2021年8月22日日曜日

●●学会の特別講演にむけて 4

 

ここで斎藤環先生の本「やってみたくなるオープンダイアローグ」に書かれているリフレクティングのルールを振り返ってみましょう。これらはすべてDIDの治療に当てはまると私は考えます。4つの項目はここに掲げられたことです。

  •  話し合われている当事者には視線を向けないこと。
  •  マイナス評価は控えること。
  •  共感を伝えること。
  •  患者がいないところで患者の話をしないこと。

     まず、第一番目、「話し合われている当事者には視線を向けないこと」

    リフレクティングにおいては、視線を合わせないことで、第三者に向かって語っているという雰囲気を作ることになります。もちろん交代人格に直接話す時にはその人格を話し合う輪に入れて、その交代人格に向かって話すことになります。しかしそうでない場合は、例えばAさんという人格とBさんのことについて話すときは、Bさんについてのリフレクティングが行われていることになり、Bさんに直接向かって話すのではなく、あくまでBさんについて第3者的に話すことになります。そしてそこで対象になるBさんとは、しばしば黒幕人格さんであることが多いので、そのような例を考えましょう。その場合に私が気を付けるのは、特に黒幕人格には敬意を払うということです。そこで普通は「黒幕さん」という呼び方をします。時には敬語を使うこともあります。黒幕という言い方も、実は陰で大きな権力を持っているという、いわばポジティブな意味を含んでいるのです。ちなみに私は黒幕人格について英語の論文を書いたことがありますが、そこではshadowy figure という表現にしました。つまりこれも陰で操っているという意味を指します。ちなみに話の対象となっているBさんは、その話を聞いているとは限りません。寝ている場合も多いのです。ですからBさんについて話すということは必然的にBさんに背を向けて、リフレクティングのような形をとることになるかもしれません。そしてあくまでも黒幕さんについては特に、敬意を表した話し方になります。特に黒幕さんに寝てもらいたいときなどは、敬意を表さないと黒幕さんの協力を得ることが難しくなります。「黒幕さんにはお引き取り願えるといいですね」「何か大きな事件が起きる時までは、ゆっくり休んでいただくといいでしょうね」という言い方も可能となります。

     次に第二番ですね。「マイナス評価は控えること」。
    これも今言った話と通じることです。誰だって第三者が自分にネガティブ評価を下すのを聞きたくありません。第三者に、私が聞いていることを想定しない場面でしてもらいたいのはあくまでもポジティブ評価です。それを聞くことで人は本当にわかってもらえているんだ、やはり見る人にはわかってもらっているんだ、という体験となります。

     第三番目は、「共感を伝えること」です。
    これについても当然のことです。自分が分かってもらっていると思えること、それは第三者が、自分のいないところで行ってくれることで最も印象深い体験となるのです。
      第四番目は、「患者がいないところで患者の話をしないこと」です。この第4番目については、いろいろ議論を呼ぶところでしょうね。一般的な理解では、要するに患者の陰口を聞くな、ということです。そしてその意味では解離性障害の違いに限らず、すべての治療場面について言えることです。私はこのことをこのように言いなおしたいと思います。「患者当人が自己愛的な傷つきを体験するような話はどこでもするな」、ということです。おそらくカルテにも記録にも書くべきではないでしょう。では治療者は患者さんについて思ったことは、それがネガティブな内容であるなら、どこにも書けないのではないかと思うかもしれません。しかしそれは違います。もし私たちは他人にネガティブなことを言われたとしても、そのトーンとか言い回しにより、それがトラウマ体験になるかどうかが決まってきます。要するにそのネガティブな表現にも愛があるか、という事なわけです。例えば会社でAさんという人がわがままで、同僚の何人かはAさんの横暴さに辟易して、もうAさんに辞めてもらいたいとさえ思っているとします。そのような事態はいくらでもあるでしょう。そのとき、たとえば「ほんといい加減にAさんにはうんざりしちゃうね。はっきり言ってやめてほしい」というのと「Aさんには○○という長所もあり、能力もあり、それなりに会社に貢献しているけれど、ちょっと彼のペースに私たちがついていけないところがあるよね」と言われたのでは、雲泥の差があるでしょう。そしておそらくAさんという人には様々な長所と短所があるはずですから、後者の言い方の方がまだリアリティに近いという可能性があります。するとAさんとしては自分を全否定されて立ち直れない気分になるよりは、まだ後者の言い方で「自分は自分の能力に従ったペースをほかの人にも期待してしまっていたんだ。」と思え、それをより受け入れやすくなるかもしれません。ですから繰り返しますと、「人の陰口を聞かない」、というのは「患者当人が読んだり聞いたりした際に、そこに自己愛の傷つきや恨みを伴うようなことを言ったり書いたりするべきでない」ととらえなおすのであれば、あらゆる治療の文脈において言えることですし、交代人格に対するコメントとしてもいえることなのです。
     ちなみに精神分析関係の方々については、このような言い方が通じやすいかもしれません。患者さんに対するネガティブなことは、逆転移の理解という形で書くべきであるということです。治療者が患者に対して持つネガティブな思考や感情は、それが反省を経ていないことで攻撃や悪口になってしまいます。それよりは、それが自分の感情的な反応として客観的に反省されつつ語られることで、おそらく患者さんのためにもなるということになります。患者さんに関するネガティブなことは、ですから治療的な意味を持つ場合も少なくなく、ただしそれは治療者の側が自分の逆転移の問題としていったん引き取って語らえることで、初めて治療的な価値を獲得すると言えるでしょう。