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2011年5月10日火曜日

症例提示の仕方(3)

症例提示の最後の部分は治療方針についてである。おそらくどのような面接場面でも、試験官からこの問いが発せられないことはないだろう。
「それでこの患者さんの治療方針は?」
よくない答えの典型例:「パキシルを投与します。」
このような答え方をする報告者に対する試験官の問いかけは次のように狡猾なものになる可能性がある。
試験官「ほう、ではゾロフトではなく、パキシルである理由は?」
報告者「いえ・・・・ゾロフトでも悪くありませんが、私はあまり使ったことは・・・ハイ、ゾロフトでもいいと思います。」
試験官「それではどうしてすぐにパキシルが出てきたのですか?」
報告者「いや、その・・・・」
試験官「では、パキシルについて聞きます。何ミリを投与しますか?」
報告者「最初は10ミリ、慣れてきたら20ミリにします」
試験官「20ミリでも効かなかったらどうしますか?」
報告者「30ミリにします。」
試験官「それでも効かなかったら、40ミリにしますか?」
報告者「いや、それは・・・・」
試験官「30ミリまでは増やしても、40ミリには増やさない根拠は?」
報告者「いや、特に・・・・・」
試験官「それと20ミリで効かない時、すでに副作用が強いときでも、30ミリにしますか?」
報告者「いや、その・・・・」
試験官「先ほどは30ミリにする、とおっしゃいましたが」
報告者「ハイ、いえ、あ、ハイ」(しどろもどろ)


この報告者と試験官とのやり取りは、この種の口頭試問でおきやすい問題を反映している。この問答、報告者のパキシルについての知識をめぐるやり取りのように見えるが、実は違う。治療方針を柔軟に考えることが出来ない報告者の問題を浮き彫りにしている。パキシルについての問答になっているのは、それがwrong door だったというわけだ。いやパキシルというドアを開けていけないわけではない。ただ開ける必要もないときに開けたことが問題なのだ。
よりよい答え方は、こうである。
報告者「治療にはさまざまな方針が考えられます。生物学的な治療および社会心理的アプローチがあります。・・・・典型的な形では薬物療法と精神療法の併用が考えられます。」試験官の顔には、苛立ちが見られる場合もあれば、安心感も見られるかもしれない。苛立つのは意地悪な試験官。報告者がなかなか尻尾を出さないからである。安心感を見せるのは、まずは治療方針についての質疑が満足のいく出だしを見せたことへの満足感を表しているからだ。このような善良な試験官に当たるのは幸運である。治療方針といっても薬だけではない。薬といってもパキシルだけではない。まずは広い網を張った答え方をし、そこで報告者は柔軟でグローバルな考え方を披露するのだ。「治療にはさまざまな方針が考えられ、生物学的な治療および社会心理的アプローチがある」ということは正論中の正論である。試験官は文句の付けようがない。そしてこんな答え方をされては、いよいよ質問時間を使われてしまう。そこで苛立つのである。そしてこの報告者の「・・・・」とは、試験官の顔色を見計らっているのだ。あまり彼を苛立たせてはいけない。議論はまずは一般論から入って、徐々にフォーカスを絞っていくものだ。そこで薬物療法と精神療法、と答える。そこで試験官がすかさず、「生物学的な治療には、薬物療法しかないのですか?」と聞くかも知れない。それにはにっこり笑って「もちろんそれだけではありません。電気ショック療法も、光療法も含まれます・・・」と報告者。試験官は面白くないといって横を向いてしまうかもしれない。

2011年5月9日月曜日

症例提示の仕方 (2)

30分の診断面接は、それ自体がドラマという感じであるが、次の30分、すなわち症例提示と質疑による口頭試問についてはどうか?これはそれを試験の場面において行うということに興味がない人の場合にはどうでもいいことであろうが(専門医試験に実地試験がない日本であれば、結局は誰も興味がない、ということになるが)症例提示は別の意味でのドラマである。診断面接が実際の生身の患者さんとのやり取りであるならば、症例提示は試験官とのやり取り、ないしは駆け引きがある。主たる違いは、診断面接と違って試験官がこちらのやりたいように時間を使わせてくれないということだ。
もちろん診断面接の場合にも、効率の悪い面接の仕方をして時間の無駄になってはいけない。しかし30分の時間をどのように進行するかは結局は自分に任されている。その意味では自由なのだ。ところが症例提示ではいきなり試験官から駄目だしや注文が来る。報告の最中でいきなりそれを中断することを求められることもある。たとえば現病歴について詳細に話しているといきなり、「ハイ、現病歴についてほかに大事なことは?」と試験官が割って入ってくる。事情を知らない報告者は「えっ、こんなに詳しく話しているのに、もっと大事なことを言い忘れていることなの?」とパニックに陥るであろうが、そうではない。試験官は「現病歴についてはわかったから、ほかに言い残すことがなければ、次に進んでください。」という意味で言っているのだ。
実は試験官は報告者の症例提示をこうやって急かせる意味がある。なぜなら報告者としては「止められない限りは、意味のある情報を伝え続けていい」という大義名分があるからだ。そうして主訴、現病歴、既往歴、社会生活歴、MSE・・・・と進んで、あっという間に27分が経ってしまったら、実は報告者の思うツボ、彼の勝ちなのである。なぜならば試験官は口頭試問の部分を3分間しか残していず、報告された内容について質問を浴びせる時間はわずかしかないのである。つまりは報告者に減点を与えるチャンスを逃すことになる。だから実際15分の報告を延ばすことで出来るだけ残りの質疑の時間を減らすことは、報告者の最大のテーマのひとつといっていい。極端な話、報告者の報告が立て板に水で、しかも理にかなっていていて口を挟む余地がない場合には、試験官は30分をすべて報告の時間に使わせて、文句なく合格にしてしまうケースすらあるほどだ。
もうお分かりのように、きちんとした報告は、それを行うだけで30分かかってもおかしくない。どうして30分の面接の内容を30分かけて報告することが出来るのか、と問われるであろうが、例の陰性所見、というのがある。「患者さんは、~ということはなかった。」というのも立派な報告だ。あるいはMSEの所見の提示にもやたらと時間がかかる。さらには患者さんの外見について説明することを考えてもいい。患者さんがどのような表情か、どのような話し方か、どのような服装か、目を合わせるのか、表情は硬いのか、それとも・・・などを報告するとそれだけでも大変な時間がかかってしまう。そこでその30分の報告を試験官はちょん切っていく。時には現病歴をゆっくり聞いたかと思えば、いきなり「じゃ、時間がないからMSEに行って頂戴」などと言われる。
ちなみにここで書いてあることは、いかにも試験対策っぽいが、実は実際の臨床でも、あるいは日常生活でも応用が出来る。人に用件を伝えるときには、だらだらせず、まず結論を言うこと。あるいは少なくとも聞いている人がわかりやすいようにまとめること。あることに時間を費やすことは、別のことに使うべき時間を無駄にしているということ。何か人生を学ぶようである。

