2020年7月18日土曜日

解離におけるハードプロブレム 2


 ICD-11ではそのようなケースである「憑依トランス障害」を次のように定義している。
「憑依トランス障害では、個人の意識状態の顕著な変化が生じ、個人のアイデンティティの通常の感覚が外的な「憑依アイデンティティpossessing identity」に置き換わる。トランス状態は行動または運動が憑依主体によりコントロールされているように体験されることにより特徴づけられる。トランスエピソードは霊魂spirit、威力power、神的存在deity、そのほかの霊的存在に由来するとされる。トランスエピソードは再発性であるが、診断が単一のエピソードに基づく場合、それは少なくとも数日間継続したものである必要がある。」
ただしこの定義の中に含まれるトリックを見出すことができるだろうか。ここではあくまでも主体を想定し、それが自らをコントロールされると体験する、と言っている。つまりその外的なアイデンティティに置き換わるというその前の表現と実は矛盾しているのだ。
同様の状態がみられるのが文化結合症候群であるが、こちらはもはやICD-11でもDSM-5でも定義づけられていない。例えば「ラター」という病態を考える。これは突然人(多くは男性、しかし中年以降の女性も報告されている)が誰かに憑りつかれたように凶行に走るという病態だが、これらをDSMにもICDにも解離性障害として扱うことに二の足を踏んでいるようである。不可解すぎて、下手な説明や分類が出来ないからだ。
さて従来の精神分析では解離現象や人格の複数の存在をどのように扱ってきたかと言えば、結局ホモンクルスモデルという事になる。例えば取り入れ、という概念を考えよう。理想化している人の動作をいつの間にか取り入れているという場合、それは誰にとっても追体験できるようなものであるが、実際にその理想化対象が心の中に入り込んだというわけではない。あるいは母親像の投影、などという時も、頭の中の母親のイメージがテレパシーのように相手の心の中に飛び込んでいく、ということなどだれも想定してはいない。すべては「あたかも~である」という話の延長線上にある。これは結局ホモンクルスモデルという事になる。