結局次の様に言えるだろうか。人はDIDの演技をして他人を信じ込ませることは可能だろう。(ただし短時間なら、である。そしてそれは統合失調症についても、躁鬱病についてもいえる。)完璧なシナリオに従い迫真の演技が出来れば、精神科医だって初診の一回の面接内ではそれが現実のDIDであると信じるだろう。「だったらみなそうやって精神科医をだますことが出来るだろう」という話になるが、たいていはそこまでの演技をしてまで病を装う必要のある人はいないのだ。それにどのような演技もその人の日常生活にまで持ち込まれることはない。精神科医は初診以降長く、そしてより多くの文脈で接することで、その人が演技しているならばそれを見抜くことになる。また現実に日常的にその人に接している人を欺くことはより困難なのだ。(逆にDIDであることを家族に隠ぺいすることなら、かなり頻繁に成功裏に行われている。)
そして話はビリー・ミリガンに戻る。彼は演技はしていなかったであろう。身近な人はかなり一貫した彼の24のパーソナリティに折に触れて接することになった。ネットフリックスのドキュメンタリーに出てきたビリーの母親は、彼がごく若いころから人格のスイッチングを目撃していたことを証言している。
ただしビリー・ミリガンのすごさは、高度の知的レベルであり、あれほどの多彩な人格がそれぞれ完璧なまでに精緻化されるためには、かなりのインプットをたちどころに消化することが出来る頭脳が備わっているはずだ。例えばレイゲンは極めて限られた時間にユーゴスラビア語を取得したことになる。それは驚くべきスピードでなされたのだろう。彼はおそらくある環境でユーゴスラビアを母国語で話し、英語を片言で話す人に接したことがあるはずだ。実際に遭ったり、何らかのメディアを通じて接したのであろう。そしてその人格を完璧なまでに取り込んで精緻化させた。これは並々ならぬ才能ということになり、その際に彼の脳に起きていたであろうことは幼少時の非常に高い可塑性を再現していたことになる。たとえるならば彼はIPS細胞のようになって環境に反応し、適応するということを繰り返したことになる。あるいは幼少時にそのユーゴスラビア人に一定期間出会ったのだろうか。
私も最近成立したという英語を話す人格を有するDIDの方に会ったことがあるが、その英語は幼少時に子供が学んだ片言ではなく、成人して学んだ英語に近いものであった。このことからもビリーに生じたことは特別であったことがわかる。