2020年7月31日金曜日

ミラーニューロンと解離 6

ここでさらに具体的に、母親と幼児とのかかわりあいを考えよう。母親に微笑みかけられた幼児は、それを一つの受動的な体験として持つ。その時幼児は微笑みかけるという能動態にある母親の間接体験を、MNS を介して持つ。しかし同時に微笑みかけられるという受動態の直接体験を持つ。後者はのちに述べるように、それに伴う知覚体験や感情体験が重要な位置を占めるだろう。こうして微笑みかけられるという体験は、二者性を有する。つまり微笑みかけている人間の心を同時に体験しているのだ。(それとは別に、モデルがこちらに微笑みかける写真を見たり、そのような録画を見た際は、自分が微笑みかけられているという体験を持たないであろうし、そこで微笑みかけてくる相手のMNSを介した間接体験はゼロか、極めて希薄になるはずだ。)

さてこの微笑みかけられた体験はMNSを介して模倣され、幼児は結果的に母親を微笑み返すであろう。こうして母子は相互に微笑み合うという行動を取るであろうが、それは両者の基本的な情緒的やり取りとして促進されることになる。そしてそこでは受動態での体験の際の知覚、情緒的な体験が重要な意味を持ち、それが繰り返される背景には報酬系の後押しがあると考えられる。

母親から微笑みかけられると、それはおそらく優しいトーンの声、撫でられる感覚、温かさなどのマルチモーダルな快感を伴った諸体験とセットになって子供に体験されるだろう。そして幼児がそれを模倣して微笑み返す際、それを受け取った母親の示す反応もほぼ同時にMNSを介して体験されることになる。それは自分が微笑みかけられたときに体験した快感と同類のものを母親に及ぼしているという感覚を伴うであろう。このように母子間の微笑み合うというやり取りは、そこに快感というマルチモーダルな快感を伴うことで促進されるはずだ。

この交互の微笑みは、幼児の自己感、能動感、対象イメージの取入れなどの対人交流をはぐくむうえで基本的な要素をすべて含んでいるといえる。そしてそこでは無論MNSの賦活が重要な役割を占めるだろう。自分の行動が相手にどのような体験のされ方をしたのかは、MNS介して直接的、自動的に相互に伝えられるのである。

2020年7月30日木曜日

ミラーニューロンと解離 5

このミラーニューロンの理論が重要なのは、それが私たちが通常持つ能動性、自分は自分であるという感覚がこのミラーニューロンのシステムを介して成立しているという可能性を示唆していることだ。例えば自分が自分で行動しているという感覚は、自分が自主的に動かした手足がそれがかかわっている対象物とのやり取りを介しての感覚入力を伴うことで完結する。
 この問題について少し付け加えて説明するならば、例えばある行動を行っている時と、隣人がそれを行っている時には、おなじMNが興奮を示すことになるが、自分が行っている時には特定のニューロンが抑制されることで、両者に差異を設けている。それによりその行動を自分が行っているのか、他者のものなのかの区別がつき、それはある意味では自他の区別がMNSを介して自動的に体験されるということを意味する。
 そしてそれはまたこのMNSの不具合が複数の人格の存在をある程度説明してくれる可能性があるからである。

 模倣とミラーニューロン

MNSが人間の持つ模倣の能力と深くかかわっていることについてはいくつかの考察がある。(Meltzoff, 日本では明和など)霊長類の中でも模倣を得意とするもの(オランウータンなど)とそうでないもの(チンパンジーなど)があるが、人間の模倣能力はずば抜けて高く、それが私たちの社会的なコミュニケーションの能力の高さと深く関係していると考えられる。ミラーニューロンの働きに関する基本的な理解と前提に基づいた思考実験を始める。
 たとえばAさんがBさんに微笑みかけたとする。Bさんとしては微笑みかけられたという体験になる。ここでAさんの微笑みかける体験と、Bさんの微笑みかけられる体験は本来別々のものだ。しかしおそらくAさんに微笑みかけられたBさんはAさんに微笑み返すであろう。そしてそれは双方向性という点で、単なる模倣と異なる行動と言える。そして体験したBさんの心の中では、微笑みかけられるという体験と微笑みかけるという体験の二つは一つの体験の受動態と能動態の連続、という以上に緊密に結びついていることになろう。またこれらが連続して生じるのは偶然の産物ではない。微笑みかけられた人は、必ずと言っていいほど微笑み返すのだ。人と人との会話を観察していると、この現象が実に顕著にみられることが分かるだろう。微笑みかけは、ほぼ自動的に微笑み返しにつながる。相手の行為をまねすることが、相手に対する能動的な働きかけになるとは、実にうまくできていることになる。

2020年7月29日水曜日

ミラーニューロンと解離 4

DIDのケースでNPS(普通のパーソナリティ状態)の時はトラウマスクリプトと非トラウマスプリプトを読み聞かせても、脳の反応性の差がなかったという所見は、極めて重要な示唆を与えてくれている。両スクリプトで差を示さなかったということは、NPSの人格さんはトラウマスクリプトに関して特に異なる対応をしていないことになる。無意識のうちにトラウマスクリプトに対して前頭葉の活動などにより反応にストップをかけていた、というわけではなく、トラウマは本当に「他人事」として体験されていた可能性があるのだ。すなわちNPSの状態では、トラウマスクリプトを無意識レベルでさえも体験していないということになる。
 一般に解離性障害の場合に一つの心を想定した場合、そこにはある種の無意識的な交流が成立していることになる。それは生物学的には自律神経レベルでの反応性と考えることができるだろう。しかし複数の心の場合にはそこに交流がない。NPSの状態ではトラウマスクリプトに対していかなるレベルでの反応も見られないということは、それがTPSとは独立した、タイプ2の解離を成立させているということになる。これが NPS と TPS が独立したダイナミックコアを使用していると考える根拠となる。

解離性障害における別人格の成立の背後にはミラーニューロンの失調が関係しているのではないかという可能性が否定できないが、まずミラーニューロンの研究の歴史について簡単に触れたい。
 ミラーニューロンはイタリアのパルマ大学のジャコモ・リゾラッティらによって、1996年に発見された。彼らが示したのは、マカクザルはある他者の行動を見たときに、それを自分が行うという準備性と共に体験する神経システムを備えているということだった。そして同様の細胞は人間においても見られるという事を見出した。ミラーニューロンとはある行動に関して、それを自分が行うときも、それを誰かが行うのを見るときにも共に興奮するような運動性のニューロンである。そしてそれが存在するということは、サルや人はあたかも他者の意思を鏡のように映し出す力を持っているということである。

イアコボーニはその著書の中で、ミラーニューロンは、様々な脳の部位と結びつくことでそれを中心としたニューロンのシステム(「ミラーニューロンシステム」)を形成し、その発火のパターンの違いから、主体に自他の区別、能動性と受動性の区別、ないしは空想と現実の区別を促すと述べた。

このミラーニューロンの理論が重要なのは、それが私たちが通常持つ能動性、自分は自分であるという感覚がこのミラーニューロンのシステムを介して成立しているという可能性を示唆している。そしてそれはまたこのMNSの不具合が複数の人格の存在をある程度説明してくれる可能性があるからである。


2020年7月28日火曜日

ミラーニューロンと解離 3


私はこの論文でいわゆるジャネの第二の法則について論じた。Janet の理論は二つの間を揺れ動いたようであるが、結局はdivision よりはmultiplication の方を選択したようである。彼は「解離においては、何一つとして主たる人格からちぎれ落ちることはない!nothing breaks off」と頼もしい言葉を残している。
私はエデルマンやトノーニの論述を援用して、心ないしは意識の脳科学的な対応物として、ダイナミックコアモデル、ないしは「視床―皮質モデル」である。この概念の特徴は、意識を情報をつかさどるニューラル・ネットワークと同義のものとして扱っているということである。そして視床と皮質の間に極めて緻密で両方向性の情報のやり取りを想定しているということである。そして彼らのモデルが、意識をunitary and integrated ととらえているということである。またこのダイナミックコアは、視床や皮質の解剖学的な対象性を考えた場合、私たちの心に一対(二つ)存在すると考えることができる。