一番恐ろしいかもしれない最後の15分

ということで私もだらだらせずに、最後の15分に移る。ここでは診断面接についての質疑が行われるが、ここで問われることは、ごく素朴で単刀直入なことが多い。試験官は「では診断的な理解について報告してください。」あるいは「では診断は?」とひとこと。それが終わると、「治療方針は?」となる。ただし前半の報告自体が突っ込みどころ満載だと、この診断と治療についての質問にいたらないことが多い。もちろんそれは好ましいことではない。
まずは診断であるが、それを問われた報告者が「エー、患者さんは不眠を訴えています。それと食欲の低下も示しています。気分の浮き沈みが・・・・」とやりだすと、試験官は苛立つ。報告者はうつ病という診断の根拠を述べようとしているのであるが、これはまた時間稼ぎに使われてしまってはたまらない。「診断は、とお聞きしているんですよ。ほかの事はいいんです。」と言われるかもしれない。ここで一番妥当なのは、いわゆる最も可能性のある診断(working diagnosis)と鑑別診断 (differential diagnoses) をまずは列挙することだ。しかもここで鑑別診断はリーゾナブルなものである限りは、数が多いほうがいいだろう。なぜなら「私はとりあえずうつを疑います。でもこれだけほかの可能性もかんがえていますよ・・・たとえばA,B,C・・・」ということで面接者の技量を示すことが出来るからだ。
ただし調子に乗っていると痛い目を見る。うつ症状を訴えるものとして、「統合失調症」を鑑別診断としてあげたとする。Post-psychotic depression ということもあるし。統合失調症まで頭の隅に入れていたということを示せるし。それに統合失調症の前駆症状として抑うつ的になることもあるし・・などと考えてのことだ。すると「ではこの症例で、統合失調症を疑わせる所見は?」と聞かれてたちまち窮してしまう。「確かに幻聴とか被害念慮もないし・・・ヒエー、そもそも患者さんに幻聴があるか聞いていなかった!!」しかしいまさらそれについてコメントも出ないし。面接者は「特にそのような所見は・・・ありませんでした。」もちろん試験官はこう聞いてくる。「統合失調症を疑わせる所見がないのに、どうしてそれを鑑別診断に入れるんですか?」
やぶ蛇とはこのことである。試験官も人間だから(というより実は試験を受けている面接者よりホンの少し先輩の医者であるというだけだ)あのいかにもうつ病の診断を満たしている患者さんに統合失調症の疑いはかけず、面接者が念のために統合失調症を除外する質問を向けていなかったことにも気がついていなかったかもしれない。ところが彼がそれを鑑別診断に加えるという余計なことをしたために、診断面接の瑕疵を浮き彫りにしてしまったことになる。過ぎたるは及ばざるが如し。うーん人生の勉強になるなあ。
ちなみに英語ではdon’t open the wrong door とかいう言い方がある。面接者が統合失調症のことについていったのは、このwrong door だったということになる。自分から開けた以上、当然試験官も入ってくる。ところがそこは実は入ってこられては困るドアだったのだ。ただしこのドア、実は面接者のほうで入っていく用意がある場合には実はあけてもいいのだ。あるいはそれをわなのように仕掛けるということもある。試験官が入ってきそうな突込みどころを仕込んでおく、そしてそれに最後の15分を使っていただくという手があるわけだ。これは高等戦術だ。そしてそんなことに興味を持つ人は誰もいないだろう(日本では)。

2011年5月8日日曜日

症例提示の仕方 (1)

