2021年8月31日火曜日

それでいいのか?アメリカ人 1

 なんと・・・・「死の本」の企画が没になってしまったという。その代わり「アメリカ人と日本人」という企画になった。ということで試しにまえがきを書いてみた。

まえがき

私は25歳の春に医師免許を手にしてから、早速海外に出るチャンスをうかがっていた。外国、特に欧米の文化には一種のあこがれのようなものをもっていたが、だったら外国映画や外国文学に親しめばいいということになるだろう。しかし私はそれらにあまり関心がなかった。生来多動傾向のある私は、落ち着いて本を読んだり映画を見たりということが不得手だったのである。そのかわり生身の外国人、特に欧米人の姿が見てみたい、そして彼らの世界に身を置いてみたいという願望が強かったのだ。本で知識を増やしても、私が彼らの世界に飛び込まない限り意味がない、と思っていたのである。

私がなぜそんなことを思っていたのかわからないが、一つ確かなことがある。それは一種の悔しさ、ふがいなさからくるものであったのは確かなことだ。私は幼少時は日本の地方の田舎町に育ち、しかし学校だけは比較的都会の小学校に通う毎日を過ごしたが(いわゆる「越境入学」というやつである)、そこで時々出会う異星人(ガイジン)が気になっていた。彼らは明らかに日本人と違う髪の色、背格好をし、しかもよくわからない言葉を話していた。私の子供時代といえばもう半世紀以上前であるが、それでも都会の街には彼らはちらほらいた。私は彼らに対して恐れの気持ちを持っていた。彼らは体も大きく怖そうな存在であり、近づいてこられたら困る存在であり、特に英語とやらで話しかけられたら、絶対に窮地に陥るものと分かっていた。だれからも教わったわけではないが、私はそれらを「知って」いたのである。それは周りの日本人の大人たちがそうしていたからだろう。日本人は英語で話しかけてくるガイジンには、絶対に英語で返さなくてはならないこと、そして圧倒的に自分のその力が不足しているので、その場から逃げるか、あるいは冷や汗を流しながら対応するしかない姿を見ていたのだ。

本書の表題から見てもわかるとおり、私は「気弱」な性格である。しかし気弱には二種類あり、気弱でいることに甘んじる人たちと、気弱でいることが悔しい人たちである。私は後者の方であるから、日本人が総じて気弱になるようなガイジンという存在はとても気になった。外人と目が合いそうになると真っ先に遠ざかっていた私は、それを何よりも不甲斐なく思っていたのである。

2021年8月30日月曜日

死について 2

 死に一歩近い日本人

2014年のサッカーワールドカップブラジル大会。日本対コートジボワール戦が開催された614日、現地観戦した日本人のサポーターが、試合後に会場のごみ拾いをし、諸外国の称賛を浴びたという。アメリカのケーブルテレビ局は「試合に勝ったのはコートジボワールだったが、観戦のマナーで大勝利を収めたのは日本だった」と絶賛。
 何で日本人はこうなのだろう?財布を落としても、中身ごと戻ってくるのがふつうである社会。私は個人的には普通のことだと思うが、実際に他にこんな国のことを聞かないとしたら、やはり変わっているのだろう。
 こんな話を始めたからと言って、これがどう死生観とつながっているのか、読者は訝しく思うかもしれない。ではここに一本の補助線を引いてみる。武士道精神だ。
 勝っても負けてもフェアな精神でそれを受け入れる。敵を称賛し、味方も慰労する、という態度である。私の中ではこれは武士道精神と結びつく。新渡戸稲造は、日本の精神が武士道で説明できないものはないとか言ったそうだが、確かに日本で美徳と思われている事柄は、武士道にもうたわれている。
 もちろん日本の専売特許というわけではなく西洋でも騎士道 Chivalry があった。(ただし騎士道は、それが理想とされてもどこまで遵守されたかはいっそう不明であろう。最後にはレディファーストくらいしでしか形が残っていない感じだ。)
 そして昨日触れたいわば武士道のバイブルとも形容されるような「葉隠れ」には、冒頭から死生観が語られている。新渡戸はそのBushidoの中で、武士道の由来は禅であるとしたうえで、その武士道の精神を次のようにまとめる。「それは運命を冷静に受け止め、避けられぬことに静かに服し、危険や悲惨な出来事に対して禁欲的に心を安定させ、生を軽蔑し、死を身近に感じることである。」そして「葉隠れ」を愛読書としていたとされるが三島由紀夫がそれを象徴するような形で起こした割腹自殺。やはりつながっている気がする。
 もちろん日本人は、あるいは日本文化は死を恐れないなどという事は決してない。しかし自殺を自己犠牲の究極の形として考えるのであれば、自分の利益を優先する傾向の少ない日本人がそれだけ死に近い位置にあるという考え方はさほど間違ってもいないかも知れない。それに諸外国の間ではかなり高い自殺率(東欧諸国をのぞいたら先進国で一位である)。(1.リトアニア 42.1 2. 2.ロシア 38.7  3. ベラルーシ 35.1 4. カザフスタン 28.8 5. スロベニア 28.1 6. ハンガリー 27.7 7. エストニア 27.3 8. ウクライナ 26.1 9. ラトビア 26.0 10. 日本 23.8
 ここで誤解も曲解も受けないような表現を取るとしたら、表題のようになる。

2021年8月29日日曜日

死について 1

 日本人と死 (日本人がいかに特殊で変わっているか?)

私は日本人はとても変わっていると考えている。おそらくこのような文化を他に知らないのであるが、それは死についてもそうである。落とした財布が、中身ごと警察に届けられるような国は他にあるだろうか。もちろん「財布は落とした人のものだから、その人に返すべきだというのは当たり前ではないか?」という声は聞こえる。私自身もそのように思う。しかし実際の社会でそれが実行に移されるような国や文化が何と希少な事か。そのことが興味深いのである。

さてそのユニークさは、死という問題についても当てはまる。一言で言えば、日本は他人のために、あるいは名誉の為に自分の死を厭わないという事がかつて常識と考えられていた、稀有な国なのである。

という事で2021221にこんなことを書いた。

武士道に見られる死生観

 禅の思想が死生観と最も顕著な形で結びついていたのがいわゆる武士道の倫理である。武士道については、1900年の新渡戸稲造の英文による紹介が広く知られている。(Bushido:The Soul of Japan)。新渡戸はそのBushidoの中で、武士道の由来は禅であるとしたうえで、その武士道の精神を次のようにまとめる。「それは運命を冷静に受け止め、避けられぬことに静かに服し、危険や悲惨な出来事に対して禁欲的に心を安定させ、生を軽蔑し、死を身近に感じることである。」いいねえ!

