2021年8月19日木曜日

他者性の問題 12

 ここに相違点は明らかである。なぜならStern は解離を防衛機制としてとらえる一方では、Freud は解離ではなく抑圧が第一の防衛機制であると考えたからである。上に見たように、Breuer が類催眠状態という概念を提案したとき、それは大雑把に言えば解離と同義であったわけだが、Freud はそれを「力動的でない」と言って拒絶した。つまり抑圧こそが、危機的な状況で不快な心的素材を心の隅に追いやるメカニズムだと彼は言ったからである。
 ここにはStern の解離の概念とFreudの抑圧の類似性が見て取れる。Stern は解離を防衛と考え、それはBreuer が考えたものとは違っていた。Breuer はそれはトラウマが起きた時は自動的に起きると考えた。Stern Freud のモデルの類似性については、大事なので後にもう少し論じる。
 Stern Bromberg により提案されている解離の概念は何が無意識なのかについての独創的な考えにより特徴づけられる。Stern は言う。
 Freud が躊躇なしに受け入れたのは、心が、そして無意識が十分に形作られた内容により構成されているという事である(Stern, 2009, p.655.)
 この考慮されない思考 unconsidered belief は古く、広い文化にまたがる前提であり、Freud により明瞭に受け入れられたものであり、それは知覚は感覚的な所与であり、体験はすなわちすでに十分に構成された形で私たちに訪れる心的要素に根差すという考えであった。この前提は、無意識の中には、十分に形を成しているが認識されないものがあり、分析プロセスによりそのベールが取り払われるというものである。Stern は述べているのは、抑圧モデルは客観的な現実に対応した一つの真実があるというものであるという事だ。彼はそれを「対応理論」と呼ぶ。伝統的には、精神分析はこの概念を厳密に守ってきた。彼はこれを「対応」的な真実の見方と称したのだ。
 このように Stern の考える無意識は極めて Freud のそれと異なる。彼によれば意味は意識化される際に構成されるというのだ。実はこの考えはWinnicottの解離の概念とも通じるという。というのもWinnicott も「解離されているものはその人には経験されていない」と言っているのだ。“what is dissociated is not experienced yet by the individual” (Winnicott, 1963, p. 91). これってすごくないだろうか?

注目すべきは、Stern はこの種の体験を「未構成」のものと呼ぶという事である。彼は解離の分類について、「受身的な解離」や「弱い意味での解離」と「能動的な解離」または「強い意味での解離」という概念を提示している(Stern, 2009, p. 660)。前者は私たちが注意を見たくないものに向けていない状態と考えらえるが、後者はそれを無意識的な理由により行っている。これらはいずれもvan der Hart の分類では(1)に属するだろう。つまりここには一つの主体しか関与していないからだ。言い方を変えるならば、彼の言う「強い意味での解離」も、別の主体を構成するほどには「強くない」というわけである。