30分面接が終わったからといって、安心してはいけない。それをどのように理解し、治療方針を立てるかを示すことが最終的なゴールだからである。米国の精神科専門医試験については、それを12~15分ほどの口頭によるプレゼンとして試験官に行う。(残りの15~18分は、プレゼンの内容についての口頭試問であり、全体が一時間で終了するという計算になる。ああ、思い出すだけで嫌になる。) プレゼンの際重要なことをあげれば、①聞く人にわかりやすいような提示の仕方をする。(病歴の提示に関しては時間軸上の順序に従ってin chronological order 行う。)② それにより面接者が少なくとも平均以上の精神医学的な知識を有していること、そして「安全な」臨床家であることが示されるようにする。③ 診断面接において十分に聞けなかったこと、聞き逃したこと、ないしは陰性所見があれば、それについての釈明や説明を行う。④ 診断や治療方針に関しては、ひとつの考えにとらわれず、いくつかの可能性を同時に考えられるような柔軟性を示す。
このうち①に関しては、一番説明がしやすい。誰かにある人についての説明を受ける状況を考えよう。どのように説明されたら一番わかりやすいだろうか?それを考えながらやればいいのである。診断面接とはうまくしたもので、実は面接した内容が、ほぼ順番どおりそのままプレゼンできるようになっている。ここに特別のからくりがあるわけではない。まず面接者が患者のことをわからなくてはならないが、その際に得るべき情報の順番が、ある意味で報告で伝える順番でもあるはずだというわけだ。
たとえば診断面接で、まず患者の年齢、性別、職業、家族構成や居住環境を最初のうちに聞くことを私は勧めたが、これはある人を理解するうえで最低限必要なことであり、またまず報告することでもある。その次も同様。まず主訴。それがどのように起きてきたか? きっかけは? それにより社会機能はどの程度奪われているか・・・・・。そう、診断面接で聞いたことの順番なのだ。(もうちょっと言うと、診断面接のフォームも、そのように作られている。)
プレゼンの仕方のひとつの指針をここで書いてみたい。一本芯を通すのである。主訴と、現病歴と、過去の病歴と、家族暦と、診断と、治療指針が一本の線上にあるようにする。小説を読んだりするときもそうだろう。全体がつながっていて、たとえば導入部で描かれたエピソードが話の伏線になっていることで、全体がつながっている感じが重要であり、それが呼んでいる人がその小説が「わかり」引き込まれる原因にもなるのだ。(ただし野田秀樹や伊丹十三のような、一見つながりがあまりない逸話が並んでいるような戯曲や映画などでは、全体にひとつのテーマがそれとなく流れていたり、ストーリー自体が実は単純なので、クリアー過ぎる芯をワザとぼかすということをするのだろう。一本芯は、あまり単純すぎると退屈になって面白くなくなってしまうのだ。)
この文脈で③が生きてくる。ここでこの所見があれば一本の線が引けるのに、そうではない時、聞き逃したかのうせいのあること、あるいは陰性所見を同時に報告するのである。もちろん現実の患者はその人生や病理の現れ方がさまざまな偶発事に左右されていることは十分ありうるので、それを補うことで、やはり相手にとって聞きやすく、理解しやすく(ということは自分にとっても納得しやすく)するのである。
一本の線は、プレゼンの最初から引かれ始めるべきである。例を挙げよう。
主訴が「家を出るのがこわい」であったとしよう。もちろんもう少し主訴として付け加えたいところだが、とりあえずこれが患者の口から、困っていることとして最初に出てきたものだとしよう。続いて現病歴として「2年ほど前より、外出時に・・・・・となることが多くなった。」という風に、家を出られないことの具体的な理由が述べられる事から始められるほうが聞きやすい。ところがたとえばこんな現病歴がプレゼンされたらどうだろう?
「去年の夏ごろより、Aさんは奥さんと話してもイライラすることが多く、家でも口をきかなくなって来たという。今年の初めより、夜間に不眠を訴えるようになった。食欲もなくなり、体重も減少した。奥さんはAさんの態度に耐えられなくなり、離婚話を持ち出したことから、Aは家庭での悩みを職場でも話すようになった。職場の帰りに同僚と酒を飲むことは続いていたが、その量が増えてきた。しかしそれでも仕事を休むことはなかった・・・・・」
ここら辺から聞いている人(試験官)はいらいらしてくるはずである。ぜんぜん一本の線を引き始められない(あるいは面接者がプレゼンをしつつ線を引く気になっていない、あるいは彼の頭の中で線が引けていない????)家を出るどころか、ぜんぜん会社にいけてるジャン。
「家を出るのが怖い」という主訴から、聞く人はすでにある種の恐怖症(対人恐怖、引きこもりも含めて)か統合失調症を予感している。次にくるのはうつ症状あたりであろうが、うつ病の場合は、「仕事にいけない」、「行く気になれない」という主訴になるはずで、しかもできない、やれないことは、家を出ることだけではないはずである。こうして報告を受ける人は、主訴を聞いた時点で、線を引くための点を頭のなかでどこかに打っているはずであるが、その次の現病歴がうつ病を匂わせるような、しかも外出が怖いというとは直接つながらない話であるために、すでに相当の混乱に陥っていることになる。
ここで主訴としての「家を出るのが怖い」というプレゼンの仕方が間違っていたということもいえるであろう。確かにそれは「一番困っていることは?」という問いかけに反応して患者の口から出てきた言葉かもしれない。しかし面接者は話を聞いていくうちにそれを自分流に理解したうえで「つまりしばらく仕事にいけていないので、周囲の人の目が気になっているということなんだな、一番困っていることはそもそも仕事に行くだけの気力が起きないことなんだな」と理解し、患者の話を総合して「仕事に行く気力が起きない」と言い換えればいいということになる。少なくともこれが主とそして最初に提示されれば、その後のややまとまりのない現病歴も、少しは入ってくるし、そこにうつ病を思わせる線を引き出すこともできるのである。
ちなみに陰性所見については、現病歴で「特に他人から害を及ぼされるような気がしたり、人とであったり電車に乗ったりすることそのものに特別恐怖心を抱いているわけではない」ということを報告することで、恐怖症や統合失調症の路線ではないことを相手に伝えることもできるわけである。(また最初からうつ病を疑ってしまい、たとえば被害妄想や被害念慮についてまったく面接で聞いていなかった場合には、そのことをここで釈明ないしはコメントしなくてはならない。面接者としては、自分の面接の不備さを暴露することに抵抗を覚えるかもしれないが、試験官の目には、「自分の面接の不備な点について気がついてさえもいない愚か者」ということでさらに減点されるということになる。)(続く)

2011年5月6日金曜日

MSEで何をどのように聞くのか?(後半)