 このような武士の死生観は最も直接的に表したものとして葉隠を紹介しよう。その中でもとくに有名な文章について紹介しよう。

まずは原文

二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。(中略)二つ二つの場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。若図に迦れて生たらば、腰ぬけ也。此境危ふき也。図に迦れて死たらば、気違にて恥にはならず、是は武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。

 

現代語訳

どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。私も含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。(しかし)図にはずれて生き延びたら腰抜けである。この境界が危ないのだ。図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができるのである。

この葉隠の精神について、よくある解釈は、「恥をかくのを恐れて死を選ぶのは正しい選択ではない、命を粗末にするだけだ」というものである。「図に外れて生き延びたら腰抜けである」けれど、「図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない」。だから死んだほうがいい、という部分は確かにその様に読める。たしかにそうかもしれない。だから死の覚悟をすることが正しい、あるいは間違っているという話ではない。ただその様な覚悟を人に持たせるような社会や文化は稀有であるという事だけを私は言っているのである。

恥をかくくらいなら死ぬ、という考え方は狂気かも知れない。でも気位の高い武士が世間から非難や好奇の目に晒されるよりは死を選ぶという決断は心情的に分かる。よく覚えていないが、確か近隣の国でスキャンダルの報道を目前にして自殺をした人の話を聞いた気がする。それに葉隠の精神で死を選ぶ人の場合、おそらく恥を雪ぐため以上の何かが働いていることが少なくないであろう。それは究極の「滅び」の行動である。そしてこれはマゾヒズムとは違う。マゾヒズムの場合にはそこに快感が後押ししてくれている。そして結局はナルシシズムとも通底している可能性がある。三島の自害も結局はそれだったのであろう。ところが「滅び」には一見したところ利得が伴わないのである。そこにあるとすれば、それは美意識、かも知れない。

2021年8月28日土曜日

他者性の問題 18

 アンナO.のケースに魅了されたフロイトは、その治療者であったブロイアーの説明についてもある程度は納得していたはずである。ブロイアーの考え方はいわゆる「類催眠状態 hypnoid state」という状態を考えることであった。類催眠状態とはいわば催眠にかかったような、もうろうとした状態のことを指す。アンナ O.はしばしばこのような様子を示し、その後に症状が現れたり別の人格に代わったりしたのである。ブロイアーの考えはこうであった。ある種のトラウマを体験した人はこの類催眠状態になり、いわばもう一つの意識の流れが出来上がる。そしてそちらの方がトラウマを体験することになり、それが将来の交代人格となっていくのである。
 最初はフロイトはこの見解に異議を唱えなかった。というよりはあまり深くこの問題を考えていなかったのかもしれない。そしてフロイトはブロイアーに共同の執筆を誘いかけ、共著論文「ヒステリー諸現象の心的機制について暫定報告」(1893年) を書いた。ブロイアーにとってはとても成功したとは言えない、しかも10年前のアンナ O. の治療について執筆することは不本意であったがフロイトに押される形で 1895年に「ヒステリー研究」を発表することとなった。この本の構成は、第1章が上記の「暫定報告」の再録、第2章がブロイアーによるアンナ O.の治療、第3章フロイトの4ケース、第4章がブロイアーの理論、第5章がフロイトの理論、というものだった。この本の第1章では フロイトはブロイアーの唱える類催眠状態の理論に賛同していたが、後半ではと異なる意見をすでに表明している。フロイトは1889年にフランスのナンシーという町にイッポリット・ベルネームを訪れてから、催眠ではなく自由連想にシフトし始めていたのだ。その意味で「ヒステリー研究」は フロイトとブロイアーに生じていた隔たりを浮き彫りにする形となった。
 フロイトとブロイアーは、ヒステリーの理解について異なった考えを持っていたが、それを簡潔に言えばこうなる。

ブロイアー:トラウマ時に解離(意識のスプリッティング)が生じる。
フロイト: まず心の中で、切り離したい部分を切り離すという、ある種の意図的な努力がなされる。つまりいきなりひょっこり心が外に生まれるというようなことは生じないのだ。スプリッティングの準備は防衛的に進んでいたのだ。

 フロイトはなぜ解離を受け入れなかったのか?

この様にフロイトとブロイアーの考えの違いを追ってみると、そもそもフロイトは解離という概念が好きでなかったという事が分かる。それはどうしてだろうか?一つの考え方は、フロイトがこれに関して最も“parsimonious(最も簡潔)な理論を選んだからだということが出来るだろう。要するにフロイトはヒステリーの原因を一つに絞りたかったのだ。ところが彼は二つの違う考え方を与えられていたのである。
 一つは内的な因子であるリビドーの考え方である。彼はこれが心に様々な負荷をかけることでヒステリーが生じると考えた。しかし他方ではフロイトは複数の外的な因子がヒステリーに関与しているらしいとも考えていた。それらは例えば大人からくわえられた性的なトラウマである。これらは全く違う方向からヒステリーの原因を説明することになることになる。そしてフロイトはこの二つの理論を統一するような考え方を模索した。それが彼の欲動モデルだったわけである。そしてこの理論はフェヒナーや他のヘルムホルツ学派の理論と同じように、心のエネルギーをあたかも物理的なエネルギーと同等に扱うというアプローチであった。そしてそれに従う限りは、性的トラウマ説を放棄することもできたのだ。彼は性的トラウマの存在を否定したわけではなかったが、それはファンタジーを介してリビドーの量を高めるという影響があったと想定した。そしてそれが心に大きな不快を呼び起こすために、それを抑圧する必要があり、それが心のスプリッティングを生み、ヒステリー症状をもたらす。ただしそうなるためには、心はあくまでも一つであり、ややこしい意識の分割という事はその説明にとってむしろ不都合だったという事になる。

 結局フロイトは理論の為にこの不思議な現象から目を逸らしたというのがよく分からないことなのである。

実はフロイトはこんなことを1936年に書いている。「離人症の問題は私たちを途方もない状態、すなわち「二重意識」へと誘う。これはより正確には「スプリット・パーソナリティ」と呼ばれる。しかしこれにまつわることはあまりにも不明で科学的にわかったことはほとんどないので、私はこれについては言及することは避けなくてはならない。」(Freud, 1936 p245

 

2021年8月27日金曜日

●●学会の特別講演に向けて 6

 (順不同)

 さてここから私のお話は、オープンダイアローグについてになります。というのも最近斎藤環先生の漫画「やってみたくなるオープンダイアローグ」を読んでいて、これは解離性同一性障害の治療にもそのまま言えるのではないかと思ったからです。

<以下オープンダイアローグの説明については中略>

 リフレクティングではオープンダイアローグの最中に、治療者どうしが椅子の向きを変えて向き合い、患者について話し合う場を設けることです。ここが一番奇妙かも知れない、と斎藤環さんも書いています。
 ここで大事なのは、患者に治療者を観察してもらう事であるというのです。治療者間の対立などもその観察の対象になります。なぜこれが大切かと言えば、「患者がいないところで患者の話をしてはいけない」というルールがあるからだということです。そしてそこで患者は尊厳や主体性を与えられた感じになるというわけです。斎藤氏によれば、これはODの根幹部分であるとのことです。そしてそこでは見えない壁を作り、患者に目を合わせないというのです。
 ただしもちろんそこでネガティブなことは言わないことが大事です。何しろ当事者が聞いているからです。ここでリフレクティングは差異を扱うという事が言われますが、それは皆が注意深く色々な意見を出し合うからです。また面白いのは本人に何かコメントを直接するのではなく、リフレクティングで、「彼は~と考えているのではないか?」という言い方をするということです。このプロセスでおそらく重要なのは、患者が自分について様々な治療者が異なる見方をしてくれているという事、そしてそこに唯一の正解などないという事でしょう。
 ここでリフレクティングで守らなくてはならない点が整理されています。これをこの先のスライドで説明します。

話し合われている当事者には視線を向けないこと。

マイナス評価は控えること。

共感を伝えること。

患者がいないところで患者の話をしないこと。

このプロセスが興味深いのは、解離性同一性障害についての治療は、おそらく治療者はどの人格と対話をしていても、それがリフレクティングとしての様相を帯びているという事である。Aさんという人格と話していて、Bさん、Cさんについて言及するとき、Bさん、Cさんはそれを聞いている可能性がある。人格によっては治療場面に姿を現さないために、唯一その様な場面でしか治療者の自分についての考えを聞けないという事になるだろう。したがってリフレクティングで重んじなくてはならないお作法は結局はそこでも重んじられるという事になる。
 この発表では各交代人格はお互いに他者同志という前提に立つが、するとこれは他者との出会いの機会でもあるという事である。そこでは自分以外の人格たちも、そして治療者も他者であり、その心の中をのぞくというプロセスになるのだ。

