2024年11月30日土曜日

解離と知覚 推敲 9

 DIDにおける幻聴

先の自験例では幻聴については記述しなかったが、解離性障害、特にDIDにおいては幻聴は極めて頻繁に報告される。幻聴はDIDで特に多く、100%に見られ、その多くは交代人格の間の会話であるとする。

(Steinberg 1994, Middleton1998)Steinberg, M (1994)structured clinical interview for DSM-IV dissociative disorders Revised (SCID-D-R) Washington, DC. American Psychiatric Press.

Middleton, W & Butler, J (1998) Dissociative Identity Disorer: an Autsralian Series. Australian and New Zealand Journal of Psychiatry, 32.794-804. 

Nurcombe et al (1996)によるとDIDの幻覚の特徴は、突然の始まり、心理的な危機が関与し、1日~一週間ほどの継続期間であり、各エピソードの間に心理的な悪化はない。そして意識の変化、情動的な混乱、衝動的な行為、そしてトラウマに関連した異常知覚が伴うことが多いという。

Nurcombe et al (1996) dissociative hallucinosis and allied conditions. In F.R. Volkmar (Eds) Psychoses and Pervasive Developmental DIsorers of Childhood and Adolescnc. Washington, DC. American Psychiatric Press. 

Putnam (1997) は解離性幻聴の特徴として以下をあげている。(野間先生の発表資料(2019)による。)

頭の内部で聞こえる。
はっきり聞こえ、明確ないつも同一の「人格」特徴を持っている。
大声で侵入性が高く注意集中や思考が困難(「こころの交通渋滞」)。
内部の声を幻声と認識し、現実の声と混同することはない。
自分から訴えることは少ない(精神病と思われないように)
DDNOS(明確な人格交代のない場合)では少なそう。

なお柴山(2005)によれば、以下の通りである。

身近な空間(例カーテンの影、窓の周辺)から聞こえる。
内部空間と外部空間は明確に区別されている。
幻聴から発展して妄想的になることはない。
主体にとっての意外性や未知性はない。ほとんどに離人症状あり。
幻覚に対する余裕、自由、選択可能性がある。

また柴山は解離性障害で見られる幻聴には二種類あるという。
柴山雅俊(2017)解離の舞台 症状構造と治療 金剛出版.

柴山はp.209 (「第14章 解離性障害と統合失調症」) で解離性の知覚異常に触れている。そして1.フラッシュバック しばしばこれが解離性幻聴であるとされがちだが、その一部にすぎないとする。

2,交代人格(不全型も含む)に由来する幻聴。特に「死んでしまえ」などの攻撃的なものや「こっちにおいで」という別の世界へ誘いかける内容などで、これはフラッシュバックとは異なる、としている


2024年11月29日金曜日

解離と知覚 推敲 8

 解離性の(幻聴以外の)幻覚:自験例

ここで筆者がこれまでに臨床上経験した知覚異常のいくつかの例を紹介する。ただし幻聴に関してはそれが多岐にわたるために以下に別の章で記述することにする。

視覚の異常

◎ ある20代前半の男性は、(以下略)


◎ ある10代後半の女性は、(以下略)


触覚の異常

◎ 40代男性。触覚異常。(以下略)



2024年11月28日木曜日

解離と知覚 推敲 7

トラウマと解離性幻覚

上述のアンナO.の例のように、心的外傷が種々の解離症状の引き金になることが多い。その中でもそれが解離性の幻覚体験に結びついていることが知られる。幾つかの研究が特に幼少時のトラウマ体験が解離傾向を生み、それが幻覚体験へとつながるという結果を報告している。

病的な知覚体験として最近論じられることが多いのが、いわゆるフラッシュバックに伴う形での幻覚である。PTSDなどのトラウマ関連障害で患者は過去のトラウマ体験が突然知覚、感覚、情緒体験と共に蘇る。この体験を解離の文脈でどのように位置づけるかは議論が多いところだが、DSM-5(2013)はそれを解離性症状としてとらえるという新たな方針を示した形になる。
 DSM-5のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断基準には「フラッシュバックなどの解離体験」という表現が加えられた。つまり通常言われるフラッシュバックを解離性のものとして理解する方針が示されたのだ。(より正確には、「トラウマ的な出来事が再現されているかのように感じたり行動したりする解離反応(例えばフラッシュバック)dissociative reactions (e.g. flashbacks in which the individual feels or acts as if the traumatic event(s) were recurring」 と書かれている。)