診断面接は後終了まで2分に迫っているのであるが、なぜか時間の流れが遅くなっているようである。ちょうど漫画「巨人の星」で飛雄馬が消える魔球を一球投げるのに数ページを費やしたように。
ところで昨日MSEでは患者の見た目 appearance, 話し方 speech, 見当識 orientation, 記憶 memory, 知能 intelligence, 知覚体験 perception, 思考 thought, 情動 emotion, 感情 affect を調べる(またコピペをしたが、正確さを期して「知能」、も含めた)といったが、これを「精神症状」という。昨日書き忘れた。MSEとは「精神症状検査」とでも言うべきものであるが、適当な訳語はまだないと思うので、このままにしておく。時計の針がもう30分にさしかかろうというときに面接者が忘れてはならないのは、「先ほどの三つを覚えていらっしゃいますか?」である。「先ほどの三つって?って?」駄目だコリャ。ただしかなり有名な先生の診断面接のデモンストレーションでも、この三つを患者に聞き忘れるのである。ある例では、面接者が「では、これで終わります。有難うございました。」というと、患者が「こちらこそ。ところで、先生、まだ私は覚えていますよ。リンゴ、帽子・・・・」。しかし記憶について質問した当の面接者が、それを確かめ忘れるのはしゃれにならないが、それでもってその面接者が専門医試験に落ちるということはない。それはなぜか。
それにより患者を危険にさらすという恐れがないからだ。以下に述べるとおり、面接者は第一に「安全」な治療者でなくてはならない。それを疑わせるような面接を行なわない限り、失格ということはない。(ちなみにそれとの関連で、実際診断面接の試験でこれをやってしまっては落ちる、ということはあまりないが、ひとつ例外がある。それはうつを思わせる患者に自殺念慮を問わなかったという場合である。決定的な質問を失念してしまうことで、その面接者は、安全とはいえなくなってしまうからだ。)
さて患者が2つ、ないし3つを思い出したところでもう1分しか残っていない。MSEでまだ聞いていないことの中で大切なものは何か、ということをざっとさらって見る。ここで私なら「誰もいないところで声が聞こえてきたりすることはありますか。」を聞いておきたい。いくら統合失調症が病歴から疑わしくないといっても、幻聴の有無を聞くぐらいはしておきたい。さらにすでにうつ病の患者に自殺念慮があることを確かめていたとしたら、このMSEではこのように尋ねるのが必須となる。「先ほど死んでしまいたいという気持ちになられるということでしたが、今現在そのような気持ちはありますか。」これに対して答えが「はい。」であれば、次のように問わなくてはならない。「具体的に、どのようにしてそれを実行しようとなさっているか、考えがあればお聞かせください。」これは自殺念慮の切迫さを問うていることになる。
こうして時間は30分の面接の終了となるが、最後には必ず「締め」の挨拶が必要となる。
短い時間ではありましたが、ざっとご様子をお聞きしました。この検査の結果や治療方針については後ほどお伝えいたします。お疲れ様でした。」


診断面接を行なう面接者の資質


以上診断面接の手順について触れたが、ここでは面接者の以下の3つの資質や能力を問うていることになる。
1. 安全な面接者、臨床家か。患者の示す精神科的な所見について、それが患者にとって不利益になったり、他者を害するような可能性を正しく見抜くことができるか。
2. 平均的な臨床家としての臨床的な知識を備えているか。
3. 患者との間に適切なラポールを築くことができているか。
診断面接とは、患者の心に隠されている決定的な病理を探り出すという特別な能力ではない。ごく当たり前の質問を投げかけ、あるいは当たり前の観察眼を持ち、安全であることを期して質問を重ねた場合に、誰でも行き着くような診断的な理解に、その人も行き着けるか、ということが重要なのだ。

2011年5月5日木曜日

MSEで何をどのように聞くのか?(前半)

5月3,4,5日と東北に行ってみた。仙台から松島、女川、石巻、南三陸町。帰りの新幹線で外から見える景色に、「どうしてこちらはちゃんと家が立っているのだろう」とふと錯覚に陥ることがあった。しかし松島だけは深刻な災害を免れ、観光客を沢山目にした。


MSEの進め方は、テキストにより色々な記載があるであろうが、厳密なやり方はあまりない。明らかにすべきことは、患者の見た目 appearance, 話し方 speech, 見当識 orientation, 記憶 memory,知覚体験 perception, 思考 thought, 情動 emotion, 感情 affect の今現在の様子である。ちょうど内科医がまずは患者に口を開けてもらい、喉を見て、それから眼底を見て、それから首を触診して甲状腺やリンパ腺の肥大を見て…というふうに、現在の患者の心のあり方を記載する。ただし忘れないでいただきたいが、時間はもう5分しかないのである!どうしてあと5分で患者の見た目 appearance, 話し方 speech, 見当識 orientation, 記憶 memory, 知覚体験 perception, 思考 thought, 情動 emotion, 感情 affect を調べることが出来るのだろうか?(ここは明らかにコピペをしている。)実はこれらのうちのいくつかはすでにこれまでの面接のプロセスで調べられているのである。見た目や話し方、情動などはすでに話し方などを通じて明らかだからだ。すると最後の5分で面接者が新たに質問をすることにより明らかにするべきことは限られている。私がまずおすすめするのは次のような順番で質問を向けることである。
「まず今日の年月日を教えていただけますか?」(患者が何月何日、で終わる場合には、何曜日か、西暦、あるいは元号で何年かを促す。)
「これから3つの物の名前をあげます。あとでお聞きしなおしますので、覚えておいていただけますか? りんご、帽子、心理学」(もちろん最後の3つは何でもいいが、互いに無関係なものがいい。りんご、赤、サル、という3つをあげると、患者は、赤いりんごを食べている猿を想像してしまい、個別の3つの項目を覚えるということとは異なってくるからだ。もちろんこの3つは、自分の得意なものを用意しておく。その場で思いついた3つを覚えておこうとしても、患者さんよりさらに覚えていられない可能性がある。何しろ面接者は質問をどのように進めるか、何を忘れずに聞くかで頭がいっぱいだからだ。あるいは3つを即興であげたなら、それを何処かにメモしておくように。それとなぜこの質問をMSEの最初にするかというと、3分後にこの質問を患者さんに向けなくてはならないからだ。つまりこれは短期記憶を調べるのであるが、その前には、記銘が出来ていなくてはならないので、次の質問は忘れずに。)
「今私が言った三つを繰り返していただけますか?」患者が3つを正確に繰り返したのを見届けて、次に質問すべき幾つかは、もう心で準備しておく。
「100から7を何回か引いていただけますか?まず100引く7は? そこからもう一度7を引くと?  もう一度?」(だいたい100,93,86,79,72くらいでよしとする。集中能力の検査。)
「現在の総理大臣はだれですか?」(一般常識)。
「次の二つに共通しているものは何かを上げてください。猫とライオン(ネコ科)、猫とネズミ(哺乳類)、猫と蚊(生き物)」(抽象思考の検査)。
ここで大体2,3分は経っているので、もう尋ねてもいい。
「先ほどの3つを覚えていらっしゃいますか?」
さて、この時点でおそらくあと面接時間は2分ほどしか残っていない・・・・・。読者の中にはこういう質問があってもおかしくない。
「MSEはもっと早く始められなかったのですか?」もっともである。

