2024年2月29日木曜日

「トラウマ本」 トラウマとパーソナリティ障害 加筆部分 1

 トラウマとパーソナリティ障害

幻の「●●」(精神科専門誌、廃刊)に書いた論文 「トラウマ、神経発達障害とパーソナリティ障害 」

来年のトラウマ本の一章になる。


トラウマとパーソナリティ

  トラウマとパーソナリティ障害との関連について述べるのが本章の目的である。
 いわゆるパーソナリティ障害 personality disorder (以下本章ではPD)に関する議論は近年大きく様変わりをしている。それが顕著に表れたのが、2013年に米国で発表されたDSM-5(American Psychiatric Accociation, 2013)である。DSM-5では1980年のDSM-III以来採用されていた多軸診断が廃止された。また噂ではそれまでの10のPDを列挙したいわゆるカテゴリカルモデルからディメンショナルモデルに変わるという触れ込みだった。結局発表されたものは、従来のモデルに従った10のPDであった。そしてディメンショナルモデルは「代替案」としてDSM-5の後半に提案される形となった。
 しかしこのことはPDがいかに分類されるべきかという問題とともに、そもそもPDとは何かについても問い直すという、いわばPD概念の脱構築に向けた動きが起きていることを感じさせる。そしてこのディメンショナルモデルは、2022年に最終的に発表されたICD-11では正式な分類として登場したのである。

  かつて私は、以前のカテゴリカルなPDの一部は、別のものに置き代わることで生き残っていく可能性があるという考えを示した(岡野, 2023) 。

 PDとは思春期以前にその傾向が見られ始め、それ以降にそれが固まるとして定義づけられている(DSM-5)。それはいわば人格の形成の時期に自然発生的に定まっていくもの、というニュアンスがあった。
 ところが最近愛着の障害や幼少時のトラウマの問題、あるいは神経発達障害について広く論じられるようになるにつれて、それらもまたパーソナリティの形成に大きな影響を与えるという考え方は、すでに私たちの多くにとって馴染み深いものになっている。私達の臨床感覚からは、人が思春期までに持つに至った思考や行動パターンは、持って生まれた気質とトラウマや愛着障害、さらには発達障害的な要素のアマルガムであることは、極めて自然なことに思える。PDをそれらとは別個に、ないしは排他的に扱うことは、あまり臨床的な意味を持たないであろう。
 上記の ICD-11(2022)で採用されたディメンショナルモデルによるPDの分類は、パーソナリティを構成する因子群(例えばいわゆる「5因子モデル」のそれ)に基づく。つまりそこにはパーソナリティは生下時にすでに定まっているという前提がある。それだけに発達上の様々な出来事に関連したトラウマ関連障害や神経発達障害との鑑別についてはやや歯切れの悪い記載が見られる。その意味でディメンショナルモデルも不十分であるとするならば、いったいこれからのPDの概念は、どちらの方向に向かうべきなのだろうか?

2024年2月28日水曜日

脳科学と臨床心理学 第5章 意識とクオリア 加筆部分

 5.意識とクオリア

「わかる」ことと意識


では「意識」というテーマを扱う。「意識」は哲学や心理学、精神医学などにとっての中心テーマであることは言うまでもないが、これこそ脳科学にとってど真ん中のテーマと言えるのではないだろうか? 意識とはいかに生まれてくるのか,そこに脳科学はどのように関係しているのか,などこの問題に関する疑問は尽きない。

このテーマについて論じることは,ある意味では気が楽で,別の意味では荷が重い。気が楽だというのは,今のところ誰も一つの正解に至っていないからである。というか,正解があるのかすらもわからない。だから私自身が勝手な仮説を立てても,おそらく真っ向から否定されることはないであろう。また荷が重いというのはそもそも,このテーマが「難問中の難問/hard problem(ハードプロブレム;チャーマーズ)」と称されているからである。

ところでこのテーマで書くにあたり,現在非常に大きく取り沙汰されている生成AIについて最初に触れないわけにはいかない(と言っても前章であまりAIに触れないようにしようと言った手前,手短にしたい)。
 意識や心について考える際,それが生成AIにおいてもすでに成立しているのではないかという疑問や関心は,私たちの間でこれまで以上に高まっている。私が第3章で定義した【心】、すなわちAIによる心の話だ。そこで折に触れて生成AIが示している【心】の能力を,人間の心と比較検討することには大きな意義があると思われる。

私自身の話だが,ある事柄を「わかる」ことは,人間の心にしかできない芸当だと考えてきた。まだ子供の頃にそう考え始めていた。たとえば小学校の高学年の算数で,長い文章題が出てくるようになった。一回さっと読んだだけでは意味が通じないことが多い。そこで何度か一文字一文字を読むことを繰り返す。しかし何度目かで「わかった!」という感覚を持つと,もうそれらの文章に立ち戻る必要はなくなる。長い文章は溶けて形がなくなって頭に入り,その内容を要約したり言い換えたりが自在にできる。つまり意味を頭の中でいかようにも「転がす」ことができるようになる。「人間の心の力ってすごいな」と思ったものだ。

ところが現在生成AIがなしえていることはどうだろうか? あるテーマについて,内容を要約したり,子どもに分かるようにかみ砕いて説明したり,それについての試験問題を作成することさえできるのだ!しかも同じ問いを再び投げると,少しずつ違った答えを送ってくる。「コイツわかっているな!」と思わざるをえない。
 AIの示すこのような能力は,いわゆる「チューリングテスト」にパスすることを示唆している。このテストについては第3章で紹介したが、少し復習しよう。

1950年に天才アラン・チューリングは有名な思考実験、いわゆる『チューリングテスト』を発表した。ある隔離された部屋に「誰か」がいると想定する。それに向かって文章でいくつかの質問を繰り返す。それがたとえ機械であっても,人間のような回答と区別できないなら、それは人の心を有するとチューリングは考えたのだ。

ところでこの私の説明は若干不正確であった。正確にはチューリングは、そのような場合は「人工の知能 artificial intelligence」を有するという言い方をしていた。つまり心(すなわち本書で言う所の【心】)とは必ずしも言っていない。