2021年8月26日木曜日

●●学会の特別講演に向けて 5

 (承前)

 実は私はこの解離性障害の方の人権を守るということについて本当に真剣に考えるようになったのが、MPDからDIDへの呼称の変更がきっかけだったのです。1994年にDSM-IVが発表されたとき、MPDという呼び方がなくなりDIDになりました。その時私は別にそこに違和感を感じなかったのです。というよりたくさんの人格がいる、という呼び方で患者さんが偏見の目にさらされるよりは、本来持つべき人格を一つも持てていないのが問題なのだと言ったわけです。私はこれはシュピーゲル先生がDIDの患者さんに対する誤解を解くつもりでおっしゃったこととは思いますが、結果として別の誤解を生んでしまったのではないかと思います。それは彼らはどの人格も決して一人前の人格ではないという誤解です。

この先人たちの残した誤解をここでまとめたいと思います。

最大のものは交代人格を断片 fragments、部分parts、と見なしたことです。DIDや解離の文献を読むと、非常に多く出てくるのが、fragment という言い方です。あるいはパーツという言い方は少しはましですが、それでも誤解を招くのではないかと思います。そしてそれはどうしてかと言えば、彼らは統合こそが治療的な最終到達点と考えていたという可能性があります。
 これはいいかえると、心は一つであり、それ以上を一人の人間が持つという事は異常である、という根強い考え方です。しかしこれは恐らく誤りなのです。それは解離性障害の患者さんに会っている限りそう考えざるを得ないからです。
 ここで私が意見を申すのであれば、個々の人格は断片というにはあまりに分化して、個別的であり、ほとんど他者と言っていいような性質を持っているからです。それともう一つ、ここの部分は私がうまく表現できるか自信がないところではありますが、あるクオリアの伴った体験を持つとき、意識は一つであるという事です。例えば目の前のバラをバラだ!と認識した時、そこに意識の統一がなされているわけであり、それは部分としての意識の働きではないという事です。ただし無意識部分での体験を言い出すとこの限りではありません。例えば私たちがある意識活動をしている時、心のどこかで、「あ、バラだ」と認知しているかもしれませんね。それは脳のあるモジュールにおいて統一的な体験がなされていると言えるでしょう。その意味で人間がいくつかの体験を並行で持てているという事は、脳にいくつかの統一体が存在しているという事になります。ただし意識できる部分については、それ自身が統一的な活動です。でもそれを言うなら、無意識的な体験は、部分と言っていいでしょう。しかし意識的な体験は統一なのです。そして意識的な活動を行っていると考えられる交代人格もやはり統一体であり、決して部分ではないという事になります。

2021年8月25日水曜日

他者性の問題 17

今日は手抜きと言われても仕方がない。 

 フロイトはこのアンナ0.のケースに強い関心を寄せたことは間違いない。そして1886年のパリの留学において時の神経学の大家であるジャン=マルタン・シャルコーがヒステリーの患者に催眠を施すのを目の当たりにしたフロイトは、さらにその関心を深めていった。彼はシャルコー宅でのパーティで、このケースについて語ったとされる。しかしシャルコーはあまり関心を示さなかったと報告されている。これはフロイトのフランス語の発音が非常に分かりにくかったという事も原因かもしれない。

2021年8月24日火曜日

他者性の問題 16

 解離の理論の歴史を振り返る

ポリサイキズムとフロイト理論

そもそも精神分析を含む精神力動学が始まった19世紀には、様々な理論が存在し、そこには「ポリサイキズム」、すなわち一人の人間に複数の人格が存在するという理論もありえたのである(Ellenberger,1972)。話はそのようなポリサイキズム的な考えを有していたジョゼフ・ブロイアーとその後輩であったシグムント・フロイトとの関係にさかのぼる。ブルッケ教授のもとで修業をしていたフロイトは、1880年代になって結婚をして家計を成り立たせるためにも臨床医として独立をする必要に迫られた。フロイトはもともと研究者志向であったが、今も昔も研究者として経済的に独立して生きていくことは容易ではない。そこでフロイトは精神科医の開業をすることになったが、その際ブロイアーはよき先輩であった。ブロイアーは開業にあたってフロイトにいろいろな治療法を薦めた。開業するならばいくつかの治療手段の心得が必要である。現代なら薬物療法や認知行動療法、EMDRなどの知識が必要であるのと同じである、フロイトも最初は当時行われていた電気療法やワイアー・ミッチェル・システム療法を試みるが、あまり成果が表れなかった。ブロイアーはフロイトに、催眠についても偏見を持たずに学ぶよう勧める。そしてフロイトはヒステリーの性的な起源という考え方も学んだが、特に興味は示さなかったとされる。そのフロイトが最終的にヒステリー研究をブロイアーと著すことになったのであるから、運命とは面白いものである。
 運命と言えば、ブロイアーと催眠の結びつきもまた偶然であった。その頃ウィーンではモリッツ・ベネディクトという医学者がメスメル流の催眠を用いていたのだ。そしてこのベネディクトの友人であったブロイアーはその影響のもとにアンナ O.の治療を行った。ちなみにベネディクトはシャルコーの友人でもあり、フロイトのパリ留学に際して、シャルコーに紹介状を書いた人でもある。
 さてブロイアーが特に熱を入れてフロイトに語ったのが、有名なアンナ O.のケースである。アンナ O.はブロイアーが1880年から2年間にわたって治療に腐心した多彩で不思議な症例を示す患者であった。アンナやその治療者ブロイアーこそが、フロイトのヒステリーへの興味の火付け役であったと言ってもいい。事実フロイトはブロイアーを「精神分析の事実上の創始者である」と述べたのである。
 アンナ O.(本名ベルタ・パッペンハイム)はブロイアーのもとを受診した当時は21歳、性的には極めて未経験で、父親に対しては非常に献身的だった。父親の肺の病とともにアンナ O.も発症し、夕刻の失神、様々な身体症状、手足の硬縮、斜視、神経性の咳、失語などの多彩な症状がみられた。フランス語しか解さない人格と、ドイツ語しか話せない人格など複数の人格が見られ、これらの症状は恐らく現在の診断基準で言えば解離性同一性障害の基準を満たしていることになる。ちなみにブロイアーはパッペンハイム家の家庭医であり、1980年から二年間、毎日、時には一日二回往診した。(当時ウィーンにそこまでヒステリーを真剣に治療する人はいなかった。)
 フロイトはこのケースに強い関心を寄せた。そして1886年のパリの留学において時の神経学の大家であるジャン=マルタン・シャルコーがヒステリーの患者に催眠を施すのを目の当たりにしたフロイトは、さらにその関心を深めていった。