2011年5月3日火曜日

大嵐の前の4分

さてこんなことをしている間に、時計の針は21分をさしている!社会生活暦、家族暦、医学的問題のチェックを4分でしなくてはならない。患者の幼少時から思春期、青年期、壮年期について、学校での適応、学歴、職歴などをみな4分で聞かなくてはならないなんて・・・・。ただし焦ることはない。質問の仕方はいくらでもある。どのように質問を向けるかに注意すれば言い。幼少児のことだって、「小さいころの思い出で、なにか強い印象に残ったことがありますか?」と聞くことで、すでに多くのことを一挙にカバーしていることになる。ただし精神科の面接では、もう少し焦点づけた質問のしかたをするのだが。私は以下の点についてははずさないで聞くようにしている。逆に言えば、それ以外はあまり重要度が高くないということだ。
「小さい頃の様子はいかがですか?何かとてもつらい思いをしたりしたことは?」そして相手の反応を見ながら、もう少し詳しい質問を欲しているという空気を読み、言葉を継ぐ。「たとえばとても厳しく育てられたとか、体罰を受けたとか、あるいは学校でいじめにあったとか・・・・・。」もちろん幼少時の性的、身体的虐待の有無を含めて聞こうとしているのであるが、なかなか言葉にしにくいことでもある。深刻な問題が幼少時にあったと感じられた際は、その存在がほのめかされたというだけでもいい。だいいち4分しかないのだ。(米国ではここらへんはかなりはっきり口に出して聞くことが多い。In your childhood, have you ever been physically or sexually abused? などというふうに。)
もちろん幼少時、学童期には他の問題についても聞いておきたい。「友達とはいかがでしたか?成績はどの程度でしたか?」成績の話などぶしつけだが聞いておきたい。ただしこれまでの話の経過から大学を卒業しているということがわかっているなら、成績の話を省いてもぜんぜんかまわない。「少なくとも平均以上の知能」という見立ては出来ているからだ。本人がIQ 130以上なのか、特異な音楽の才能があるか、などはこの際は重要ではない。あとは学校を出てからの職歴。長期間仕事を持たない時期があったかどうか?ここら辺はざっとさらう程度で患者さんの機能レベルを伺うことになる。もし引きこもりの問題がうかがわれる際には不登校の時期の有無、いつごろからはじまったのかを聞いておくことも重要となる。
家族歴はさっと一言で片付けることが多い。「ご家族や親戚の方々で、精神科的な治療を受けられたり、入院されたり、あるいは自殺をされたりした方はいらっしゃいますか?」ここでもし両親ともうつ病の既往があるなどということが聞かれれば、これは本人の確定診断に多少なりとも影響がないわけではない。しかしそれとて決定的ではない。家族歴が診断面接では最後の方に回り、手短に聞かれるとしたら、それはその情報源としての意味があまりないから、ということになるだろうか。
さてここら辺から面接者は時計と睨めっこである。どうしてもこの面接は最後の5分前には一段落付けなくてはならないからだ。大嵐のために。

