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2010年10月23日土曜日

精神分析学会が終わった

非日常(分析学会)が終わった。ご覧の通りブログを更新する余裕もない。大会最後のシンポジウムは最近米国で徐々に主流になりつつある関係精神分析と非常に近いテーマが選ばれ、時代の流れを感じた。個人的には良い体験もあまり嬉しくない体験もあったが、ひとつの区切りがついたという感じである。精神分析学会は、言わば精神分析療法を最上のものとするという前提のもとに成立している。それは一定のルールと原則を持つ。精神分析療法を、より治療的なものにするという努力は極めて重要である。だって精神分析は治療手段だからである。(ちなみに精神分析は治療手段ではない、という立場もあり、ここらへんは色々厄介である。)ところが従来の分析の考えを否定することは、精神分析学会そのものの存在を危うくするという可能性を持つ。精神分析学会が建物だとすると、精神分析の従来の原則を疑うことは、その柱の一本を揺さぶるようなものなのだ。治療手段としての精神分析をより良くするという努力と、精神分析を学び実践する人たちの集まりを守っていくことは、実は正反対のことだったりするのだ。そんな精神分析学会だが、大きな魅力がある。それはそこに集まる人達が非常に知的で、ハイレベルのディスカッションを聞くことが出来ることである。でもその知性と、治療としての精神分析を考える努力とは、やはり微妙にずれているという実感がある。いずれにせよ色々考えることの多い体験であった。

2010年10月3日日曜日

精神分析 その2.

ルモンド紙に掲載されたという記事 (YOMIURI ON LINE:1日発行の仏紙ル・モンドは、中国が、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件をめぐる一連の対応で、「粗暴な大国の顔をさらした」と批判する社説を1面に掲げた。)は胸のすく思い。米国のメディアに関しても同様の報道があった。

私は精神分析との長い長い縁が続いている。正直30足らず前に出会ったときは、こんなに長くなるとは思わなかった。渡米中は、何度も忘れかけたことがある。しかし結局はそれに関係した考察を発表し、その立場からの発言を求められることで今でも関係を保っている。

この間は、フロイトによる精神分析を地動説に基づいた「天文学」などと書いたが、悪気はなかったのだ。フロイトは100年以上も前に精神分析を創始したとき、人の心を理解し、救うための手段としてそれを用いることが出来ると考えた。その一途さは頭の下がる思いである。私も人の心を助けるための対話のメソッドを知りたい、あるいは作り上げたいと考えるし、その熱意はフロイトに負けないという自負がある。

フロイトにとって精神分析とは、患者の心に潜む願望を明らかにすることだった。人は心に様々な願望や衝動を持つ。それを知ることでその人は変わると考えた。人の心には隠された願望があり、それがその人を知らぬ間に突き動かしている。それを知ればその人は変わる。実にそのとおりに聞こえるし、現代にも通じそうな理論だ。だから後は人の心を分析して、その願望を見つければいい、とした。その手法が精神分析だというわけである。

フロイトの理論のどこかが間違っていたのだろうか? ここから話は急にややこしくなっていく・・・・。

2010年9月29日水曜日

精神分析 その1.私は「精神分析関係の人間」である

クルム伊達。快挙だね。40歳といったら、人はあらゆる意味で体力に自信を失い始める時期ではないだろうか?
私は経歴からは、精神分析関係の世界に属している人間として扱われることが多い。私自身はあまりピンと来ないが、実際にアメリカでトレーニングを受けたり、日本で分析学会に属していたりすると、そう思われても仕方がない。というより私はやはり分析関係の人間なのだ。そうでなければ、私は日本精神分析学会で会計係(かなり不適任)をおおせつかったりはしないだろう。ただ私が精神分析に対して持っている関係は、案外複雑である。どこかで精神分析と戦っているというところがあるのだ。
私にとって精神分析学は、「天文学」のようなものである。学問の進歩に従い、新しい知見を取り入れて発展させたい。でもこの「天文学」、実際の天文学と違って、あつかう宇宙はきわめて混沌としている。それは常に姿を変え、しかも見晴らしが極めて悪い。100年前にフロイトという学者により始まったこの「天文学」は、「地球は静止していて、天体が回っている」と説いた。そこから出発はしたが、その後さまざまな人がいろいろな説を立ててきた。結局は現在の段階でも「たぶん天体も回っている・・・・カモ」くらいまでしかわかっていない。なぜならすでに書いたように、この心という宇宙はやたらと複雑なのだ。
その結果として精神分析の世界では、あくまでフロイトが立てた「天文学」を本来の姿とする人から、頑強に地動説を支持する人まで、たくさんの人が集まっているのだ。そしてそれぞれがお互いの立場を尊重すればいいのだが、フロイトの天動説に従うべきだという意見が結構強かったりしている。この意見が依然として力が強いのは、彼の言った地動説は、なんといってもフロイトというカリスマ「天文学」者が言ったことであり、その主張が明らかに間違いであるということも証明できないからである・・・・・。
私のように「地球が動くこともあるだろうし、天体が動くこともあるだろう」という立場は、この「天文学会」ではあまり人気がない。はっきりしないし、一見何を言っているかわからないのだろう。でも私自身はおおむね満足している。心の宇宙は混沌としていて観察不能、というのがおそらく一番現実の姿に近いからだ。
こんなたとえ話をしても、読む側にすればあまり意味をなさないかもしれないが。