生成AIが【心】を有しているためには,もう一つの重要な条件を満たさなくてはならないのだ。それは主観性を備えているということである。要するにクオリアを体験しているかということである。 クオリアについては本書の読者ならよくご存じだろう。たとえばヴィンテージものの赤ワインを飲んで「おいしい!」と感じたり,吉野の桜を見て「何と見事な!」と感じるような主観的な体験のことである。そして私の示した算数の文章題の例では,この「わかった」という感覚ということになる。

現時点では,生成AIに知性はあっても主観性は有さない,というのが一つの常識的な見解である。少なくとも私はそう認識している。チャットGPTには私はこれまで個人的に、しつこいくらい「あなたは心や主観性があるのですか?」と尋ねてみた。しかし常に「私には心はありません」というゼロ回答ばかりである。チャットGPTは私の質問を当然「わかって」いるはずだし,それに対して嘘を言う根拠もないだろう。要するに生成AIはいかに知性を発揮しても,「わかった」という感覚を持っているという形跡はないことを自分でも認めているのだ。

このことを改めて考えていると,本書で用いている【心】と心の違いということがもう少し明らかになってくる。AIも脳も、ともに知能(知性 intelligence)を有するのだ。ただ【心】は今のところ主観を持っている形跡はない。それは十分文章の内容を理解しているようにふるまうが、「わかった」という感覚は持っていない。そこが違うのだ。

実は私は本書(詳しくはその元となる連載)を書きながら常に新しい発想を得ているが、この件についてもそれが言えるのだ。生成AIと脳とであるとに限らず、ある知性が何かについて理解している際に,「わかった」というクオリアを伴う必然性はない、ということだ。すでに生成AIはそれなしで十分に役に立っているのである。

私がこのように考えるのは,以下に述べるように,主観性やクオリアは,人間(もちろんそれ以下の動物のかなりの部分に当てはまるのであろうが)が進化上の必然性のためにたまたま備えた幻想であるという考えを深めているからだ。私がそう主張する理由をもう少し説明したい。


意識を特徴づけるクオリア体験


ここでクオリアの議論について少し振り返ってみたい。クオリア(qualia)とは要するに物事の体験の「質感」ということだ。日本語では「体験質」などと訳されることもあるが,最近では「クオリア」というそのものの表現より一般的だ。
 最近のクオリア論について少し調べてみると,かなり「脳科学的」であることに改めて驚く。クオリアは物理的,生理学的な現象,たとえば神経細胞の興奮の結果として生じるという捉え方が,今は主流となっているようだ。本書の第4章では,個々の体験を神経細胞によるネットワークの興奮の結晶として論じたが,それと同類の発想である。このように私たちが主観的に体験するあらゆる心的表象は,脳の物理的な状態に伴って生じているもの(いわゆる「随伴現象epiphenomenon」と呼ばれる)だとしてとらえるのが,「物理主義的」な立場と呼ばれる。

そのような立場の代表者としてダニエル・デネットをあげよう(Dennett, 1991)。有名な『解明される意識』という分厚い本を書いたアメリカの哲学者,認知科学者である。彼は,意識やクオリアは一種の錯覚であるという立場を示した。彼は意識は脳内のさまざまな演算から生まれてくるものだとし,それは多数の著者により論文が書かれていくプロセスのようなものだと考えた。いわゆる「複数の草稿説」である。そして彼が主張したのは,意識の生じるような一つの場所(いわゆる「デカルト的な劇場」)などは存在せず,脳のいたるところで半ば独立した能動体(agency)が活動して内容を決定する作業が行われるということだ。私にとってはその細部は別として,その主張はおおむね納得がいくものである。私のこれまでの主張もほぼ同じような内容である。しかしデネットの主張が必要以上の反論を呼んだとすれば,彼がクオリア論を非科学的なものとして棄却したためのようである。

このデネットに代表されるような視点に異を唱えているのがオーストラリアの哲学者デイビッド・チャーマーズである(Chalmers, 1994, 1996)。彼は1995年から始める一連の著作活動の中で次のような主張を行う。「意識体験は,この世界の基本的な性質であり,クオリアを現在の物理学の中に還元することは不可能である」。そして意識の問題を解決するには現在の自然科学を超えた理論的な枠組みが必要であると考え,これを意識のハードプロブレムと称したのだ。しかしこれは物質的な基盤を超えた霊魂のようなものを想定することを思わせ,言わばデカルト的実体二元論の復活であると批判されることとなった。

このクオリアをめぐる論争は極めて錯綜していて多くの哲学者や脳科学者がそれに加わっているが,私自身その詳細にはついて行けていないことを告白する。(上の説明も、十分に理解している人間の記述とは言えないだろう。)そこで私自身が心についての本質的な議論と考える点に限定して論じることとする。そこで決め手となるのが,今述べた「随伴現象」を問い直すことだ。心は果たしてほんとうに脳の「随伴現象」だろうか?


随伴現象とは何か?


「随伴現象説(epiphenomenalism)」という立場がある。すなわち心は脳の随伴現象であるという人の取っている立場のことだ。この立場によれば、心は脳における現象の結果として生じることになる。改めて考えるならば、私が本書でこれまで論じてきた内容は,かなり明確にこの立場に近いことになる。私は随伴現象説者だったのだ!

例えば私は第4章で、一つの体験には神経細胞のネットワークの発火の一つのパターンが対応し,それはN次元上の一点に相当すると述べた(ただしNは神経細胞の総数で,何百億のオーダーである)。それがクオリアを生むと主張するわけであるから,これはまさに「随伴現象説」に属することになる。このN次元上の点、という表現はわかりにくいかも知れないので、具体的な例、例えば色彩について考えよう。私達は黄色と橙(だいだい)色を異なるクオリアとして体験する。そして黄色というクオリアは,目の網膜に到達する光の波長が570 nmの場合に生じるのに対し,橙色の場合は590 nmの際に生じるということが分かっている。つまり網膜から送られる光の信号という次元で言うと、色はその次元上の一点で表されるという事になる。

もう少し違った見方をすれば、色彩は網膜上の3種類の錐体細胞のそれぞれが刺激される度合いの組み合わせで決定されることになり、その意味では3次元上の一点という事になる。このように色合いというそれ自身は主観的な体験、クオリアであるにも関わらず、異なる神経細胞の刺激の結果として生じてくると理解するという点で、これは随伴現象の好例のように思える。しかしここで次のような反論に出会うとしよう。

(以下略)