このPTSD症状に解離としての性質を見出すという傾向は、2013年にDSM-5が発刊された時点でそれまでのPTSDの理解がより「解離寄り」になったことに連動していると言えよう。DSM-5においては「解離タイプ」が新たに盛り込まれる予定であったが、実際には特定項目として扱われることになった。つまり解離症状がある場合には「解離を伴うPTSD」と特定することとなったのである。そしてその解離症状としては「離人体験かまたは非現実体験」と特定されている。

 近年の研究でも、解離傾向と幻覚体験及びトラウマについての相関性を示す研究が複数みられる。

Jones, O., Hughes-Ruiz, L., & Vass, V. (2023). Investigating hallucination-proneness, dissociative experiences and trauma in the general population. Psychosis, 16(3), 233–242.

最近の研究はトラウマと幻覚傾性 hallucination-proneness との関係が注目されている。特に小児期の性的虐待は統合失調症や双極性障害や一般人において幻覚との関連が報告されている(Varese F, 2012).

 もっとも直近ではJones et al (2023) によれば、主観的なトラウマの深刻さは幻覚傾性 hallucination-proneness との相関があり、また幻覚傾性と解離体験にも顕著な相関があると報告している。そして解離体験は主観的なトラウマの深刻さと幻覚傾性、特に幻聴との仲介をしているとされる。



2024年11月27日水曜日

解離と知覚 推敲 6

 このように幻覚を知覚異常の一つの側面としてとらえた場合、それは種々の解離性の知覚異常の一つの側面に過ぎないという理解が可能である。実際に解離性の幻覚はその他の様々な解離性の症状(いわゆる転換症状や身体化症状の一環として出現することが多い。ここではそのようなあり方をする古典的な例を示しておくことが有用であろう。

症例アンナO.(ブロイアー)に見られる幻覚体験

ここで紹介する症例(アンナO) は Breuer と Freud による「ヒステリー研究」(1895)できわめて詳細に紹介されている。このケースは解離性障害が示しうる症状群を一挙に紹介してくれるという意味ではとても参考になる。その中で彼女がどの様な文脈の中で幻覚ないし知覚異常を示したかを知る上でも簡単にさらっておこう。

アンナO.の発症は彼女が敬愛する父親の発病(1880年7月)をきっかけに始まった。そしてそれは多くの症状が複合したものであった。つまり「特有の精神病、錯誤、内斜視、重篤な視覚障害、手足や首の完全な、ないし部分的な拘縮性麻痺」である(フロイト全集、p.25)。そして父親の容態と共に彼女も徐々に憔悴し、激しい咳と吐き気のために父の看病から外される。ここでブロイアーが呼ばれたが、ブロイアーはアンナが二つの異なる意識状態を示すことに気が付く。一つは正常な彼女だが、もう一つは気性が荒く、又常に幻覚を見、周囲の人をののしったり枕を投げつけたりしたという。これがいわゆる意識のスプリッティングという現象であったが、それは多彩な幻覚を伴っていた。その一つは黒い蛇であったが、それは彼女の髪やひもが変容したものであったという。それと共に最初は午後の傾眠状態で現れた解離症状に錯語(言語の解体)や手足の拘縮が伴うようになった。また特有の色覚異常も伴い、特定の色だけ、例えば自分の服の色だけ、それが茶色であることはわかっているのに青に見える、などの体験を持った(p.39)。そしてそれは父親が来ていたガウンの青色が関係していることが分かったということだ。
ブロイアーはまたアンナO.に見られた聴覚異常についても丹念に記録している。それは誰かが入ってきても、それが聞こえない、人の話が理解できない、直接話しかけられても聞こえない、物事に驚愕すると急に聞こえなくなる、などである。(p.43)

ここで興味深いのはアンナO. の幻覚はそれ自身が単独で起きるというよりは様々な解離症状(意識の混濁や言語の解体や手足の拘縮など)を伴っていたということである。さらに彼女の知覚異常についていえば、それが時に応じて様々な形を取り、いわば浮動性を有していたことである。
また視覚においては幻覚が特徴的であったが、聴覚に関しては幻覚というよりは、その脱失、すなわち陰性症状の形を取っていたということも特徴的であろう。
アンナO.の症状の有する「心因性」についても言及すべきであろう。つまりそれらの症状にはある種の理由付けが可能だったということである。それらは以下の通りである。
声紋痙攣:口喧嘩をした際に彼女は言い返すのを抑え込んだことがあったが、それが声紋痙攣を引き起こした。この症状は似たような誘因が生じた際に反復して出現した。(p.47)