2011年5月2日月曜日

診断面接の後半 嵐のような15~25分

診断面接は、後になるにしたがって、ますます「構造化」されていく、と数日前に私は書いた。つまりオープンクエスチョンは減っていき、クローズドクエスチョン、あるいはイエス、ノークエスチョンが増えていく。もっとひどいと、患者さん(今日はさんを付ける)が言いよどむ場合には答えを待たずに別の質問に移る。いささかマナー違反なこともしなくてはならないが、それはこの面接が、診断をつけるという目的を持ったものだからやむをえない。患者さんをせかせてもそれで憤慨させてしまわないだけのラポールをすでにつけておくことが前提だ。あるいはそのような矢継ぎ早の質問になっていくことをはじめにお断りしておく。そうすれば運よければ患者さんはジェットコースターに一緒に乗ってくれるのである。
さてなぜ15分目から25分目が嵐のようかといえば、時間がないからだ。最後の5分をあらかじめ予報しておくと、大嵐、である。なぜならMSEが待っているからだ(後述)。主訴と現病歴を把握する、という最初の15分と、大嵐の最後の5分間にはさまれた10分に、面接者は次のことをしなくてはならない。主訴以外の精神医学的問題がないかの探索、過去の病歴(既往症)、社会生活暦、家族暦、医学的な既往症のチェック、である。どうだ、忙しいだろう。最初の15分で患者さんの問題には大体当たりをつけてある。でも実はもっと大きな、あるいは決して無視できないことが起きていて、患者さんはそれを主訴に上げていない可能性がある。何しろ主訴は「主」訴であり、「副」訴ではない。(ちなみに「副訴」などという用語は聞いたことがない。)患者さんはあくまでも主訴を伝えることを最初の質問で要請されているに過ぎない。例え面接者が首尾よく患者さんのうつ病歴について大まかに把握し、過去に入院歴があるらしいこともわかり、またかつてそう状態になったことがないということまで把握していても、たとえば患者さんが長年アルコール引用を続けていて、そのために仕事を失っているというヒストリーがあったらどうだろう?アルコールの長期乱用はうつ病に大きく影響を与える以上、アルコール依存症という問題は無視できない。そしておそらく面接者が探りを入れる中でアルコールについてたずねない限り、患者さんのほうからそれを伝えるということは少ないのだ。面接者はここで悩む。出来れば過去の入院暦について、外来での治療暦について知りたい。それは患者さんの現病歴に深さないしは時間軸を与えるだろう。でも現在のほかの問題についてたずねるのは、現在の問題に更なる奥行き、平面軸上の広がりを与えてくれる。どちらに行くべきか・・・・。ここら辺はどの精神科のテキストにも書いていないことだが、私なら、既往症に行く前に、「副訴」(ないない)に探りを入れておく。なぜならそのほうがリスクが少ないからだ。もし過去の病歴について、たとえば10年前にはじめて精神科の外来を訪れ、5年前に第一回の入院歴があり、3年前に第2回の入院があり・・・・という話を聞いてから、「ではうつ病以外に何か精神科的な問題は?」と尋ねられた患者さんがアルコールの問題を持ち出した場合には、面接者は非常に焦りを覚えるだろう。それよりは17分の時点で「そうか、この患者さんにはうつ以外にも、アルコール依存があるのか。こりゃ大変だぞ」と覚悟を決めて、「では欝やアルコールの問題、あるいはそのほかのことで、初めて精神科におかかりになったのはいつですか?」とたずねたほうが時間が節約できるのである。
他の問題の探り方
「副訴」と使い続けるとクセになりそうなので、「他の問題」と言い換えよう。ここも時間を節約しながら、的確に聞いておきたい。
勧められない尋ね方。「今までうつの症状についてお聞きしましたが、他の問題、たとえば一気に食べ過ぎて、後で吐いてしまったりとか、しばらくの期間一切食べ物を口にしない、というようなことがありますか?あるいはひとつのことを繰り返して行ったり考えたりして、それが頭を離れないようなことはありますか。あるいは・・・・」
これをはじめると大変なことになってしまう。前者は摂食障害について、後者は強迫症状について聞いているのであるが、もちろん患者さんには専門用語を使うわけには行かないから、平易な言葉を使うしかない。するとこの路線で、PTSDとかパニック障害とか社交恐怖とか身体か障害とか、解離性障害などなどの神経症圏の病気について同じことをやらなくてはならない。そこで・・・・
あまり勧められないが、やむを得ない尋ね方
「先ほど精神科の先生におかかりになっているとお聞きしましたが、診断名についてはお聞きになっていますか?たとえばうつ病以外には何かお聞きになってはいませんか?」
もちろん患者さんが精神科にかかっていない場合にはこの手は使えない。そこで次のような質問をすることもありである。
「精神科にはうつ病以外にもさまざまな問題があります。いかがでしょう、時々不安に襲われたりパニックになったりしたことはありますか? あるいはひとつの習慣がやめられなくて困ったりしたことはありますか? 考えや行動がとめられなかったり、習慣がやめられなかったり・・・・」
不安に襲われ、パニックになる、という表現は実は不安性障害一般を広くカバーする。パニック発作やPTSDに悩む人はすぐにピンと来て肯定するだろう。また習慣に関する問いも、過食嘔吐や買い物依存や、DVやアルコール依存やパチンコ中毒など、あらゆる障害を持つ人がピンと来る聞き方だ。もしそれでアルコール依存の既往が聞けなかったらって?You gave it a try anyway. That’s enough.
ところでここまで書くと、次のような疑問の声が聞こえてきそうだ。「いろいろ探りを入れていても、肝心の統合失調症について聞いていないではないか?」
もちろんそのとおりだ。統合失調症を疑うならそれに則した質問をすればいい。しかし統合失調症の既往があるかどうかは、大体この時間帯になるとおのずとわかっているのである。あえて聞かなくてもいい。どうせ最後の大嵐の5分のMSEで聞くことになるのだ。「ところで現在、あるいは過去に誰もいないのに人の声が聞こえてくる、という体験をお持ちですか?」

2011年4月30日土曜日

なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?

昨日書いた内容で、一番肝心な点は、診断は治療のために必要である、ということであった。もちろん診断は治療のため以外になされることもある。そもそも精神の異常にはどのようなものがあるかについて純粋に研究し、分類する立場があってもよいし、かつての精神医学は治療に関しては非常に悲観的であったから、診断とは一種の博物学的な興味とも繋がっていた。
しかし現在の精神医学では、特に薬物療法の発展とともに、多くの精神障害が治療により改善される可能性がでてきているのである。
ここで余談であるが、現代の診断が治療とより結びつく一方では、かえって結びつきを弱めているものがある。それが病因である。といっても昔は病因が明らかだった精神障害が、不明になってきた、といっているわけではもちろんない。以前は安易に原因を追求し、またそれを突き止めたことになっていたような精神障害について、実はそれが極めて多くのファクターが原因となっており、安易に一義的な原因を突き止めることは出来ないという理解が深まりつつあるのである。
何しろ統合失調症 schizophrenia の原因として、「統合失調症を生む母親 schizophrenogenic mother」 という概念がまかり通っていたのは、まだ半世紀しか前の話ではない。DSM-IIIやDSM-IVはその原因を問わないという姿勢において首尾一貫し、それだけに批判も集めていたが、原因を問わない、という診断基準がそれでもこれだけ使用に耐えていることは、上述の病因と診断との乖離を反映しているのである。
診断が治療と深く結びついているというのは、例えば薬物療法を考えた場合には歴然としている。抑うつ症状を示す患者に抗うつ剤を投与する場合、その患者が単極生のうつ病の診断を持つか、双極性障害を持つかは、薬物を用いる際の心構えや用心すべき点を考える上で非常に重要である。いうまでもなく抗うつ剤の副作用としての躁転をここでは意味しているのだ。米国では双極性障害の人には抗うつ剤は禁忌である、とさえ言う精神科もいるほどである。