このモデルを理論的に支えるのが分離脳の研究であり、この所見が示すのは、左右のペアのダイナミックコアを分離しても、意識が存在しうるということである。(右脳が勝手に行動し、左脳はそれを理屈づけるというパターン。)しかも両者の考えは葛藤というよりは解離しているという印象を抱く。ともかくも心は機能するためには両側を必ずしも必要としないこと、そして左脳、右脳はあたかも別の心のような反応を見せるということが示唆するものは強烈である。しかも左右脳が別々の感情表現をするならば、それが偏桃体を含む大脳辺縁系を「別々に使っている」ということすら意味しているといえるだろう。

そこで私が仮説的に取り上げたのは、ダイナミックコアが重なり合うという図式である。それぞれの人格部分が異なるダイナミックコアを有する。これがどのように行われるのかはわからない。いくつかのネットワークのパターンを用いているのか、それとも異なる周波数を用いているのか、左右に分かれているのか、それとも人格部分ごとに、使用する皮質や視床の部分が局所的に分かれているのか、ということである。

2020年7月27日月曜日

ミラーニューロンと解離 2


もし脳内にAさんとBさんが異なる脳内の基盤を持っていることが理論的に説明できるのであればこれらの懸念はなくなるであろう。極端な話だが、人格Aの活動中に右脳のみが興奮し、Bさんの場合は左脳のみが興奮したとしたら、それを示すことでAさんとBさんは違う意識、人格という点を強調できるかもしれない。(残念ながらそれは実際には起きないが、分離脳 split brain の実験を考えた場合は、事実上そのようなことが起きているのである。)
私はこの問題について以前の論考でいわゆるダイナミックコアの理論を援用した人格の形成プロセスについての仮説を唱えた。(Problem of ‘‘otherness’’ in dissociative disorder European Journal of Trauma and Dissociation, 2019. )そこでの論述を要約するならば、解離性障害においては「他者性」が非常に大きな意味を持ち、交代人格の在り方を理解するうえでも、どれだけこの他者性を有しているかを理解することがカギである。ところが交代人格を完全なる他者ととらえる臨床家は少ない。精神分析の伝統では、あくまでも心は一つという方針が変わることはない。しかしそれは解離を扱う臨床家にとってもあまり変わりない。その原因としては、おそらく解離についての論者の多くが、交代人格の存在を精神の分割 division の結果としてとらえ、増殖 multiplication の結果としては論じないという傾向にあるとした。そもそも20世紀の初頭に意識のスプリッティングが盛んに論じられたとき、そこで問題になっていたのは本来一つの心が分割されるという意味であった。しかしジャネをはじめとする何人かの論者は、むしろ意識が一つから二つ、三つと増殖していくことが解離の本質と考えた。そしてこの分割化、増殖か、という点をあいまいにすることが、解離における他者性を論じるうえでの混乱を招いていたのではないか、というのがそこでの主張だった。

2020年7月26日日曜日

ミラーニューロンと解離 1

解離性同一性障害における交代人格の成立プロセスについて、ミラーニューロンシステムとの関係から仮説をもうけることが果たしてできるだろうか。
 解離性同一性障害は、症状のcounter-intuitiveな性質もあり、一人の人間が複数の心を持つという現象が一般人はおろか、一部の臨床家の理解を得られていないという事情がある。そしてDIDの脳科学的な基盤がほとんど解明されていないという事情は、その傾向を後押ししているという印象がある。
 DIDにおける異なる人格の個別性が十分に理解されないことで生じる問題は、個々の人格の存在がそれとしてリスペクトされないという事である。そして彼らはあたかも一つの人格の別部分として、つまり個別性を尊重されずに扱われてしまう傾向にある。

· しかし考えてもみよう。それぞれの人格が自我を有していたとする。具体的にはヤスパースのいう自我を構成する4条件、すなわち
· 【能動性】 自分の思考や行動が自分から発せられている(空間的には自分という意識の中に他者なるものは存在しない)
· 【単一性】 自分が単一であって二つでない(自分の限界を越えて外界や他者の中に自分は存在しない)
· 【同一性】 時間的にも同一である(時間的にも連続性を保持している)
· 【限界性】 自分が他人や外界と区別される(頭に浮かぶ考えや行動を自らが主体的に行っているという意識がある)

がすべて揃っていたとする。それはもう立派な自我であり、主体なのだ。実は前報告ではそのことを示したわけだが、個別の自我が、例えばこのように言われたらどうだろうか? 「あなた(Bさん)は結局Aさんの心の一部です。やがてはあなたはAさんと統合されなくてはなりません。なぜならあなたはAさんから分かれてできたのですから。」
 これはBさんの人権を軽んじていることにはならないか? しかし解離性障害の臨床ではザラの話だ。さらに言えば、「貴方は自分がBさんだと思い込んでいるだけです。」という事を医療側から言われたりすることさえある。この場合Bさんの人権はほとんど抹殺されたといっていい。

2020年7月25日土曜日

スターン、ブロンバークの解離 2


さてブロンバーグの解離とエナクトメントの関連性についての理論がある。こちらもとても面白く、画期的な議論である。ブロンバーグによれば、トラウマは私たちの人生で常に起きていることであり、一つの関係性、例えば母と子の関係の中で普段と全く一致しない情動や知覚が処理されなくてはならない場合に、解離が起きる、と述べる。その典型はトラウマというわけだ。そして解離の患者さんは葛藤を体験できない、といういつもの理論が出てくる。
しかし解離が葛藤なしに生じるという事ではなく、葛藤と解離は弁証法的な関係を有する、という。なんかよく分からないな。まあいいや。そしてこの解離された部分はサリバンの not-me に相当するものだというのだ。そしてこの not-me の部分がエナクトメントにより体験され、統合されると考える。
さてエナクトメントは基本的には対人関係において生じる、と考えるブロンバーグは、治療者によりエナクトされた部分は、患者により体験され、患者によりエナクトされた部分は治療者により体験されるという。この理論はあとで検討するが、少なくとも一つ言えるのは、解離されたものは依然として人の心の内側にあるということだ。ただしそれは象徴化されていないものだという。
スターン、ブロンバークの論文は、ここに述べた言説を何度も繰り返すことにより成立しているという感じだ。だから結局は解離は、たとえそれが常に対人関係の中であるとはいえ、一つの心の中だけで起きている現象と言える。
さてこの相互のエナクトメント、相互の体験とはどのようなことを意味するのだろうか。おそらく患者、治療者間に限定されるものではなく、ABの二人のいかなる組み合わせにも一般化できよう。AさんがBさんに対して愛憎混じった複雑な気持ちを持つ。(ただし葛藤的な気持ち、と言ってはいけない。自分は複雑な気持ちを持っているという事を知らない、という事を前提としなくてはならない。なぜなら葛藤がないことが解離の条件だからだ。)
AさんはBさんに愛情を感じている。ところがなぜかBさんに会おうという気持ちがわかない。後者はAさんに象徴化されていない、つまりそのように意識化されていないBさんへの嫌悪であり、それはBさんに接近しないという形で表現されているエナクトメントと考えよう。次にBさんの側から。BさんはAさんに嫌悪感を持っている。しかしAさんの元を離れようとしないというエナクトメントを示す。BさんがAさんに愛着を持っているという事は彼の頭には浮かばない。なぜならそれは象徴化されていないからだ。さてそんなBさんは自分に近づかないAさんを見て、Aさんからの嫌悪を体験している。Aさんが解離しているものをBさんは体験するというわけだ。一方Aさんは自分のもとを去らないBさんを見て「Bさんは私に愛情を向けている」と体験する。
さてAさんとBさんの関係が維持されるためには、例えばAさんはBさんとの関係を利用価値のあるものと感じているという事情があるなどの付加的な条件がなくてはならない。あるいはAさんはBさんからの接近を拒否することに罪悪感を覚えている、でもいい。さらにはBさんしか友達がいないので、Bさんと離れるといよいよ友達がいなくなってしまうから、Bさんと離れないでいるという事情があるかもしれない。
私はこのような関係は母子の間でよく見かけるような気がする。母親は娘を愛しているが、同時にその成長を阻むようなことをしてしまう。そしてその目的に全く気が付いていない。自分は純粋に娘を愛していると思っている。娘はその母親の振る舞いから母を憎む。しかしその母親のもとを結局は離れない。母を愛しているという事になるが、それは意識されない。娘の中でそれは解離されている。しかしそれは母親によっては体験されていることになる。「娘は私のもとを去らない。という事は私を愛しているのだ。」
私はこのブロンバークの理論はわかるのだが、ではこれが抑圧とどう違うか、と尋ねたくなってしまう。彼ならそれに対してこう言うだろう。「いや、抑圧なら、愛情と相半ばした憎しみは同時に体験されていて、その心に葛藤を起こしているだろう。」となる。しかしこれは程度問題ではないだろうか。むしろ解離されたものと抑圧されたものにはグラデーションが存在することになりはしないか。当人が解離されている気持ちをどの程度感じ取れるかによって、解離と抑圧の両極の間のどこかに位置する。しかしいずれにせよこれはことごとく一つの心の中の理論なのである。

