2021年9月6日月曜日

大丈夫か、アメリカ人 7

 お香典は紙袋回し

  プレゼントがらみでの話である。本当に「大丈夫か、アメリカ人!」と言いたくなるが、他方では「さすが、アメリカ人」と思えたという体験について話してみる。

私は米国滞在中に何度かお葬式にも列席したことがあるが、教会で行われる式はいたってシンプルで時間も短い。出席しながら、日本の葬儀の習慣から、「お香典はどうするのだろう? と言うよりそもそもキリスト教のお葬式にそんな習慣はないのだろうか?」と思っていた。そのうち式の最中に茶封筒が回ってきた。A4の普通の封筒である。みるとそこに一人一人お金を入れていく。みな3ドルとか5ドル程度を入れている様子である。別に誰が何ドルを入れたかというのはどこにも記録されていないし、誰も一人一人が財布からいくら取り出して入れるかを見ているわけではないが、回ってきた封筒の中身をちらっと覗くと、すくなくとも50ドルとか100ドルなどの高額な紙幣は見当たらない。私は少し安心して20ドル札を一枚入れて隣の人に回した。数十人の列席者からのお金がどれほどになるかはわからないが、多くでざっと200ドルくらいかと思う。それにしても何たるシンプルさ!でもこれでいいのだろうか?

ちなみに5ドル札を一枚入れたとしても、日本円で言えば数百円の価値である。ふつうお香典で私たちは万単位のお金を包むのであるから、あまりにけた違いである。この種の本当にそういうものかと思う方もいらっしゃるかもしれない。でもそういう様な場面で彼らの入れる金額はせいぜい数ドル程度であることは私はよく分かっている。というのはそれがアメリカ人の財布事情だからだ。

暫くアメリカに暮らすと非常に不思議な現象が起きる。日本での一万円は、アメリカでの20ドル札に感じが近いのだ。皆財布に入れているのはせいぜい5ドルないし10ドル程度のお札である。20ドル紙幣で買い物をするという事は少ないし、そもそも買い物の時に登場するのはチェック(小切手)である。

皆本当によく小切手を使うのには感心する。マーケットでも支払いは小切手帳を取り出し、金額を書き入れてサインし、ビリビリと破って渡しておしまいである。あるいはクレジットカードの出番だ。もちろん十数年前に比べたら、クレジットカードの方が圧倒的に頻度としては増えているであろうが、小切手の出番も意外なほど多い。いつも財布の代わりに取り出し、端数も含めて描き込んで渡すだけ、という手軽さのせいだろうか。最初は面倒だと思っていた私もいつの間にかそれに慣れてしまっていた。

ただし私は日本との行き来のために便利なように、100ドル札もいつも何枚か持っていた。しかし銀行で卸すのでピン札が多い。そしてそれをドラッグストアーやガソリンスタンドで使うにはほんの少しだけ勇気がいる。100ドル札を出された店員は怪訝そうな顔をして、電灯にかざして透かしを確認して偽札チェックをされることもあるのだ。日本で万札を出したら透かしをチェックされる、なんてことが起きるだろうか?

なんだかアメリカでの物事のシンプルさになれると、日本で起きていることがあまりにもきめ細かいことの方が不思議になってくる。第一お香典袋の定型的なものがコンビニに売られていて、それを包む分厚い特殊な風呂敷みたいなものまで用意されているって、いったい何なんだろう?

 

 

2021年9月5日日曜日

解離における他者性 4

 私はまたDIDを持った方女性のご主人にもたくさん出会った。もちろん少ないながら男性のDIDの患者さんもいらして、そのような方をご主人として持つ奥様の姿も多く見てきた。そして一つ思うのは、おそらく別人格が別人であるということを本当に理解しているのは彼ら、彼女らではないかということである。彼らは配偶者や親が人格の交代を起こすのを日常的に体験することになる。そして彼らは別人格を主人格にとっての別人、他者であることを認めることでしか、対処することが出来ないという事情が分かっているのである。ただし患者さんのご両親の場合は例外である。子供の解離症状を薄々感じてはいてもはっきり自覚しない、ないしは認めないというご両親は多い。もちろん生育環境はそこで解離が潜伏し、進行してきた状態であることを考えると、それは十分理解可能である。