2024年2月27日火曜日

ウィニコットとトラウマ 5

 ウィニコットと解離

ウィニコットの晩年のトラウマ理論としてとり上げるもう一つの素材は、最晩年の未公開ノート(1971)からである。これはウィニコットが結局発表できなかった1971年6月のウィーンコングレスのための手稿として「Donald Winnicott Today」(Abram, 2013)に残されたものである。そしてそこにはウィニコットが晩年に持っていた解離に関する考えが一層明確に示されている。

 その手記の冒頭でウィニコットは次のように言う。

「私は私たちの仕事について一種の革命 revolution を望んでいる。私達が行っていることを考えてみよう。抑圧された無意識を扱う時は、私達は患者や確立された防衛と共謀しているのだ。しかし患者が自己分析によっては作業出来ない以上、部分が全体になっていくのを誰かが見守らなくてはならない。(中略)多くの素晴らしい分析によくある失敗は、見た目は全体としての人seemingly a whole person に明らかに防衛として生じている抑圧に関連した素材に隠されている、患者の解離に関わっているのだ。」(Winnicott, quoted by Abram,2013, p.313,下線は岡野)

 ここで表現されているのは、上述のフロイト的ではない無意識に関わるのは解離であるという明確な表現がなされている。

無意識 = 抑圧

フロイト的ではない無意識 = 解離

ここでもウィニコットの過激さが見え隠れする。抑圧された無意識を扱うことはすなわちフロイト以来の伝統である。しかしそれに対して彼は「革命」をもたらそうとしている。ある意味ではフロイトに真っ向から反旗を翻しているようで、読んでいて少しハラハラする。

ところでこの引用にある「部分が・・・見守らなくてはならない」という記述について、アブラムはウィニコットが少し前に書いた文章と関係しているとして引用している。

「私の考えでは、自己self (自我ego、ではなく)は、私自身であり、その全体性は発達プロセスにおける操作を基礎とする全体性を有している。しかし同時に自己は部分を有し、実はそれらの部分により構成されているのだ。それらの部分は発達プロセスにおける操作により内側から外側へという方向で凝集していくが、それは抱えて扱ってくれる人間の環境により助けられなくてはならない(特に最初において最大限に、である。)」Winnicott (1971) Le corps et le self, V.N.Smirnoff trans. [Body and self] Nouv Rev Psychanal 3:15-51.

この文章にはウィニコットの心の発達モデルが端的に表されている。これはすでに述べた「ブレイクダウンへの恐れ」で述べた「① 未統合の状態への回帰(防衛としての解体 disintegration)」の内容と符合する。ここでの「凝集」と①の「統合」は同義と考えていいであろう。またここで「心の断片は内側から外側に凝集していく」ということは、それはあくまでも乳児の側から自発的に生じた凝集であり、外側からの母親の侵害に迎合した形での偽りの自己としての凝集とは異なるという点を強調している。そしてこれが解離とどのように結びつくかが伺える。すなわち解離とはこの正常な凝集や統合のプロセスが損なわれた結果として生じてくるものと考えられるだろう。

 ところでウィニコットが実際に解離のケースをどのように扱ったかについては議論が多いであろう。ただし私は彼が 「遊びと現実」(1971)の中の「男性と女性に見出されるべき、スプリットオフされた男性と女性の部分」(p.72∼74) で紹介しているのは、事実上DIDのケースと言っていいのではないかと思う。そこでの彼の記述を抜粋してみよう。

「患者は中年の既婚の男性であった。・・・彼は数多くの分析家と長い間治療を行ってきた。・・・しかし彼の中の何かが分析を終わらせなかった。・・・今この時期に新しいことが起きていた。・・・金曜日のセッションで、患者はペニス羨望の話をした。私は「女の子の話を聞いていますよ。あなたが男性であることはよく知っていますが、私は女の子の話を聞き、そしてその女の子に話しかけています・・・」すると患者は「誰かにこの女の子について話したら、私は狂っていると思われてしまいます。」

これに対してウィニコットは「私との転移の中で、狂っているのは私の方です。あなたが私に投影している母親は、あなたが生まれた時に、あなたを女の赤ん坊として扱っていたからです。」と解釈をした。患者は「これで狂気の環境の中で、私は正気だと感じました。・・・ 私自身は自分を女の子だとは呼びませんが、…あなたは私の二つの部分に話しかけてくれたのです。」

ただしこの症例の中でウィニコットは患者が女の子の人格を持つに至った経緯を解釈しているということが出来るだろう。すなわちそれは母親が持っていた狂気、すなわち男性の患者が小さい頃に妄想の中で女の子として見なしていたせいであると考えたわけである。


3.本発表のまとめ


 最後に本発表の内容を簡単にまとめてみよう。ウィニコットの関心は恐らく初期から、発達トラウマがいかに生じ、それをいかに取り扱うかに向けられていた。 そしてそれはフロイトの理論とはかなり異なり、考え方によっては逆のベクトルを有する性質を有していた。そのウィニコットのトラウマや解離の概念はその晩年に向かって練り上げられていったのである。そして彼は最晩年になり、精神分析においては愛着期のトラウマや解離が主要テーマとなるべく革命 revolution が起きるべきであるとまで述べたのだ。

 そのウィニコットの最晩年の論文「ブレイクダウンの恐れ」において、トラウマ(ブレイクダウン、母子関係の破綻)はそれがすでに起きたがまだ体験されていない出来事であるとし、それは抑圧の成立する以前の解離の病理と言えること述べた。そしてトラウマは、転移の中で治療者の失敗を通して体験され、扱われることことや、解離は凝集する前の部分が親の仕返しや狂気によりスプリットオフされるという事により生じ、そしてその部分は治療者により目撃され、扱われなくてはならないという事を強調した。

どれもこれもフロイトの路線とは大きく外れるもう一つの方向性を示していたようである。フロイトの同時代人とも言えるウィニコットが示していたこれらの考えは、今でも私たちに大きに考えるヒントを与えてくれているように思える。