2020年7月24日金曜日

スターン、ブロンバーグのいう解離 1


ドネル・スターン、そして最近亡くなったフィリップ・ブロンバーグは米国の精神分析において解離理論を積極的に取り上げている分析家である。
スターンのよく知られた論文「the eye sees itself. dissociation, enactment, and the achievement 2004」で彼の解離 dissociation の用い方を見ると、完全に古典的な精神分析理論からの考察という印象を受ける。
実はこの件はもう英文にしてある(投稿中)。
そこでこんなことを書いている。と言って1年前の原稿を取り出すと、けっこう書いているではないか!!! 我ながらよく書くなあ。
スターンによれば、解離はそもそも防衛的な過程である。解離は主としてトラウマの過程で考えられているが、耐えられない状況での自己防衛的なプロセスなのだ。Stern, 2009, p. 653」結局分析的な文献の調子は、このような防衛モデルである。そしてフロイトが「ヒステリー研究」の段階で持っていた解離に関する理論と極めて異なっている部分と、似ている部分があるのだ。異なっている点は、スターンが解離が防衛の役割を果たしているという立場を取るのに対して、フロイトは解離ではなく、抑圧が防衛においてメインな役割を果たすという点である。しかしフロイトの言っている抑圧と、スターンの言っている解離を同じものと見なせば、両者はかなり似通ってものになる。両方とも防衛として自動的に生じるというニュアンスがあるからだ。
さてそのうえでスターンとブロンバークが何を言っているのかをまとめると、結局無意識は、すでに形を成した内容が詰まっている、という考え方であるという事だ。
スターンはそれを真実に対する対応物モデルcorrespondence view of truth と呼ぶ。スターンたちの主張は、フロイトは無意識にある意味が、意識化されると考えたのに対して、「意味は意識化される際に生み出されるmeaning is created as it becomes conscious,」のだという。
ここら辺の主張はまさに現代的な思想を反映したものと言えるが、それが示唆していることはかなり意義深い。確かに無意識概念はこれでいいだろう。しかしこれがスターンらの文脈では解離に結びついているところが問題だ。あたかも解離されているものは形を成していないが、意識化される際に形が与えられるという。それはAさんにとって解離されているものが立ち現れる際の主観的な体験としてはわかる。しかし解離されているものは実は形や意味を既に与えられている場合が多い。ここが矛盾する点なのである。

2020年7月23日木曜日

解離的な転回 dissociative turn


「解離的な転回」に含まれる二段階
 Sheldon Iszkowitz という分析家、はいわゆる解離的な転回 dissociative turnが精神分析において生じているという。
Itzkowitz, S (2015) the Dissociative Turn in Psychoanalysis. Am J Psychoanal. 75(2):145-153.

彼は最近の精神分析において、「解離の過程、すなわち複数の不連続的な意識の中心により特徴づけられる解離的な構造に対する注目が集まり、それらの断片化されている患者(強調は引用者)の精神分析的な仕事の治療の目標は解離した自己状態の間の交流と理解を成立させることだ」とし、そのようなパラダイムの変化を解離的な転回とする。
   The actuality of trauma during infancy and early childhood is recognized as a key factor leading to the emergence of dissociative processes, the potential dissociative structuring of the mind, and mind being characterized by multiple, discontinuous, centers of consciousness. The therapeutic goal in the psychoanalytic work with fragmented patients is to establish communication and understanding between the dissociated self-states. The author offers two brief clinical examples of working with dissociated self-states.(P145.

この提案は頼もしく、しかし同時に物足りないものとなっている。それはこの短い文にすでにあるドグマが見られるからだ。それはそれらの「断片化された患者」(強調部分)という表現である。複数の人格の存在と、人格(自己?)の断片化が等価に置かれるとき、一つの心が分割でき、複数の意識を生み出すという考えを暗黙の裡に認めていることになる。しかし実は一つの心がわかれることはない。主体の体験は常に単一であり、したがって人individual の心は基本的には単体であり、indivisible である。意識は単一性を一つの特徴とする。それ自身は分けることができず、「断片化された意識fragmented consciousness」は形容矛盾となる。断片化された意識はなく、あるのは複数の意識、ということになる。確かに解離においては複数の心に分かれた存在がありうる。それはいわゆる解離dissociation と言えるが、複数の意識の存在による解離の場合はそれとは異なるDissociation と呼んで区別する必要がある。その意味で解離的な転回は実は2段階あることを提唱しなくてはならない。第一段階はここでSheldon Itzkowitz が述べるそれであり、もう一つは複数の意識の共存を考慮に入れた治療論の必要性を理解するということになる。しかしそれにしてもどうしてこれほど自明なことを人は勘違いし続けるのだろうか。その一つの原因は、内在化internalization の概念であると考えられる。ある心が入り込む、と考える場合、それは心の内部にもう一つを宿す、ということを意味し、もう一つの心の追加、新たな生成というニュアンスから離れるのである。

2020年7月22日水曜日

「もう一つのシーンanother scene」という概念と解離

精神分析において他者性を論じようとしても、文献的にはかばかしいものはない。その中で使うことのできそうなものが、「もう一つのシーンanother scene」という概念である。フロイトはこれをフェヒナーの eine andere Schauplatz から引用し、夢はそもそももう一つのシーンで生じるといったという。そしてフロイトはこれは決して解剖学的な局所とは違うといった。ちなみにラカンはこの語に注目し、これを他者Other の概念に結び付けたとする。
ちなみにラカンによれば次のような分類が可能となる。いずれもアクティングアウトのことを言っているが、フランス語では行動に移すことPassage a l’acte と訳されることが多い。そしてラカンはこれは acting out と区別されるべきものであるという主張を行っている。
l  Acting out これは依然としてそのシーンの中で生じ、象徴界での出来事である
l  Passage a l’acte そのシーンを出た、現実界での出来事である。

特にこの後者については、total identification with the other and hence an abolution of the subject.だという。ラカンはどこまで考えたかわからないが、後者は完全に解離の話である。
さてこの理論と解離現象とは結構よく符合している。アクティングアウトで生じることを主体がどの程度把握しているかということはとても大切である。小文字か大文字かの区別もそれに深く関係していると考えられる。
さてこの問題といわゆるエナクトメントとの関係も難しい。ブロンバークなどによるとエナクトメントは解離と関係しているというわけだから、こちらとPassage a l’acte はより近いという関係にあるのだろうか。ブロンバークも解離で生じていることは象徴化されない、ということを言っている。これは果たしてどのような意味なのか。
ブロンバーグを引用してみる。秘密というものは、・・・自己が保持している主観的な現実が「翻訳の間に失われてしまった」という事情によって、「私ではない私 not me」とならざるを得なかった自己についての暗黙の記憶という形で情動的な経験を含んでいる。これらの自己-状態は、言葉によって意思伝達可能な状態にはないのだが、その理由は、人間関係の中で存在することを許されているようなある一つの「私」というものの全般的なあり方の中で、それらは象徴的意味を持つことを否定されているからである。」(P52)つまりこれは行動に表された場合にはラカンのPassage a l’acte ということになる。このような心の内容の在り方は否定しないし、それもまた解離dissociationであろうが、問題はもう一つのシーンで、そこではすっかり象徴化されている内容が出来上がっているという事態、すなわちDissociation という事態なのである。

