葉のハンディということについては、少なくともそれが治療にとって主たる障害となることは避けることが出来たと思う。それはやはり言葉の巧みさや流暢さではなくて、先ほど述べた「ある種の世界」を作るための営みが可能かどうかということが問題なのであり、英語を一定程度こなすことが出来れば、それをクリアーできるということを学んだのである。2004年にアメリカを去る時までには、私は同僚に「僕の英語にはアクセントなんてないよ」といって笑いを取ることができるようにはなっていたのだ。
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