2024年2月26日月曜日

ウィニコットとトラウマ 4

 ①「未統合の状態への回帰(防衛としての解体 disintegration)」 

 ここでこの「解体」が具体的に何を意味しているかを知るためには、未統合から統合に至るプロセスに関するウィニコットの考えを理解することが必要である。それを簡素に表現するならば以下のようになる。絶対的依存期においてはそれまでバラバラであった自己が統合していくプロセスが生じる。そしてそれが逆戻りしてしまうという事態が解体という事なのであろう。ただそれは防衛として生じる事であり、単なる逆戻りというよりは積極的にバラバラになるプロセスである可能性がある。つまりA+B+CがDに統合されかけていた際に、それがAとBとCに逆戻りするというよりは、Dがd1、d2、d3、という風にバラバラになるという事を意味するのかもしれない。

②「永遠に墜ちること(その防衛としての、自分で自分を抱えること)」 これはまさに母親に抱えられていないことに直接的に由来していると言えるだろう。この頃の乳児は本来ならば母親と一体となった先述の「大洋感情」に似た体験を有し、それを外から支えているのが、抱えている母親の手ということになる。そしてその存在がなくなることで乳児はバラバラになる危険にさらされ、それこそ自分を抱える事により防衛する。(これは一種の自己刺激を意味する可能性があるというのが筆者の見解である。)

③「心身的な共謀を失うこと」原文では psychosomatic collusion であるが、この意味は今一つ定かではない。 

④「現実感覚がないこと」(p.104)。そして結果として乳児は現実感覚が得られない、いわば離人症的な体験を持つことになるとされる。


フロイト的ではない無意識


 続いて本論文のより本質的な部分について検討したい。すでに示したウィニコットの記述「ブレイクダウンへの恐れとは、すでに起きてしまったそれへの恐れである。」(p.104)は、もっとも重要でかつ謎めいたテーゼであるが、それに続けて彼は言う。「それが隠されているのは無意識にであるが、それは『抑圧された無意識』という意味ではない。」(p.104)

 これもまた挑戦的な文章だ。つまり自分が考えている無意識は、フロイトの考えた抑圧の概念に結びついたそれとは異なると明言しているのである。このようにウィニコットはフロイトの用語を用いながらも、そこに別の意味を付与するという、換骨奪胎とも言える手法を用いることがしばしばある。精神分析というフロイトが敷いた路線を重んじつつ、いかに独創性を維持するかについての彼の工夫と見ることが出来るだろう。

 上記のテーゼについて、ウィニコットはさらに次のように説明する。
「原初的な苦悩という最初の体験は、自我がそれをまとめて現在形で取り入れ、全能的なコントロール下におくことでしか、過去形になって行かない。つまり患者はまだ体験されていない過去の詳細を、将来において探索し続けなくてはならない。」(p.105)

 そしてその探索には治療者の側のある種の能動性が必要となるという。
「治療者はその[ブレイクダウンの]詳細が事実である事を前提にしてうまく扱わない限り、患者はそうすることを恐れ続ける。」(p.105)
 こうして治療者は患者の通常の記憶には含まれていない、解離されているブレイクダウンの記憶を知り、それを前提として治療を進めるが、それは転移関係の中で扱われるという。「もしこの奇妙な類の真実(まだ経験していないそのことがすでに過去において起きたということ)を、患者が受け入れる用意があるなら、治療者との転移関係の中でそれを体験する道が開ける。」(p.105)

 しかしその転移関係とは、治療者の側からもたらされる一種のブレイクダウンに対する反応であるという事を、ウィニコットらしい皮肉交じりの文章で以下のように述べる。

「それ[原初的な苦悩]は分析家の失敗や間違いに対する反応としての転移の中で体験される。それは過剰ではない分量で扱うことが出来、患者は分析家のそれ等の技法的な誤りを逆転移として納得するのだ。」(p.105)

 この一文はさらっと読み過ごしかねない。しかしここで語られていることは通常理解される精神分析的な治療論とは異質であり、逆説的とも言える。普通は転移はブランクスクリーン的な治療者に対して患者が抱くものとされる。ところがウィニコットの言い方によると、転移は治療者の側の逆転移のアクティングアウトに対する反応、という事になり、まさにそのことを治療者の側が自覚し、扱うことが重要となる。ブレイクダウンが母親の側の失敗であるとしたら、それが治療場面で、図らずも治療者側の要因で部分的に再現されかけた時に、それを自らの逆転移として受け入れ、それを治療的に活用するという治療者の能動性こそが重要になるとウィニコットは主張しているのである。

 ここでのウィニコットの主張は、彼のよく知られるいくつかの提言、すなわち「解釈の重要な機能は、分析家の理解には限界がある事を示すことである」(1963)、あるいは「私は自分の理解の限界を患者に知ってもらうために解釈を行っていると考えている」(Winnicott, 1968、などとも重なるものと見ることが出来よう。

Winnicott, DW(「交流することとしないことから導かれるある対立点の検討、1963年)

Winnicott, DW 対象の使用と同一化を通して関係すること」((1968)


 この分析家と被分析者が主客転倒したような関係性については、現代的な精神分析理論、例えば「分析家の経験の解釈者としての患者」(Hoffman,  )を先取りするような、革新的でかつ挑戦的な提言を含んでいるといえるだろう。

(Hoffman, IZ (2005??)Ritual and Spontaneity in Psychoanalytic Process.「精神分析過程における儀式と自発性」(岡野、小林稜訳、金剛出版、2017年)


2024年2月25日日曜日

ウィニコットとトラウマ 3

 2.晩年におけるウィニコットのトラウマ理論

 本日の発表で私が主としてお話したいのは、ウィニコットが晩年に展開したトラウマ理論である。この点に関してJ.アブラムは次のように述べている。「ウィニコットの最晩年の非公開の手記には、彼の解離、憎しみ、男性と女性の要素、対象の使用、退行などについての最終的な考えが示されている」。 (Abram, 2013, p.312)

そしてその意味で重要となるのは次の二つの論文である。これらはいずれもウィニコットの死後に発表されたものだが、そこで彼は「尖った」部分を目いっぱいに発揮しているのである。

◦ ブレイクダウンへの恐れ Fear of Breakdown (1974)

◦ 未公開ノート(1971)

これらについて一つずつ以下に論じよう。

Abram, J (2013) Donald Winnicott Today. Routledge.

Winnicott, Donald W., 'Fear of Breakdown', in Lesley Caldwell, and Helen Taylor Robinson (eds), The Collected Works of D. W. Winnicott: Volume 6, 1960-1963.