2020年7月21日火曜日

解離における他者性と治療的な意味合い

解離性障害における交代人格の「他者性」について考えた場合、その治療的な意味合いはかなり変わってくる可能性がある。特に統合の意味合いがこれまでと異なってくるだろう。従来解離性同一性障害の治療目的の一つとして考えられてきた統合はその意味の大部分を失うことになるかもしれない。なぜなら従来は別人格は主人格が十分に表現されてこなかった部分を代弁しているものと考えられる節があったからだ。だからその人が完全な人になるためには統合が必要と考えられたのである。
このような考え方は、DIDを基本的にはトラウマ関連障害としてみなすという流れに一致している。例えばある治療期間のサイトから拝借した次のような文章を見よう。「トラウマを負った人はことごとく、その治療プロセスとして統合を考えなくてはならない。それはトラウマが生じたことを受け入れ、そのことをその人の個人的なナラティブに組み込み、それをフラッシュバックのような体験なしにアクセスできなくてはならない。Every individual who has been through trauma must integrate to some extent as part of healing. This means accepting that the trauma occurred, making it part of one's personal narrative, and making it accessible in a way that does not cause intense re-experiencing of trauma elements. https://did-research.org/treatment/integration.html
しかしこれは本当だろうか。これも心は一つというモデルに従えばそういうことになる。Aさんの心のどこかにトラウマa,b,c….. についての痕跡がある場合は、日常生活でもことあるごとにそれが引っかかってくるだろう。するとそれは何らかの形で取り込まれなくてはならないという運命にある。しかしbというトラウマはBさんという人格により体験され、cCさんによって体験され、しかもBCさんは、Aの活動中はほとんど寝てしまっているとしたら、その統合の目標はそのまま維持されるべきなのであろうか。
もちろんここで「寝ている」という表現自体が微妙であることは確かだ。無意識に抑圧されているものも「寝ている」と表現されうるかもしれない。しかしB人格がその体験もろともAにとって解離されているとしたら、それを統合する必要性はどこにあるだろうか。そして「他者性」とはいいかえればAの活動中にBCが互いに全くアクセスできないという状態として最も典型的な形で表現されることになる。

2020年7月20日月曜日

ミラーニューロンの失調と他者性の出現 書き直し


解離性障害における別人格の成立の背後にはミラーニューロンの失調が関係しているのではないかという仮説を提示するのが、本章の目的である。しかしその前に、まずはミラーニューロンの働きに関する基本的な理解と前提から始めよう。AさんがBさんに微笑みかけたとする。ここでAさんの微笑みかける体験と、Bさんの微笑みかけられる体験は本来別々のものだ。それを見ている第三者は、それらが別々の体験であり、それを疑似体験するときにもAさんとBさんのどちらに注意を向けるかにより、一度にそのどちらかしか体験されないであろう。そしてそこにかかわるミラーニューロンは基本的には別個なもののはずだ。
もちろん話はこれで終わらない。おそらく観察者Aさんに微笑みかけられたBさんはAさんに微笑み返すであろう。すると第三者はある行動の受動態と能動態とが連続して一つの流れを構成しているのを見ることになるが、そのままではやはり二つの異なる行動の連続でしかないはずだ。
しかしこれを実際に体験しているBさんの心の中では、微笑みかけられるという体験と微笑みかけるという体験の二つは緊密に結びついていることになろう。そもそもこれらの行動が連続して生じるのは偶然の産物ではない。微笑みかけられた人は、必ずと言っていいほど微笑み返すのだ。人と人との会話を観察していると、この現象が実に顕著にみられることが分かるだろう。微笑みかけは、ほぼ自動的に微笑み返しにつながる。相手の行為をまねすることが、相手に対する能動的な働きかけになるとは、実にうまくできていることになる。
ここでもう少しわかりやすく、Aさん=母親、Bさん=幼児、としよう。幼児の中で母親に微笑みかけられるという体験は、ミラーニューロンを介して微笑み返すという行動を導くようになるであろう。しかしそれに先立ち、母親から微笑みかけられたときに同時に優しいトーンの声、撫でられるという感覚、温かさがセットになっているだろう。微笑みかけられるという受動態の体験はそれらの快感を伴い、模倣することは、微笑み返すという能動的な体験とともに態と一致し、そこに必然的に心地よさや安心感を伴うことで促進される、というのが、母子のコミュニケーションの出発点であろう。そしてここでは、微笑む、微笑みかけられる、という二つの行為のミラーニューロンシステムは同時に賦活化されているはずだ。あるいは二つが交互に活性化されるという形をとるのかもしれない。このようにしてやり取り一般は一つの行動の受動態と能動態のミラーニューロンシステムが同時に、ないしは交互に賦活すされるという形態をとるのであろう。
次に幼児が母親から激しく叩かれるという状況を考えてみよう。この場合は、微笑みかけられる場合と異なり、幼児はある種のトラウマ的な体験を持つことになる。そしてその際には前部帯状回が情動に関与する部位、すなわち扁桃核を含む大脳辺縁系を抑制するという可能性を最近の研究が示唆している。そして幼児の心はあたかも麻酔をかけられた状態(つまり解離状態)となり、そこでは通常はミラーニューロンを介した母親の行動の模倣を通じての応答は成立しなくなるであろう。
その結果として生じる可能性があるのは、いわゆる体外離脱体験である。すなわち叩かれて感じるはずの痛みや触覚的な入力が得られないことで、幼児は自分自身を叩かれるという受動態での体験者と見なすことが出来ない。そこで外部に急ごしらえで設けられた新たな主体(別人格)の位置から叩かれる自分を観察するという事態が生じる可能性がある。
更にもう一段階深刻な体験として起こり得るのは、叩くという能動態のミラーニューロンシステムのみが作動するという場合である。叩かれるという受動的な体験を持っているにもかかわらず、自分は何も感じないという体験が、叩いているのは自分だという体験へとすり替わる。つまり攻撃者への同一化が生じるのだ。
そこでまとめると次のようになる。
● 叩かれるという体験のMNの賦活-(マイナス)受動体験の身体感覚 = 体外離脱体験
● 叩かれるという体験-(マイナス)受動体験の身体感覚 + 叩くという体験に関するMNの賦活 = 攻撃者への同一化 


2020年7月19日日曜日

交代人格が他者性を帯びるという事の意義と報酬系の関り


交代人格が他者性を帯びるというのはどのような意味を持つのだろうか。
内的対象のことを考えよう。これはいわば「瞼の母」のような存在であり、心の中の父親像とか母親像、という事である。内的対象像はその人の精神にどのような問題を起こすのかを考えた場合、その一つの表れは葛藤という事になる。人がある行動をとることを決断した時、父親的な内的対象像がそれを制止したとしよう。「息子よ、それはイカンぞ!」というわけだ。人はそこで葛藤を体験することになる。彼はある考えとそれに拮抗する考えを同時に意識化する。これは心にとってはストレスではあるものの、ある意味では神経症的で一般人が必ず体験しているレベルのものである。右脳がスナックを食べたいという誘惑にかられ、左脳が「ノー」という。これは常に起きていることであり、これと現象としては同じだ。
それに比べて解離においては、この種の葛藤を持てないことが問題とされる。解離ではAという人格の思考aBという人格の思考bはたがいに解離されている場合には一つの意識の中で出会うことはなく、したがって葛藤は体験できない、という事になる。ある人格が「aだ!」と思っている時、Bは寝ているか、それを内側や外側から見ていて、「いや、bだ!」と言うだろうが、それはせいぜい外側から幻聴で聞こえるだけである。その場合ABは互いに「他」性を有することになる。
私はこの他者性の根拠として異なるダイナミックコアを有し、ないしは用いているという理解を示したいが、その特徴は異なる情報処理を行ないうることをその指標に出来ると考える。その①としては別々のワーキングメモリーのスペースを維持し、同時に別々の情報処理を行うことが出来ること、②異なる報酬系を用いることとしたい。①に関しては例えばヒルガードが二重意識についての研究において、二つの課題を処理するDIDのケースが紹介されている(されていなかったかな?後で確認する)。もう一つは先に述べたABの意見の食い違いなどに見られる。一つの事柄について、Aaと考え、Bbと考えるとき、それを快、不快のレベルで判断していることが通常である。これはおそらく報酬系の中の興奮の際にも異なるネットワークが存在するという事になる。事実そうでないと、Aが酒を飲めずにBが酒が好き、という事にならないはずである。