DIDの母親を持った子供は小さいころは、お母さんが二人いると思っていたという話を聞く。子供にとって母親を識別することは極めて重要になる。ユウチューブで見たあるシーンで、母親の一卵性双生児の妹が訪ねてきたとき、初対面の赤ちゃんは、最初は母親と思って抱き着こうとした相手が別人と気が付き、恐怖におののいて泣き出す姿を見たことがある。いわゆる「不気味の谷」を赤ちゃんがもろに体験したことになるが、自分にとっての母親は一人であり、別人格状態にある母親は、母親と異なる他者だということを、幼児の段階で理解するという臨床的な事実はとても重要な意味を持つと言っていい。そして子供は母親のいくつかの人格を別人として認識するという臨床的な事実は、交代人格が他者であるという私の主張を支持してくれるのではないかと思う。
 またこの例はこれはこの文脈で出すのは誤解を招きかねないかも知れないが、ある患者さんの話では、別人格になって帰宅すると、ペットのワンちゃんが、いつものように近づいてこなかったという話も聞く。昔我が家で飼っていた犬のチビは、妻が呼ぶとしっぽを振ってすぐ来るのに、私が呼ぶと見事に無視していました。犬もまた他者を識別する力を、交代人格に対しても発揮していたのである。

 

アメリカ人 6

 アメリカ人はやたらとカードを送る

  アメリカ人は贈り物をしない、という話をしたが、その代わりに非常によく送るのがカードである。ちょっとした売店にはさっそくカードのコーナーがある。誕生日用、クリスマス用、娘から父親への感謝用、などなど。大きめのドラッグストア―などではカードコーナーはより広くなり、デパートなどでは相当広い面積をカードが占める。なぜそれだけ広いカード売り場があるかといえば、そこに書かれているメッセージがバラエティに富んでいるからだ。その中から自分に最も適したと思われるカードを選んでそれを相手に送るのだ。
 とここまで書くと「そうか、アメリカ人は物でなく言葉で相手に気持ちを表現するのだ。日本人の贈り物文化とは違う文化として注目に値するのではないか?」という感想を持つかもしれない。それはそうかもしれない。しかしどうも素直にカード文化を肯定できないようなところもある。

 アメリカでデイビッド(仮名)という中年の患者さんと会っていた。私が渡米してまだ間もないころのケースである。彼はつい最近妻が自分のもとを去っていったことが大きなトラウマとなっていた。その妻キャロル(仮名)は彼よりずいぶん年下で、数年間は一緒に暮らしたが、最近は若い男性に乗り換えてしまったらしい。彼はそれから仕事に行く気力もうせて、毎日臥せっている生活になってしまったのである。私はちょうどそのころEMDRという治療法を学んでいたということもあり、彼のトラウマに対する治療をこれで行ってみようと思った。私はデイビッドに、彼女との別れを少しずつ回想できるような素材があれば持ってきてほしいと頼んだ。おそらく彼女との思い出のツーショットの写真でも持ってくることを予想していたのである。
次のセッションに彼が持ってきたのは一枚の封筒である。そこには彼女が最後に出ていくときに残したメッセージが書かれているが、一度読んだだけで辛くて閉じてしまったという。それからもう抵抗が生じて、その際の心の痛みのためにもう開けないのだといった。
 そこで最初はEMDRをしながらその封筒を手に取って手書きの「デーヴィッドへ」という直筆のあて名を読めるようになることを目指した。最初はそれに目をやることもためらわれていて彼も、それを見つめることが出来たが、すぐに涙があふれだしてしまったのだ。よほどの心の動揺がそこに見られたのだが、EMDRを施しつつ、少しずつそれを冷静に眺めることが出来るようになっていった。そこで少しずつハードルを上げて行って、彼がそのカードを開き、「敬愛なるあなた、・・・」から始まる文章を少しずつ音読する練習をした。最初はかれは1,2行で声が詰まって読めなくなってしまっていたが、徐々にそれもクリアーできるようになったのだ。そして徐々に作業が進み、「あなたと一緒にいた月日は私にとってかけがえのないものでした。あなたとの時間を大切に思い出しています…」などの文章を声に出すことが出来るようになった。
 そんなある時デイビッドは私に、「やはりここから先は読めません。ドクター岡野、私の代わりに読んでください。」「わかりました。そうしましょう。」と受け取ってそのカードを目にしたときに私は本当に驚いた。それは既成の、カード売り場で売っている普通のカードだったのである。もちろん「分かれる夫へのメッセージ」というジャンルのカードであるから、それらしきことは書いてある。そしてそれを読むと「これからはあなたと過ごした時間を思い出しつつ、私自身の人生を歩んでいきます。どうぞあなたも私のことを忘れないでください・・・・」などといった、おそらくこのジャンルではどのようなカップルにもおよそ当てはまるような文章が印刷されていた。しかも元妻キャロルの直筆のメッセージなどどこにも書きこまれていなかったのである。しかしこれまでデイビッドが涙で字がかすんで読めなくなると言っていたメッセージが、まさかデパートで売られているような出来合いのカードであるということは私も想像していなかった。「どうだかなー。アメリカという文化…」というつぶやきを私はいつものように漏らしていたのである。