ブレイクダウンへの恐れ


この論文はウィニコットが死の直前に書き、奥さんのクララの仲介で、 International Review of psychoanalysis の創刊号に掲載された。この学術誌は生前ウィニコットがその発刊に思いを寄せていたという。そしてこの論文はウィニコットが晩年に考えていた内容を濃縮した形で著した論文と言える。

 この論文の冒頭でウィニコットは言う。

「最近になり、ブレイクダウンへの恐れへについての新たな理解に至った。それは私にとっては、そして他の療法家にとっても、新しい考えであろうが、それをここに出来る限りシンプルに伝えたい。」(p.103)

 ここでウィニコットはこのブレイクダウンの意味として、それが防衛組織defence organizationの破綻であり、その背景には「およそ考えることのできないような状況 unthinkable state of affairs 」があるとする。そしてそれはつまるところ自我組織 ego organization に対する脅威であると表現している。

 この論文でウィニコットが述べていることを幾つか取り上げてみよう。

「発達は促進的な環境により提供され、それは抱えること holding、取り扱うこと handling、そして対象を提供すること object-presenting へと進む」(p.104)。そしてこの中でも彼が最も注目するのが、最初の「抱えること」により成立する「絶対的な依存」についてである。ここにおいては、母親は補助的な自我機能を提供するが、そこでは赤ん坊においては me と not-me は区別されない。その区別は me の確立なしにはできないのだ。」 (p.104)

 ここでウィニコットが描いている世界は実はきわめて深遠で、そしてまさに「言葉では表現が出来ない」世界なのであろう。そこでは乳児は母親に抱えられていながら、自分と母親の境目を知らない。つまり本当の意味で母子一体となっていることになる。そしてその母親との絆が断たれた状態は、おそらく乳児にとっては何が起きているのか考えられないもの unthinkable (p.104)である。それをウィニコットは原初的な苦悩 primitive agonyと呼び、「不安どころではないもの anxiety is not a strong word」と言い換え、さらに原初的な苦悩は以下の点により特徴づけられるとするのだ。


2024年2月24日土曜日

ウィニコットとトラウマ 2

 1.鏡の役割の破綻としてのトラウマ

 ウィニコットは母親の役割を鏡にたとえたことが知られている。彼の作品の集大成である「遊ぶことと現実 Playing and Reality」(1971)に収められている「子供の発達における母親の鏡の機能 Mirror-role of Mother and Family in Child Development にその要旨が書かれている。ただしその意図はあまりわかりやすいとは言えないだろう。

Winnicott, D.W.(1971) Mirror-role of Mother and Family in Child Development. in Playing and Reality. Basic Books.

「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。(中略)しかしラカンの「鏡像段階(1936)」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111) 

これは比較的わかりやすいだろう。そして彼が同時代人であるジャック・ラカンを意識していることが興味深い。

「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」(p.111) これも雰囲気でわかるだろう。ところが次の文章はどうだろうか?

「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)

この引用に私たちは戸惑うかもしれない。母親が乳児の顔を映し出す、というのは分かるが、その乳児にとっては対象は存在していないと言っている。という事は目の前の顔が母親(自分とは異なる他者)としては認識されないという事になる。つまり母親の顔は自分と区別がついていないことになる。そしてその役割を果たす母親と言えば、恐らく原初的な没頭により、自然と乳児の顔を映し出しているのだ。 おそらく現代的な知見を得ている私達なら、ミラーニューロンの関与をそこに見出すかもしれない。

 そしてウィニコットは言う。「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)

 つまりそこに自分の感情を提示する母親はその愛着関係の成立を阻害する可能性があるのだろう。これは精神分析の文脈に引き付けるのであれば、逆転移の表現、ないしはウィニコットの言う「報復」の表れと言えるかもしれない。治療者は患者を照らし出す存在であるにもかかわらず、いつの間にか治療者自身の個人的な感情や思考を、患者自身のものとしてそこに提示するかもしれないのだ。

 ちなみにこのウィニコットの提起した「母親の鏡の役割」は愛着理論における情動同調 affect attunement やメンタライゼーション理論に継承されていると言えるだろう。養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵と考えられている(フォナギー、ベイトマン、2008)。 (Meltzoff, Schneider-Rosen, Mitchell など)

 メンタライゼーションを提唱するフォナギーにとってもこの文脈は非常に重要な意味を持つ。鏡の役割の不全は乳児に深刻な問題を起こすからだ(偽りの自己、よそ者自己などの概念により理論化されている。)


ベイトマン、フォナギー メンタライゼーションと境界パーソナリティ障害」Aベイトマン/P.フォナギー 狩野力八郎、白波瀬丈一郎監訳 岩崎学術出版社 2008年 Bateman, Fonagy (2004) Psychotherapy for Borderline Personality Disorder: Mentalization-based Treatment. Oxford University Press.


 例えばこの図はベイトマンとフォナギー(2008,p.111)の著書に出てくるが、 左側の円の中の楕円の部分に本来は乳児が映し出されるはずなのに、母親由来のもの(斜線を施されている)が映されている状態と考えられる。これが「ミラーリングの部分的失敗」として図中で説明されているが、このミラーという言葉はまさに、先ほど紹介したウィニコットの論文に出てくる「母親の鏡の機能」という表現に由来する。


2024年2月23日金曜日

家族療法エッセイ 推敲 2

  私は米国ですでに解離性障害の臨床に関わっていたが、2004年に帰国後に日本で出会うようになった解離性障害の患者さん達の語りは、明らかに米国とは異なっていると感じた。米国では解離性障害の原因として多く挙げられていたのが、幼少時の性的外傷であり、家庭内での実父や養父による性的外傷が主たる原因とされてきた。しかし日本のケースでは、母親との関係によるストレスやトラウマ、「関係性のトラウマ」とでもいうべき問題が発症により深刻に関係しているように思われたのだ。私は2007年にシカゴの国際解離トラウマ学会でこの問題に関する演題発表を行ない、またその結果を著書でも述べた(岡野、2007)。

岡野:解離性障害-多重人格の理解と治療 岩崎学術出版社 2007年。

シカゴでの発表で、私が帰国後最初の年に出会った5人のDIDの方の特徴を3つ挙げた。
1.幼少時の明白な性的虐待が関与しているケースは一例もなかった。
2.母親による精神的支配や虐待が3名いた。
3.現在(成人後)母親に精神的に支配されているという人が5人中4人いた。

