2024年2月19日月曜日

脳科学から見た子供の心の臨床 前半

 昨年の小児精神神経学会の発表を論文化し終えた。週末はほぼこれで終わった(;´д`)。


本論文は、第130回日本小児精神神経学会学術集会  特別講演 「脳科学から見た子供の心の臨床」(2023年11月26日)の内容をもとにしている。

はじめに

 近年愛着期において母子間で生じている事を、脳科学的に捉えることが増々可能になりつつある。特に子供の右脳の機能及び母子間の右脳どうし関わりについての知見は、その後の人生における精神発達及びその問題について大きな示唆を与えてくれる。本発表では、それらの知見の一部について紹介するとともに、脳科学的な見地からの愛着理論は、精神分析的な愛着理論、特に D.W.Winnicott の理論にその先駆性を見ることができることについても論じたい。

 まず前提として述べておきたいのは、近年の愛着理論への注目は、トラウマ理論の発展・深化と深く結びついていたということである。1970年代に米国を中心として始まったPTSDに関連したトラウマ理論は、トラウマをいわば「記憶の病理」と捉えていた。ところが近年問題になっているのは、記憶や言葉が生まれる以前の愛着の時期に生じたトラウマの影響である。その時期のトラウマは深刻であるにもかかわらず、最近までトラウマの文脈では語られなかったのである。愛着障害の二種(反応性愛着障害、脱抑制型対人交流障害)がトラウマ関連障害に含まれるようになったのは、DSM-5(American Psychiatric Association、2013)以降であることを思い出したい。

 このような動きに大きな貢献をしたのが、「愛着トラウマ」という概念を提唱した Allan. N. Schore であるが、この問題の先鞭をつけたのは、Winnicott 以外にも前世紀の前半に登場したRené Spitz や John Bowlby らである。そして精神分析に造詣が深い Schore の業績は、これらの分析理論と脳科学を直接結びつける役割を果たしたのである。

 

愛着理論の先駆者としての Winnicott

 精神分析家である Winnicott の理論がなぜ愛着理論の先駆けとなっていたのか不思議に思う向きもあろう。そもそも精神分析の祖である S. Freud は愛着の問題にはあまり言及せず、エディプス期以降の人間の心を欲動論的に論じた。そしてエディプス期以前の前エディプス期や愛着段階についての考察は、主として後の世代の分析家たちに委ねられたのである。しかし Freud の同時代人とも言える Winnicott は Freud とは全く対照的な志向性を持った臨床家であった。彼の関心の対象は明確に、人生の最早期に向けられていたのである。それは以下のような彼の主張にも表れている。

「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患者]と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていいた患者[精神病、ボーダーラインの患者]を区別しなくてはならない。分析家は後者には、環境におけるいくつかの必須なものを人生で最初に提供するような人間とならなくてはならない。(Winnicott, 1949, p.72」([]内は岡野の注釈。)

    つまり Freud が治療の対象とした神経症圏の患者と異なり、Winnicott は早期の愛着段階における母子関係においてトラウマを体験した患者たちに関心を向けていたのである。

 この Freud と Winnicott の人間の心に関する関心の違いはどこから来るのだろうか?私見では、神経症においてはその成因には極めて複雑な神経学的なプロセスが絡んでいる可能性があるのに対し、愛着期のトラウマと精神病理との関係は比較的観察しやすいという事情が関連しているからであろう。そしてそこで大切なのは臨床的な観察眼の確かさであり、Winnicott の慧眼は現在の脳科学的な研究を先取りする域にあったということが出来るであろう。

 そこで Winnicott が考えていた最早期のトラウマとはどのようなものであったのだろうか?注目すべきは彼が、乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」をトラウマと定義づけたということである。それはのちに弟子の M. Khan (1963) が累積外傷 Cumulative Trauma として概念化したものであった。そのKahn が主張するように、その防護壁とはまさに母親の世話であるが、Winnicott はそれを「母親の鏡の役割」(Winnicott 1971)とも表現した。そしてその役割が損なわれることを早期のトラウマと考えていたのである。

 以下に Winnicott の「遊ぶことと現実」(1971)に収められた「母親の鏡としての役割」における論述を追ってみよう。彼によると、乳児は促進的な環境により、「抱えること holding」 、次に「取り扱うこと handling」、そして「対象を提供すること object-presenting」 を提供されることを通じて発達していく。その中でも最初期の「抱えること」により支えられている絶対的な依存においては、母親は補助的な自我機能を提供し、そこでは赤ん坊の me と not-me はまだ区別されていない。その区別は me の確立を待たなくてはならないのだ。 

「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。・・・しかしラカンの「鏡像段階」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111)

「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」

そしてこの論文で Winnicott は次のような謎めいたことを言っている。それは母親の顔は乳児を映し出す、という事だ。

「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)

そして続けて言う。

「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)

 この記述は分かりづらいが、それは彼が言葉や記憶以前の世界を描いているからであったと考えられる。そして母親が子供を、ではなく自分をそこに映している、と述べる。これはちょうど精神分析において治療者が患者からの転移を解釈するのではなく、自分の個人的な感情を反映させて逆転移のアクティングアウトを示してしまうような場合になぞらえれば理解しやすいであろう。

 この Winnicott の提起した「母親の鏡の役割」の重要性は、愛着理論における情動調律やメンタライゼーション理論に継承された。例えば発達論者は養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵となる(Bateman &Fonagy, 2004)。

本学術大会のメインテーマは「愛着とメンタライゼーション」となっているが、Peter Fonagy こそが精神分析と脳科学を融合した人物(のひとり)だったのである。そして彼は Winnicott が言った情動のミラーリングの障害を、より詳細なプロセスで論じている。彼は母親の情動のミラーリングの障害を分類した(Bateman &Fonagy, 2004)。

(1)子供の陰性情動に圧倒された母親が、それを消化せずにそのまま表情に表す場合、乳児はそれを母親から切り離して自分のものとすることが出来ず、他者に属するものとみなす。こうして情動の調節は行われずにトラウマが生じる。 

(2)母親が乳児の情動を(例えば陽性情動を攻撃性と)読み違えると、乳児はそれを取り入れて「偽りの自己イメージ」(よそ者的自己) を作り上げる。

そしてこの(1)がWinnicott の述べた「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ない」という体験に相当するのである。




(以下略)