2021年9月4日土曜日

アメリカ人 5

 アメリカ人は贈り物をしない

患者さんからの贈り物は、医師にとってとても微妙な問題である。もらうべきか貰わざるべきか。もちろん「医師や医療スタッフは患者様からのものは一切受け取りません」という断り書きを掲げている病院もある。それはそれで立派なポリシーである。ただその様な但し書きの存在が、かえって患者からの贈り物が頻繁に起き、時には問題とされるという事情を伝えている様子である。

私が言語道断だと思うのは、例えば病院で手術を受ける時、執刀医に謝礼を支払うという習慣。あるいはこれはアカデミズムの分野ではあるが、どこかの大学のどこかの学部では、博士論文が受理された場合に、執筆者は主査の先生にかなりの額の謝礼を支払うというもの。こんなことが実際にあるのかと思うことが、実はよく起きているらしい。しかし経済的な負担が少なかったり、ほとんどなかったりする贈り物の習慣は、日本の文化にもなっている。

私が日本は贈り物文化と言われるわけが分かったのは、アメリカ体験である。いやもう少し正確に言うと、日本に帰ってきて、アメリカとの差を実感した時、と言うべきだろう。というのも米国で臨床をしていた17年間というもの、患者さんから贈り物をされるという体験はほぼ皆無と言ってもいいだろう。

私がこの贈り物という微妙な問題をここで比較的にオープンに書けるとしたら、そもそも贈り物をされたらどうしよう、という懸念が全く存在しないアメリカでの体験を書けばいいと思うからである。とはいえ、私はアメリカの中央平原の比較的小さな町での体験であり、しかも十数年前のことである。今ではアメリカの贈り物事情が大きく変わっているかもしれないし、ニューヨークやロサンゼルスなどでは全く違った文化があるかもしれないというのはお断りしておかなくてはならないが。ともかくも医師と患者とはもともとドライで贈り物などというものが介在しないものと思っていた。そして2004年に帰国して臨床を初めて{あれ?なんだこの違いは?」となったのである。

ところでもし私がざっくばらんに話が出来るような米国の患者さんに「どうしてアメリカでは患者が医師にお土産を渡すという事があり得ないんでしょうね?」と尋ねたとしたら、私は次のような答えが返ってくることを想像する。「だって高いお金を払って外来に来ているんですよ。まあ私の場合は保険ですが、それでも掛け金はバカになりません。その上にドクターにお土産なんてどこからそんな発想が湧くもんですか?」私は半分はアメリカ人の感覚が入っているので、「そりゃそうだよね・・・・」となる。そしてこれもアメリカの文化を反映しているような気がするのだ。必要もないものにお金を使わない、という非常に分かりやすい合理主義だ。それに患者の側はむしろ「医療過誤を起こされたら訴えるぞ!」というスタンスかも知れない。その相手にプレゼントという発想はさすがに浮かばないのだろう。

 ではアメリカ人と違って日本の実情はどうなのか、という話になる。 日本の診療所などでは患者さん自身や、その家族がお菓子を「スタッフさんでどうぞ」と持っていらっしゃることが多い。ちょうどお中元やお歳暮の時期がそれに重なることが多い。これは受け取るかどうかは別としてよくあるパターンである。スタッフとしても、自分一人が貰ったものではないという気持ちもあり、後ろめたさが軽減されるらしい。私は帰国してからは色々な医療現場を経験したが、この種の多少なりとも儀礼的な贈り物を一切受け取らないという体験をほとんど持っていない。

私が興味を持つのは、医師のオフィスで患者さんが「何気なくくれる」贈り物である。金銭的にはわずかなものだが、気持ちの入ったもの。これは人間関係の潤滑油的な意味を持つことも少なくない気がする。