2021年8月23日月曜日

他者性の問題 15

 始まりかたを少し変えた。

初めに

近年解離性障害に関する関心が高まりを見せ、海外のみならずわが国でもこの障害に関する考察が多くみられるようになってきている。しかしそれに伴い様々な臨床所見が扱われ、数多くの理論化がなされる結果として、概念上の混乱が生じていることが危惧される。精神分析の世界でも解離は昨今扱われることが多いが、スキゾイド現象やスプリッティング、抑圧などの規制の違いなども問題になり、議論は錯綜している。そしてその結果として様々な臨床症状が解離という名ものとにかたられている可能性がある。
 筆者がこの論文で試みるのはDissociationとでも表記すべき「大文字の解離」という概念の提示であるが、これは必然的にdissociationすなわち「小文字の解離」との区分を意図したものである。これが混乱する解離という現象とそれを裏付ける理論にとって有益なものとなることを望む。
 ところで解離をいかに理解するべきかを論じるためには、先人たちの足跡をたどる必要がある。解離の理解にまつわる様々な誤解はやはり精神分析の淵源と深いかかわりがあったのだ。
  精神分析の創始者であるフロイトはブロイアーやシャルコーの影響を受け、現在では解離性障害として理解されているヒステリーへの関心を深めた。しかしその後フロイトは解離への関心を失ったかの如く抑圧とリビドーの理論の方に向かっていった。その際にフロイトが放棄したのは、解離に関する理論的な素地だけではない。過酷でトラウマに満ちた人生を送った患者を扱う機会も放棄したのである(Howell)。そしてその過程は、現在の解離や解離性障害の扱われ方とも共通した点が見られていたのである。その経緯を以下に辿ってみたい。

問題のありか

それでは精神分析において解離性障害はどのように扱われているのか。あるクライエントの話を参考に、一つの状況を再現してみよう。

<中略>

実はこの種の訴えはとてもよく聞かれるのである。解離性の症状は多くの臨床家にとって、そしてとくに精神分析的なオリエンテーションを持った人々によって、むしろそれを認めないという方針を貫く先生方が多いのである。解離性の交代人格はある意味では人として扱われていない、という悲しい、あるいは深刻な現実がここにあるといっていいのだ。そしてそのことが本論文を執筆するうえでの非常に大きな理由となる。

2021年8月22日日曜日

●●学会の特別講演にむけて 4

 

ここで斎藤環先生の本「やってみたくなるオープンダイアローグ」に書かれているリフレクティングのルールを振り返ってみましょう。これらはすべてDIDの治療に当てはまると私は考えます。4つの項目はここに掲げられたことです。

  •  話し合われている当事者には視線を向けないこと。
  •  マイナス評価は控えること。
  •  共感を伝えること。
  •  患者がいないところで患者の話をしないこと。

     まず、第一番目、「話し合われている当事者には視線を向けないこと」

    リフレクティングにおいては、視線を合わせないことで、第三者に向かって語っているという雰囲気を作ることになります。もちろん交代人格に直接話す時にはその人格を話し合う輪に入れて、その交代人格に向かって話すことになります。しかしそうでない場合は、例えばAさんという人格とBさんのことについて話すときは、Bさんについてのリフレクティングが行われていることになり、Bさんに直接向かって話すのではなく、あくまでBさんについて第3者的に話すことになります。そしてそこで対象になるBさんとは、しばしば黒幕人格さんであることが多いので、そのような例を考えましょう。その場合に私が気を付けるのは、特に黒幕人格には敬意を払うということです。そこで普通は「黒幕さん」という呼び方をします。時には敬語を使うこともあります。黒幕という言い方も、実は陰で大きな権力を持っているという、いわばポジティブな意味を含んでいるのです。ちなみに私は黒幕人格について英語の論文を書いたことがありますが、そこではshadowy figure という表現にしました。つまりこれも陰で操っているという意味を指します。ちなみに話の対象となっているBさんは、その話を聞いているとは限りません。寝ている場合も多いのです。ですからBさんについて話すということは必然的にBさんに背を向けて、リフレクティングのような形をとることになるかもしれません。そしてあくまでも黒幕さんについては特に、敬意を表した話し方になります。特に黒幕さんに寝てもらいたいときなどは、敬意を表さないと黒幕さんの協力を得ることが難しくなります。「黒幕さんにはお引き取り願えるといいですね」「何か大きな事件が起きる時までは、ゆっくり休んでいただくといいでしょうね」という言い方も可能となります。

     次に第二番ですね。「マイナス評価は控えること」。
    これも今言った話と通じることです。誰だって第三者が自分にネガティブ評価を下すのを聞きたくありません。第三者に、私が聞いていることを想定しない場面でしてもらいたいのはあくまでもポジティブ評価です。それを聞くことで人は本当にわかってもらえているんだ、やはり見る人にはわかってもらっているんだ、という体験となります。

     第三番目は、「共感を伝えること」です。
    これについても当然のことです。自分が分かってもらっていると思えること、それは第三者が、自分のいないところで行ってくれることで最も印象深い体験となるのです。
      第四番目は、「患者がいないところで患者の話をしないこと」です。この第4番目については、いろいろ議論を呼ぶところでしょうね。一般的な理解では、要するに患者の陰口を聞くな、ということです。そしてその意味では解離性障害の違いに限らず、すべての治療場面について言えることです。私はこのことをこのように言いなおしたいと思います。「患者当人が自己愛的な傷つきを体験するような話はどこでもするな」、ということです。おそらくカルテにも記録にも書くべきではないでしょう。では治療者は患者さんについて思ったことは、それがネガティブな内容であるなら、どこにも書けないのではないかと思うかもしれません。しかしそれは違います。もし私たちは他人にネガティブなことを言われたとしても、そのトーンとか言い回しにより、それがトラウマ体験になるかどうかが決まってきます。要するにそのネガティブな表現にも愛があるか、という事なわけです。例えば会社でAさんという人がわがままで、同僚の何人かはAさんの横暴さに辟易して、もうAさんに辞めてもらいたいとさえ思っているとします。そのような事態はいくらでもあるでしょう。そのとき、たとえば「ほんといい加減にAさんにはうんざりしちゃうね。はっきり言ってやめてほしい」というのと「Aさんには○○という長所もあり、能力もあり、それなりに会社に貢献しているけれど、ちょっと彼のペースに私たちがついていけないところがあるよね」と言われたのでは、雲泥の差があるでしょう。そしておそらくAさんという人には様々な長所と短所があるはずですから、後者の言い方の方がまだリアリティに近いという可能性があります。するとAさんとしては自分を全否定されて立ち直れない気分になるよりは、まだ後者の言い方で「自分は自分の能力に従ったペースをほかの人にも期待してしまっていたんだ。」と思え、それをより受け入れやすくなるかもしれません。ですから繰り返しますと、「人の陰口を聞かない」、というのは「患者当人が読んだり聞いたりした際に、そこに自己愛の傷つきや恨みを伴うようなことを言ったり書いたりするべきでない」ととらえなおすのであれば、あらゆる治療の文脈において言えることですし、交代人格に対するコメントとしてもいえることなのです。
     ちなみに精神分析関係の方々については、このような言い方が通じやすいかもしれません。患者さんに対するネガティブなことは、逆転移の理解という形で書くべきであるということです。治療者が患者に対して持つネガティブな思考や感情は、それが反省を経ていないことで攻撃や悪口になってしまいます。それよりは、それが自分の感情的な反応として客観的に反省されつつ語られることで、おそらく患者さんのためにもなるということになります。患者さんに関するネガティブなことは、ですから治療的な意味を持つ場合も少なくなく、ただしそれは治療者の側が自分の逆転移の問題としていったん引き取って語らえることで、初めて治療的な価値を獲得すると言えるでしょう。

