2026年6月4日木曜日

解離と自殺傾向について 1

  ちょっとした事情で(実は7月の北海道での学会発表)解離性障害と鬱症状及び自殺の危険について調べている。チャット君に選んでもらった7本の論文のまとめを読むと、ほぼ一貫しているのは、「解離と自殺未遂の関連は極めて強い」ということである。しかし私の発想は少し違った。解離は自殺が既遂に至る事への抑制因子ではないか?  なにしろこれまで書いてきた論文で、解離が生き延びるための価値 survival value を有するという考え方は、 広く受け入れられている、と書いてきたからだ。(Putnam, 1989) 一つの思考実験として、DIDを有する人が自殺に瀕している場合を考えてみよう。統計的なデータがないために思考実験に留まるしかないのだが、私の経験では自殺未遂や自傷行為の多さとの対比で、かなり既遂自殺は少ないという実感がある。私の見解は、自殺の間際になると、異なる人格が介入することにより自身の身体を救うという傾向があるのではないかと思う。それは端的に言って、最初の危機的状況で解離が当人を救ってくれたからだ。自殺の瀬戸際にあるという第二の危機的な状況で解離が「生き延びるための価値」を発揮して、本人を救わないというのは理屈に合わないであろう。


2026年6月3日水曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 4  

 相転移としての人格交代

 上でICの成立がいかに創造的で、しかも私たちの心の理解にとってほとんど解明されていないかについて論じた。しかし解離のもう一つの、そしておそらく最大の特徴は、人格状態間のスイッチングという現象にある。それは防衛機制について上で述べたOBEに深く関与しているが、さらにそれより一段高度でかつ創発性を含んだプロセスである。

 OBEの場合は一種の偽死反射になぞらえることが出来、動物がショック状態で起こす反応と類似のものとしてとらえた。既に下等生物である危機的な状態で何らかのスイッチが押されるかのようにドラスティックな心身の反応が生じる様子が見られるわけであるが、その場合心身の機能がシャットダウンするというニュアンスがある。それは以下に述べる迷走神経系の過活動状態として理解できる。しかし解離における人格状態の遷移はそれにとどまらず、もう一つの、時にはより活動的な人格状態の出現を伴うことが特徴である。

  この種の心の状態の急激な遷移についてはあまり類を見ない。癲癇発作のような神経学的な現象としては見られるものの、精神疾患では例えば躁転や急性の幻覚妄想状態がそれにある程度類似するくらいである。そして解離性の人格交代には躁転や急性の精神病の発症には見られないような極端な非連続性が見られる。そこにはそれまでの意識の連続性やそれに伴う記憶,知覚様式、運動機能、生理反応などが変換するのである。

 精神におけるこのような急激な遷移は自然現象にたとえるならば、いわゆる相転移に類似していると言えるだろう。相転移は物理現象としてよく知られ、温度や圧力などの外部環境の変化により、物質が固体・液体・気体といった「相(状態)」を不連続に変化させる現象である。氷の溶解や水の蒸発、磁石の磁性の転換などが代表例として挙げられる。
 私は解離性障害における人格のスイッチングをそのまま相転移として位置づけるつもりはないが、あくまでも現象としては類似しているということを強調したい。物理的な相転移においては水の相転移のように構成する分子間の結合の仕方が大きく変わるが、解離性の人格交代においても同様の事態を想定せざるを得ない。私はDIDの病理として各人格がダイナミックコアを占有し、それ自体がスイッチングを起こすというモデルを考えたが、同じ趣旨に従ったものである。