 恐らく私のこの発表は若干時期尚早で、後に出会ったケースでは幼少時の性的外傷についても聞かれるようになったが、日本における母親問題については引き続き考えることが多い。そしてわが国では母子関係、特に母娘関係に関する様々な議論がなされていることに遅まきながら気が付いた。
 たとえば町沢(1997)はBPDを中心とした自験例に基づき、わが国では性的外傷は少ない一方で、母親による成熟停止を起こすような過保護が主たるものとした。(のちに町沢本人によりこの見解の一部は撤回された。)長谷川(2005)はその著作で、子供の示す精神科的な障害はしつけの後遺症である可能性があり、少子化による母子の孤立化の中での「支配―被支配」の関係に問題があるとする。また信田さよ子
(2023)はその近著で、母娘関係の背後にある父親の無責任さを強調する。その意味では「家族の縮図」にはこの父親不在の要素も重要な役割を演じているという事になるだろう。

町沢静夫(1997)ボーダーライン-青少年の心の病.丸善ライブラリー.
長谷川博一(2005)お母さんはしつけをしないで.草思社.

信田さよ子(2023)家族と厄災 生きのびるブックス. 


2024年2月22日木曜日

家族療法エッセイ 推敲 1

 我が国における家族療法の発展と課題

 はじめに

 このたび家族療法に関するエッセイの依頼を受けた。大変嬉しいとともに当惑もある。私は家族療法の専門家ではないからだ。しかし若いころに米国のメニンガークリニックでかなり整った精神科レジデントのプログラムを提供してもらったおかげで、家族療法の半年の系統講義と、家族療法のケース担当(ビデオ録画によるスーパービジョン付き)を経験出来た。そのおかげで家族療法の世界を知ることが出来たのである。
 米国では家族療法はソーシャルワーカーの天下であった。彼らは家族療法というフィールドを得て実に生き生きとしていた。メニンガークリニックでも多くのすぐれたソーシャルワーカーたちの仕事に触れた。そして私も家族療法に入れ込んだ。サルバドール・ミニューチンの集中講義に出席するためにネブラスカ州オマハまで赴いたのもいい思い出だ。最後にミニューチンにお願いして撮ったツーショットは今でも宝物である。
 しかし私の中での家族療法のマイブームが去った後は、帰国後に家族療法としてのセッションを持ったことは、偶発的なチャンスを除けばほとんどない。その一つの問題は何といっても家族全員が集まる機会が少ないからであろう。米国のように午後五時に仕事が一斉に引け、その後家族が一台の車で遅めのセッションに訪れることが出来るという環境は日本では到底期待できない。
  一方では私は自分の中に一度植え付けられた家族療法マインドは常にブラッシュアップされていると感じている。(それに家庭では家内に毎日鍛え上げられている。)しかしそれでも私は家族療法家ではないことで、この特集に寄稿することに後ろめたさがあるのだ。しかしこの際開き直り、家族療法を実施しないという立場から、私の臨床にとっての家族療法というテーマで述べてみたい。それに本特集に一人くらい家族療法の非専門家、部外者のエッセイがあってもいいだろう。

日本における家族の縮図としての母子関係

 先ほど家族療法マインドと言ったが、その維持を助けてくれるのは日頃接する患者さん達である。というのも多くの患者さんの中に「母親問題」が見え隠れしているからだ。我が国では父親は相変わらず仕事で不在がちであり、また少子化の影響できょうだいとの関りは少ない。結局幼少時からの家族環境は主として母親との関係に集約されているからだ。その点を以下にもう少し詳しく説明しよう。
 私の精神科の患者さんはトラウマ関連障害(解離性障害、PTSD、身体化障害など)を持った若い方が多いが、彼(女)の母親達が実際に同伴することが比較的多い。その様な時に私は母親に時間半ばまで同席していただいてから、退席をお願いする。そして母親が姿を消した瞬間の患者さんの表情の変化に注意する。もし患者さんが途端にリラックスし、言葉数が多くなれば、患者さんがこれまでにいかに母親の強い影響下で生活してきたかが分かる。そしてそのことが来談経緯に深く繋がった可能性を考えるヒントとなる。そうなると患者さんと母親との精神的な距離をいかに適切に保つかが極めて大きな意味を持つことが予想される一方では、父親がそこで鍵となる役割を果たせる可能性は大抵薄い。以上の意味で、我が国の家族関係は多くの場合、その縮図として母子関係を抽出できるのである。
 ちなみに私はこの患者の母親問題についてはかねてから興味があり、かつてある本(気弱な精神科医のアメリカ奮闘記」(2004年刊)に一章を設けて「母親という名のブラックホール」という題で書いたことがある。これを読み直すと、やはり同じ問題の存在を米国の境界パーソナリティ障害の女性の患者さんたちに見出していたことを思い出す。それが日本に帰国後の臨床でより深く考えるようになっているらしい。

2024年2月21日水曜日

ウィニコットとトラウマ 1

こちらも原稿に起こす必要あり。さほど加筆とするところがなく、サクサク行きそうだ。

 2023年11月23日 ウィニコットフォーラム特別講演より 

 「解離とトラウマに関してウィニコットが提起したこと」


はじめに-トラウマ論者、またはチャレンジャーとしてのウィニコット


今回の「ウィニコットフォーラム2023」のテーマは「外傷について」である。そしてウィニコットがトラウマについてどの様なことを主張していたのかについて論じて欲しいというのが、企画者の加茂聡子先生から私へのリクエストであった。私はもちろん喜んでお受けした。というのもこのテーマについては論じるべきことが沢山あると感じたからだ。私は従来ウィニコットはトラウマに関してたくさんのことを示唆し、また論じていたと感じていた。しかし今回の発表を通じて改めて知ったのは、彼はれっきとしたトラウマ論者だったということである。

 まずこの見取り図を見ていただきたい。精神分析では葛藤モデルと欠損モデルに分かれるという議論(Gabbard, )であるが、後者は正統派のフロイト流の精神分析理論の代替案というニュアンスを持つ。しかしこちらに属する論者は少なくない。フロイトと同時代人のサンドール・フェレンチがトラウマについて強調したことはよく知られている。またマイケル・バリントは彼が提唱した「基底欠損basic fault」のことをトラウマと言い換えてさえいる。今日お話するウィニコットもトラウマについて論じていることは、弟子であるマスッド・カーンの累積外傷の概念などでよく知られている。

