2025年7月2日水曜日

男性の性愛性とポジティブフィードバック(自己強化ループ) 2

  これは「途中で止まれない」構造の生物学的根拠になる

  • 射精がポジティブフィードバック的に加速されるプロセスだとすれば、男性が性的刺激を受けたあとの行動は、「意志による制御」よりも「自己強化された衝動」に駆動されやすい。

  • このとき、理性的判断や倫理的抑制(ネガティブフィードバック)は後退しやすくなる

  • この構造を理解することは、**性加害の一部が「道徳以前の身体現象」として起こる」**ことを意味しうる。


●「加害意図がなかった」とされるケースの説明に使える

  • 一部の性加害は、加害者の主観的には「同意があると思い込んでいた」あるいは「止まれなかった」という説明がされる。

  • 射精行動が自己強化的プロセスだとすれば、
     → この「止まれなさ」は単なる言い訳ではなく、身体に組み込まれたフィードバック構造に由来している可能性がある。

  • 同時に、それが加害の正当化ではなく、「制御の難しさに対する事前的な倫理的備え」として機能することを明確にする。

「射精がポジティブフィードバックであることは、性加害が“生理的に止まりにくい”という困難を意味する。しかしそれは、だからこそより高度な自制の準備が必要であり、意志の放棄や責任回避を許すものではない。」

  •  もちろん免責されるべきではないが、この理解は再発予防につながるのではないか?


2025年7月1日火曜日

男性の性愛性とポジティブフィードバック(自己強化ループ) 1

 男性が「途中で止まることが難しい」のはなぜか❓

射精という現象が持つ「自己強化ループ=ポジティブフィードバック類似構造」

参考文献)Frederick Toates (2022) — 「A motivation model of sex addiction」

  • 性的依存行動を、ドーパミン報酬刺激+強化学習の文脈でモデル化。

  • 過度の性的行動が、Tolerance(耐性)、Escalation(加速)、Withdrawal(禁断)という依存的サイクルを形成すると説明していて、ポジティブフィードバックループそのものと捉えられる。

ポジティブフィードバックとは?

一般的に:

  • ネガティブフィードバックは安定化方向への制御(例:体温調節、血糖値調整など)。

  • ポジティブフィードバック:出力が入力をさらに強化し、システム全体がある方向に加速・爆走する。自己増強のループ。

ポジティブフィードバックの数少ない例

  • 女性の排卵(エストロゲン↑→LHサージ↑→排卵)

  • 出産時のオキシトシン分泌(子宮収縮→頚部刺激→さらにオキシトシン)

  • そして、男性の射精プロセス

 男性の射精とポジティブフィードバック

性感刺激の入力(視覚・触覚など) → 陰茎の勃起(副交感神経系主導)
  ↓
快感の上昇 → 刺激の継続・強化 → 自発的な運動の開始(摩擦、腰の動きなど)
  ↓
感覚入力がさらに高まり → 脳内の報酬系(特に視床下部、腹側被蓋野)でドーパミン活性が上昇
  ↓
交感神経が切り替わり、**射精中枢(脊髄L1-L2レベル)**が活性化 → 精管や前立腺の収縮
  ↓
射精そのものが強烈な報酬刺激となり、さらに身体はその刺激を追い求める動きをしていたように感じられる(=主観的には「止められない」)

ここで重要なのは興奮が雪だるま式に増加して止まらなくなること

性感刺激 → 快感 → 刺激の増強 → 射精への収束
というサイクルが、「自己加速するループ」になっていること。(すなわち最後まで行かないと止まらない)←進化論的に必然とされた可能性がある。(似た例:鮭が生まれ故郷の川を遡上し、ボロボロになりながら産卵をして死を迎えるプロセス)  

2025年6月30日月曜日

ギルの「ヒアアンドナウの転移解釈」 2

 ギルのまずおおもとの議論から始める。

転移の解釈=転移を自覚することへの抵抗の解釈+転移を解消することへの抵抗の解釈 という公式。

頭では知っていたが、改めて、「何じゃこりゃ―」。何なの、これ。

ハッキリ言って私はこれ以上読み進める気がうせたが、もう少し頑張ってみる。そうか、これまで40年間、ここで嫌になってこのギルの理論の理解を拒否していたのだ。ちなみにこの前半部分(転移を自覚することへの抵抗の解釈)はこれまで無視されてきたというのだから、ギルのオリジナルというところがある。ギルは、転移が正しく理解されないのは、フロイトの考え、すなわち転移とは患者の他者との関係の持ち方のパターンを意味するという考えをちゃんと理解していないからだと言う。こうしてギルはあくまでもフロイトに忠実であるという姿勢を示す。そしてフロイトは意識的で抵抗とならない陽性感情もしっかり転移の中に入れており、このことは忘れるべきではないとギルは言う。ここら辺のギルの理論は常識的だ。