ポリヴェーガル理論を含んだ解離プロセスの理解

 最後にいわゆるポリヴェーガル理論の見地から解離における様々な現象について論じたい。私見ではこの理論を組み込むことで解離の現象をより整合的に理解することが出来ると考えるからである。
 上述の相転移現象としての解離の特徴はそれが心だけではなく、身体の変化を伴う点である。どうしてそのようなことが起きるのだろうか? それはおそらく自然界の掟と関係している。自分が捕食者の側に立つか、あるいはその餌食の立場なるかは一瞬で決まる。相手に襲いかかるか、そこから退散したり身を隠したりするという真逆の行動と取るかは、一瞬で決めなくてはならず、この瞬間的なモードチェンジは野生の世界においては死活問題なのだ。というより闘争と逃避の一瞬での切り替えが可能な個体がこれまで生き延びて来たというべきであろう。そしてそのスイッチングを巧みに説明するのが、このポリヴェーガル理論である。
 従来は各臓器は交感神経と副交感神経の両方が支配し、リラックス状態のときは副交感神経が働き、活動したりストレスがかかったりすると交感神経が働くというように、通常は拮抗した作用を示すと考えられてきた。しかし哺乳動物の迷走神経が、進化のプロセスの異なる2系統に分かれているという発見が、ポリヴェーガル理論の核心部分である。
 ポリヴェーガル理論では、周囲が安全安心を感じられる状況か、危険を感じる状況か、命の危険を感じる状況かで3系統の自律神経系が切り替わって環境に対応すると説明する。周りが安全安心を感じる状態のときは、哺乳類になってから獲得した「腹側迷走神経複合体」が働く。しかし周りからストレスがかかると、「戦うか逃げるか」に関わる「交感神経系」が働く。交感神経系は「闘うか逃げるか」のための神経といわれる。さらにそのストレス状況が高度になると、進化的に古い「背側迷走神経複合体」に切り替わり、いわゆる偽死反射のような現象が起きる。
 ポリヴェーガル理論の中でおそらく最も優れた点は、社会的な意味を成す腹側迷走神経複合体を想定したことである。これはトラウマモデルではなかなかで出こない視点としての愛着の部分の重要性、すなわち闘争・逃避だけでなく愛着形成をつかさどる社会脳の活性化を説明している。その中でもポージスのニューロセプションの概念は秀逸である。それが危機的状況での防衛反応としてだけではなく、愛着形成の可能な状況における愛着反応をも説明しているからだ。

最後に

<略>



2026年6月2日火曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 3 

 創造の過程としてのイマジナリーコンパニオン

  心にあらかじめ別のアイデンティが形成されるという現象ははたして起きるのであろうか。そのヒントとなるのが、いわゆるイマジナリーコンパニオン (以下、 IC)の体験であろう。IC はイマジナリーフレンドとも呼ばれ、周囲の人には感じられないものの、本人にとっては実在していると感じられる「空想上の友だち」である。人間や動物、ぬいぐるみ、あるいは架空の生き物の姿をしており、当人は一緒に遊んだり会話をしたりする。ICは健常な子供に広く見られ、ある研究では5から12歳の一般人の二人に一人が幼少時にこのような体験を持つと報告されている。

Pearson D, Rouse H, Doswell S, Ainsworth C, Dawson O, Simms K, Edwards L, Faulconbridge J. Prevalence of imaginary companions in a normal child population. Child Care Health Dev. 2001 Jan;27(1):13-22.  

Huolman, M, Peltonen, M (2022) Dissociative features related to imaginary companions in the assessment of childhood adversity and dissociation: A pilot study, European Journal of Trauma & Dissociation,Volume 6, Issue 4.

 ICの存在自身はその子供の病理を反映するものではなく、基本的にはその子を助け、恐怖を和らげたり補助自我的な役割を演じる(Putnam, 1989)。その数は通常は二人以内で、ともにいて居心地の良い存在である。ただしDIDにおいてはその幼少時には通常よりより高い頻度で現れ(McLewin, LA, Muller, RT (2006)健康な発達に見られるICに比べてネガティブな要素を有し、その数も多く、本人の体をコントロールしたり行動を強制するといった性質が報告されている((Huolman, M, Peltonen, M (2022))。ともかくもICがこれほど多くの人々に見られるということは、このような解離のプロセスは大多数の人間にほとんどデフォルトとして備わっている能力と考えることは出来ないであろうか。