30分面接の時間配分


ここで本来のテーマに戻り、30分の診断面接の構造について考えてみたい。
まずは最初の15分である。この時間は、患者の原病歴のあらましを描き出すことに全力が注がれる。
最初の3~5分。この時間はまずラポールの形成に用いられなくてはならない。有効な情報の聴取は、よりよいラポールの形成の上になされる。出会いの最初はまず患者を笑顔で迎え入れ、座るべき場所を示し、来談したことへの敬意を表する。この面接が30分であり、いろいろ質問に答えていただくことになることを伝え、了解していただく。ここで丁寧に「おっしゃりたくないことならお答えにならなくてもいい」と付け加えてもいいだろう。
この最初の段階で基本的データの収集を行うという方針もありうる。患者の年齢、居住環境、職業の有無、婚姻歴などは、いずれは聴取しなくてはならない重要な情報である以上、最初にチェック項目のようにして聞いてしまうのも悪くはない。ただしそれもラポール形成の上である。患者の側が「いきなり個人的なことを根掘り葉掘り聞かれてはたまらない」と感じてしまうようでは、面接はよい滑り出しを得たとは決していえないのだ。
最初の5分の残りの部分は、米国の面接法の講義などでは、できるだけオープンクエスチョンを与えて患者の話し方の様子を伺うべし、とある。これは正しい示唆であるといえる。30分面接は、これから終わりになるに従って、ますます構造化されていく。とすれば最初は柔らかく始め、患者が自由な表現の機会をどのように用いるかを知ることには意義が多い。ただしそれでもそのオープンクエスチョンとして選ぶのは、それだけの価値のあるものをお勧めする。それは端的に「今一番来談の理由とすべき事柄は何か?」「一番困っていることは何か?」といった、主訴に繋がる質問である。

2011年4月29日金曜日

勉強嫌いの精神科医

私は渡米した際には、基本的には日本の平均的な精神科医のあり方に近かったか、やや新しいものに関する勉強を怠るというタイプの医師であったと思う。すなわち「臨床はそれなりにやるが、精神医学の勉強はその本質にかかわらないから、あまり必要としない」と考えていた。これは60~70年代に学園紛争の波に呑まれた一部の精神科医の間に広がっていた空気であり、私も卒後はそれに暴露されて不勉強の口実に使った。そしてそれはまた博士号をとるこ矢研究論文を書くこと、学会発表をすることへの否定的な考えにもつながっていた。
この種の空気に染まると医師は驚くほど不勉強なままに臨床経験だけを重ねていき、しかもそのことに気がつかない。私も渡米した当時は、医師として4年も経ったのだから、大抵のことは知っているであろうと思っていた。そこで当時のECFMGという試験の対策用の問題集を買い求めた。ECFMG(今は別名に変わっている) はアメリカ人の医学生が受ける国家試験と同レベルものを、私のように外国の医学部を卒業した医師が受けるように作成したものである。世界全土で実施し、日本でも東京が会場となり、年に二回実施されていた。アメリカで医師免許を獲得するためにはまずはこのECFMGに合格しなくてはならないので私もその受験勉強をしたのだが、内科、小児科、外科、などなど各科がある中で、他の科はまだしも、精神科の問題集だけは楽勝だと思っていた。しかしこれがさっぱり出来ない。それは端的に、精神科医になってからあまり教科書的な勉強をしないということを意味していたのだが、そのこと自体の自覚が私にはなかった。
ちなみに私はこのECFMGにも日本に滞在していたころから実は数限りなく受けては落ち続けて、パリ留学中もパリ会場で受験しては落ち、渡米して一年目にようやく合格したのだが、まあ私が試験に落ちる話はもういいだろう。
アメリカで晴れて医師免許を取得して、メニンガー・クリニックで精神科のレジデントとして働き始めたのだが、何しろ学科の授業が週に二日はある。そして4年間のレジデント教育のうち、第2,第4学年には、PRITEという模擬試験が行われる。これは実は専門医試験と同じフォーマット(すなわち実技と学科)であり、そのためにたくさん勉強を強いられるのである。そして卒業してから2年して受け始める専門医試験、これが曲者であることはすでに述べた。
それに比べて日本の精神医学教育は、少なくとも国のレベルで定めているものとしてはゼロに近い。卒業して精神科医になったら、所属先の医局でクルズス(少人数の講義)という名の教育は受けるが、それで勉強は終わり、というところがある。それに試験という形でチェックされない知識というのは、多寡が知れている。(ちなみに現在の精神科の専門医制度は、この部分を変えようとしているのであり、ある程度の成果は出ているかもしれない。)
ここまでで長文になりつつあるが、私が言いたいのは、そのアメリカの精神医学教育の中の主要なものとして、精神科の症候学と診断学が当然含まれるということだ。いや、それが大部分といっていい。日本の医師のように「診断なんて・・・・DSMなんて」と言っていられない。そしてその為の標準化されているテキストがある。それがDSMというわけである。
さて30歳代のはじめに米国に渡った私は、かの地で精神科の臨床をや利、それで生計を立てるためにこのレジデントトレーングを経たわけであるが、30歳を過ぎても勉強と試験を繰り返すことについては、基本的に大嫌いだった。診断基準などを覚えこむことも苦手であるし、先述のとおり治療の本質にはかかわらないこと、という思いがあった。「診断で患者さんを治せるか!」などと嘯いていたものである。しかし嫌々ながら専門医試験を受け続け、得たものは非常に多かった。精神の問題は奥が深く、実に様々な様相を呈す。それはある程度までは分類できるが、それ以上は個人間のバリエーションが大きく、またいくつかの問題が重ね着状態になってその人の問題を形作っている。患者を前にして自分が何を扱っているのかを知ることでしか、それをどのように治療すべきかということは決まってこない。というよりはどのような治療をするべきかを決めるために必要な手段として、診断があるのである。私たちが疑問点を明らかにし、好奇心を満たすというだけのために診断が存在するのではないということ点は非常に重要である。
これは不思議な現象なのだが、ある患者さんがかなり置いて訪れ、その臨床像を忘れそうになっている時に自分の過去のカルテを読み返す場合、一番さがすのは、「診断」の部分なのだ。過去に自分がその患者さんと会い、アセスメントを行い、何を結論づけたかのエッセンスは、一語の診断に込められていると言っていい。昨日のブログで「診断とは医師の間のコミュニケーションの手段だ」といったが、まさに過去の自分とのコミュニケーションを行うようなものなのである。

なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?