2020年7月18日土曜日

解離におけるハードプロブレム 2


 ICD-11ではそのようなケースである「憑依トランス障害」を次のように定義している。
「憑依トランス障害では、個人の意識状態の顕著な変化が生じ、個人のアイデンティティの通常の感覚が外的な「憑依アイデンティティpossessing identity」に置き換わる。トランス状態は行動または運動が憑依主体によりコントロールされているように体験されることにより特徴づけられる。トランスエピソードは霊魂spirit、威力power、神的存在deity、そのほかの霊的存在に由来するとされる。トランスエピソードは再発性であるが、診断が単一のエピソードに基づく場合、それは少なくとも数日間継続したものである必要がある。」
ただしこの定義の中に含まれるトリックを見出すことができるだろうか。ここではあくまでも主体を想定し、それが自らをコントロールされると体験する、と言っている。つまりその外的なアイデンティティに置き換わるというその前の表現と実は矛盾しているのだ。
同様の状態がみられるのが文化結合症候群であるが、こちらはもはやICD-11でもDSM-5でも定義づけられていない。例えば「ラター」という病態を考える。これは突然人(多くは男性、しかし中年以降の女性も報告されている)が誰かに憑りつかれたように凶行に走るという病態だが、これらをDSMにもICDにも解離性障害として扱うことに二の足を踏んでいるようである。不可解すぎて、下手な説明や分類が出来ないからだ。
さて従来の精神分析では解離現象や人格の複数の存在をどのように扱ってきたかと言えば、結局ホモンクルスモデルという事になる。例えば取り入れ、という概念を考えよう。理想化している人の動作をいつの間にか取り入れているという場合、それは誰にとっても追体験できるようなものであるが、実際にその理想化対象が心の中に入り込んだというわけではない。あるいは母親像の投影、などという時も、頭の中の母親のイメージがテレパシーのように相手の心の中に飛び込んでいく、ということなどだれも想定してはいない。すべては「あたかも~である」という話の延長線上にある。これは結局ホモンクルスモデルという事になる。

2020年7月17日金曜日

解離におけるハードプロブレム 1

心と脳の関係について、デイヴィッド・チャーマーズという哲学者が「意識のハードプロブレム」と呼んだ問題がある。物質としての脳がどのような機能をもつかは、科学の進展によりかなり解明できるようになってきた。これは宇宙の問題や量子より微細な構造について少しずつ理解を進めていくことが出来るという意味ではむしろ簡単な問題、「イージープロブレム」だ。しかしその脳の働きから、いかに主観的な意識が生まれるかは謎であり、難しい問題 hard problem というわけである。つまりそこには決定的な飛躍があり、それを乗り越えることが出来るかさえもわからない。
私は解離の世界にも一種のハードプロブレムが存在すると思う。それは一つの脳になぜ複数の(私以外の)心が宿るか、という問題である。ただ多くの場合、このハードプロブレムは、その「ハードさ」を認識されずに、いわばイージープロブレムとして扱われ、かりそめの答えが用意される傾向にある。それは一つの心の内部に別の心を宿すと考えればいいのではないか、というものである。確かに私たちは心の中に一人の人物を想像することが出来る。例えばAさんという人を思い浮かべて、その人を自在に動かす(例えばAさんが目の前の石ころを拾って遠くに投げるのをイメージできる)こともできるだろう。これは普通の私たちが皆持つ能力だ。一つの脳の中にいくつかの心を宿すという事はそういう事なのだ、と考えれば、それでこの問題は解決すると主張する人もいるだろう。一つの心の中に小人がいて、別の小人もまた想定できたり、またその小人の中にも想定でいるという意味で、これはある種のホモンクルスモデルともいえる。
このハードプロブレムに関してホモンクルスモデル的な答えを用意することは、おそらくこれまでの心理学者や精神医学者のほとんどが行ってきたことであろう。それがある程度許されるのは、それが別の人格が生まれる機序の常識的な説明の仕方であり、そうすることでそれ以外の可能性を考えずに済んだからである。DIDにおいて複数の人格が出来上がる際も、それが一つの心が分割したものとして理解される場合にはそれが可能となるであろうし、事実ブロイアーやフロイトが用いた意識の分割 splitting of consciousness とはそのような概念だったのだ。
しかし最も難しいのが、ある心の在り方が外部から移し替えられる、あたかもコピーされるという現象が生じ、それをどのように説明すべきかという問題である。その場合は由来が外部の世界なので、その人の心の中に起きた現象として片づける(つまりホモンクルスモデルを用いる)ことはより難しくなる。

2020年7月16日木曜日

ICD-11 における解離性障害の分類 ほぼ完成

解離症
 ICD-11は2022年1月に正式に発表される予定であるが、2020年7月現在WHOのサイトで限定公開されているICD-11 Guidelines. (Disorders Specifically Associated with Stress. Schizophrenia and Other Primary Psychotic Disorders) の解離症 dissociative disorder の内容に基づいた解説を行う。2020年7月段階で提案されている解離症(6B6Z)には以下の8つの下位分類が示されている。

6B60 解離性神経症状症Dissociative neurological symptom disorder

6B61 解離性健忘Dissociative amnesia

6B62 トランス症Trance disorder

6B63 憑依トランス症Possession trance disorder

6B64 解離性同一性症Dissociative identity disorder

6B65 部分的解離性同一性症Partial dissociative identity disorder

6B66 離人感・現実感喪失症Depersonalization-derealization disorder

6B1Yそのほかの解離症 Other dissociative disorder

1. ICD-11における解離症全体の特徴

ICD-11では解離症全般に関する定義としては以下のように述べられているが、これまでのDSM, ICDによる定義とおおむね一致している内容といえる。

「解離症は、アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体の運動または行動の統御のうち一つないしそれ以上に関して、正常な統合が不随意的に破綻したり不連続性を呈したりすることを特徴とする。※」

※「 」付きの内容はWHOにより公開されている英文の筆者による和訳である。

この解離症の定義には、薬物や神経学的な疾患による二次的なものを除外するというただし書きが続くが、本質部分はここに示されたものに尽くされている。そして上述の8つの下位分類が示されているが、そのこれらの全体の特徴について、以下の点を挙げることが出来る(Reed, GM, First, MB, Kogan, CS et al, 2019)。

Reed, GM, First, MB, Kogan, CS et al (2019) Innovations and changes in the ICD-11 classification of mental, behavioural and neurodevelopmental disorders. World Psychiatry 18(1):3-19.