右手の拘縮性不全麻痺:アンナは父親の看病をしている時、右腕を椅子のひじ掛けに乗せたまま病床の父の傍らに座っていて、白日夢に入った。このことが原因の一つと考えられる。(p.45)
巨視症と内斜視:アンナが目に涙をためて病床の傍らにいた時、突然父親から時間を聞かれ、時計がはっきりっ見えないために目を近づけようとしたところ、その文字盤が非常に大きく見えた。また父親に涙を見られないように抑え込む努力をしたこと。(p.47)

そしてそれらはまた「語ることで除去」されるという性質を持っていた(p.41)ということもそれらの心因性の傍証となっていると言えるだろう。
現在の精神医学の見地からは、転換症状にことごとくその具体的な原因が考えられるとは言えず、その為にDSM-5でもICD-11でも心因を問うことはしなくなったが、時としてそれらが見られることがある。そしてこれもまた転換症状の一つの特徴と考えられるであろう。ただしその存在が必要条件であるということは言えない。

このようにアンナO.の体験した幻覚はその陰性のものも含めて様々な身体症状の出現の一つとして現われていたということが言える。そしてそれは固定した病状を取ることはあまりなく、時間とともに変遷し、また心理的な働きかけにより消長を見せたのである。


2024年11月26日火曜日

解離と知覚 推敲 5

 幻聴体験に関しては解離性のものと統合失調症性のもの鑑別は臨床上かなり重要となる。柴山は解離性の幻聴は、患者の気分との連続性が見られることが多く、幻聴の主を対象化、すなわち特定できることが多く、これは統合失調症の際の把握できない、不明の主体であることとかなり異なるとする。そして柴山が特に強調するのが、統合失調症における他者の先行性という特徴だ。少し長いが引用しよう。

「概して統合失調症の幻聴は、自分の動きに敏感に反応して、外部から唐突に聞こえる不明の他者の声である。そこには自己の意思や感情との連続性は認められない。その声は断片的であり、基本的にその幻聴主体を対象化することは不可能なものとしてある。幻聴の意図するところは、常に把握できない部分を含んでいる。従ってその体験はある種の驚きと困惑を伴っている。それに対して解離性障害では、他者の対象化の可能性は原理的に保たれており、不意打ち、驚き、当惑といった要素は少ない。」

両者の鑑別については以下に表にまとめておくが、その再注目すべき点は、それが心理学的な要因により浮動する点である。そして主体はそれが現実の声とは異なることを直感的に分かっている。

統合失調症性の幻聴の例: 30代女性

 (中略)

「声」は実際の彼女たちの声であり、それがなぜか聞こえてくるのであり、幻聴ではなく実際の声なのだ。

この例にみられるように、声の主が現実の他者の声との識別が解離の場合には出来るのに対し、統合失調症の場合は曖昧であるだけでなく、区別がつかないことがある。これは統合失調症性の他者が通常は匿名性を帯びていて特定できないことと一見矛盾しているようにも見える。しかしこれは統合失調症性の幻聴が関係念慮としての性質を帯びていると考えるとわかりやすい。この例のように遠隔にいる他者が声を送ってくるという体験はテレビやSNSで自分のことが話されているという体験に近いのである。


2024年11月25日月曜日

解離と知覚 推敲 4

論文は遅々として進まず…・

DIDにおける幻聴

解離性幻聴はDIDにおいてとても頻繁に体験される。ある文献ではDIDの方の100%に見られ、その多くは交代人格の間の会話であるとする。(Steinberg 1994, Middleton1998)

Nurcombe et al (1996)によるとDIDの幻覚の特徴は、突然の始まり、心理的な危機が関与し、1日~一週間ほどの継続期間であり、各エピソードの間に心理的な悪化はない。そして意識の変化、情動的な混乱、衝動的な行為、そしてトラウマに関連した異常知覚が伴うことが多いという。

柴山によれば、解離性障害で見られる幻聴には二種類あるという。

柴山はp.209 (「第14章 解離性障害と統合失調症」) で解離性の知覚異常に触れている。そして 1.フラッシュバック しばしばこれが解離性幻聴であるとされがちだが、その一部にすぎないとする。

