ワークディスカッションについて考える
はじめに
この度「心理職の『心』を耕すワーク・ディスカッション ー 安心感に守られた対話で考える力をはぐくむー」という書の出版に当たり特別寄稿の機会をいただいた。大変光栄なことである。ちなみに「特別寄稿」は私の好きなジャンルである。なぜなら自由気ままに書いても、査読により不採択になるという心配はいらないからだ。
あらためて述べるまでもなく、WDはイギリスの精神分析をルーツとし、グループの環境で学びを高めるための試みである。そしてこの動きは日本の心理臨床においてかなり前から導入され、「日本ワークディスカッション研究会」まで存在している。ただし広く一般に知られているとはいえず、まだこれからの領域という印象を受ける。かくいう私も長谷綾子先生、若狭美奈子先生、橋本貴裕先生の企画による2025年の心理診療学会の同テーマの自主シンポにコメント訳としてお招きいただき、その存在を遅ればせながら知ったということを告白しておこう。
ワークディスカッション(work discussion、以下WD)は、英国のタビストック・クリニックにおける乳幼児観察(Infant Observation)が源流であり、主として精神分析的視点に立った対人援助職の教育訓練のために1948 年に開発されたという(橋本,2007)。この創始者は精神分析の世界ではよく知られたイギリスの分析家エスター・ビックであり、彼女はこのWDにより乳幼児観察と個人精神分析を統合したとされる。ちなみにこの乳幼児観察については英国に留学した先生方が日本に伝えておられるので分析家の間ではなじみになっている。
WDは、観察者が自らの体験(感情、身体感覚、反応)を通して無意識的な対人関係の力動を見出すことを目的とするという。 具体的なプロセスとしては、参加者が臨床現場(保育所、病院、学校など)で観察したことを記録し、それをグループで発表し合い、そのあとにディスカッションを行うという。そしてそのディスカッションが「自由連想的」であると言われる。そしてその際指導者(facilitator)はあくまで分析的な視点での促し手であり、指導・教示は最小限に抑えられるということだ。
WDにおけるディスカッションでは、「観察者が感じたこと」「関係性の中で何が起きているか」に焦点が置かれ、背景にに対象関係論(オグデン、ビオン、ビックなど)や投影同一視、コンテイニングなどの概念があるとされる。そして「何が起きていたか?」よりも「なぜ私はそれをそう感じたのか?」に注意が向けられる点が、教育やスーパービジョンとは一線を画す。つまりそこで起きたことを事実として検討する、という意味ではないという点が特徴なのだ。
このようにWDの起源は古いが、1970,1980年代に多種多様な援助職の観察力や対人スキル向上に貢献したという。そしてその可能性に気づいた臨床家によって、より幅広い援助状況に応用されていくようになって行った。特に臨床心理士養成大学院など、さまざまな領域の対人援助職に対して実践されはじめ、心理臨床の事例検討会やグループスーパービジョンにも応用されて、その汎用性が注目され日本ワークディスカッション研究会が設立されたとのことだ(「日本ワークディスカッション研究会」HPより 野村)。しかしその運営、グループのファシリテートには固有の難しさがあることが分かってきたという。