2020年7月17日金曜日

解離におけるハードプロブレム 1

心と脳の関係について、デイヴィッド・チャーマーズという哲学者が「意識のハードプロブレム」と呼んだ問題がある。物質としての脳がどのような機能をもつかは、科学の進展によりかなり解明できるようになってきた。これは宇宙の問題や量子より微細な構造について少しずつ理解を進めていくことが出来るという意味ではむしろ簡単な問題、「イージープロブレム」だ。しかしその脳の働きから、いかに主観的な意識が生まれるかは謎であり、難しい問題 hard problem というわけである。つまりそこには決定的な飛躍があり、それを乗り越えることが出来るかさえもわからない。
私は解離の世界にも一種のハードプロブレムが存在すると思う。それは一つの脳になぜ複数の(私以外の)心が宿るか、という問題である。ただ多くの場合、このハードプロブレムは、その「ハードさ」を認識されずに、いわばイージープロブレムとして扱われ、かりそめの答えが用意される傾向にある。それは一つの心の内部に別の心を宿すと考えればいいのではないか、というものである。確かに私たちは心の中に一人の人物を想像することが出来る。例えばAさんという人を思い浮かべて、その人を自在に動かす(例えばAさんが目の前の石ころを拾って遠くに投げるのをイメージできる)こともできるだろう。これは普通の私たちが皆持つ能力だ。一つの脳の中にいくつかの心を宿すという事はそういう事なのだ、と考えれば、それでこの問題は解決すると主張する人もいるだろう。一つの心の中に小人がいて、別の小人もまた想定できたり、またその小人の中にも想定でいるという意味で、これはある種のホモンクルスモデルともいえる。
このハードプロブレムに関してホモンクルスモデル的な答えを用意することは、おそらくこれまでの心理学者や精神医学者のほとんどが行ってきたことであろう。それがある程度許されるのは、それが別の人格が生まれる機序の常識的な説明の仕方であり、そうすることでそれ以外の可能性を考えずに済んだからである。DIDにおいて複数の人格が出来上がる際も、それが一つの心が分割したものとして理解される場合にはそれが可能となるであろうし、事実ブロイアーやフロイトが用いた意識の分割 splitting of consciousness とはそのような概念だったのだ。
しかし最も難しいのが、ある心の在り方が外部から移し替えられる、あたかもコピーされるという現象が生じ、それをどのように説明すべきかという問題である。その場合は由来が外部の世界なので、その人の心の中に起きた現象として片づける(つまりホモンクルスモデルを用いる)ことはより難しくなる。