2021年8月21日土曜日

他者性の問題 14

  Stern Bromberg の理論は現代的な分析家の多くにアピールすることとなった。多くの分析家たちは一見DIDの症状を示す患者を扱い、精神分析的な理論やテクニックがどの様に応用できるかについて思案している。ある精神分析の学会におけるラウンドテーブルの企画で、S. Itzkowitz, R. Chefetz, M. Hainer, K. Hopenwasser, and E. Howell (2015) という5人のエキスパートたちが考えを交換しているが、その中でもHowell Itzkowitzという二人の分析家がこの件について積極的に意見を交わしている。Howell Ferenczi の理論に従い、理論を展開するのだが、彼女の扱っている患者は概ね、van der Hart の言うタイプ(2)に該当する。Itzkowitz は「解離的転回 dissociative turn」という概念を打ち出し、私たち臨床家が解離を扱う際は、分析的な考え方を展開させる必要があると説いている。
 ワーキングスルーの過程の目的は、自己の状態を一つの統合された個人に固定することを必ずしも意味しはしない。精神分析の目的は、自分を守るための手段として解離を必要としたりそれに頼ったりするという問題を解決することであり、以前は知らないでいた自己のパーツとの有意義な形での関係性の意味を知り、それを構築するのを助けることである。
これはHowell も述べているように、精神分析において何が必須なのかについての私たちの考えの推移ともかかわってくるであろう。つまり無意識の探求から、自己の創造と自己実現への推移である。

2021年8月20日金曜日

他者性の問題 13

 Bromberg による解離に関連したエナクトメントの概念

Stern の考え方に沿って、Bromberg はトラウマの問題は人の心にとって決定的な重要性を持ち、そこでは解離は極めて重要な役割を持つ。Bromberg によれば、トラウマは発達段階のどの段階でも常に生じている。彼はSullivan の教えに大きな影響を受けつつ次のように言う。「解離は極めて共存不可能な感情や知覚が同じ関係の中で認知的に処理されなくてはならない時に生じる。」(Bromberg, 1994, p. 520).

Bromberg が明言しているのは、葛藤という概念は神経症的な人にとっては重要な概念であるが、解離的な患者は、それを持つことがないことが問題なのだということだ。しかし彼は解離が抑圧のないところで起きるとは考えていない。彼によれば、トラウマにより、Sullivan のいうnot me の部分が大きくなり、「安全であっても安全であり過ぎないような環境」(2012, p. 17),において、私でないパートはシステムに統合されるというのだ。Bromberg の業績は、エナクトメントを解離の文脈に持ち込んだことであり、それにより精神分析的な分野における解離の理解の幅が広がった。

エナクトメントを通して、解離されたものは体験されて自己に統合される。治療関係において、治療者は患者によりエナクトされた部分を体験すると同時に、治療者により解離されてエナクトされたものは患者により体験される。基本的にBromberg は解離を対人関係的な現象であるととらえる(Bromberg, 1996)

しかしこの理論が依然として前提としているのは、解離されたものはその人の心の中のどこかに存在するということだ。解離された部分は「象徴化されていないその人の自己の部分」が投影のようなメカニズムにより他者に伝わるというのだ。別言するならば、Bromberg の解離の対人モデルは、van der Hart のタイプ(1)ということになる。

しかし Bromberg はそれぞれのパーソナリティの独自性を尊重し、「解離された声に対して、それを時期尚早に統合を勧めるのではなく、非連続的であっても自己の個人的に真正な表現としてかかわること」(Bromberg, 1998, p.199)という態度を促進する。この提言は van der Hart’s type (2)に相当するのである。このようにBromberg の態度は文脈によってはタイプ(1)(2)に該当し、これもまたスペクトラム的な見方を進めることになる。

2021年8月19日木曜日

他者性の問題 12

 ここに相違点は明らかである。なぜならStern は解離を防衛機制としてとらえる一方では、Freud は解離ではなく抑圧が第一の防衛機制であると考えたからである。上に見たように、Breuer が類催眠状態という概念を提案したとき、それは大雑把に言えば解離と同義であったわけだが、Freud はそれを「力動的でない」と言って拒絶した。つまり抑圧こそが、危機的な状況で不快な心的素材を心の隅に追いやるメカニズムだと彼は言ったからである。
 ここにはStern の解離の概念とFreudの抑圧の類似性が見て取れる。Stern は解離を防衛と考え、それはBreuer が考えたものとは違っていた。Breuer はそれはトラウマが起きた時は自動的に起きると考えた。Stern Freud のモデルの類似性については、大事なので後にもう少し論じる。
 Stern Bromberg により提案されている解離の概念は何が無意識なのかについての独創的な考えにより特徴づけられる。Stern は言う。
 Freud が躊躇なしに受け入れたのは、心が、そして無意識が十分に形作られた内容により構成されているという事である(Stern, 2009, p.655.)
 この考慮されない思考 unconsidered belief は古く、広い文化にまたがる前提であり、Freud により明瞭に受け入れられたものであり、それは知覚は感覚的な所与であり、体験はすなわちすでに十分に構成された形で私たちに訪れる心的要素に根差すという考えであった。この前提は、無意識の中には、十分に形を成しているが認識されないものがあり、分析プロセスによりそのベールが取り払われるというものである。Stern は述べているのは、抑圧モデルは客観的な現実に対応した一つの真実があるというものであるという事だ。彼はそれを「対応理論」と呼ぶ。伝統的には、精神分析はこの概念を厳密に守ってきた。彼はこれを「対応」的な真実の見方と称したのだ。
 このように Stern の考える無意識は極めて Freud のそれと異なる。彼によれば意味は意識化される際に構成されるというのだ。実はこの考えはWinnicottの解離の概念とも通じるという。というのもWinnicott も「解離されているものはその人には経験されていない」と言っているのだ。“what is dissociated is not experienced yet by the individual” (Winnicott, 1963, p. 91). これってすごくないだろうか?

注目すべきは、Stern はこの種の体験を「未構成」のものと呼ぶという事である。彼は解離の分類について、「受身的な解離」や「弱い意味での解離」と「能動的な解離」または「強い意味での解離」という概念を提示している(Stern, 2009, p. 660)。前者は私たちが注意を見たくないものに向けていない状態と考えらえるが、後者はそれを無意識的な理由により行っている。これらはいずれもvan der Hart の分類では(1)に属するだろう。つまりここには一つの主体しか関与していないからだ。言い方を変えるならば、彼の言う「強い意味での解離」も、別の主体を構成するほどには「強くない」というわけである。

2021年8月18日水曜日

●●学会の特別講演に向けて 3

  ここでブロイアーの「類催眠状態」を説明します。ある種のトラウマが起きると、そこで意識が二つに分かれてしまう。フロイトはこのように意識が分離して異なる人格が存在した例を自分も体験したと言っているわけです。でもフロイトが一番反対したのは、トラウマと同時に自動的に意識が分かれる、あるいは出来上がるという現象についてです。フロイトはそれは心があたかも自動的に二つに分かれるようで、とても大事な点を見逃していると言いました。それはその意識が防衛的に切り離されたというプロセスです。
 ここで一つのたとえを用いましょう。ある優しい女性の人格が荒々しい男性の人格を持っているとします。そしてブロイアーによれば、それが何らかの外傷、例えば性的外傷によって生まれたという説です。ところがフロイトは、その男性人格は、そのもとの女性人格が自分から切り離したい、例えば男性的な部分を徐々に作り上げていたのだ、というわけです。心というのは常に自分が排除したいものを抑圧したり、心の奥底に閉じ込めたりするものであり、多重人格もそのような能動的な心の働きの結果だというわけです。



 この図は今の事情をもう少し分かりやすく描いたものです。今回の講演のために描き直しました。左側がもとの心(意識A)がトラウマを受けて意識Bが出現した図式で、これがブロイアーの考えた心のモデルでした。トラウマを受けたことが切っ掛けで突然心が出現するのです。何か不思議なオカルト的な現象とお考えかもしれませんが、私の臨床感覚ではこのようなことが起きるようです。それが最も典型的な形をとるのが憑依体験です。憑依においては突然ある種の霊的な存在が付く、という現象が起きます。
 右の図を見ていただければわかるとおり、フロイトは原則的にはその様なことは起きないと考えました。まず心の中で、切り離したい部分を切り離すという、ある種の意図的な努力がなされるのです。決してそこでオカルト的なことは起きない、とフロイトは考えていたことになります。