ž ICD-10 及びDSM-5で「転換(変換)症conversion disorder」 などとして用いられていた「転換conversion」や「内因性」という表現が見られず、解離性神経症状症dissociative neurological symptom disorderという、より客観的で記述的な表現が採用されている。すでにDSM-5でも「変換症」に「機能性神経症状症 functional neurological symptom disorder」という表現が併記されていたが、それと歩調を合わせた形になっている。

ž ICD-10では「F44.3トランス及び憑依障害」とされていたものが「トランス障害」と「憑依・トランス障害」とに分かれた。後者は外的な憑依的アイデンティティが支配するという点が前者と異なるとされる。ちなみにDSM-5では憑依体験は「解離性同一性障害」において生じるものとされる。またDSM-5では「解離性トランス」は「他の特定される解離症」の例の一つのとして登場している。

ž ICD-10の「多重人格障害」は「特定されない解離性障害unspecified dissociative disorders」の一つとして挙げられていたが、ICD-11ではDSMに合わせた形で「解離性同一性障害」という呼称が与えられ、独立した障害に格上げされた。

ž ICD-11では新たに「部分的解離性同一性症 partial dissociative identity disorder」が掲げられているが、この障害においては、優勢な人格の意識や機能に対して、一つの人格部分としてのまとまりを欠く劣勢な人格部分が侵入を行う障害である。

ž ICD-10においては「F48. その他の神経症性障害」に分類されていた「離人・現実感喪失症候群」が新たに解離症の中に組み込まれた。

ž 「解離性遁走」が独立した障害ではなく、「解離性健忘」のもとに分類された。これもDSM-5と同じ方針である。


2. 解離症として挙げられた各障害について

次に解離症のセクションに掲載された8つの障害についての定義と補足的な説明を行う。

6B60 解離性神経症状症Dissociative neurological symptom disorder (又は 運動、感覚、認知の解離症Dissociative Disorder of Movement, Sensation or Cognition)

(省略)

6B61 解離性健忘Dissociative amnesia

(省略)
6B62 トランス症Trans disorder
6B63 憑依トランス症Possession Trance Disorder

(省略)

6B64 解離性同一性症Dissociative identity disorder

(省略)

6B65 部分的解離性同一性症 Partial dissociative identity disorder

(省略)

6B66 離人感・現実感喪失症Depersonalization-derealization disorder

(省略)

6B1Y その他の解離性障害
(省略)

以上ICD-11における解離症の全体の在り方について示した。

2020年7月15日水曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 9

6B64 解離性同一性障害 Dissociative identity disorder

「解離性同一性障害においては、二つ以上の異なる人格状態(解離性アイデンティティ)の存在により特徴づけられる同一性の破綻があり、そこでは自己および主体の感覚の顕著な不連続性がみられる。それぞれの人格状態は、自己、身体、環境に関する経験、認識、想起、関連の独自のパターンが含まれる。少なくとも二つの異なる人格状態が、日常の特定の側面の行為(例えば養育や仕事)や、特定の状況(例えば脅威と認識されるような)における振る舞いなどにおいて、意識や、他者や環境と交流する機能の実行統御を繰り返し行う。人格状態の変化には、感覚、知覚、情動、認知、記憶、運動制御、および行動における関連する変化が伴う。そこには重篤なものとなりうるような記憶喪失のエピソードが典型的な形で見られる。
B16 部分的解離性同一性障害 Partial dissociative identity disorder
 部分的解離性同一性障害においては、二つ以上の異なる人格状態(解離性アイデンティティ)の存在を特徴とする同一性の破綻があり、そこでは自己および能動性agencyの感覚の顕著な不連続性がみられる。それぞれの人格状態は、自己と身体と環境を経験し、知覚し、理解し、それらと関係する上での独自のパターンを有する。一つの人格状態は優勢dominantであり、正常な日常生活(例えば養育や仕事)において機能しているが、1つ以上の劣勢non-dominantの人格状態によって侵入される(解離的侵入)。それらの侵入は、認知的(侵入的な思考)、感情的(恐れ、怒り、恥などの侵入的な感情)、知覚的(例えば侵入的な声、一過性の視覚、触れられた感じなどの侵入的な感覚)、運動的(例えば片方の腕の不随意的な動き)、または行動的(例えば能動感や自分自身の行動という感覚が欠如した行為)であろう。それらの体験は優勢な人格状態にとってはその機能を妨害されたと体験され、通常は不快に感じる。劣勢の人格状態は、日常の特定の場面(例えば養育

や仕事)を繰り返し行うほどには、意識や機能の実行統御を行えない。しかし特定の人格状態が限定された行動(例えば極度の感情的な状態や自傷のエピソードの最中や外傷的な記憶の再演の際の反応として)に携わるために実行統御を行うような、挿話的で限定された一過性のエピソードがありうる。
6B66 離人感・現実感喪失障害 Depersonalization-derealization disorder

「離人症は、自己を奇妙な、あるいは非現実的であると感じたり、自分の思考、感情、感覚、身体、または行動から切り離されたりdetached fromそれらの外部観察者であるかのように感じることを特徴とする。離人症はまた、情緒的ないしは身体的に麻痺したように感じたり、自分を遠くから眺めたり、『劇の中にいる』と感じたり、知覚的な変容(例えば時間の感覚の歪曲)の形をとったりする。現実感喪失症は、他人や事物や世界が奇妙で非現実的である(例えば夢を見ているようだったり、遠くに感じたり、霧がかかったよう

な、生命のない、色のない、あるいは視覚的に歪曲されたものと感じる)と体験されたり、周囲から自分が切り離されていると感じたりすることを特徴とする。」

6B1Y その他の解離性障害  other dissociative disorders

「以下に限定されて診断される。すなわち他の解離性障害と同様の主たる症状(すなわち解離性障害は、アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体の運動または行動の統御のうち一つないしそれ以上に関して、正常な統合が不随意的に破綻したり不連続性を呈したりする)がみられる。しかし症状はこのセクションに提示された解離症のいかなる条件も満たさない。またほかの精神科疾患(たとえばPTSD、複雑性PTSD,統合失調症、双極性障害)によりより良く説明されることはない。また中枢神経系に働く物質や薬物の離脱症状(例えばブラックアウトや薬物中毒の最中の混乱した行動)を含む効果によるものではない。それらにはや薬物使用によるものではない。それらはまた神経の疾患(例えば複雑性部分発作)、睡眠覚醒障害(例えば入眠時、出眠時における症状)、頭部外傷やその他の健康障害によるものではない。」

2020年7月14日火曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 8


6B61 解離性健忘Dissociative amnesia 

「重要な自伝的記憶、特に最近のトラウマ的ないしストレス的な出来事に関することがらを想起できず、それは通常の忘却としては説明がつかない。そしてその記憶喪失は、別の解離症の最中にのみ起こるものではなく、その他の精神的、行動的または神経発達障害によっても合理的に説明されることはない。 記憶喪失は、物質または薬物が中枢神経系に直接的影響(離脱効果を含む)を及ぼしたものではなく、神経系の疾患または頭部外傷によるものではない。」なお解離性健忘は解離性遁走が存在するか否かによりさらに分類される。すなわち遁走を伴うものは、「(健忘の間は)個人のアイデンティティを喪失し、長い期間(通常は数日から数週間の間)家や仕事や重要な他者のもとから旅立ち、その間に新たなアイデンティティを獲得することもある。」とされている。

6B13 トランス障害 Trans disorder 
6B14 憑依トランス障害 Possession Trance Disorder
「トランス障害と憑依トランス障害は、トランス状態(憑依のない)ないしは憑依トランス状態において、意識状態の不随意的で顕著な変化が頻回に、または単回の場合は持続的に生じることを特徴とする。トランス状態ないしは憑依トランス状態の大部分は短く一過性で、文化的ないしは宗教的な体験に関係する。」
 「トランス障害におけるトランス状態では、個人の意識状態の顕著な変化または個人のアイデンティティの通常の感覚の喪失が生じ、個人は直近の環境への気づきの範囲が狭まり、環境からの刺激の選択的な焦点化が生じ、運動、姿勢、および言動は僅かなレパートリーの繰り返しに限定され、それは自分では統御できないと感じられる。トランス状態は、別のアイデンティティによって置き換えられたという体験を特徴とはしない。トランスエピソードは再発性であるが、診断が単一のエピソードに基づく場合、それは少なくとも数日間継続したものである必要がある。トランス状態は不随意的で望ましくなく、集団の文化的ないしは宗教的な実践の一部として受け入れられたものではない。」
「憑依トランス障害では、個人の意識状態の顕著な変化が生じ、個人のアイデンティティの通常の感覚が外的な「憑依アイデンティティpossessing identity」に置き換わる。トランス状態は行動または運動が憑依主体によりコントロールされているように体験されることにより特徴づけられる。トランスエピソードは霊魂spirit、威力power、神的存在deity、そのほかの霊的存在に帰される。トランスのエピソードは再発性であるが、診断が単一のエピソードに基づく場合、それは少なくとも数日間継続したものである必要がある。」