2,交代人格(不全型も含む)に由来する幻聴。特に「死んでしまえ」などの攻撃的なものや「こっちにおいで」という別の世界へ誘いかける内容などで、これはフラッシュバックとは異なる、としている。


2024年11月24日日曜日

解離と知覚 推敲 3

 トラウマと解離性幻覚

病的な知覚体験として最近論じられることが多いのが、いわゆるフラッシュバックに伴う体験である。PTSDなどのトラウマ関連障害で患者は過去のトラウマ体験が突然知覚、感覚、情緒体験と共に蘇る。この体験を解離の文脈でどのように位置づけるかは議論が多いところだが、DSM-5(2013)はそれに関して新たな方針を示した形になる。
 DSM-5のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断基準には「フラッシュバックなどの解離体験」という表現が加えられた。つまり通常言われるフラッシュバックを解離性のものとして理解する方針が示されたのだ。(より正確には、「トラウマ的な出来事が再現されているかのように感じたり行動したりする解離反応(例えばフラッシュバック)dissociative reactions (e.g. flashbacks」in which the individual feels or acts as if the traumatic event(s) were recurring) と書かれている。)

この傾向は2013年にDSM-5が発刊された時点でそれまでのPTSDの理解がより「解離より」になったことに連動していると言えよう。DSM-5においては「解離タイプ」が新たに盛り込まれる予定であったが、実際には特定項目として扱われることになった。つまり解離症状がある場合には「解離を伴うPTSD」と特定することとなったのである。そしてその解離症状としては「離人体験かまたは非現実体験」と特定されている。

 近年の研究でも、解離傾向と幻覚体験及びトラウマについての相関性を示す研究が複数みられる。

Jones, O., Hughes-Ruiz, L., & Vass, V. (2023). Investigating hallucination-proneness, dissociative experiences and trauma in the general population. Psychosis, 16(3), 233–242.

最近の研究はトラウマと幻覚傾性 hallucination-proneness との関係が注目されている。特に小児期の性的虐待は統合失調症や双極性障害や一般人において幻覚との関連が報告されている(Varese F, 2012).

 もっとも直近ではJones et al (2023) によれば、主観的なトラウマの深刻さは幻覚傾性 hallucination-proneness との相関があり、また幻覚形成と解離体験にも顕著な相関があると報告している。そして解離体験は主観的なトラウマの深刻さと幻覚傾性、特に幻聴との仲介をしているとされる。

これはColin Ross の「統合失調症の陽性症状は解離の性質を有する」という主張を思い出させる。(Ross, 1997 p196)

Rossは1990年代から解離症状の中でも幻聴体験に興味を持ち、いわゆる解離性統合失調症dissociative schizophrenia という概念を提出している。

Colin A Ross, CA (1997)  Dissociative Identity Disorder - diagnosis.clinical features and treatment of multiple personality. John Wiley & Sons, Inc.

Rossは統合失調症とDIDはほぼ同様の有病率を有する上に、しばしば共存すると述べている。そしてその上でこの解離性統合失調症という概念を提案する。彼によれば統合失調症の中でもシュナイダーの症状、超常体験、奇妙な身体的な妄想、ボーダーライン傾向、そして小児期のトラウマを有するのが、この解離性統合失調症であるという。(Ross, p.195)そして統合失調症における陽性症状は解離性の性質を有するという。そして解離と統合失調症の違いは陰性症状の有無であるとする。


2024年11月23日土曜日

解離と知覚 推敲 2

 幻覚と解離

幻聴が生じる状況は多岐にわたり、その機序を解明することは難しいが、その中でそれを解離の文脈でとらえる向きがある(Longden, et al. 2012)

Longden, E., Madill, A., & Waterman, M. G. (2012). Dissociation, trauma, and the role of lived experience: Toward a new conceptualization of voice hearing. Psychological Bulletin, 138(1), 28–76.

そこで解離性障害の症状としての知覚異常はどのように定義されているだろうか?