 

2021年8月17日火曜日

●●学会の特別講演にむけて 2

 この交代人格といかに会うかという事について、実は実際の臨床現場ではある驚くべきことが起きているという事は以前から話には聞いていました。しかしおそらくそれは非常に例外的な現象であろうと思っていたのです。ところがどうやらそうではないのではないかと思うようになりました。
 それは日本の精神医学会で、とりわけトラウマ関連で非常に強い発信力を持っておられる杉山登志郎先生の著書にある一文を見たときに明らかになりました。

それがこの文章です。

一般の精神科医療の中で、多重人格には「取り合わない」という治療方法(これを治療というのだろうか?) が、主流になっているように感じる。だがこれは、多重人格成立の過程から見ると、誤った対応と言わざるを得ない。
(杉山登志郎 (2020) 発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療 p.105)

 これは私がもしかしたら起きているかもしれないと危惧していたことが文章になったものとして私がはじめてであったものです。母親が交代した時の息子の反応を目の当たりにしたことがあります。おびえた子供のように、息子の目をのぞき込む母親に対して、こわごわと母親を見つめ、そして手を握ってあげていました。またDIDを持ったご主人にもたくさん会いました。もちろん少ないながら男性のDIDの患者さんもいらして、そのような方をご主人として持つ奥様の姿もたくさん見てきました。そして一つ思うのは、おそらく別人格が別人であるということを本当に理解しているのは彼ら、彼女らではないかということです。彼らは配偶者や親が人格の交代を起こすのを日常的に体験しています。彼らはそのようにすることでしか彼らに対処することが出来ないという事情が分かっています。というのも多くの場合人格ごとに記憶が異なり、一人の人格とは通じた話が別の人格とは通じない、ということを日常的に体験しているからです。DIDの母親を持った子供は小さいころは、お母さんが二人いると思っていたという話を聞きます。子供にとって母親を識別することは極めて重要になります。あるシーンで、母親の一卵性双生児の妹が訪ねてきたとき、最初は母親と思って抱き着こうとして気配の違いを察した赤ちゃんが、恐怖におののいて泣き出す姿を見たことがあります。いわゆる不気味の谷を赤ちゃんが体験していたわけですが、自分にとっての母親は一人であり、別人格になると他人だということを、幼児の段階で理解するということはとても重要です。交代人格は他者であるという私の主張を支持してくれるのではないかと思うのです。またこれは語弊があるかとは思うのですが、人格が違うと、ペットのワンちゃんがすぐにわかって近づいてこなかったりするということも起きているのです。家で昔飼っていた犬のチビは、妻が呼ぶとしっぽを振ってすぐ来るのに、私が呼ぶと見事に無視していました。犬もまた他者を識別する力を、交代人格に対しても発揮していたのです。

2021年8月16日月曜日

他者性の問題 11

 Sullivan や対人関係学派の理論家は解離を主としてトラウマ理論の文脈で論じる。Sullivan の「good me」、「bad me」、「not me」の関係が特に興味深い。これらの中でnot me は深刻な悪夢や解離状態でしか見られないという(Sullivan, 1953)。この体験は痛みを伴うために、原初的な状態(ないしはサリバンが言うところの「プロトタキシック」「パラタキシック」なレベル)でしか体験されない。私たちはサリバンの言う解離は主体(not-me)は主たる主体(”me”)からは独立したものであり、おそらく van der Hart の言うタイプ(2)の域に達しているのではないかと考えられよう。

 現代的な精神分析理論における解離

「解離を曖昧さから救い出そう」と望む分析家たちの唱和が聞こえるという(Goldman, p. 338)。精神分析家であるKluft Howell Itzkowitz 達は精神分析的な議論の中にトラウマや解離を導入したが、これらは本来は精神分析のコミュニティの外部で議論されていたことであった。Kluft Putnam は分析的な論文を書いたが、その影響力は限られたものであった(Putnam, 1992, Kluft, 2000)。しかし彼らのリーダーシップは分析の外の世界では違法字大きいものであった。Howell Itzkowitz (2016)は現代の精神分析における解離の理解をまとめている。

スターンの定式化されていない unformulated 体験と解離

 スターンの基本的な姿勢は、解離を第一義的に防衛としてとらえるというものである。「解離はトラウマに関する文献で様々に概念化されているが、解離についての理論は人生における出来事が耐えがたい時の自己防衛のプロセスという概念をめぐっている (Stern, 2009, p. 653)。」彼の言うように、いろいろな個人差はあるとしても、解離の理論は防衛モデルとして描くことが出来る。このモデルを「ヒステリー研究」におけるフロイトの理論と比較した場合、類似性と相違が際立つ。

2021年8月15日日曜日

●●学会の特別公演に向けて 1

 現在秋に頼まれているいくつかの講演の準備をしているが、特に大きなチャレンジとなっているのが、パワーポイントに声と画像を吹き込んで動画にするというプロセスである。これまでやったことがない作業なので、少しずつ要領が分かりつつあるが、まだ分からないことばかりだ。大体パワーポイントを拡張子ppt. ではなく、pptx. で保存せよ、等と誰が教えてくれただろうか。(後者で保存しないと、音声データをせっかく埋め込んだのに消えてしまう。)ただこの体験のいいところは、発表をある意味では事前に済ませてしまうというニュアンスがあるのだ。例えばスライドの一枚目に、以下の音声情報を埋め込んだので、もうこれで発表の50分の一くらいは終えたことになる。不思議な体験だ。
 今回は●●学会の特別講演という事でお呼びいただき、誠に光栄に存じております。何についてお話しようかと考えましたが、私が日ごろから解離性障害を持つ方々との臨床を行い、また解離性障害についての論文や著書を書いているという事もあり、テーマは解離についてという事でご準備いたしました。そしてタイトルとしては、他者としての交代人格と出会うこと、とすることにいたしました。

 恐らくこの学会に属していらっしゃる先生方の多くが、トラウマを抱えた方々、そして解離性の症状をお持ちの方を扱っていらっしゃると思います。解離性障害、特に解離性同一性障害の臨床を行う上で議論しておかなくてはならない様々な問題点が沢山ありますが、その中でもいわゆる交代人格の存在をどのように理解して、どのように出会っていくかという事は、極めて基本的であり、かつとても重要な問題です。そして驚くべきことにこの点について識者の中で意見が大きく分かれているという不思議な現象が起きているわけです。そこでこのテーマについてお話していきたいのですが、これはあくまでも私が持った臨床経験からのお話ですので、臨床家によってはこの問題について全く異なる考えを持っていることもありうるという事を最初にお断りしたいと思います。


2021年8月14日土曜日

他者性の問題 10

 Fairbairn, Winnicott, and Sullivan.