2020年7月13日月曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 7


6B60 解離性神経症状症 Dissociative neurological symptom disorder (又は 運動、感覚、認知の解離症 Dissociative Disorder of Movement, Sensation or Cognition)  

「これは運動、感覚、認知機能の正常な統合の不随意的な不連続性を示唆するような症状により特徴づけられる。臨床所見はすでに見出されている神経系や精神障害や行動障害、あるいはその他の健康障害とは一致しない。」そして以下の13の特定用語(ママ)が存在する。てんかん発作 seizure や痙攣convulsion を伴うもの、脱力か麻痺を伴うもの、感覚異常をともなうもの、運動障害の症状を伴うもの、歩行障害の症状を伴うもの、認知症状を伴うもの、意識の変化を伴うもの、視覚症状を伴うもの、嚥下症状を伴うもの、聴覚症状を伴うもの、眩暈を伴うもの、発話症状を伴うもの、その他の特定の運動、感覚、認知症状を伴うもの。
ところでICD-11では転換 conversion という用語が用いられなくなったことで、従来のように心的ストレスが身体レベルに転換されたものという説明がなされなくなることになる。DSM-5においてはこれらに心理的ストレス因を伴うか否かという特定項目が設けられていたが、ICD-11においてはそれも存在していない。このようにこれらの症状がより客観的な表現を得ることで、その医学的、脳科学的な基盤が将来見出される可能性が示唆されると同時に、それらが神経内科的な診断を並行して得るべきであるというWHOの考え方がそこに反映されているという(Stone, et al, 2014)。

Stone,J, Hallett, M., Carson, A. et al.(2014) Functional disorders in the Neurology section of ICD-11 A landmark opportunity. Neurology. 83(24): 2299–2301

2020年7月12日日曜日

ICD-11 における解離性障害の分類 書き直し 6

解離症(総論)
1. ICD-11における解離症全体の特徴
 ICD-11は2022年1月に正式に発表される前の段階にあり、これまでも多少の変動はあった。それをWHOのサイトで限定公開されているICD-11 Guidelines. (Disorders Specifically Associated with Stress. Schizophrenia and Other Primary Psychotic Disorders) に従って紹介する。
 まず解離性障害全般に関する定義としては以下のように述べられているが、これまでのDSM,ICDによる定義とおおむね一致している。
「解離性障害は、アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体の運動または行動の統御のうち一つないしそれ以上に関して、正常な統合が不随意的に破綻したり不連続性を呈したりすることを特徴とする。」

もちろんここには薬物や神経学的な疾患による二次的なものを除外するというただし書きが続くが、本質部分はここに尽くされている。そして2020年7月段階で提案されている解離症(6B6Z)には以下の8つの下位分類が示されている。

6B60 解離性神経症状症 Dissociative neurological symptom disorder
6B61 解離性健忘 Dissociative amnesia
6B62 トランス症 Trance disorder
6B63 憑依トランス症 Possession trance disorder
6B64 解離性同一性症 Dissociative identity disorder
6B65 部分的解離性同一性症 Partial dissociative identity disorder
6B66 離人感・現実感喪失症 Depersonalization-derealization disorder
6B1Y そのほかの解離症 Other dissociative disorder

これらの全体の特徴について、これまでに発表されたDSM-5及びICD-10における解離症の分類との比較から、以下の点を挙げることが出来る。(ちなみにその内容はReed, GM, First, MB, Kogan, CS et al (2019) を参考とする。)
Reed, GM, First, MB, Kogan, CS et al (2019) Innovations and changes in the ICD-11 classification of mental, behavioural and neurodevelopmental disorders. World Psychiatry 18(1):3-19.
● ICD-10 及びDSM-5で転換(変換)症conversion disorder などとして用いられていた「転換 conversion」や「内因性」という表現が見られず、解離性神経症状症 dissociative neurological symptom disorderという、より客観的で記述的な表現が採用されている。すでにDSM-5でも「変換症」に「機能性神経症状症 functional neurological symptom disorder」という表現が併記されていたが、それと歩調を合わせた形になっている。従来は心的ストレスが身体レベルに転換 convert されたものと理解されたものが、より医学的、脳科学的な基盤を持つものとして神経内科的 neurological 診断と並行して扱われるべきであるとの意図が著されているという(Stone, et al, 2014)。

Stone,J, Hallett, M., Carson, A. et al.(2014) Functional disorders in the Neurology section of ICD-11 A landmark opportunity. Neurology. 83(24): 2299–2301

● 解離性遁走が独立した障害ではなく、解離性健忘のもとに分類された。これもDSM-5と同じ方針である。
● ICD-10では「憑依・トランス障害」とされたものが「トランス障害」と「憑依・トランス障害」とに分かれた。後者は外的な憑依的アイデンティティ(霊魂spirit、威力power、神的存在deity、そのほか)が支配するという点が前者と異なるとされる。ちなみにDSM-5では憑依体験は解離性同一性障害において生じるものとされる。またDSM-5では「解離性トランス」は「他の特定される解離症」の例の一つのとして登場している。
● ICD-10において見られた「多重人格障害」は『特定されない解離性障害 unspecified dissociative disorders』の例の一つとして挙げられていたが、ICD-11ではDSMに合わせた形でより現代的な「解離性同一性障害」という呼称を与えられ、独立した障害に格上げされたことになる。
● ICD-11では新たに「部分的解離性同一性症 partial dissociative identity disorder」が掲げられているが、この障害においては、支配的な人格の意識や機能に対して、一つの人格部分としてのまとまりを欠く被支配的な人格部分(いわば「中途半端な人格」)侵入を行うケースである。
● ICD-10においては「F48.その他の神経症性障害」に分類されていた「離人・現実感喪失症候群」が新たに解離性障害の中に組み込まれた。

2020年7月11日土曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 5

6B66 離人感・現実感喪失障害 Depersonalization-derealization disorder
 「離人や現実感喪失のどちらも、あるいは一方が継続的、ないしは反復的に体験されることを特徴とする。」が正解である。 離人症は、自己を奇妙な、あるいは非現実的であると感じたり、自分の思考、感情、感覚、身体、または行動から切り離されたりそれらの外部観察者であるかのように感じることを特徴とする。離人症はまた、情緒的ないしは身体的に麻痺したように感じたり、自分を遠くから眺めたり「劇の中にある」と感じたり、知覚的な変容(例えば時間の感覚の歪曲)の形をとったりする。現実感喪失症は、他人や事物や世界が奇妙で非現実的である(例えば夢を見ているようだったり、遠くに感じたり、霧がかかったような、生命のない、色のない、あるいは視覚的に歪曲されたものと感じる)と体験されたり、周囲から自分が切り離されていると感じたりすることを特徴とする。

6B1Y その他の解離性障害 other dissociative disorder
以下に限定されて診断される。
他の解離性障害と同様の主たる症状がみられる。(すなわち解離性障害は、アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体の運動または行動の統御のうち一つないしそれ以上に関して、正常な統合が不随意的に破綻したり不連続性を呈したりする)症状はこのセクションに提示されたものを満たさない。ほかの精神科疾患や薬物使用によるものではないこと。ほかの神経系統の障害や睡眠覚醒障害(例えば複雑性部分発作、睡眠覚醒障害(入眠時、出眠時に起きる)、頭部外傷その他の健康上の問題)によらないもの。

2020年7月10日金曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 4

6B60 解離性神経症状障害 Dissociative neurological symptom disorder または、運動、感覚、認知の解離性障害Dissociative Disorder of Movement, Sensation, or Cognition (2020年6月30日の時点)

