さいごに 日本型WD(?)にむけて
色々書きたいことを書いたが、この辺でまとめに入りたい。私は多少WDについて齧っただけだが、それが臨床実習をより実り豊かなものをするためには何が必要かを考える際には、英国産のWDの意義を十分に尊重しつつ、日本の文化にあった形で活用することが求められるのではないか、と考えるのである。
WDが実習における事後学習に相当するものをいかに意義深いものとするかについての議論であることはいいであろう。ただしその時に必須となるグループディスカッションのあり方は、欧米と日本とでかなり異なる可能性があることは、私自身が体験から学んできた。そして日本においては自由なディスカッションが一つの壁となって立ちはだかる可能性がより高いことを指摘した。WDの主たる目的である、自分の見解と他の参加者の見解の比較検討が重要なのは共通している。しかし日本人の場合は(私自身も含めて!)「皆の前で勇気をもって発言する練習」「人前で自説を披露するための訓練」が求められることになる。しかしそれらはとても重要な要素ではあっても実習の事後学習にとって本質的とは言えないであろうと思う。それはまた別の種類の学習や訓練であることは間違いがないのであるが。 そこで私が示した「輪番制フォーマット」のような工夫も意味がないわけではないと考えるのだ。
私は海外生活が長い割に日本びいきであるし反米、反欧感情も少なからずある。否、欧米由来の思想や学説がそのまま後生大事に輸入されることに対する違和感と言った方がいいかもしれない。WDもそのまま輸入する形では使いにくいのであれば、それを日本流にアレンジすることもまた意味がある事のように思うのだ。