フェアバーンの語ったスキゾイドメカニズムの理論は Pierre Janet Morton Prince などの語った理論と深いつながりを有していた。例えば Fairbairn はこのように言っている。

「スキゾイド過程は,興味深いこの現象にも含み込まれていると見倣されなければならない。また夢遊、遁走、二重人絡、多重人絡といった解離現象についても,向織に理解されなければならない。二重人格や多重人格といった現象について言えば Janet William James また Morton Prince が記載している数多くのケースを慎重に検討してみると、それらのケースは本質的にスキゾイド的な性格を持っていると推定することができるように思う。(相田、栗原訳対象関係論の源流、p15

残念ながら Fairbairn の理論は特定的 specific でなく、スキゾイドとスプリッティングを交互に用いているという所があり、心的な構造の分離という独自の性格について焦点を当てたものではなかった。スキゾイド問題は英国の対象関係論において盛んとなったが、Breuer が最初に記載した、二重意識を想定した「類催眠」の概念とはかなり異なっていたというべきであろう。

Winnicott Fairbairn の同時代人であったが、彼も解離を数多くの文脈で語った。彼は健康で自然な解離とトラウマに関連した解離とを区別した (Goldman, Abram, p. 339)。このうち前者は真の自己を基盤にしたものだが、後者はトラウマ状況が生じたときに防衛的な操作と共に生じるとした。Winnicott が言ったのは、過去の原初的な苦悩は、彼がそれを受け入れる用意がないならば彼の個人史には組み込まれないとした。ここでの前提は、やはり主体は複数ではない、ということである。彼はそれを通過したが決して経験はしなかった主体が、最終的にそれを取り入れるというプロセスが起きている。そこに決して見られないのは、二つの主体があって、最初の主体が原初的な苦悩を体験し、もう一つはそれを知らないという想定である。このことからわかるのは、彼らは精神分析に偉大な貢献をしたにもかかわらず、彼らの論じた解離は基本的にはvan der Hart の言うタイプ(1)であるということだ。

Sullivan の論じた解離についても触れておく必要がある。彼の業績はそれに正しい判断が下されるまでにはたくさんの時間を必要とした。しかし彼が解離に置いた強調点は確かなものであった。「彼によれば、抑圧ではなく、解離こそが第一の防衛機制であった。なぜなら彼にとっては原初的な危険は、耐えがたい体験の再現であり、原初的な内因的なファンタジーの吹き出しではなかったからだ(Stern, Dell, p. 653)

2021年8月13日金曜日

他者性の問題 9

8年前にこのブログに書いたジョーク。結構面白いじゃん、と思うのは作者である私だけか。

昨日はまたまたこんな夢も見た。新聞紙の3面に割と大きな記事。
「●●区に在住の自称精神科医が逮捕される。自称大学教授でもある容疑者は、先日郵便迷惑条例違反で逮捕された。調べによれば容疑者は不特定多数の「知人」に50枚以上の同じ文面のはがきを送りつけたとされる。葉書には送付日時を偽り、次年の「一月一日」と書き込まれ、「賀正」などの儀礼的で意味のない文章を羅列した内容が印刷されていたという。警察の調べに対して「間違いありません。」と容疑を認めている。しかし「慣例になっているので、今年も大丈夫だと思った」とも強弁し、「慣例だったら何でも許されるのか?」との問いかけに無言でうつむくだけだったという。家宅捜索をしたところ、夏にも同じような手口で「暑中見舞い」などと書かれた儀礼的で意味のない葉書を不特定多数の「知人」に送りつけていたことが判明し、書き損じの葉書が押収された。警察ではさらに余罪を追及している。」 

さてヴァンデアハートは、精神分析は(1)の意味での解離をもっぱら扱ったと書いてある。確かにそれは言えるし、現在の精神分析においてもPhillip Bromberg, Donnel Stern enactment と関連した解離の理論が評価を受けているが、やはり(1)だ。しかし彼らの属する関係精神分析の源流を築いたFerenczi の記述には、(2)の意味での多重の心についての理解を思わせるような記述が多い。Ferenczi の「大人と子どもの間の言葉の混乱 ― やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)」は後世に大きな影響を与え、本論文でも何度か取り上げるが、この論文には解離状態においてあたかも新たな心が生み出され、自律的な機能を有することへのFerenczi 自身の驚きが描かれている。(以下は森、大塚ら訳から)
「精神分析のなかで分析家は、幼児的なものへの退行についてあれこれ語りますが、そのうちどれほどが正しいか自分自身はっきりとした確信があるわけではありません。人格の分裂ということを言いますが、その分裂の深さを十分見定めているようには思えません。私たち分析家は、強直性発作を起こしている患者に対してもいつもの教育的で冷静な態度で接しますが、そうして患者とつながる最後の糸を断ち切ってしまいます。患者はトランス状態のなかでまさしく本当の子どもなのです。」(同p.143、下線は筆者)
 この記述は子供の人格状態に対してはそれを個別の人格そのものとして扱うというFerenczi の姿勢が表れているであろう。
 「次に、分析中のトランス状態において起こる現象をつぶさに見ていくと、衝撃や恐怖があれば必ず人格の分裂の兆候があることがわかります。人格の一部が外傷以前の至福に退行することで外傷が生じないようにすることにはどの分析家も驚かないでしょう。驚くのは、そんなものがあるとは私などもほとんど意識していなかった第二のメカニズムが同一化にさいして働くのを知ったときです。衝撃を受けることで、それまでなかった能力が、魔術で呼び出されたかのように前触れもなく突然花開くのです。日の前で種から芽を出させ花を咲かせてみせるという魔術師の魔法を思い起こさせるほどです。最悪の苦難というものには、死の恐怖ならなおさらですが、深い眠りのなかで備給されないままいずれ成熟するのを待っていた潜在的素質を突然目覚めさせ、活動を始めさせる力があるようです。」 (pp. 147-148,下線は筆者)
 この記述は解離において新たな別個の人格が新生されるといった現象を驚きを持って記述している。
 「成長途上の人間の人生に外傷が積み重なりますと、分裂が増加しかつ多様になり、それぞれの断片が独立した人格のように振る舞って、たがいにほとんど相手の存在を知らなくなりますので、断片相互の接触を混乱なしに持続するのは不可能になります。ついには断片化のイメージがさらに広がり、原子化 atomizationと呼んでおかしくない状態にいたるでしょう。このような状態像に直面しても沈み込まない勇気をもつには本当に大きな楽観が必要です。それでも私は、そんな状態でもなおたがいを結びつける方法が見つかると期待します。」(森ら訳p.148, 下線は筆者)
 新たな人格がそれ自身として自立性を有する言葉として、Ferenczi はそれまでの断片 fragment という表現に変えて、原子化 atomizationという表現を生み出している。
 現代の対人関係学派ともいえるDonnel Stern  Phillip Bromberg は、フロイトの抑圧の概念にまで解離の概念の精神分析的な位置づけを探索した。彼らはWinnicott Sullivan の概念をもとにして解離の概念を再生したのである。その基本概念は、解離されていたものがエナクトメントとして現れるという考えである。そして解離されているものは未構成の思考unformulated thought として理解される。これはある人格状態において心の中で解離されている部分がエナクトメントとして表れ、やがて思考として構成されるというプロセスを描いている。ただしそこで可能性として残されるのは、この未構成の思考は別の人格状態においては構成されているという可能性である。そしてその場合は彼らの理論も事実の二重意識を容認しているのではないかと考えられる。
  その点についての彼らの記述はないが、彼らの言う Multiple self state 多重的な自己状態という形でそれは表されている。彼は「治療のゴールは、いくつかの部分の統合を達成するよう努力することではなく、自分の複数の自己状態への反省的な気付きを維持する能力を高めることだ
much of the goal of therapeutic progress is to achieve the ability to maintain reflective awareness of one's multiple self states, rather than striving to achieve an integration of one's parts.」と言っている。