例えば次のようなことはいかにも起こりそうだ。以下は実話ではなく、全くの私の空想上の話だと思っていただきたい。私のある患者Aさんが「先生、これあげる。お昼にどうぞ。」と言ってコンビニで見つけた新製品の菓子パンをくださる。値段にして150円程度だろうか。もちろんコンビニで菓子パンの新製品をチェックする習慣のない私にとっては、見たこともない、でもおいしそう、と言うか面白そうなパンだ。私自身は「はい、いただきます」とすぐにはならないかも知れないが、甘いもの好きな私は目の保養にするだけだ。そしてどこか嬉しい。(ここが大事なポイントである。)

このファンタジーの中では、私は結局Aさんのパンを断らない。でも少し戸惑って、オフィスの棚に置いておく。すると後にいらした患者Bさんが「お腹が空いたなあ、あ、何それ?」と見つける。「いただき物だけと、食べる?」 「うん!やったー。ちょうどお腹空いていたんだ!」として受け取ってくれる。(というかそういうノリの人だと知っているから勧める。)

  他愛もない、日常臨床の一コマとして起きるかもしれないファンタジーを書いたわけだが、この種の和やかさはアメリカの患者さんと体験したことはなかった気がする。

ちなみにアメリカで例えば私が患者の立場で、かかりつけの顔見知りの内科医ドクターCに日本の小さなお土産を渡したとしたらどうなるか?正確にこのような状況ではないが、似た体験を話そう。その反応はアメリカ人に典型的だった。まず彼hは差し出されたお土産を見て、信じられない、という顔をする。そもそも患者は医師にはお土産は渡さないから当然だ。そして「本当に? Really?」と確かめる。そして私が「ハイ、差し上げますよ」ともう一度言うと、「有難う!Thank you!」と言ってあっという間に受け取ってしまうのだ。そこに遠慮とかは介在しない。「え、くれるの?ラッキー!でもいったいどうして?」という心の声が聞こえてくるのだ。

けっきょく贈り物をしない社会アメリカは、贈り物を受け取らない社会とは違う、という事を私は言いたいわけだが、ここにアメリカ文化の微妙なニュアンスを伝えらえたら、と思う。要するにそこには、あげる側の遠慮や戸惑い、受け取る側のためらい、嬉しさといった一連の気持ちの交流が、かなり省略されてしまう文化があるのである。

2021年9月3日金曜日

それでいいのか、アメリカ人 4

こんな感じで書いていても、どうもまともな本になる気がしない。だらだらエッセイを書いているだけだ。このテーマでのオファーをしてくれた出版社の方には申し訳ないが・・・・・。毎日ネタを頭を絞って出している感じだ。

アメリカの患者さんは自分の診断名を知っている

  私のアメリカ滞在は17年間に及んだが、そのうち何がアメリカに特有で、何が日本にも共通していたのかが見えにくくなっていったのを覚えている。最初の頃は驚いていたことはそのうち当たり前になっていく。しかも私が渡米前に日本で体験した精神科医としての臨床は5年間だけだ。それは臨床家としてはお世辞にも長いとは言えない。「日本ではこうやっていたなあ…」という参照枠がどちらかと言うと乏しいのである。