DSM-5で解離性の幻覚体験に相当する部分、すなわち「機能性神経症状症」の中の記載を見てみよう。そこには「感覚症状には、皮膚感覚、視覚、又は聴覚の変化、減弱、又は欠如が含まれる」とある。これは実にシンプルな説明であり、症状の形態としてはあらゆるものを取ることを想定している。またそれが解離の症状であるという診断を支持する徴としては、「ストレス因が関係している場合があること」、「神経疾患によって説明されないこと」「診察の結果に一貫性がないこと」(315)などが挙げられている。すなわち解離性の幻覚は、器質因が除外され、それが場合によってはある心理的な要因を伴って生じ、またその表れ方が状況により変動するという性質を有するのである。よく教科書に記載される管状視野(トンネルビジョン)や不思議の国のアリス症候群などはそれらのごく一例ということになろう。

また解離性の知覚の異常ということについては、そこには幻覚体験だけではなく、視覚の脱失もまた生じることになる。このような解離における知覚異常のあり方を理解するためには、いわゆる解離の陽性症状と陰性症状という考え方に立ち戻る必要があろう(Steele K. et al, 2009)(野間、岡野訳 構造的解離理論 p73)

Steele, K, van der Hart, O, Nijenhuis, E (2009) the theory of trauma-related structural dissociation of the personality. in Dissociation and the Dissociative Disorders. DSM-V and Beyond. p.239 

実際繰り返される解離性幻覚は、その他の種々の身体症状と共に発生することが多い。つまりその解離症状が幻覚に特定される必然性はないのである。

そのようなあり方をする古典的な例をここに示そう。

<ブロイアーとフロイトによる症例アンナO.に見られる幻覚>

ブロイアーとフロイトによる著作「ヒステリー研究」(1895)の最初に記載されているアンナO.の示す症状は、ある意味では解離性障害が示しうる症状群を一挙に紹介してくれるという意味ではとても象徴的である。その中で彼女がどの様な文脈の中で幻覚ないし知覚異常を示したかを知る上でも簡単にさらっておこう。

アンナO.の発症は多くの症状の複合したもの、つまり「特有の精神病、錯誤、内斜視、重篤な視覚障害、手足や首の完全な、ないし部分的な拘縮性麻痺」である(フロイト全集、p.25)。これは彼女が敬愛する父親の発病をきっかけに始まった。そして自分も徐々に憔悴し、激しい咳と吐き気のためにアンナは父の看病から外される。ここでブロイアーが呼ばれたが、ブロイアーはアンナが二つの異なる意識状態を示すことに気が付く。一つは正常な彼女だが、もう一つは気性が荒く、又常に幻覚を見、周囲の人をののしったり枕を投げつけたりしたという。
その幻覚については、彼女の髪やひもが黒い蛇となって表れた。最初は午後の傾眠状態で現れたが、錯語(言語の解体)や手足の拘縮も起きていた。この視覚異常に関しては特定の色だけ、例えば自分の服の色だけ、茶色なのはわかっているのに青に見える、などのことも後に起きたという。(p.39)そしてそれは父親が来ていたガウンの青色が関係していることが分かったということだ。

ここで興味深いのは幻覚はそれ自身が単独で起きるというよりは意識の混濁や言語の解体や手足の拘縮などと一緒に生じていたということである。つまり彼女は身体運動、言語機能、情動の表出,咳や吐き気などの自律神経機能の異常などとともに知覚異常(錯覚、幻覚)を体験したのだ。
これらの知覚異常はいわば解離性の陽性症状といえるが、ブロイアーはアンナに見られた聴覚異常についても丹念に記録している。それは誰かが入ってきても、それが聞こえない、人の話が理解できない、直接話しかけられても聞こえない、物事に驚愕すると急に聞こえなくなる、などである。(p.43)

ここでアンナの知覚、聴覚異常についていえば、視覚においては陽性症状としての幻覚、聴覚に関してはもっぱら陰性症状としての聴覚脱失であるが、それが浮動性を有し、様々な形をとっているということが特徴的である。(自分の服の色の誤認の例など。)そしてそれらはまた「語ることで除去」されるという性質を持っていたのであ(p.41)。つまりDSM-5に記されている解離性の幻覚体験の特徴を備えていたのだ。

それともう一つの特徴はアンナの例では症状ごとに「心因」が見られたということである。

声紋痙攣:口喧嘩をした際に彼女は言い返すのを抑え込んだことがあったが、それが声紋痙攣を引き起こした。この症状は似たような誘因が生じた際に反復して出現した。(p.47)

右手の拘縮性不全麻痺:アンナは父親の看病をしている時、右腕を椅子のひじ掛けに乗せたまま病床の川田らに座っていて、白日夢に入った。このことが原因の一つと考えられる。(p.45)