 ちなみにこの葛藤モデルと欠損モデルの二つは一応精神分析の中では平和的に棲み分けられていると一般的に考えられている。例えばエディプス期以降の問題はフロイトの提示した葛藤理論でうまく説明されるが、エディプス期以前の問題については、愛着理論や対象関係理論において論じられ、その意味で両者は相互補完的であるという考え方である。

 しかし実は両者は対立的であって、共存し得ないという立場をとるという立場もある。ミッチェルとグリンバーグにより発表され、大きな話題を呼んだ「精神分析理論の展開」(Mitchell, Greenberg ) はまさにその点を主題にした画期的な著作であった。

 さて以上を前置きとして私のこの発表の要旨をまず述べておきたい。

 ウィニコットの関心はフロイトの無意識、抑圧、死の欲動などの概念から離れ、幼少時における養育者との間に生じるトラウマ(「愛着トラウマ」、A.ショア)や解離の問題へと向けられていった。ウィニコット理論は基本的にトラウマ理論として読むことが出来るであろう。そしてそれは彼の晩年にさらに先鋭な形で表現されているのである。

 しかしこのような見方は私にとってはごく自然なのであるが、みなさんにとってはあまり馴染みがないかも知れない。あるいは反発の念を抱くかもしれない。というのもこの見方はウィニコットがかなりフロイトに挑戦的な態度をとっていたことを意味するからだ。

 しかしウィニコットの文章をこの文脈で読めば読むほど、彼が様々な表現の仕方を用いて、フロイトの向こうを張ってる、特にフロイトのリビドー論に対するアンチテーゼを唱えているように読め、その傾向は晩年に向かってさらに顕著になったのだ。一言でいえば、ウィニコットは、それを様々なレトリックで覆い隠してはいるものの、かなり尖った、反抗心に満ちたものであったのである。

  さてウィニコットのトラウマ理論については以下に大きく二つの時期に分けて論じることにする。まずはウィニコットの弟子のマスッド・カーン(1963)により概念化された累積外傷 Cumulative Trauma 理論に表されるものである。これはすなわち乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」という事とされている。

 そしてさらには晩年のウィニコットが深化させたトラウマ理論が極めて興味深く、本発表の主たるテーマとなる。


2024年2月20日火曜日

脳科学から見た子供の心の臨床 後半

 自閉スペクトラム症が「機能性離断症候群」である可能性

 さて上記のように捉えられた右脳の機能の発達が愛着トラウマにより障害された場合、そしてその後の左脳の正常な(ないしは過剰な代償を伴った)発達と組み合わさった場合に何が起きるのであろうか? 理論的には以下の二つが考えられよう。

● 情動を伴った、対人間の関わりに裏打ちされた言語機能が未発達となる。
● 極端に分析的で、秩序や細部への拘りにより特徴づけられる思考が見られる。

   そして改めて考えれば、これはASDの病態そのものではないかという思いに至る。しかしそう考えることは直ちに次の疑問を生む。「発達障害は生まれつきの問題ではなかったのか?」「ASDは生まれつきの要素以外にも、環境による右脳の発達不全を素地とする可能性が考えられるのではないか?
 私達はこのような発想に、例えば杉山(1019)のチャウシェスク型の発達障害の概念を重ね合わせるかもしれない。あるいは以下のような研究も見られる。Melillo R, Leisman G.(2009)らによる研究の抄録を日本語にしてみよう。

 「左右脳の機能的な離断による右脳の活動やコヒーレンス(位相の揃い具合)の低下が、ASDのすべての症状や交感神経の活動上昇を説明するのではないか。もしASDの問題が、脱同期化と左右半球間の情報交換の無効化であるならば、治療は脳の各部分の協調にあるだろう。その治療としては、体性感覚的、認知的、行動的、生物医学的な手法を含む様式横断的 crossmodal なアプローチになるだろう。私達は片側刺激により視床皮質路の一時的な振幅を増し、十分な半球の振幅に近づけることが出来た。こうすることにより両半球の情報交換を高めることが出来ると考える。」


  そしてこの論文は、ASDは遺伝負因が考えられるが(一卵性の一致率50%、二卵性5%)、それはその数が減少しないことの説明にはならない(多くのASDが子供を持たない)ことを強調し、以下の主張を行う。

「しかし最近の研究ではASDは遺伝性というよりもエピジェネティックであり、それだけ治療可能性が高いことになる。ASDにおいてとくに顕著なのは、その認知機能の偏り(例えば高い言語スキルと低い運動機能など)である。ASD,ADHDについて特にみられるのが、右脳における認知的、運動,知覚、自律神経機能の低下である。ASDにおいては、ドーパミンの活動の上昇と左脳の機能の上昇である。」


本発表のまとめと治療論に向けて


  最後に本発表をまとめておこう。私は以下の点を強調したことになる。生後一年間の愛着関係において、母親と乳児は右脳を介した密接な関係を成立させることである。Winnicott の描いた母親の鏡の機能は、母子間の右脳の共鳴としてとらえ直すことが出来るのだ。そしてその失敗による愛着不全は深刻な病理(愛着障害、解離、転換症状)を生む。Schore はそれを「愛着トラウマ」と概念化したのである。
 愛着トラウマにおいては親による子供の自律神経の調整の失敗による背側迷走神経の暴走としてとらえる。その結果として愛着の障害は特に乳児の右脳の発達を阻害し、特に解離の病理と深く関連している。

 さらにはASDの病理も愛着トラウマにより引き起こされた左右脳の機能の偏りないしは機能的な離断現象の見地からとらえることが出来る。つまりASDは不可逆的な神経発達障害としてだけではなく、この愛着トラウマの影響を考えることが可能となるだろう。そしてそれはASDの治療にも多くの含みを示す。

 発達早期の「関係トラウマ」を受けた患者にとっては、治療は「無意識を意識化させること」よりはむしろ、共感的で巧みに情動調律を行なう治療者との関係性を基盤とする、マルチモーダルな関りがより重要となるであろう。