 それでも沢山のことが記憶に残っている。前章ではアメリカの患者さんはお薬の名前をよく知っていると言ったが、それはもっぱら自分が飲んでいる薬の話であった。彼らは医師から出される薬が何のために、あるいはどのような診断のもとに処方されているかに注意を払っているからである。そしてそれは必然的に自分が何という病気の治療を受けているかをより自覚しているという事にもつながる。
 私が特に印象に残ったのは、アメリカの患者さんの中には、自分には○○の診断が下っているという事を積極的に口にすることが多いという事だった。特に「私はパラノイド・スキゾフレニア paranoid schizophrenia です」と明言する方が結構いらしたという事である。パラノイド・スキゾフレニアとは日本語では「妄想性統合失調症」という事になるが、私のように1980年代に精神科医になったものにとっては、「妄想型精神分裂病」という言い方がなじみがある。この「ブンレツビョウ」という響きが差別的だというので、この病名は2000年代になってから統合失調症と改名されたという歴史があるのだ。それほどまでにこの言葉には重さや深刻さがある。精神を非常に深くむしばむ病気、社会復帰が非常に難しい病気という印象がこの診断名には付きまとう。だから日本の精神科医は、患者さんやその家族にこの病名を直接告げることはあまりない。これは一昔前に日本で癌を患者さんに告知することが一般的でなかったことと関連があるかもしれない。
 思い出す限り、私は日本で統合失調症の患者さんがその病名を口にするというケースに出会ったことはほとんどないのだ。そして医師もそのことを患者さんには問わないのがふつうである。そしてその傾向は私が2004年に帰国してからも変わらない。だから1990年当時、アメリカの精神科で出会う患者さんに「私はパラノイド・スキゾフレニアです」を告げられることには新鮮な驚きがあったのである。
 私が特にそのような患者さんに出会ったのは、州立病院 state hospital や退役軍人病院 Veterans’Administration Hospital (いわゆるVAホスピタル)と呼ばれるところである。私が滞在し始めた1980年代のアメリカには、大きな公立の精神病院が全国で数百存在していた。そしてそこには急性期や慢性期の患者さんたちが多く入院していたのである。当時の後に1990年代に入って州立病院は次々と統廃合されていったが、そしてそこには一部の患者さんが長期にわたっての入院を余儀なくされていた。そしてその多くがこのパラノイド・スキゾフレニアの診断を受け、社会復帰が出来ずに、退院先も見つからずに入院生活を継続していたのである。そしてその様な事情は日本の精神科でも変わりない。私は州立病院の思春期病棟に4年間勤めていたが、当直などでほかの慢性期病棟の患者さんたちと多く出会う機会があったのである。
 さてではどうしてアメリカの患者さんは、このスキゾフレニアという、ある意味では非常に精神的な意味で致命的な自分の病を口にすることが出来るのであろうか? そこにいくつかの仮説はあるだろうが、一つには彼らはこれをラベリングとして、あまり深刻にならずに受け取っているという可能性があることだ。英語にも、そしてフランス語やドイツ語にも一般に言えることだろうが、あくまでもニュートラルな単語というものがあり、それはあまり変わらない。スキゾフレニアも病名であり、それ自身がスティグマであったり差別的な雰囲気を醸さないという点はあるだろう。アメリカの患者さんの話を聞いていると、「僕はスキゾフレニアという病気になった。だからハルドールという薬を飲んで治療をしている。だけどそれは僕が僕であることを変えるわけではない。それで何か?」という雰囲気が伝わってくる。そしてそこには二つのニュアンスがある。一つは、「自分はこのような診断名の病気になってしまった。それはそれとして受け止めるつもりである。」「ただしこの病気は治療により良くなるだろうし、そうしたら元の自分に戻ることが出来る。」
 お分かりだろうか。ここには諦念と共に一種の気楽さ、楽観性も感じられるのである。さらには「もしこの病気で一生を終えることがあっても、天国では違う世界が待っている。」という声さえも聞こえてきそうだ。そしてこのことはアメリカ人に圧倒的にキリスト教信者が多く、その85%が天国を信じているという事と無関係ではなさそうなのだ。

2021年9月2日木曜日

それでいいのか、アメリカ人 3

 アメリカ人は薬に詳しい

 アメリカでの医師免許を取得していろいろ驚いたことがある。別の精神科医から紹介されてきた患者さんに、「いまどのようなお薬をのんでいますか?」と尋ねると、なんとすらすらと薬の名前が出てくるではないか。最初は几帳面な人だけかと思っていたが、ほとんど皆さんそうである。日本だとこうはいかない。「寝る前の薬ですか? えーっと白い薬と紫色の丸いヤツと、それと黄色いのを二つ飲んでいます。名前ですか、えーっと・・・・。ゴソゴソ(カバンの中身を探す音である)」そしてあとはお薬手帳の出番である。少し脱線だが、アメリカから帰って一つ感心したのはこのお薬手帳の存在である。昔はこれがなかったから、「紫色の薬」の正体を知ることが出来なかったりしたが、今はこのお薬手帳のおかげでその正体を突き止めることが出来るのだ。(ちなみに私も一応プロであるから、紫色というのは、パッケージが紫色なのが特徴のレンドルミン、黄色というのはおそらくデジレルのことであろう、ということは話をきいているそばから想像できる。問題は「白い薬」である。なぜならたいていの薬は「白い」からなのだ。)

 アメリカ人の話に戻る。本書に何度も出てくることになるが、彼らは概して「いい加減」である。その彼らが薬の名前をすらすら言えるということはただ事ではない。そこでいろいろ考えた。

 ひとは自分が何をどの目的で飲んでいるかを本来は気にするべきものである。おなかが空いたので駅の売店によったら、たまたま「紫色の丸い」食べ物がおいしそうだからと、買って口にするだろうか? その正体は何か、値段は?そして几帳面な人はカロリーや賞味期限も確認するかもしれない。だって毒が入っているかもしれないし、そもそも食べ物ではないかもしれないではないか? アメリカ人はそもそも人を信用していないところがある。あるいはお互いに警戒しているというべきだろうか? 少なくとも自分の身は自分で守るという気持ちは徹底している。だから薬も何をどの目的で飲むのか、ということについては敏感になるのだ。