巨視症と内斜視:アンナが目に涙をためて病床の傍らにいた時、突然父親から時間を聞かれ、時計がはっきりっ見えないために目を近づけようとしたところ、その文字盤が非常に大きく見えた。また父親に涙を見られないように抑え込む努力をしたこと。(p.47)

しかもこれらは明らかにされると共に消失したという。

現在の精神医学の見地からは、転換症状にことごとくその具体的な原因が考えられるとは言えず、その為にDSM-5でもICD-11でも心因を問うことはしなくなったが、時としてそれらが見られることがある。そしてこれもまた転換症状の一つの特徴と考えられるであろう。ただしその存在が必要条件であるということは言えない。


2024年11月22日金曜日

解離と知覚 推敲 1

 はじめに

解離における知覚体験というテーマで、主として解離性の幻覚について扱うのが本稿のテーマである。

まず幻覚の定義としては「対応する感覚器官への客観的な入力 objective input がないにもかかわらず生じるあらゆる様式 modality の知覚的な体験」Walters, et al, 2012)perceptual experiences across sensory modalites, despite the absence of objective input to the relevant sense organ. とする。

幻覚はしばしば深刻な精神病理との関連を疑わせるがlife time 有病率は5.2%とされる(McGrth, et al, 2015)。

上述のように、私達臨床家は幻覚体験を精神病症状として捉える傾向にあるが、幻覚体験は様ざまな神経学的病理と関連していることが知られている。

幻覚体験一般についてはオリバー・サックスのユニークな書「幻覚の脳科学」がそれを網羅的に論じ、非常に参考になる。

Sacks, O (2012) Hallucinations.  Vintage. 太田直子訳(2014)幻覚の脳科学 見てしまう人びと. 早川書房.

サックスは脳の一部の過活動により幻覚が現れるメカニズムについて論じている。いわゆるシャルル・ボネ症候群(CBS)は希なものとされていたが、実は盲目の患者の多くに奇妙な幻覚体験が聞かれることを示している。CBSにおいては大脳皮質に対して入力が途切れた場合、そこに何らかのイメージが投影され、それが幻覚体験となって表れることがある。これについていみじくもサックスは次のように述べている。(P.39)

このCBSとの関連で論じるべきなのはいわゆる感覚遮断の影響である。これは「囚人の映画」と呼ばれ(p.52)。囚人が明かりのない地下牢に閉じ込められると、様々な心像や幻覚を見るようになるという。ただしそれは感覚遮断の状態である必要はない。単調な刺激でも起きるという。
サックスの記述する囚人たちの体験する幻覚の進行具合はとても興味深い。最初はスクリーンに映し出される感じだが、そのうち圧倒的な三次元になる。そして「被検者たちは最初ビックリして、そのあと幻覚を面白い、興味深い、時にはうるさいと思うが、まったく『意味』はないとする傾向があった」(p.54)。ここが私が注目するところである。この(自分にとっての)意味のなさが他者性としての性質を帯び、それはまさに解離性の幻覚も同様であるということが言いたいのである。

サックスがp.59で強調していることはとても大事だ。彼はある芸術家に感覚遮断をして幻覚を体験した際のMRIを撮ったところ、後頭葉と下部側頭葉という視覚系が活性化されたという。そして彼が想像力を働かせて得た視覚心像由来の幻覚では、ここに前頭前皮質の活動が加わったという。つまり幻覚の場合は、トップダウンではなく、「正常な感覚入力の欠如により異常に興奮しやすくなった腹側視覚路の領域が、直接ボトムアップで活性化した結果なのだ。」(p.59)ということになる。つまり私たちにとっての幻覚は、前頭前野が関わっているかどうかにより全く異なることになるわけである。これは知覚と表象の違いということで一般化できるかもしれない。
サックスの同書第13章「取りつかれた心」(p.276~)は事実上解離性障害について扱っている。そしてトラウマのフラッシュバックは、これまでのCBS、感覚遮断、薬物中毒、入眠状態などと基本的に異なるとする。つまりそれは本質的に過去の経験への「強制的回帰である」とする。それは「意味のある過去」だというのだ。