 運動、感覚、認知機能の正常な統合の不随意的な不連続性により特徴づけられる。臨床所見はすでに見出されている神経系やほかの健康状態における疾患とは一致しない。」
(つまり神経症状に限らない、という意味では運動、感覚、認知機能としたほうがより幅広い定義となるのは確かである。だから神経症状障害、という言い方をやめたのだろうか。)それらの症状としては以下の12が網羅されている。それらは神経症状のうち何が主たるかにより分かれているが、それがかなり網羅的である。それらは視覚障害、聴覚障害、めまいやふらつき、その他の感覚異常、非癲癇性けいれん発作、発話障害、麻痺または脱力、歩行症状、他の運動症状、認知症状、特定の症状、特定されない症状である。
しかしこの網羅の仕方はほとんど私たちが示す症状のあらゆるもの全てを含む。もう少し言えば、神経症状として呈されるものはことごとくかつての「転換症状」でもありうるということだ。昔から言われていた、ヒステリーにおける症状の分布の仕方の特徴(例えば神経の走行とは異なる症状の分布の仕方)の意味は今になって問われなくてはならないだろう。
6B64 解離性同一性障害 Dissociative identity disorder
解離性同一性障害においては、二つ以上の異なる人格状態(解離性アイデンティティ)の存在により特徴づけられる同一性の破綻があり、そこでは自己および主体の感覚の顕著な不連続性がみられる。それぞれの人格状態は、自己、身体、環境に関する経験、認識、想起、関連の独自のパターンが含まれる。少なくとも2つの異なる人格状態が、意識や、他者や環境との交流という機能の実行統御を繰り返し行う。それらとしては例えば日常の特定の側面の行為(例えば養育や仕事)や、特定の状況(例えば脅威と認識されてしまうような)におけるパフォーマンスなどが挙げられる。人格状態の変化には、感覚、知覚、情動、認知、記憶、運動制御、および行動における関連する変化が伴う。重篤となりうる記憶喪失のエピソードが典型的に存在する。

2020年7月9日木曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 3

6B13   トランス障害 Trans disorder と
6B14 憑依トランス障害 Possession Trance Disorder


  トランス障害と憑依トランス障害は、トランス状態(憑依なし)ないしは憑依トランス状態において、意識状態の不随意的で明確な変化が繰り返し、または単回の場合は持続的に生じることを特徴とする。
トランス状態ないしは憑依トランス状態の大部分は短く一過性で、文化的ないしは宗教的な体験に関係する。
  トランス障害では、トランス状態においては個人の意識状態の顕著な変化または個人のアイデンティティの通常の感覚の喪失が生じ、個人は直近の環境への気づきの範囲が狭まり、環境からの刺激の選択的な焦点化が生じ、運動、姿勢、および言動は僅かなレパートリーの繰り返しに制限され、それは自分で統御できないと感じられる。トランス状態は、別のアイデンティティによって置き換えられたという体験を特徴とはしない。トランスエピソードは再発性であるが、診断が単一のエピソードに基づく場合、それは少なくとも数日間継続したものである必要がある。トランス状態は不随意的で望ましくなく、集団の文化的ないしは宗教的な実践の一部として受け入れられたものではない。
  憑依トランス障害では、個人の意識状態の顕著な変化が生じ、個人のアイデンティティの通常の感覚が外的な「憑依アイデンティティpossessing identity」に置き換わる。トランス状態は行動または運動が憑依主体によりコントロールされているように体験されることにより特徴づけられる。トランスのエピソードは霊魂 spirit、威力 power、神的存在 deity、そのほかの霊的存在に帰される。トランスのエピソードは繰り返されるか、もし一回のエピソードで診断されるなら、少なくとも数日は継続する。

2020年7月8日水曜日

ICD-11における解離性障害の分類 書き直し 2

解離性障害全般に関する定義
 まず解離性障害全般に関する定義としては以下のように述べられているが、これまでのDSM,ICDによる定義とおおむね一致している。
「解離性障害は、アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体の運動または行動の統御のうち一つないしそれ以上に関して、正常な統合が不随意的に破綻したり不連続性を呈したりすることを特徴とする。」もちろんここには薬物や神経学的な疾患による二次的なものを除外するというただし書きが続くが、本質部分はここに尽くされている。そしてそれぞれの特徴ごとに以下の障害に分類される。それをWHOのサイトで限定公開されているICD-11 Guidelines. (Disorders Specifically Associated with Stress. Schizophrenia and Other Primary Psychotic Disorders) に従って紹介する。  


B16  部分的解離性同一性障害 Partial dissociative identity disorder
部分的解離性同一性障害においては、二つ以上の異なる人格状態(解離性アイデンティティ)の存在を特徴とする同一性の破綻があり、そこでは自己および能動agencyの感覚の顕著な不連続性がみられる。それぞれの人格状態は、自己、身体、環境を経験し、知覚し、理解し、それらと関係する上での独自のパターンを有する。一つの人格状態は優勢 dominantであり、正常な日常生活(例えば養育や仕事)において機能しているが、1つ以上の劣勢 non-dominant の人格状態によって侵入される(解離的侵入)。それらの侵入は、認知的(侵入的な思考)、感情的(恐れ、怒り、恥などの侵入的な感情)、知覚的(例えば侵入的な声、一過性の視覚、触れられた感じなどの侵入的な感覚)、運動的(例えば片方の腕の不随意的な動き)、または行動的(例えば能動感や自分自身の行動という感覚が欠如した行為)であろう。それらの体験は優勢な人格状態にとってはその機能を妨害されたと体験され、通常は不快である。劣勢の人格状態は、日常の特定の場面(例えば養育や仕事)を繰り返し行うほどには、意識や機能の実行統御を行えない。しかし特定の人格状態が限定された行動(例えば極度の感情的な状態や自傷のエピソードの最中や外傷的な記憶の再演の際の反応として)に携わるために実行統御を行うような、挿話的で限定された一過性のエピソードがありうる
6B81 
解離性健忘 Dissociative amnesia 
  重要な自伝的記憶、特に最近のトラウマ的ないしストレス的な出来事に関することがらを想起できず、それは通常の忘却としては説明がつかない。そしてその記憶喪失は、別の解離性障害の間にのみ起こるものではなく、その他の精神的、行動的または神経発達障害によっても合理的に説明されることはない。 記憶喪失は、物質または薬物が中枢神経系に直接的影響(離脱効果を含む)を及ぼしたものではなく、神経系の疾患または頭部外傷によるものではない。
  なお解離性健忘は解離性遁走が存在するか否かによりさらに分類される。すなわち遁走を伴うものは、「(健忘の間は)個人のアイデンティティを喪失し、長い期間(通常は数日から数週間の間)家や仕事や重要な他者のもとから旅立ち、その間新たなアイデンティティを獲得することもある。」とされている。

2020年7月7日火曜日

ICD-11における解離性障害の分類 最終版


ようやく書き終えた。今回も随分勉強させてもらった。 

ICD-1120221月に正式に発表される予定であるため、20207現在WHOのサイトで限定公開されているICD-11 Guidelines. (Disorders Specifically Associated with Stress. Schizophrenia and Other Primary Psychotic Disorders) の解離症 dissociative disorder の内容に基づいた解説を行う。20207月段階で提案されている解離症(6B6Z)には以下の8つの下位分類が示されている。
6B60 解離性神経症状症
6B61 解離性健忘 
6B62 トランス症 
6B63 憑依トランス症
6B64 解離性同一性症   
6B65 部分的解離性同一性症
6B66 離人感・現実感喪失症
6B1Yそのほかの解離症

1.     ICD-11における解離症全体の特徴

(省略)

2.     解離症として挙げられた各障害について

次に解離症のセクションに掲載された8つの障害についての定義と補足的な説明を行う。

6B60 解離性神経症状症 Dissociative neurological symptom disorder (又は 運動、感覚、認知の解離症 Dissociative Disorder of Movement, Sensation or Cognition)  

(省略)

6B61 解離性健忘 Dissociative amnesia 

(省略)
6B62 トランス症 Trans disorder
6B63
 憑依トランス症 Possession Trance Disorder
 (省略)
6B64 解離性同一性症 Dissociative identity disorder  
 (省略)

6B65 部分的解離性同一性症 Partial dissociative identity disorder
 (省略
6B66 離人感・現実感喪失症 Depersonalization-derealization disorder  
(省略)

B1Y その他の解離性障害
(省略)

以上ICD-11における解離症の全体の在り方について示した。