2024年2月19日月曜日

脳科学から見た子供の心の臨床 前半

 昨年の小児精神神経学会の発表を論文化し終えた。週末はほぼこれで終わった(;´д`)。


本論文は、第130回日本小児精神神経学会学術集会  特別講演 「脳科学から見た子供の心の臨床」(2023年11月26日)の内容をもとにしている。

はじめに

 近年愛着期において母子間で生じている事を、脳科学的に捉えることが増々可能になりつつある。特に子供の右脳の機能及び母子間の右脳どうし関わりについての知見は、その後の人生における精神発達及びその問題について大きな示唆を与えてくれる。本発表では、それらの知見の一部について紹介するとともに、脳科学的な見地からの愛着理論は、精神分析的な愛着理論、特に D.W.Winnicott の理論にその先駆性を見ることができることについても論じたい。

 まず前提として述べておきたいのは、近年の愛着理論への注目は、トラウマ理論の発展・深化と深く結びついていたということである。1970年代に米国を中心として始まったPTSDに関連したトラウマ理論は、トラウマをいわば「記憶の病理」と捉えていた。ところが近年問題になっているのは、記憶や言葉が生まれる以前の愛着の時期に生じたトラウマの影響である。その時期のトラウマは深刻であるにもかかわらず、最近までトラウマの文脈では語られなかったのである。愛着障害の二種(反応性愛着障害、脱抑制型対人交流障害)がトラウマ関連障害に含まれるようになったのは、DSM-5(American Psychiatric Association、2013)以降であることを思い出したい。

 このような動きに大きな貢献をしたのが、「愛着トラウマ」という概念を提唱した Allan. N. Schore であるが、この問題の先鞭をつけたのは、Winnicott 以外にも前世紀の前半に登場したRené Spitz や John Bowlby らである。そして精神分析に造詣が深い Schore の業績は、これらの分析理論と脳科学を直接結びつける役割を果たしたのである。

 

愛着理論の先駆者としての Winnicott

 精神分析家である Winnicott の理論がなぜ愛着理論の先駆けとなっていたのか不思議に思う向きもあろう。そもそも精神分析の祖である S. Freud は愛着の問題にはあまり言及せず、エディプス期以降の人間の心を欲動論的に論じた。そしてエディプス期以前の前エディプス期や愛着段階についての考察は、主として後の世代の分析家たちに委ねられたのである。しかし Freud の同時代人とも言える Winnicott は Freud とは全く対照的な志向性を持った臨床家であった。彼の関心の対象は明確に、人生の最早期に向けられていたのである。それは以下のような彼の主張にも表れている。

「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患者]と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていいた患者[精神病、ボーダーラインの患者]を区別しなくてはならない。分析家は後者には、環境におけるいくつかの必須なものを人生で最初に提供するような人間とならなくてはならない。(Winnicott, 1949, p.72」([]内は岡野の注釈。)

    つまり Freud が治療の対象とした神経症圏の患者と異なり、Winnicott は早期の愛着段階における母子関係においてトラウマを体験した患者たちに関心を向けていたのである。

 この Freud と Winnicott の人間の心に関する関心の違いはどこから来るのだろうか?私見では、神経症においてはその成因には極めて複雑な神経学的なプロセスが絡んでいる可能性があるのに対し、愛着期のトラウマと精神病理との関係は比較的観察しやすいという事情が関連しているからであろう。そしてそこで大切なのは臨床的な観察眼の確かさであり、Winnicott の慧眼は現在の脳科学的な研究を先取りする域にあったということが出来るであろう。

 そこで Winnicott が考えていた最早期のトラウマとはどのようなものであったのだろうか?注目すべきは彼が、乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」をトラウマと定義づけたということである。それはのちに弟子の M. Khan (1963) が累積外傷 Cumulative Trauma として概念化したものであった。そのKahn が主張するように、その防護壁とはまさに母親の世話であるが、Winnicott はそれを「母親の鏡の役割」(Winnicott 1971)とも表現した。そしてその役割が損なわれることを早期のトラウマと考えていたのである。

 以下に Winnicott の「遊ぶことと現実」(1971)に収められた「母親の鏡としての役割」における論述を追ってみよう。彼によると、乳児は促進的な環境により、「抱えること holding」 、次に「取り扱うこと handling」、そして「対象を提供すること object-presenting」 を提供されることを通じて発達していく。その中でも最初期の「抱えること」により支えられている絶対的な依存においては、母親は補助的な自我機能を提供し、そこでは赤ん坊の me と not-me はまだ区別されていない。その区別は me の確立を待たなくてはならないのだ。 

「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。・・・しかしラカンの「鏡像段階」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111)

「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」

そしてこの論文で Winnicott は次のような謎めいたことを言っている。それは母親の顔は乳児を映し出す、という事だ。

「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)

そして続けて言う。

「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)

 この記述は分かりづらいが、それは彼が言葉や記憶以前の世界を描いているからであったと考えられる。そして母親が子供を、ではなく自分をそこに映している、と述べる。これはちょうど精神分析において治療者が患者からの転移を解釈するのではなく、自分の個人的な感情を反映させて逆転移のアクティングアウトを示してしまうような場合になぞらえれば理解しやすいであろう。

 この Winnicott の提起した「母親の鏡の役割」の重要性は、愛着理論における情動調律やメンタライゼーション理論に継承された。例えば発達論者は養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵となる(Bateman &Fonagy, 2004)。

本学術大会のメインテーマは「愛着とメンタライゼーション」となっているが、Peter Fonagy こそが精神分析と脳科学を融合した人物(のひとり)だったのである。そして彼は Winnicott が言った情動のミラーリングの障害を、より詳細なプロセスで論じている。彼は母親の情動のミラーリングの障害を分類した(Bateman &Fonagy, 2004)。

(1)子供の陰性情動に圧倒された母親が、それを消化せずにそのまま表情に表す場合、乳児はそれを母親から切り離して自分のものとすることが出来ず、他者に属するものとみなす。こうして情動の調節は行われずにトラウマが生じる。 

(2)母親が乳児の情動を(例えば陽性情動を攻撃性と)読み違えると、乳児はそれを取り入れて「偽りの自己イメージ」(よそ者的自己) を作り上げる。

そしてこの(1)がWinnicott の述べた「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ない」という体験に相当するのである。




(以下略)