サックスはまた幻覚の脳科学的な基盤についても記載している。「ブランケは脳の右角回の特定の部位を刺激すると、軽くなって浮遊する感覚や身体イメージの変化だけでなく体外離脱体験も必ず起こることを実証することが出来た。」そしてブランケは言うという。「角回は身体イメージと重力に関係する前庭感覚を仲立ちする回路の極めて重要な結節点であり、『自己が体から解離する体験は、体からの情報と前庭情報を統合できない結果である』と推測している。」(p.313)と記述している。


2024年11月21日木曜日

統合論と「解離能」推敲 18

 今日の成果はこのスライド一枚だけである。






2024年11月20日水曜日

男性の性加害 4  

 斎藤章佳著:子供への性加害-性的グルーミングとは何か (幻冬舎新書, 2023年) を読んでいる。p.86,87 にとても重要な記載があった。

ポルノ規制が語られる際に必ず出てくるという「カタルシス効果」つまりポルノによって性欲が解消されて性犯罪が減る効果については、実証結果はほぼ皆無だという。そして英語圏でなされた46の実証研究をPaolucchi et al (2000)がメタ分析をしているが、ポルノに晒されると「逸脱的な性行動を取る傾向」「性犯罪の遂行」「レイプ神話の受容」「親密関係に困難をきたす経験」がいずれも2,3割増加したという。もう一つ Ybara,et al (2001)の研究も紹介されている。10~15歳の男女を対象に、「暴力的な性的描写の視聴経験」があるかないか、という違いと「性的な攻撃行動」との関連性を調べたところ、前者がある場合には後者が6倍も高いという結果であったという。

Paolucci EO, Violato C. A meta-analysis of the published research on the affective, cognitive, and behavioral effects of corporal punishment. J Psychol. 2004 May;138(3):197-221.
Ybarra ML, Thompson RE. Predicting the Emergence of Sexual Violence in Adolescence. Prev Sci. 2018 May;19(4):403-415

さてこれは何を意味するのだろう?ポルノにより性的逸脱傾向が増す、という議論は「抑止効果」と相反するものなのか?実はケースバイケースではないか。二次元の世界に夢中になり、現実の異性に関心が向かなくなるという言説は完全に否定されるのか? それともこの研究は「PC」だからなのか?でも一つ確実なのは「抑止効果」説はそれなりの根拠を示さない限り信憑性を得られないということだ。

2024年11月19日火曜日

英語論文の推敲

 あるほんの短い英文の投稿論文にもう1年以上苦労している。解離と中枢神経刺激薬との関連についてのケースレポートである。査読で返されては修正提出を繰り返している。まあreject されるよりは希望は持てるか。今回の追加分。

One case report (Aydın, EF. 2022) states that a 39-year-old woman with DID and ADHD showed marked improvement in DES score when methyphenidate was administered. 一つのケース報告 (Aydın, EF. 2022) はADHDとDIDを併発した39歳の女性の例において、メチルフェニデートによりDESのスコアが低下したとある。

Aydın EF, Koca Laçin T. A case of dissociative identity disorder and attention deficit hyperactivity disorder comorbidity. European Psychiatry. 2022;65(S1):S471-S471. 

 Some reports that in many children with ADHD, disturbed developmental processes might lead to the impairment of resilience and increased sensitivity with respect to stressful experiences, resulting in pathological dissociative processes (Bob, P., Konicarova, J. ,2018).そして一群の小児においては、発達過程の何らかの障害によりストレスフルな体験による脆弱性や感受性が増し、それが病的な解離症状に関連するという報告がある (Bob, P., Konicarova, J. ,2018).

Bob, P., Konicarova, J. (2018). Neural Dissolution, Dissociation and Stress in ADHD. In: ADHD, Stress, and Development. SpringerBriefs in Psychology. Springer, Cham.

Some studies reported improvement of DPDR with methylphenidate(Oleskowicz, T (2019, Foguet, Q. et al. 2011). いくつかの研究ではDPDRのメチルフェニデートによる改善を報告している(Oleskowicz, T (2019, Foguet, Q. et al. 2011)。

Oleskowicz, T (2019) Methylphenidate as a Treatment for Depersonalization/Derealization Disorder.
Foguet, Q. et al.(2011)  “Methylphenidate in Depersonalization Disorder: A Case Report”. Actas Españolas De Psiquiatría, vol. 39, no. 1, Jan. 2011, pp. 75-78.