 ちなみにこの点を後世の分析家はかなり批判的に受け止めているのも確かだ。フロイトはこの「意識的で‥‥」は分析する必要がない、と言っているわけだが、それが後世の分析家たちにとっては気に食わないのだろう。すべてを病理にしてしまいたいという彼らの姿勢がそこにはあるように思えるが、それは私の個人的な見解だということにしよう。

 その後のギルの記述は今読んでもとても刺激的ではある。フロイトの常識的な考えはあまり後世の分析家には省みられなかったということを、ギルは伝えているのである。そして「転移は歪曲 distortion である」という誤った理解を、アンナ・フロイトも、グリーンソンも、フェニヘルも犯しているというのだ。彼らも敵に回しているのか。

さてこの「何これ?」の二つの区別の話に入る。(転移の解釈=転移を自覚することへの抵抗の解釈+転移を解消することへの抵抗の解釈。)彼はまず転移の解釈とは転移抵抗の解釈の略だという。なぜなら転移は、「意識的で・・・・」という例の陽性転移以外は無意識的であり、なぜならそれは意識化に抵抗しているから、というのだ。そしてその中に二つがあるという。① 表向きは転移ではないものが転移のほのめかしを含んでいるという解釈。② 表向きは関係性に関するものについて、現在の分析関係の内外の決定事項を有するという意味で転移である、という解釈である。そしてこれは分かりやすく言えば、関係に関する間接的な言及か、直接的な言及か、という違いだという。そして前者の例としては、ドラのケースで、彼女がK氏について言っていたことは、暗にフロイト自身についてのことだったということが挙げられるという。

何かまだるっこしいが、19ページ目に例が上がっているのでわかりやすい。

自覚への抵抗の解釈の例としては、「あなたが奥さんとの関係について話したことは、私たちの間でも起きていることのほのめかしですね。」


ギルの挙げている例を見て、なあーんだ、という感じ。ギルの十八番の「転移を自覚することへの抵抗の解釈」という概念については、私は大いに問題あり、とみる。一体奥さんとの関係の話が、治療関係の仄めかしであるというエビデンスはどこから来るのか? 一歩間違うと患者から「先生はすぐ私たちの関係に引き付けますね!」と言われてしまう。つまりとんだ誤解である可能性もあるのだ。

この論点は、「分析家は患者より知っている」という考えに基づくが、それは現代の精神分析ではこのままでは通用しないのだ。

2025年6月29日日曜日

遊びスライド 4

4.遊びは脳のシンクロのためのトレーニングである

再び予測誤差について

人間は常に予測誤差を最小化するように自分の活動を制御している。それにより思い通りに歩け、字を書き、人の話を理解する。

対人関係においてもお互いが同期化するためには、相手との違いを常に知り、それを減らしていく必要がある。

「生物は常に予測誤差の最小化を求めている」 ← これは本当か??


ところが予測通りの体験は面白くない!

人間の体験は適度のPEで成り立っている。

相手の行動により生まれる予測誤差は適度でなくてはならない。

というよりじゃれ合いは予測誤差が生じる楽しさではないか。

じゃれ合いは、相手からの見せかけの攻撃がこちらの予想を適度に外れることによりその楽しさが増す。

予測誤差が大きすぎる場合----見せかけの攻撃が痛みを伴ったり恐怖感を与えてしまう。

予測誤差が小さすぎる場合----同じことの繰り返しによるマンネリ化を生み、興奮を伴わずに退屈になる。



実際のジャレ合いで起きていること

お互いが「なんちゃって攻撃」を行う。しかしそこで一番面白く、興奮するのは、ギリギリの「なんちゃって攻撃」である。

ギリギリの「なんちゃって攻撃」が可能なためには極めて高度の予測誤差の調節が必要となる

→ じゃれ合いは結局は予測誤差の最小化に貢献する。



結論:遊びは脳のシンクロのためのトレーニングである


2025年6月28日土曜日

ギルの「ヒアアンドナウの転移解釈」1

ギルの「ヒアアンドナウの転移解釈」再考

マートン・ギルの言う「ヒアアンドナウの転移解釈」がよくわからなくなってきたので、原典に戻ってみた。Analysis of Transference Volume 1.(1982) だ。 この本の、それこそ最初にヒアアドナウという言葉が登場するまでの Introduction の数ページを読んでみる。わかりやすい日本語に直してみる。

「分析では転移の解釈が大事だと言われているのに、最近ちゃんと行われていないよね。彼らが注目していないのは、実際のセッションで起きている非明示的 implicit な転移の表れなんだ。フロイトは患者ともっと自由に交流したのだ。今の分析家たちは交流しないことで、転移が実際の状況と混じらないように出来ると思い込んでいる。しかし分析は対人関係的 interpersonal なものなのだから、交流しないということもすでにある意味では一つの交流の仕方なのだ。そのような態度も結局は混じりこんでるじゃんと言うのがギルの姿勢。  ここら辺はとても関係論的で現実的だ。分析家が交流してもしなくても、いずれにせよそこから転移が編み出される weave のだ。転移をうまく操作するために一切かかわろうとしない問題についてはリプトン (1977) も指摘しているところだ。要はフロイトが行ったように、より自由な関係を持っても、それが転移に与える影響をわかっていれば、十分にそれを分析して活用できるのだ。私が強調しているヒアアンドナウの転移解釈は・・・・」