これが「紫色のまるい」薬の正体
これが「紫のまるい薬」の正体だ


さてこのように考えると日本人の患者さんが自分のお薬を覚えるということは、自分の病気やそのための治療を自覚することに貢献しているのだろうか? そしてそのために日本のお薬手帳は一役買っているだろうか?そうかもしれないしそうでないかもしれない。いや、ますます患者さんは薬の名前を覚えなくなっているかもしれない。彼らは几帳面にはなるが薬は覚えない。なぜならもっと几帳面な方は、薬局で一緒に交付されるA4判のお薬リストをしっかり持っていて、それをさらにカバンの奥から取り出して見せてくれるからだ。私も2004年に記憶してこれを見てさすがに目が点になったが、そこには薬のパッケージのカラーコピーがご丁寧に描かれている。丸い紫色の薬も一発でわかるようになっている。私はこれで確信したのだ。「日本人はこれで増々薬の名前を覚えなくなる!」

 ちなみにまた余談である。私は少なくとも米国にいる間は薬の形状や色に詳しかった。今でもはっきり覚えているが、たとえば抗うつ剤のジェイゾロフト(アメリカではただのZoloft であった)は、25ミリが薄緑の長楕円形、50ミリがすこし大き目同じ形の水色、100ミリがさらに大きめの黄色のタブレットだった。抗うつ剤でジェイゾロフトと同じくらい人気のパキシルなら10ミリは小さなフットボール型、20ミリはピンク、30ミリは青、40ミリは黄色である。このように見た目もカラフルで、飲む人が何を飲んでいるかもよくわかるようになっている。そしてこれらは「試供品」として薬会社のセールスマンがどっさり医師のもとに置いていくのだ。今は規制されているかもしれないが、当時の医師のオフィスの机の中は、各社がしのぎを削って配りまくる試供品でぎっしりだったはずである。医師の側はそれぞれの形状をしっかり目に刻みつつ、この薬を処分しないとオフィスの棚があふれかえってしまう、と考えざるを得ない。そして「処分」の方法は、患者さんにタダで配るのである。

米国は保険に加入できていない人たちもたくさんいる。私が一時勤めていた公立の「精神衛生センター」などは、保険を持たずに、薬を実費で買えない人が普通であった。そこで彼らにタダで持って行ってもらうのである。例えばゾロフトという薬が新発売になると、薬屋さんがこぞって試供品を持ってくる。すると「ゾロフトか、色もきれいだし、効くかもしれないし…」などと言う気持ちも働いて、また患者さんにタダでもらっていただく代わりに、新薬の効き目を教えてもらう、ということになる。

2021年9月1日水曜日

それでいいのか、アメリカ人 2

  昔ウィッキーさんのワンポイント英語というのがあった。日本テレビの朝番組で、街頭で外人のウィッキーさんが日本人に英語で話しかける。マイクを持って近づいてくるウィッキーさんの避けようと、人は逃げ回るのである。(もちろんちゃんとインタビューに応じる人がいたから番組は成り立っていたのであろうが、私には逃げ回る日本人の姿だけがやけに思い出される。)私もウィッキーさんが近づいてきたら真っ先に逃げた方だが、同時に「なんて情けないんだろう!」と私自身に、というよりは日本人に憤慨していたのである。

 さてこんな思い出話をしていると限られたページはあっという間に埋まってしまう。そこでそれから50年以上経た私が何を考えているのかについて述べたい。私は25歳で日本を飛び出すことを考えたということは述べた。そして結局私はパリで一年間、アメリカで17年間を過ごし、ガイジンの中にいた。そして私の中で「宇宙人」であった彼らのことを比較的よく知っているつもりである。そのうえで思うことは、私たち日本人は彼らガイジンをいまだに誤解しているらしいということだ。それが分かるのは、私も昔彼らガイジンを畏敬、ないしは好機の目で見ていた時期を通過しているからかもしれない。私の中にそのような見方は今でもちらほらするからだ。しかし17年の間に私が経験したのは、彼らが日本にいるときはあまり見せない姿を見る機会が多くあったからであろう。特に彼らが幼い子供のころに示す様子から思春期、青年期を経る姿を見る機会が多かったことが大きかった。前者は精神科医として、そして後者は子供がガイジンとの間で育つプロセスを見ながら体験したことである。その事情を本書である程度伝えることが出来たら望外である。