2024年11月18日月曜日

解離における知覚体験 14

ちょっと書き進めるにも、沢山の引用が必要になり、大変である。だから学術論文を書くのは嫌いだ。


 最近の研究はトラウマと幻覚傾性 hallucination-proneness との関係が注目されている。特に小児期の性的虐待は統合失調症や双極性障害や一般人において幻覚との関連が報告されている(Varese F, 2012)。 しかしそこに解離症状が絡んでいることが注目されるようになっている・つまり小児期の虐待は解離症状を生み、それが幻覚体験につながるというわけである(Moskowitz & Corstens, 2007, Anketell et al, 2010)。また解離傾向は精神病症状の中でも特に幻覚と関連していることが明らかになってきているという(Kilcommons & Morrison, 2005)。これはColin Ross の「統合失調症の陽性症状は解離の性質を有する」という主張を思い出させる。(Ross, 1997 p196)

Jones, O., Hughes-Ruiz, L., & Vass, V. (2023). Investigating hallucination-proneness, dissociative experiences and trauma in the general population. Psychosis: Psychological, Social and Integrative Approaches. Advance online publication.  Wearne D, Curtis G, Choy W, Magtengaard R, Samuel M, Melvill-Smith P.  Trauma-intrusive hallucinations and the dissociative state. BJPsych Open. 2018 Aug 30;4(5):385-388. Varese F, Barkus E, Bentall RP. Dissociation mediates the relationship between childhood trauma and hallucination-proneness. Psychol Med. 2012 May;42(5):1025-36. Ross, CA (1997)  Dissociative Identity Disorder - diagnosis.clinical features and treatment of multiple personality. John Wiley & Sons, Inc. Moskowitz A, Barker-Collo S, Ellson L (2005). Replication of dissociation-psychosis link in New Zealand students and inmates. The Journal of Nervous and Mental Disease 193, 722–727. Anketell C, Dorahy MJ, Shannon M, Elder R, Hamilton G, Corry M, MacSherry A, Curran D, O’Rawe B (2010). An exploratory analysis of voice hearing in chronic PTSD: potential associated mechanisms. Journal of Trauma and Dissociation 11, 93–107. Kilcommons AM, Morrison AP (2005). Relationships between trauma andpsychosis: an exploration of cognitive and dissociative factors. Acta Psychiatrica Scandinavica 112, 351–359.


2024年11月17日日曜日

解離における知覚体験 13

 「わかりやすい解離性障害入門」星和書店 2010年 p131に書いたことを今回加筆してみた。


解離性障害

統合失調症

幻聴の主の特定可能性

患者は「あの人の声だ」と特定出来ることが多い。(小さい頃から聞いていたあの声だ、などと感じることが多い。フラッシュバックにおいては、かつての加害者の声である場合がある。DIDの場合にはそれが特定の交代人格である場合が多い。)

多くの場合、特定不可能である。あるいは神や悪魔などの「超越的」な存在の声として感じられることもある。

どの程度声に影響されやすいか?

声に驚いたり、おびえたり、場合によっては励まされるなど様々な影響を受ける可能性がある。しかしあくまでも別の主体の声としてとらえられる。別人の声が勝手に聞こえて来ると感じ、聞き流すことも多い。(ただし交代人格の声である場合は、時には自分がその声の主にスイッチし、「本人の声」になることもある。)

幻聴の内容はしばしば、自分の意志や考えと区別がつかない。(幻聴の内容がそのまま妄想内容となることが多い。たとえば「あいつがお前を狙っている」という幻聴を聞くと、それがそのまま確信となる、など。)

面接者との対話

患者に幻聴の主との対話を促すことが出来る場合が多い。また時には面接者は患者を媒介にして、幻聴の主との伝言のやり取りができることがある。

通常は考えられない。

関係念慮(自分にかかわってくるという印象)を伴うか?

自分に話しかけている場合を除いては、通常は他人事である。(ただし至近距離において、幻聴が「自分のことを言っている」という感覚を伴うことがある。)

通常は伴う。その場合幻聴の主は時空を超え、テレビやインターネットを介して「自分のことを言っている」と感じることもある。

いつから体験されるか ?

幼少時から「想像上の友」の形で聞こえていることが多く、しばしば鑑別上重要な手掛かりとなる。

思春期ないし青年期に統合失調症が発症した時、その前兆として数ヶ月程度前から聞こえ出すことが多い。

精神科の薬がどの程度有効か?

幻聴そのものにはあまり効果がないが、一応試みる価値はある。

比較的効果がある。

(場合によっては劇的におさまる。)