 このICの存在は解離という心の働きの驚くべき創造性を表していると考えられるが、それは一般人にはあまりピンと来ないかもしれない。心に誰かのイメージを抱くことは極めて自然で一般的なことと考えるのが普通かもしれない。そのような心の働きは精神分析ではいわゆる内的対象像として記載されるであろう。それはいわば「瞼の母」的な存在であり、その人のことをイメージで思い浮かべることが出来、時にはこちらから語りかけ、向こうからも何らかのメッセージが伝わってくるように感じるかもしれない。

 つまり内的対象とは実在する重要な人物を心の中に写し取ったイメージである。ところがICはある意味で創造された対象であり、ひとりでに動き出してある種の自主性や主体性を獲得しているのである。ICとしての縫いぐるみと会話をしたりするときは、それはあくまでもその縫いぐるみのキャラを持っているわけだ。絵本の「こんとあき」で言えば、「こん」は「こん」であり、実在するそれを心に思い浮かべているわけではない。

 ここでもう一歩想像力を飛躍させる必要がある。「こん」が動き、あることを語りかけてくるとき、その主体はどこにあるのか。それは結局は「あき」の脳の中にあるとしか想定しようがない。つまり「あき」の脳の中に「こん」の主体が宿っているのである!

もちろんこう言うとたちまち反発が来るであろう。「そんなことはないだろう。あきはこんの言いそうなことを想像して言わせているに過ぎない。だからこんの主体性など考える必要はないのだ」。しかし両者は明確に異なり、それはちょうど表象と知覚の区別に似た議論になる。例えばリンゴを思い浮かべる(表象)。そのリンゴを眺めまわしても、何ら驚く部分はないだろう。それはあなたが作り出したからであり、そのリンゴを回してみたら、そこに虫が食っていたのを発見して驚く、ということはあり得ない。しかし知覚像の場合には、自分の想定を裏切る側面を見せるのが特徴であり、それが知覚の他者性である。

 このように考えると、実はICは実に驚くべき現象であることがわかる。少なくとも解離性人格の存在に驚くのと似たレベルの驚きが伴っても不思議ではない。(もっと言うと夢を見るという現象も、実は驚くべきことである。そこには様々な他者が予想外の振る舞いを見せるからである。)


2026年6月1日月曜日

ストレスとDID 推敲の推敲 2  

解離は脆弱性か、それとも能力か?

 解離をトラウマに対する反応として、いわば防衛機制や防御反応としてとらえる場合、その発症機序はトラウマ理論でしばしば用いられるモデルにどれほど適合するのだろうか?いわゆる Stress-diathesis model(ストレス―脆弱性モデル、SDモデル)は、ストレス因に当人の脆弱性が関係して発症するというモデルだ。このモデルはその内容に多少なりとも変更は加えられているが、精神疾患の発症を説明する標準的な理論とされている。 

  しかし解離はこのモデルでは十分説明ができない可能性がある。上述の「生き延びる価値」の例として挙げたOBEは、言わば仮死状態になってその場をしのぐ仕組みである。これはその個体の闘争能力を一瞬にして奪い去るという意味では脆弱性としてとらえられなくもない。
 しかしすでに述べたように、実際の臨床場面で見られるのは、あたかもそのような状況に備えて、受け皿となるような人格がその人の中に準備されていたかのような印象を受けるケースである。臨床上しばしば見られるのは、本人を救う形で出現した人格に話を聞くと、かなり早くから基本人格を内側から眺め、必要に応じてそれを救出するかのような形で外に現れ、それ以降は基本人格になり替わってその人生の一部を営むという様子である。
 さらには人格交代の中には、危機的状況とは逆の、安全性が保たれた治療関係において生じるものがある。それが子供の人格の出現であり、治療者の様子を内側から伺い、場合によっては治療室内のぬいぐるみやクレヨンなどに反応して「遊びに」出てくるという様子が見られる。このような交代人格の表れは、それを当人の脆弱性と理解することは難しく、また上述のストレス―脆弱性モデルに当てはまるとは言えないであろう。