はじめに
解離における知覚体験というテーマで、主として解離性の幻覚について扱うのが本稿のテーマである。
まず幻覚の定義としては「対応する感覚器官への客観的な入力 objective input がないにもかかわらず生じるあらゆる様式 modality の知覚的な体験」(Walters, et al, 2012)perceptual experiences across sensory modalites, despite the absence of objective input to the relevant sense organ. とする。
幻覚はしばしば深刻な精神病理との関連を疑わせるがlife time 有病率は5.2%とされる(McGrth, et al, 2015)。
上述のように、私達臨床家は幻覚体験を精神病症状として捉える傾向にあるが、幻覚体験は様ざまな神経学的病理と関連していることが知られている。
幻覚体験一般についてはオリバー・サックスのユニークな書「幻覚の脳科学」がそれを網羅的に論じ、非常に参考になる。
Sacks, O (2012) Hallucinations. Vintage. 太田直子訳(2014)幻覚の脳科学 見てしまう人びと. 早川書房.
サックスは脳の一部の過活動により幻覚が現れるメカニズムについて論じている。いわゆるシャルル・ボネ症候群(CBS)は希なものとされていたが、実は盲目の患者の多くに奇妙な幻覚体験が聞かれることを示している。CBSにおいては大脳皮質に対して入力が途切れた場合、そこに何らかのイメージが投影され、それが幻覚体験となって表れることがある。これについていみじくもサックスは次のように述べている。(P.39)
このCBSとの関連で論じるべきなのはいわゆる感覚遮断の影響である。これは「囚人の映画」と呼ばれ(p.52)。囚人が明かりのない地下牢に閉じ込められると、様々な心像や幻覚を見るようになるという。ただしそれは感覚遮断の状態である必要はない。単調な刺激でも起きるという。
サックスの記述する囚人たちの体験する幻覚の進行具合はとても興味深い。最初はスクリーンに映し出される感じだが、そのうち圧倒的な三次元になる。そして「被検者たちは最初ビックリして、そのあと幻覚を面白い、興味深い、時にはうるさいと思うが、まったく『意味』はないとする傾向があった」(p.54)。ここが私が注目するところである。この(自分にとっての)意味のなさが他者性としての性質を帯び、それはまさに解離性の幻覚も同様であるということが言いたいのである。
サックスがp.59で強調していることはとても大事だ。彼はある芸術家に感覚遮断をして幻覚を体験した際のMRIを撮ったところ、後頭葉と下部側頭葉という視覚系が活性化されたという。そして彼が想像力を働かせて得た視覚心像由来の幻覚では、ここに前頭前皮質の活動が加わったという。つまり幻覚の場合は、トップダウンではなく、「正常な感覚入力の欠如により異常に興奮しやすくなった腹側視覚路の領域が、直接ボトムアップで活性化した結果なのだ。」(p.59)ということになる。つまり私たちにとっての幻覚は、前頭前野が関わっているかどうかにより全く異なることになるわけである。これは知覚と表象の違いということで一般化できるかもしれない。
サックスの同書第13章「取りつかれた心」(p.276~)は事実上解離性障害について扱っている。そしてトラウマのフラッシュバックは、これまでのCBS、感覚遮断、薬物中毒、入眠状態などと基本的に異なるとする。つまりそれは本質的に過去の経験への「強制的回帰である」とする。それは「意味のある過去」だというのだ。
サックスはまた幻覚の脳科学的な基盤についても記載している。「ブランケは脳の右角回の特定の部位を刺激すると、軽くなって浮遊する感覚や身体イメージの変化だけでなく体外離脱体験も必ず起こることを実証することが出来た。」そしてブランケは言うという。「角回は身体イメージと重力に関係する前庭感覚を仲立ちする回路の極めて重要な結節点であり、『自己が体から解離する体験は、体からの情報と前庭情報を統合できない結果である』と推測している。」(p.313)と記述している。