と、ここでようやく「ヒアアンドナウ」というタームが出てくる。

 この文で分かる通り、ギルは特に定義をすることなく、ヒアアンドナウの転移解釈について語っているところが面白い。彼の言い分は、フロイトのように、もっと治療者は患者と interact することで色々な転移が起きるよ、それを分析しようよ、ということだ。わかりやすく言えば、ヒアアンドナウとは、実際の状況を考慮せよ take the actual situation into account (p3)、ということだ。そしてそれは自由な関わりを持て、と言い換えることが出来る。それは「今ここで起きていることにもう少し注目すべきだ」という意味ではない。やっぱりね。そうだと思っていた。と言うのも治療者がなるべくかかわりを制限すること restrict the interactions を行いつつ、今ここで起きていることに注目しても、ギルはそれをヒアアンドナウと呼ばないだろうからだ。自由に関わり、そこでの実際の状況をより豊かなものにして、それを利用せよ、ということを言っているらしい。結局ヒアアンドナウとは、「自由なかかわりによる現実的状況」ということになろう。これは別に何であってもいい。分析家がくしゃみをして、患者が「先生も風邪をひくんですね」と言ったとする。これは「ヒアアンドナウ」だ。(最近のタームで言うと、これってエナクトメントじゃないか???)

ただ分かりにくいのは、ギルの主張は転移を意識化することへの抵抗をもっと扱え、ということになるが、これって患者が分析の外のことを話す内容に注意を払いましょう、ということになる。なぜならすべての話が今ここの現実の状況に関係しているからだ、という理屈になる。これってどうだろう? かなり疑問が残る主張だ。

2025年6月27日金曜日

週一回 その18

 海外における治癒機序に関する理論

  ここまでで論じた我が国における「コンセンサス」(「週一回では、治癒機序としての転移解釈を用いる治療は難しい」)は海外での精神分析の議論にも見られるのであろうか?結論から言えば、少なくとも英語圏での文献や情報からは、そのような「コンセンサス」が存在するとは言い難いということである。

 まずは我が国の「コンセンサス」のきっかけとなった「ヒアアンドナウの転移解釈」に関する議論の歴史について触れる必要がある。米国においても Strachey により提唱された転移解釈(変容惹起性解釈)の重要性についての議論は、Merton Gill の「ヒアアンドナウ」の転移解釈の議論に引き継がれることで「新たな活力を得た」(Wallerstein p.700)と言われる。そしてよく知られる1960年代からのメニンガークリニックにおける精神療法リサーチプログラム(以下「PRP」)においても「ヒアアンドナウの転移解釈が絶対的な技法である interpretation of the transference in the “here and now” as the absolutely primary technical mode」という Strachey および Gill の提言は、一種の「信条credo」として謡われていたという。(Wallerstein p55)。
  しかしこのPRPの研究の結果として得られたのは、ヒアアンドナウの転移解釈の絶対性ということは証明されず、治療はケースによりそれぞれ独自であり、解釈による洞察以外にも様々な支持的な要素が入り混じった複雑なプロセスであるということが示された(注3)。

注3)メニンガーのPRPにおいては、42人の患者を精神分析(週4回)と分析的精神療法に分け、後者を表出的精神療法(週2~3回)、支持的精神療法(週1~2回)と分類したうえで詳細な研究が行われた。そして精神分析においてはヒアアンドナウの転移解釈が最も重要なテクニックとして用いられた。しかし精神分析として開始した患者のうち比較的分析手法が守られたのは10名ということだった。そして精神分析の対象となった患者の一部は、極めて支持的な手段である入院を必要に応じて併用していたという。この研究をまとめて、Wallerstein は、「ヒアアンドナウの転移解釈が治療効果を発揮したとは言わず、表出的な側面と支持的な側面が複合的に働いた」と結論付ける。そしてむしろ精神分析が受けられない(経済的な意味で、あるいは患者にとって適切でないという意味で)ケースの治療に重点を置かざるを得なくなったという。このPRPで用いられた表出的精神療法と支持的精神療法という分類はその後多く用いられるようになった。


2025年6月26日木曜日

週一回 その17

我が国の「週一回」の議論の特徴とその限界

 これまでに見た我が国の「週一回」の議論および「コンセンサス」は、山崎氏その他の検証に示されるように、ある一定の学問的なレベルに至っていると考えられる。そこでの「コンセンサス」、すなわち「週一回では、治癒機序としての転移解釈を用いる治療は難しい」ことの根拠としては、週4回という治療構造では供給が十分であり、容易に転移の収集が出来るが、「週一回」ではそれが難しいということである。そしてそこでは基本的には Strachey や Merton Gill による here and now の転移解釈を治癒機序として重んじるという立場に立つ。

 さて以下の章で海外の文献について論じる前に、上記の議論に関して差し当たって二つの疑問点を呈することが出来よう。

 

     <以下略>