ウィニコットと解離
ウィニコットの晩年のトラウマ理論としてとり上げるもう一つの素材は、最晩年の未公開ノート(1971)からである。これはウィニコットが結局発表できなかった1971年6月のウィーンコングレスのための手稿として「Donald Winnicott Today」(Abram, 2013)に残されたものである。そしてそこにはウィニコットが晩年に持っていた解離に関する考えが一層明確に示されている。
その手記の冒頭でウィニコットは次のように言う。
「私は私たちの仕事について一種の革命 revolution を望んでいる。私達が行っていることを考えてみよう。抑圧された無意識を扱う時は、私達は患者や確立された防衛と共謀しているのだ。しかし患者が自己分析によっては作業出来ない以上、部分が全体になっていくのを誰かが見守らなくてはならない。(中略)多くの素晴らしい分析によくある失敗は、見た目は全体としての人seemingly a whole person に明らかに防衛として生じている抑圧に関連した素材に隠されている、患者の解離に関わっているのだ。」(Winnicott, quoted by Abram,2013, p.313,下線は岡野)
ここで表現されているのは、上述のフロイト的ではない無意識に関わるのは解離であるという明確な表現がなされている。
無意識 = 抑圧
フロイト的ではない無意識 = 解離
ここでもウィニコットの過激さが見え隠れする。抑圧された無意識を扱うことはすなわちフロイト以来の伝統である。しかしそれに対して彼は「革命」をもたらそうとしている。ある意味ではフロイトに真っ向から反旗を翻しているようで、読んでいて少しハラハラする。
ところでこの引用にある「部分が・・・見守らなくてはならない」という記述について、アブラムはウィニコットが少し前に書いた文章と関係しているとして引用している。
「私の考えでは、自己self (自我ego、ではなく)は、私自身であり、その全体性は発達プロセスにおける操作を基礎とする全体性を有している。しかし同時に自己は部分を有し、実はそれらの部分により構成されているのだ。それらの部分は発達プロセスにおける操作により内側から外側へという方向で凝集していくが、それは抱えて扱ってくれる人間の環境により助けられなくてはならない(特に最初において最大限に、である。)」Winnicott (1971) Le corps et le self, V.N.Smirnoff trans. [Body and self] Nouv Rev Psychanal 3:15-51.
この文章にはウィニコットの心の発達モデルが端的に表されている。これはすでに述べた「ブレイクダウンへの恐れ」で述べた「① 未統合の状態への回帰(防衛としての解体 disintegration)」の内容と符合する。ここでの「凝集」と①の「統合」は同義と考えていいであろう。またここで「心の断片は内側から外側に凝集していく」ということは、それはあくまでも乳児の側から自発的に生じた凝集であり、外側からの母親の侵害に迎合した形での偽りの自己としての凝集とは異なるという点を強調している。そしてこれが解離とどのように結びつくかが伺える。すなわち解離とはこの正常な凝集や統合のプロセスが損なわれた結果として生じてくるものと考えられるだろう。
ところでウィニコットが実際に解離のケースをどのように扱ったかについては議論が多いであろう。ただし私は彼が 「遊びと現実」(1971)の中の「男性と女性に見出されるべき、スプリットオフされた男性と女性の部分」(p.72∼74) で紹介しているのは、事実上DIDのケースと言っていいのではないかと思う。そこでの彼の記述を抜粋してみよう。
「患者は中年の既婚の男性であった。・・・彼は数多くの分析家と長い間治療を行ってきた。・・・しかし彼の中の何かが分析を終わらせなかった。・・・今この時期に新しいことが起きていた。・・・金曜日のセッションで、患者はペニス羨望の話をした。私は「女の子の話を聞いていますよ。あなたが男性であることはよく知っていますが、私は女の子の話を聞き、そしてその女の子に話しかけています・・・」すると患者は「誰かにこの女の子について話したら、私は狂っていると思われてしまいます。」
これに対してウィニコットは「私との転移の中で、狂っているのは私の方です。あなたが私に投影している母親は、あなたが生まれた時に、あなたを女の赤ん坊として扱っていたからです。」と解釈をした。患者は「これで狂気の環境の中で、私は正気だと感じました。・・・ 私自身は自分を女の子だとは呼びませんが、…あなたは私の二つの部分に話しかけてくれたのです。」
ただしこの症例の中でウィニコットは患者が女の子の人格を持つに至った経緯を解釈しているということが出来るだろう。すなわちそれは母親が持っていた狂気、すなわち男性の患者が小さい頃に妄想の中で女の子として見なしていたせいであると考えたわけである。
3.本発表のまとめ
最後に本発表の内容を簡単にまとめてみよう。ウィニコットの関心は恐らく初期から、発達トラウマがいかに生じ、それをいかに取り扱うかに向けられていた。 そしてそれはフロイトの理論とはかなり異なり、考え方によっては逆のベクトルを有する性質を有していた。そのウィニコットのトラウマや解離の概念はその晩年に向かって練り上げられていったのである。そして彼は最晩年になり、精神分析においては愛着期のトラウマや解離が主要テーマとなるべく革命 revolution が起きるべきであるとまで述べたのだ。
そのウィニコットの最晩年の論文「ブレイクダウンの恐れ」において、トラウマ(ブレイクダウン、母子関係の破綻)はそれがすでに起きたがまだ体験されていない出来事であるとし、それは抑圧の成立する以前の解離の病理と言えること述べた。そしてトラウマは、転移の中で治療者の失敗を通して体験され、扱われることことや、解離は凝集する前の部分が親の仕返しや狂気によりスプリットオフされるという事により生じ、そしてその部分は治療者により目撃され、扱われなくてはならないという事を強調した。
どれもこれもフロイトの路線とは大きく外れるもう一つの方向性を示していたようである。フロイトの同時代人とも言えるウィニコットが示していたこれらの考えは、今でも私たちに大きに考えるヒントを与えてくれているように思える。