2011年4月28日木曜日

初回面接とは診断面接である

初回面接で何をやるのか、という問いに対する答えがこれである。診断を決めること。いや実を言うと、これは正確ではない。治療方針を定めること。そしてそのために診断を確定することが最優先課題となるのだ。治療をするためには診断を下さなくてはならない、という言い方に抵抗を持つ人もいるであろう。私も昔はそうであった。「精神科の診断なんていい加減だから」、とか「いろいろな人が異なる診断基準を使うのだからあてにならない」、という意見も出そうである。診断は単なるレッテル貼りである、という考えも成り立つ。しかし診断はレッテルであったとしても、どのようなレッテルを貼るかは非常に重要なのだ。私がよく用いる表現であるが、「診断というレッテルは、貼った後はがすためにある」のである。すなわち診断とは、患者の示す多様な様相にひとつの切り口を与えてみせたに過ぎないことを自覚して行うものであり、別の視点や切り口からは別のものになりうることを理解しつつ用いることである。
診断はコミュニケーションである
よく診断は意味がない、とかDSMは操作的である、という日本の臨床家の話を聞く。彼らの気持ちが全くわからないわけではないが、アメリカでDSMを使い続けて十数年の経験を持った私としては、そのポジティブな意味も強調するべきだと考える。それは診断とはある種のコミュニケーションの手段であるということだ。誰から誰へのか?臨床家から臨床家へ、である。たとえばDSMの定義するうつ病がある。日本で何かと批判の的になっているこの診断基準をここであえて例に出そう。ある患者についてA医師がうつ病と診断をしたということをB医師が知るということで、その患者に対するA医師の評価の結果が伝わる。「そうか、Aはそのように考えたのか」というふうに。それが診断の目的なのである。その際重要なのは、二人が同じ診断基準であるDSMを用いているということだ。そしてその同じDSMの基準は、出来るだけ細かく作っておくほうが言い。そのほうがA医師の意味するうつ病と、B医師が意味するうつ病が一致するからだ。
するとたとえば「DSMではうつ病として取る範囲が広すぎる」、という批判は本質的ではない、ということになる。A医師もB医師も、その範囲の広いDSMのうつ病という基準を同時に用いているのであるから、同じものを見ているということには変わりないからである。DSMのうつ病に関しては、アメリカでの精神科医のコンセンサスから成り立っている。それを広すぎると主張する日本の精神科医のほうが「正しい」という保証はない。うつ病としてアメリカの精神科医とは別のものをイメージする、ということだけかもしれないのである。(続く)

2011年4月27日水曜日

精神科30分面接

新たな原稿を書く必要性が生じた。今度は精神科医が行うインテーク面接についてのものである。精神科医が初診で患者と会って最初の30分以内で診断的な見立てを行い、それを患者にフィードバックし、治療方針を決める、というところまで持っていくにはどうしたらいいのだろうか?これは精神科医が実は毎日のように行っていることでありながら、方法論が定められていず、教科書もないという驚くべき事情がある。
例えばゴルフを学ぶなら、最初にクラブをどのように握るか、というところから入るだろう。ところが精神科の面接の教科書には、いきなりコースに出たところから論じ始めるか、あるいはそのような教科書すらも全然存在しないかもしれないのである。それぞれの教育機関で作られているものはあるかもしれないが・・・・。そこで精神医学の先進国(ある意味では、であるが)米国ではどうかと言えば、これがあまりないのだ。その代わり・・・・それを試験官の前で行わせて合否を決めるというコワーい試験がある。アメリカで精神科のレジデントを終えて2年ほどすると、精神科の専門医 board certified psychiatrist になるための実技試験を受け始める。この試験に合格するために、アメリカの精神科医の多くがこの30分面接に頭を悩ませるのだ。合格率は6割程度だが、この実技試験は、私のような外国人の医師にはかなりきつい。ヒアリングの悪さが露呈してしまうのだ。
私はこの試験のことを実によく知っている。というのもこの試験に○回も落ちたのだ。一年に一度チャンスがあるこの試験のための練習をし、受け、惜しいところで落ちというところを何年も続けたために、かなりの方法論を身につけることが出来た。私に最後まで欠けていたのは、英語の聞き取りの力により患者(実際の患者が日当を支払われた上で用いられる)が語る内容のわずかなニュアンスをつかむ能力だったのだ。
思い出すだけで辛い思いであった。カリフォルニア州ロサンゼルス、フロリダ州タンパ、カリフォルニア州サンディエゴ、コロラド州デンバー、オハイオ州シンシナチ、ワシントン州シアトル・・・・しまった。これだけあげると、何度落ちたかバレてしまうではないか。)
実はこの試験、筆記試験と実技試験がある。筆記試験を受かったものが3回の実技を受けることが出来る。これを3度落ちると再び筆記試験。それに受かるとまた3回の実技試験が受けられる。自らの名誉のために言えば、私は筆記に関しては一度も落ちなかった。いつも高得点でパスである。そして実技であえなく撃沈を繰り返した。筆記も実技もアメリカのあらゆるメジャーな都市で行われるのであるが、もちろん飛行機代もホテルの滞在費も、受験料も持ち出しである。観光の名所に行き、筆記試験のプレッシャーにおびえながら、また落ちるのかと暗い予想が頭をよぎり・・・・。街を歩く観光客たちをしり目にホテルに籠ってシャドウボクシングならぬ「シャドウインタビュー」に明け暮れた。つまり目の前に患者をイメージして、30分面接をしてみるのである。
最後に私を救ってくれたのは、ICボイスレコーダーだった。自分の30分インタビューを何度も録音しては聞き直し、自分の発音の癖、聞き取りの苦手な部分を修正するということで始めて私がこの試験にパスした時は、実は2004年の帰国が近い将来に迫っていたのである。
ということで暗い思い出話はそのくらいにして・・・・
30分面接と言っても漫然と患者と雑談するわけではない。おそらく一分一分が何らかの意味を持ち、ストーリーを追う形で過ぎていく。そこではあらゆることが起きうる。患者が突然泣き出すかもしれない。インタビュアーの態度に腹を立てるかもしれない。それらに動じることなく、あらゆることを想定内に収めつつインタビューを進めていくのだ。これは一つのドラマといっていい(続く)