2021年8月12日木曜日

他者性の問題 8

  そもそも精神分析を含む精神力動学が始まった19世紀には、様々な理論が存在し、そこには「ポリサイキズム」、すなわち一人の人間に複数の人格が存在するという理論もありえたのである(Ellenberger, 1972)。
 Freud Breuer に共同の執筆を誘いかけ、共著論文「ヒステリー諸現象の心的機制について暫定報告」(1893年) を書いた。Breuer にとってはとても成功したとは言えない、しかも10年前のアンナ O. の治療について執筆することは不本意であったが Freud に押される形で 1895年に「ヒステリー研究」を発表することとなった。この本の構成は、第1章が上記の「暫定報告」の再録、第2章が Breuer によるアンナ O. の治療、第3 Freud 4ケース、第4章が Breuer の理論、第5章が Freud の理論、というものだった。この本の第1章では Freud Breuer の唱える類催眠状態の理論に賛同していたが、後半では Breuer と異なる意見をすでに表明している。Freud 1889年にフランスの Hippolyte Bernheim を訪れてから、催眠ではなく自由連想にシフトし始めていたのだ。その意味で「ヒステリー研究」は Freud Breuer に生じていた隔たりを浮き彫りにする形となった。
 Freud Breuer, Janet は、ヒステリーの理解について異なった考えを持っていたが、それを簡潔に言えばこうなる。

  Breuer, Janet:トラウマ時に解離(意識のスプリッティング)が生じる。

●  Freud : 私はそもそも解離(類催眠)状態に出会ったことがない。(結局は防衛が起きているのだ。)

他方 Janet は意識のスプリッティングを意識の増殖 multiplication としてとらえていたと考えられる根拠がある。それは Janet が解離の「第二法則」という提言を行っていることから伺える。
 (解離が生じる際にも)主たるパーソナリティの単一性は変わらない。そこから何もちぎれていかないし、分割もされない。解離の体験は常に、それが生じた瞬間から、第二のシステムに属するJanet, 1887) 

 しかし不思議なのは、そもそもブロイアーの扱っていたアンナOは、バリバリのDIDだったわけである。フロイトもそれをしっかり聞いていたはずなのだ。二人の全く異なる意識状態が存在し、それらは非常に高速に入れ替わった。一つの状態では彼女は周囲のことを認識していた。彼女は抑うつ的で不安で、でも比較的正常であった。もう一つの状態は幻聴を体験していた。
 フロイトはアンナOのケースについてはよく知っていたはずである。彼女は明白に異なる人格状態を示していたからだ。しかしこれは彼の信念を変えなかった。それどころか類催眠状態そのものを否定することになったのである。
 フロイトはヒステリー患者の多くが小児期にトラウマを体験していることを知った時、彼はブロイアーに、一緒に本を書くことを提案した。フロイトはヒステリーには3つの種類があるといった。「類催眠ヒステリー」と「貯留ヒステリー」と「防衛ヒステリー」であるとした。しかしこの中の「類催眠ヒステリー」についてフロイトは不満だったことは、ヒステリー研究の中ですでに明らかになっていた。最後のチャプターで彼は書いてある。
 私はこの違いを非常に本質的なものと見なす故に、その違いから、類催眠ヒステリーを一つの項目として立てるという決断を下したい。奇妙なことではあるが、私は自身の経験において真性の類催眠ヒステリーに遭遇したことがない。私が着手したものは、防衛ヒステリーヘと変化したのである。だがそれは、〔本来の意識状態と〕明らかに切り離された意識状態において成立し、故に自我への受容から閉め出されたに違いない症状と一度も関わりを持たなかった、ということではない。私の扱った症例においても、ときにそうしたことは起きた。しかし、私はその場合にも、いわゆる類催眠状態が切り離されるのは、以前から防衛により分離していた心的〔表象〕集合体が、その状態で効力を発揮していたという事情があるからだ、と証明できたのであった。手短に言えば、私には、類催眠ヒステ リーと防衛ヒステリーはどこか根っこの所で重なり合っているのではないか、そして、その際には防衛の方が一次的なのではないか、という疑念を抑え込めないのである 。しかし、これについては何もわからない。
 フロイトはこの問題を忘れることはなかった。そして症例ドラ(1905)において以下のように述べている。
 私がこの機会に申し上げたいのは、「類催眠状態」の仮説については、多くの読者が私たちの仕事の中心的な部分とみなす傾向にあるが、これは完全にブロイアーの意図により生まれたものであるということだ。私はそのような用語を用いるのは余計であり、混乱を起こすものだと思う。なぜならそれはヒステリー的な症状の形成に随伴する心理的な過程の性質にかかわる問題の連続性を中断するからである。
 フロイトはのちになって余計で誤解を招くものとまで考えるほどに類催眠状態という概念に反対したのだろうか? なぜならこの概念は心のスプリッティングを前提とするが、それは力動的な説明ではないからだったのだ。フロイトの立場は「防衛神経症」(1984)における記述に詳しいが、そこではジャネが標的にされている。

フロイトはなぜ解離を受け入れなかったのか?

フロイトは解離が好きではなかったのだろう。それはなぜだったのだろうか?一つの考え方は、フロイトがこれに関して最も“parsimonious(最も簡潔)な理論を選んだからだということが出来るだろう。
 そのジレンマとは二つの対立した問題からなる。一つは内的な因子であるリビドーが心がいかに働くかを決定する。他方では複数の外的な因子(日常的な出来事から性的なトラウマに及ぶ)が心を統御するという見方である。このジレンマを解決するためには、フロイトは欲動モデルと最も説得力があるものと考えたのだ。そしてこの理論はフェヒナーや他のヘルムホルツ学派の理論と同じように、心のエネルギーをあたかも物理的なエネルギーと同等に扱うというアプローチであった。フロイトはまた性的なトラウマの影響力の大きさももちろん認識していた。それは彼が性的なトラウマ説を放棄した後でもそうだったのである。彼は性的トラウマが起きるには起きたが、それはリビドーを高めるという影響があったと想定した。つまりそのような外的なものも内的なものに還元できると考えたわけである。しかしそのためにこの不思議な現象から目を逸らしたというのがよく分からないことなのである。
 実はフロイトはこんなことを1936年に書いている。「離人症の問題は私たちを途方もない状態、すなわち「二重意識」へと誘う。これはより正確には「スプリット・パーソナリティ」と呼ばれる。しかしこれにまつわることはあまりにも不明で科学的にわかったことはほとんどないので、私はこれについては言及することは避けなくてはならない。」(Freud, 1936 p245
 すなわちフロイトはこの不思議な状態について分かっていながら目をつぶっていたという事が分かるのである。
  ヴァンデアハートはこのようなことを書いている。精神分析とそうでないのでは、基本にある前提が違うのだ。後者を特徴づけるのは次の二つの考え方である。①ストレスにより統合されていた機能は一時的に停止してしまう。
 ② 同時に生じる、別個の、あるいはスプリットオフされた精神的な組織、パーソナリティ、ないしは意識の流れが出来上がること。
 このもう一つの組織はトラウマ的な出来事に関する統合されていない、知覚的で心理的な要素このパーソナリティの組織は個人の意識外で働き、そこにアクセスできるのは催眠や自動書記によってである。これは意識(やパーソナリティ)の分割(解離)であり、それが健忘や拘縮などのヒステリー(解離)性の症状を生むのだ。分析家にとっては、統合の失敗というだけでなく、心的な構造や組織なのである(つまり解離的な心的組織)しかし初期のフロイト派は、彼らの解離の見方を最初の見かた(つまり防衛のための統合の失敗)に制限したのである(van der Hart, 2009, p. 14.)
  この記述が示しているのは、フロイトは実はスプリッティングが起きているのを気が付いたが、それは意志の力によるものであり、一つの自己の下に二つの心が出来上がったという考え方である。そしてそれぞれの部分は決して自立性を持った独立した心へは発展しないのであった。これは究極のトップダウンモデルである。しかしボトムアップからしか他者は生まれないのだ。